荒北が事件について知ったのは、放課後に福富と一緒に部室へ向かう途中のことだった。
「あ、福ちゃん」
荒北が教室を出ると、ちょうど見慣れた金髪頭が歩いていた。急いで隣に並ぶ。
「福ちゃんも終わり? 一緒に部室に行こうぜ」
「あぁ」
福富は短く返事をすると早足でさっさと歩く。無表情なため一見すると怒っているようにも見えるが、これが彼の通常モードということを荒北は知っている。おそらく、早く練習したいだけなのだろう。遅れないように歩調を合わせる。インターハイまでの一分一秒でも惜しい、という気持ちはこっちも同じだ。
「どうしたの、福ちゃん」
隣を歩いていた福富が不意に振り返った。つられて荒北も足を止める。廊下にはホームルームが終わったばかりで、続々と教室から生徒が出てきている。しかし、特に見知った顔はないし、福富の興味を引きそうなものも見当たらない。
「いや」
一通り周囲を見渡すと福富は前を向く。
「気のせいだ」
歩き始めた福富を追いながら、荒北は考える。
――気のせいねェ。の割には眉間に皺寄ってるよ、福ちゃん。
何か気になることでもあるのだろうか。インターハイ前の大事な時期だ。エースの不安要素を排除するのもアシストの務めだ。
「りんごでも落ちてたァ?」
とりあえず軽口でも叩いて様子を窺う。
「落ちてなかったな」
真面目に答える金髪頭。
「そっか、残念。で、福ちゃんは何を探してたの?」
荒北の問いに福富は黙った。迷っているのだろう。眉間の皺が更に深くなる。
「福チャァァン?」
隠し事はナシだかんね。と暗に込めて名を呼ぶ。
「荒北、顔が怖いぞ」
「オレのことはいいから」
誤魔化そうたってそうはいかない。睨みをきかせる荒北に観念したのか、福富はぽつりぽつりと話し始めた。
「最近、人に見られている気がしてな」
「福ちゃんは目立つからねェ」
長身に金髪とビジュアルだけでも十分に人目を引く。その上、父親はプロのロードレーサーかつ箱学自転車競技部の創立者で兄も箱学自転車競技部の主将というサラブレッド。自身もロードレースにおいて優秀な成績を残し、おまけに勉強もできる。傍から見れば、エリート中のエリート。入学したての一年ならまだしも、二年、三年では知らない者の方が少ないのではないだうか。
「オレより東堂の方が目立っている」
納得いかないというように、福富は腕を組んだ。
「アレはただの目立ちたがり屋だからね」
オレには理解できねェ。とばかりにひらひらと手を振ってみせる。
「つーか、今更じゃナァイ。福ちゃんって昔から注目されてんじゃん」
中学時代も新開と一緒にレースで暴れてたって話は、新開から何度も聞かされている。その度に“オレの寿一”とばかりに、ドヤ顔で話す新開が非常に鬱陶しかった。
「そうだが、それとは違う」
「違うってなに?」
「最近はなんというか、狙われていると言えばいいのか」
「狙われている?」
ずいぶん物騒な単語だ。荒北は指を鳴らす。
「どこのどいつゥ? うちのエースを狙うボケナスはァ?」
「荒北、暴力は」
「禁止だろ。わかってるよ」
冗談だからァ。と、凶悪な顔で荒北は笑う。
「そもそも、誰か一人から狙われているというわけではない」
「ん? どういうこと?」
「校内のどこへ行っても見られている気配がする」
一人で付け回しているとしたら広範囲過ぎて不可能だろう。と福富は言った。
「つまり、複数人に狙われれているような気がするってこと? 福ちゃん」
「あぁ。更に言えば日に日に多くなっているように感じる」
どうしたものか。荒北は考える。
