賛歌を紡げぬ貴方へ
■-4
逃げなければならなかった。
楽になりたかったからだ。
それから、どうしたいのか。
禍々しいとも神々しいともつかない、世界樹の前にフレイアルトは立っている。姿は無い。
見えている世界樹はまだ幹の部分でしかない。奥深くにその根源がいる。約束は、果たせそうにないだろう。それを思うと悲しいが、それだけだった。
「世界樹は、俺の事、嫌いなんでしょうか。それとも、此処にいるって、解らないんですかね」
過去、フレイアルトは世界樹へ同化出来ないものかと試行錯誤した事がある。思い込みの体で強く願った。しかしいつまでも、拒否らしい反応すら世界樹は見せなかった。
落胆し、孤独は感じたが、涙は零れもしなかった。生前も死後も、泣いた記憶が無い。
「ずっとずっと、たとえ誰もいなくなっても、俺一人はいなきゃいけないんでしょうね。悪い事をしても一人です、誰も裁いてくれなくて、裁く人もいなくて」
力無く仰向けに倒れたが、アンブロシアの花は潰れる事無く咲いている。浮いているだけだ。
「レンとツスクルは、あの子達を、多分みんな殺すんでしょうね」
エトリアの繁栄の為に、謎を謎の侭にする為に、真実を知らされない侭で使命を果たす二人も、いつ限界を迎えるだろうか。その心配も最早無用のものなのかも知れない。
フレイアルトは起き上がり、世界樹へ一礼してから上へ飛ぶ。床を、窓を、音も無くすり抜けて外に出た。朽ちたビル群は針山のように見える。
思考の片隅に、ギルドメンバーの死体が浮かんだ。共にいた時間は、長い時からすれば一瞬なのだろう。フレイアルトは遠くを見詰めて思う。それでいて何故、こうも彼らについて考えてしまうのか。
不意に魔物の断末魔が聞こえた。急いた靴音がする。
遠くへ行ったかと思えば、また戻ってきた。
そうして足音は、とある方向へと向かう。その先には二人が立っている。
足音が行ってしまう。
やがて剣戟の音が聞こえてきた。薄れない遠い記憶のような、不思議な聞き心地だった。
続いていた打ち合いの音に突然、耳を劈く声が混じる、アルケミストがパラディンの名前を叫んだのが確かに聞こえた。
降り始める雨のように声が増える。
そして降り止んだ。
「……終わったか」
丸木橋の上でレンが呟く。その首元には深い掻き傷があった。最後の抵抗に爪を立てられた時のものだ。八つ裂きにして漸く倒れた。
「レン、帰ろう」
告げるツスクルの片腕は今にも千切れそうに揺れていた。暗い顔は冒険者達への哀悼ではない。これでレンは何人を殺したのだろうか。残念ながら彼女は殺人鬼ではなく、疲れた顔はツスクルの胸を痛ませた。相手と親交が深かった訳ではないが、やはり裏切りにはある程度の力が必要になる。
レンは深い溜め息をつきながら応えた。使命は受け入れている。だが、人を欺く事の罪悪はレンに重く圧しかかっていた。
今回も終わった。間違い無く終わったのだ。そう思わなければ割りきれなかった。
止めなかった。その結果を、血の海をフレイアルトは見詰める。
首が半ば以上斬れているレイノルエ。
夥しい数の斬撃を浴びたキルキル。
脳天から一直線に斬り落とされたウルコール。
眉間に鋭い突きの穴を開けているフィエッセ。
風が吹く度に、血に濡れていない服の裾や髪が揺れる。
現在の人間の蘇生が可能な限界は六時間。それまでに治療すれば復活出来る。
自分から捨てたのではないか。それは解っている、だが、無意識に考えてしまった。
そうして、気になってしまった。彼らはどのような思いを抱いて此処に来たのか。思いはすぐさま実行されてしまった。思い込みの力が彼らの思考をつまみ上げる。
「どうしてなんだよ」
フィエッセの涙声が届いた。
「どうして隠してたんだよ、どうして、なんにも言ってくれなかったんだよ!」
「本当に困った人なんだから」
ウルコールは困り果てていた。
「一人で背負ったら駄目って、悪い癖だって、いつも言っていたのに……」
「フレイアルト、フレイアルトの事、誰も怒らない」
キルキルに諭される心地だった。
「キルキルの歌はフレイアルトがくれた。フレイアルトはみんなにみんなくれた」
「俺達を舐めてんのか!?」
レイノルエが怒りに震えている。
「利用するなら最後まで利用してみやがれ、臆病者が!」
これには思わず笑ってしまった。
「お花は一生懸命生きてますよね……」
厳しい掟の訳は、その懸命な姿が輝くと思ったからだ。失敗から学び、生きる為にありとあらゆる方法を模索する。
厳しい環境でも咲く、確実に種を残して発展する、花のようになって欲しい、そう願って作った集まり。
ふと、レイノルエの記憶の端が漏れてきた。
「ああいう類いはな、段々嵌まりだして気が付きゃ楽しんでましたってやつだ」
言葉に、いつの間にか自身も満開だったのかと気付かされる。
咲いたなら、最後まで咲いてみよう。この花畑で。
Previous Next
Back