「誕生日」
仗助は数回まばたきを繰り返し、もう一度「誕生日」と口を動かした。
「どうした」
問えば仗助は複雑な顔をした。意外つーかよー、と年下の叔父は頬を掻く。
「承太郎さんにもやっぱあるんっスね。て、当然か」
「失礼な奴だな」
ため息ひとつ出し「手が止まっているぞ」と指摘してやる。
承太郎は再び杜王町を訪れていた。前回の調査で訪れていてから半年後、日本が最も寒さで震える季節に承太郎はやってきた。大がかりな調査ではない為、今回はひとりだ。仗助たちに手伝いを頼むつもりもなかった。
その旨を仗助に伝えると幾分か気落ちしたようだった。
「悪いな。小遣いが足りないのなら」
「あ、いいっス。そーいうんじゃないんで」
そう言いながらも仗助は何事か思案しているようだった。
勉強を教えて欲しいと言われたのは次の日だった。
「成績がヤバイっス。承太郎さんが暇な時で良いスから」
「学校が終わったら来い」
しばしの沈黙後、承太郎がそう言うと仗助はほっとしたような顔をして「はい」と元気良く応えた。
そうして本日も仗助は薄っぺらいカバンに教科書とノートを入れてやって来た。
今日は数学を教えてくれと言ったきた。承太郎には仗助がこの手の教科が苦手なのが少々意外だった。父親譲りの勘の良さ。スタンドに対する応用力。どれをとっても仗助は優れている。
「今は公式よりも承太郎さんっスよ」
シャープペンを握り締めて身を乗り出す仗助は完全にやる気を失っているようだった。
迂闊だったか。承太郎は窓の外で舞い落ちる粉雪を見つめる。仗助が問題を解いている間、手持ち無沙汰だった承太郎は何となく窓のを見て呟いた。「数年前のおれの誕生日もこんな天気だったな」と。
仗助はそれを聞き逃さなかった。
「で、いつなんスか。誕生日」
どんぐりのような目を輝かせて仗助は言う。
やれやれだ。
承太郎は帽子を下げる。仕方なしに日付を告げれば仗助は腕を組んで渋い顔をしていた。
「もうすぐじゃないスか」
「そうだな」
そこ間違っているぞ、と承太郎はしばらく前に導きだされた解答を指差す。生返事に上の空で仗助は消しゴムを動かした。
その日を境にあれだけ毎日あった仗助の訪問はぴたりとなくなった。
◇◆◇
ツイてない。
長い廊下を康一は歩いていた。手にはゴミ箱、の上にさらにゴミ箱が重ねられて目の前が塞がっている。
「ツイてないよ」
今度は声に出して呟いた。ため息が自然とこぼれる。
あそこでグーを出すべきだった。そうしたら今頃自由な身の上だったのに。康一のエコーズが岸辺露伴のヘブンズドアーのようだったらと康一は考える。ゴミ捨て決めのジャンケンなんて毎回楽勝だ。
心の中でぼやいていると急に両手が軽くなった。見上げるとゴミ箱を持った山岸由花子が立っていた。
「手伝うわ。康一くん」
「そんな悪いよ」
「気にしないで。あたし、康一くんのお手伝いがしたいのよ」
「ありがとう、由花子さん」
にっこりと笑う由花子に康一ははにかむ。ふたりは見つめ合った後、並んで歩き出した。
しかし、どうも様子がおかしい。
「ほら、あれ」
「やっぱり」
ひそひそとこちらを見て耳打ちする女子たち。どう考えても好意的な意味ではなさそうだ。
「気にすることないわ、康一くん」
由花子は涼しい顔をしている。
「あたしのことを言ってるのよ。メドゥーサってね」
「メドゥーサ? あのゲームに時々出てくるモンスターの」
由花子は頷く。
「康一くんは知っているかしら。二年生が行方不明になっているって話」
「うん。でもそれは家出だって」
元々素行の悪い生徒たちで学校はおろか家にも寄り付いていなかったとか。
「噂あるのよ」
由花子の長い髪が風に揺れ舞い上がる。
「いなくなった人間が最後に目撃された場所に本人そっくりの石像が置かれていたらしいの」
「石像?」
「すごく精巧な造りらしいわ。まるで生きた人間がそのまま石にされたみたいに」
「まさか」
ありえないと言いたいところだが、不可能な話ではない。スタンド使いならば。
「その石像が見つかる直前に女生徒が走り去っていく姿が目撃されているの」
髪の長い女の、由花子はそう言いながら自分の髪を摘んで見せる。
「この高校でこんなに長い髪なのはあたしくらいよ」
――あの女が犯人なんじゃないかしら。ありえるー。山岸さんてキレイだけど何考えてるかわかんない。
無責任にばら撒かれる噂。ただの噂。
「そんなの言いがかりじゃあないか」
「あら、康一くん。怒らないで」
由花子の手が康一の頬に優しく触れる。
「あたし、あなた以外の人間にどう思われようと全然気にしないわ」
「
――というわけなんだよ」
ゴミ捨てを終えた康一は教室にまだ残っていた億泰に奇怪な行方不明事件について話した。
「由花子さんが気にしないと言っていても、ぼくはやってもいない事で由花子さんが疑われるなんて嫌だ」
「確かにそいつはスタンド使いの仕業かもしんねぇなー」
億泰は顎を撫でる。
「このまま放っておいたら危ないよ」
「しかしよ、その女はなんで人を石になんてしてんだろうな」
そんなことして楽しいのか、と頭を捻る億泰に康一は首を振る。
「そんなのわからないよ。それよりも仗助くんは?」
「あぁ、あいつ最近付き合い悪いのよ。今日も用事があるってさっさと帰ってったぜ」」
「承太郎さんのところかな」
ちょうど良いと康一は頷いた。
「ぼくたちも行こう」
しかし、杜王グランドホテルにも仗助の姿はなかった。
どこに行ったんだろうと思いながら康一は承太郎が淹れてくれたコーヒーに口をつける。豊かな香りが鼻腔を通りぬける。康一は繊細な造りのカップに目を落とす。この部屋にあるものはどれも高そうに思える。目の前に座る人のせいかもしれないけれど。康一は向いに座る承太郎の顔をうかがう。
既に事件については話していた。
「メドゥーサか。高校生にしては洒落た名前だな」
落ち着いた様子で話す承太郎に康一の隣に座る億泰が声をあげる。
「承太郎さんよー。そのめどーさって何なんだ?」
「メドゥーサだ。ギリシア神話の怪物で見た者を石に変える」
「確か髪の毛が蛇なんですよね」
「そうだ。よく知っているな」
感心したように言うと承太郎は頷いた。
「その話は確かに怪しい。spw財団でも調べるように手を回そう。おれも探ってみる」
「ありがとうございます」
忙しいのにすみません、康一は頭を下げた。
「スタンド使いの仕業であれば放っておくことはできないからな」
ジョースターの血族に受け継がれる気高い精神。康一は承太郎の顔を眩しい気持ちで見つめた。
「そういえば、今日は仗助くんは来ていないんですね」
ふと思いついて彼の叔父の名を口にする。
承太郎がこっちに来てから仗助は足繁く訪ねているようだ。大人びて見える仗助が年上の親戚に懐いているのかと思うと微笑ましく感じてしまう。仗助の生い立ちを思えば尚更だ。
康一の問いに承太郎は僅かに眉を寄せた。
「てっきり康一くんたちと遊んでいるのかと思ったんだが」
勉強に飽きたんだろうと言う承太郎に億泰は首を傾げる。
「仗助の野郎、こんな時にどこほっつき歩いてんだぁ?」