福富は鉄仮面とアダ名が付くくらいに、無表情だ。しかも、無口だ。人から誤解されて恨みを買うこともあるだろう。だが、いきなり複数の人間から狙われるようなことがあるだろうか。そのうえ、だんだん人数が増えているという。
「福ちゃん」
はぁーっと荒北は大きなため息をついた。
「疲れてる? ありえねェ」
「そうか」
否定されても福富は機変を損ねた様子はない。自分でも荒唐無稽なことを言っているとわかっているのだろう。更に荒北は続ける。
「インハイ近いし、ちょっと神経質になってんじゃナァイ」
気分転換に、今度ファミレスでアップルパイ食べに行こうネ。と添えるのを忘れない。荒北の誘い文句に目に見えて、他人にはほとんどわからない変化だが、嬉しそうな顔をする福富に荒北は胸を撫でおろした。。
福富がいい加減なことを言う人間ではないことはよく知っているが、今はインターハイ前だ。エースには余計なことに気を使って欲しくない。荒北は心の中で、頭を下げる。
――ごめんね、福ちゃん。この件は後でオレがよく調べてみるから。
その後、その話題には触れず、練習などについて意見交換をしつつ部室へと向かった。
「聞いたぞ、フク。おまえ、皆に狙われているそうだな」
荒北たちが部室へと入ると、聞き慣れた騒がしい声がした。顔を向けると、既にジャージに着替えた東堂と新開が立っていた。
「アァ?」
先ほど、話していたばかりの話を出されて荒北は思考停止した。隣で福富も驚いている。
「ちょっと妙な噂を聞いたんだ。ちょうど、尽八と話していてな」
固まっている二人に新開が語りかける。心なしか眉が下がっている。
「妙な噂ァ?」
「あぁ。泉田から聞いたんだが、」
そこで一度、言葉を切る新開。
「なんだヨ。もったいつけんな」
福富に関することは一刻でも早く知りたい荒北。
「いくら隼人と言えど言いづらいこともある」
落ち着けと荒北へ視線を送る東堂。
「はァ? なんだよ、そりゃ」
余計に気になる。それは福富も同様だったようだ。
「新開」
腕を組んで一言。それだけだった。じっと新開を見つめる。福富と新開の視線が交錯する。ふっと新開が苦笑した。
「オーケー、寿一」
そして、両手を上げる。中学時代を共にしたこのふたりは、時々ふたりだけが通じる言語を話しているかのようだ。
「なら、チャッチャッと話せ」
「荒北、顔が怖いぞ」
焼きもちか? とイラつく荒北を東堂が笑う。反射的に脳裏に数々の暴言が浮かんだが、口から飛び出す前に新開の声が聞こえた。
「寿一のケツを触ると願いが叶う? とにかく幸せになるっつう噂だ」
その瞬間、荒北には一切の音が消えた感覚がした。静まり返る部室。荒北は荒北で内容を理解しようとするが、まるで頭に入ってこない。いち早く立ち直ったのは、福富だった。
「すまない。もう一度言ってくれないか」
だめだ。やはり福富も内容が理解できなかったらしい。
「寿一の」
「二度聞いたところで、内容は変わらんよ」
律儀に同じことを繰り返そうとした新開を東堂は遮る。おもむろに髪を掻き上げて言い放った。
「つまり、フクの尻はパワーストーンと同等ということだ」
「悪いが、オレの尻は石ではない」
真面目に返す箱根学園自転車競技部主将。
「物の例えだ」
めげない副主将。
「しかし、結構広まっているようだ。オレはファンクラブの子たちから聞いた」
中には結構本気で狙っている輩もいるらしい。と付け加える。
「マジかよ」
荒北はやっとそれだけを言えた。何故、そんなとんでもない噂が。
「寿一の名前はめでたい感じだからな。確かに御利益ありそうだな」
いつの間にか福富の隣へ移動した新開が福富の肩を抱く。福富は特に何も言わない。考え事をしているようだ。だから、 代わりにエースアシストが言ってやる。
「オイ、暑苦しいだろ。福ちゃんから離れろ」
