賛歌を紡げぬ貴方へ


■-5

 逃げなければならなかった。
 そうして逃げた先を、守ろうと思えた。



「うう……」
 重い瞼を開けると柔らかな日差しが見える。
「あ、キルキル、おはよ」
 寝台でフィエッセが上体を起こして本を読んでいた。その額には大きなガーゼを貼り付けている。
「どう、なったの……」
 あの時、確かに全員死んだだろう。全身のひりつく痛みが受けた斬撃の記憶を呼び起こす。
 フィエッセの向こうには首に包帯を巻いたレイノルエが寝ている。包帯にもシーツにも血は滲んでいない。
「俺達みんな、施薬院の前で倒れてたんだって」
「運んだの、誰?」
「それがドアを叩く音しかしなくて、誰もいなかったんだってさ」
 言葉の終わりに部屋の扉が開き、持っている盆に薬を乗せたウルコールが姿を見せる。顔にはよく見ると中心に薄い線が入っていた。
「キルキルちゃんも起きたわね。レイちゃん、ちゃんと飲むのよ」
 舌打ちが聞こえ、レイノルエも身を起こす。ウルコールから手渡されたコップには見慣れた色の液体が入っていた。治療薬のメディカだろう。
 苦手な味に表情を歪めながらフィエッセが話を続けた。
「イランイランの誰かならそんな事しないだろうし……」
「どうせどっかの物好きだろ」
 レイノルエの言葉には棘があったが、それだけだ。



 エンドリーアは郊外の丘を行く。丁度ベルダの広場がよく見える場所だ。
 微かに風が吹き、立ち止まる。そして口を開いた。
「何か、答えは、見付かりましたか……?」
 周囲には誰もいない。だが、苦笑が聞こえた。
「見付かりませんでした。けれど、間違いだって事は解りました」
 フレイアルトの声だけが響く。
「俺は楽しかったんです。皆さんと過ごして、皆さんと笑って、楽しかった。それが大切でした。捨てる理由なんて、もう無かったんです。皆さんにも俺自身にも、酷い事をしました。苦しんだって、無くならないものは無くならないんです、どうしても」
 エンドリーアは目を伏せて告げる。
「貴方のいたところは、遠い昔ですから、帰る場所も、無いのかも、しれません……。けれど、私達は貴方に、おかえりなさいを、言うしか、出来ないんです……」
 すると小さな笑い声がした。
「俺も、皆さんに言える事は一つなのかもしれませんね」



 治療を終えた四人とほぼ同時に戻ったエンドリーアは、メンバー全員へ宿の一室へ集まるよう告げる。フレイアルトが話をした、あの部屋だった。
 部屋の扉を閉め、静まり返る中でエンドリーアは虚空へ呼びかけた。
「おとーさん……」
 一言が皆に緊張をもたらすや否やの頃に声がする。
「皆さん」
 聞き間違える筈も無い、フレイアルトの声だった。天井の辺りから聞こえる。
「ごめんなさい、勝手ばかりして、隠し事をしていて。化け物の俺は、本当は此処にいちゃいけなかったんでしょう。けれどもう此処には、俺の周りには皆さんがいてくれて、それは俺にとってとても大切になりました。皆さんが元気でいてくれたら、俺は幸せです」
 長い時の流れからすれば、彼らは一瞬でしかない。しかし鮮烈に輝いていた。輝きは焼き付き、忘れようがないものとなった。未来に暗い孤独が待とうとも、小さな輝き達は進む道標となるのだろう。
「俺、此処に戻って、いいでしょうか」
 フレイアルトらしからぬ控えめな声へ、皆が沸き立った。



 消えた際に落とした服を着ながら思いを巡らせる。
 これから更に激しい戦いとなるだろう。そして必ず勝利せねば、イランイランのメンバー全員の命運も尽きる。
 だからこそ、全てを語り、全力で戦わねばならない。
 そうして覚悟を決めるその前に、今ひと時だけは素直に喜んでいたかった。
 身形を整え、フレイアルトは扉の外へと踏み出す。
「ただいまです!」



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