はいはい、と新開は笑って手を離す。
「最近、視線を感じていたのは皆がオレの尻を狙っているせいだったのか」
ぼそっと福富が呟いた。顔は真面目だが、内容はとんでもない。
「……そうだねェ」
荒北は力なく応えた。未だ理解が追い付いていない。当然、次に福富から発せられた言葉にすぐに反応できなかった。
「ならばいい」
「いいのか、寿一」
「構わないのか、フク」
びっくりする新開と東堂。荒北はワンテンポ遅れて、やっと口が動かした。
「福ちゃん。わかってんのォ? ケツ狙われているんだよ。
イヤじゃないの? よく知りもしない人間に触られるんだよ」
「荒北」
慌てて東堂が荒北の口を手で塞ぐ。
「大声を出してはならん。誰かが通ったら我が部が誤解される」
そんなもんどうだっていい。東堂の手を引っ剥がす。
「福ちゃん」
「荒北、落ち着け」
淡々と福富は言った。
「よく考えろ。オレは今まで何も被害に遭っていない」
「フク」
「もし、被害に遭ったとしてもだ。大したことではない。オレは強い」
「寿一」
「くだらない噂など勝手に消える。早く練習を始めるぞ」
「福ちゃん」
抗いがたいほどの正論だ。それでも、
――オレはイヤなんだヨ。福ちゃん。このチャリバカァ。
己の知らないところで、誰かが彼に触れるなど想像しただけで目の前が真っ赤になる。
「荒北、諦めろ。フクが構わないのならばしょうがない」
東堂が物わかりのいい副部長の顔で言う。
「東堂っ」
「むしろ、何故おまえが必死になるのだ」
静かに荒北の目を見る。その問いに荒北は黙った。答えは決まっている。、ムカつくからだ。でも
――なんで、オレ、こんなにイヤなんだァ?
「なぁ、寿一。噂なんてすぐ消えるっていうけどそれなりに信憑性があったらどうだ」
荒北の思考は新開によって遮られた。
「どういうことだ」
「なぁ、考えてもみないか。野郎の尻を触って幸せになるなんて話、誰が信じる?」
「信じないな」
そうだ。普通は到底受け入れられる話ではない。しかし、新開の口ぶりだとまるで
「福ちゃんのケツを触って願いを叶えた奴がいんのかよ」
そんな馬鹿な。流石に唖然とする。
「さぁ? オレが言いたいのは噂が広まった要因に信憑性が高い話があったっつうことだ」
「どんな話だよ、ありえねェ」
「“高校に入ってロードに乗り始めたド素人で、
我が校伝統の自転車競技部のインターハイメンバーに選ばれた奴がいるらしい”」
そいつは競技中に寿一の尻を触ってたって話だよ。なまぬるい笑みを浮かべて新開は言った。
「それってオレェ?」
呆れればいいのか、怒ればいいのか。確かにゴールへ送り出す時に押している。押しているが、まさかそんな馬鹿げた噂の元にされるなど考えたこともなかった。反応に困って福富を見ると明らかに不機嫌そうな顔をしている。
「福ちゃん?」
「不快だな」
睨むように荒北を見る。
「お前がレギュラージャージを着れるのは、お前の努力と実力があったからだ」
「それをまじない如きの手柄にされるのは許容できることではない」
朗々と語る福富。なにマジになってんだか。荒北は頬が熱くなるのを感じた。
「つうことは寿一?」
「このふざけた噂を消す」
「決まりだな。夕食後、オレの部屋に集合だ」
作戦会議を開くぞ。東堂が意気揚々と手を上げる。各々頷いた。
「じゃ、オレたち先に行ってるから」
「あぁ」
ふと去り際の新開と目が合う。新開は綺麗に片目を閉じてみせた。上手くやっただろう、と言いたげだ。
――福ちゃんの考えることはなんでもお見通しってことかよ。
嬉しかった気持ちが急速に苛つきへと変わる。荒北はそんな自分自身に舌打ちをした。
「荒北?」
「なんでもねェ。それより早く練習しようぜ」
◇◆◇◆◇
作戦会議を開いた結果、東堂ファンクラブの女子の前で新開が福富の尻を触って不幸な目に遭うという碌でもない作戦になった。どうしてこうなったのか。荒北は、正門の影に待機しながら昨夜のことを思い出す。少し離れた位置で東堂がファンの女にキャーキャー言われている。
約束通り昨日の夕食後、オレたちは東堂の部屋に集まった。
『やはり、噂は噂だということわからせるのが一番だろう』
つまり福ちゃんの尻を触っても何もない、むしろ不幸になるくらいがわかりやすい。
東堂の言葉にオレは勢いよく頷く。
『手っ取り早く、福ちゃんのケツを触った奴を片っ端からブチのめす』
わかりやすい不幸だろ? と凄んでみせる。
『荒北』
福ちゃんがため息をつく。
『ヘイヘイ』
暴力はダメね。
『ヘイは一回だ。そもそも噂を実行してくる奴がいない』
『みんな寿一の迫力にビビっちまってんだろうな』
『ふむ。ではオレたちで自作自演するか』
東堂がノートにメモを取る。
『自演してどうすんだよ』
『大勢の前で悲劇を演出すればいい、勝手に広めてくれるだろう』
オレの問いに東堂は笑う。
『尽八、いい考えだな。オレは女子の前が効果的だと思う』
確かに女子はくだんねー噂とか好きだよな、と思っていると東堂が目を輝かせた。
『流石、隼人。ならばオレのファンの子たちにしよう。皆、毎朝挨拶しに来てくれる』
そういえば、朝練前にこいつの出待ちの女が大勢いるよなァ。うっぜーと思ってたが、まさかこんなところで役に立つとはね。確かにファンの女は全学年いるし、どうせ性格はミーハーな奴ばっかりだ。噂を広めるにはちょうどいい。更に言えば、その時間は他の運動部員も一斉に登校する時間だ。かなり目撃者が見込める。
『で、実行犯は誰がやる?』
東堂はファンクラブの相手をするから除外でいいだろ。オレか新開
――
『隼人が適任だな』
東堂はあっさりと言った。
『はァァァ。なんでだよ』
普通はじゃんけんとかで決めるよな。普通は。
『なんだ、靖友は寿一のケツを触りたいのか』
いつも触っているのに欲張りだな。と言うこいつをオレは今すぐ迅速に殴ってやりたい。
オレは、嫌な役割は公平に決めた方がいいだろっつう真っ当なことを思っただけだ。
『ちっげーよ、ボケナスがァ。あと、誤解を招く言い方はやめろ』
『荒北、すまんね。』
東堂が謝る。いや、謝んなよ。
『イケメンが悲劇に遭う方がドラマ性があるだろう? 女子はそういうのを好む』
カチューシャをブチ折ろう。オレはゆっくりと立ち上がった。
『荒北、暴力はならんよっ。他にも理由はあるっ』
『アァ? 言ってみろよ』
にじり寄るオレから後退しながら、東堂が叫ぶ。
『オレのファンの子は当然、うちの部の人間にも詳しい。隼人はイケメン大食いキャラと認識されている』
『へェ、イケメンはいんのかそれ』
『僻むな、僻むな。つまりだ。
隼人に食べ物に関する不幸があれば、他の人間に起きたとき以上に不幸と認識される』
『手軽にインパクトを出せるってことか』
『そうだ。悲劇と言っても怪我をするようなものは論外だろう。できることは限られる』
ちょっとだけ納得しかけたオレに東堂が畳み掛ける。悔しいが、一理ある。
『なぁ、オレ、食べ物を無駄にするのはちょっと』
困ったように新開が言うが、構ってられねェ。
『隼人。オレとて食べ物を粗末にするのは反対だ。しかし、これもフクのためだ』
『新開。おめー、福ちゃんと食い物どっちが大事なんだよ』
親友なら答えは決まっているよなァ。そこで、ふとオレはさっきから福ちゃんが喋っていないことに気が付いた。まさか寝てんじゃねェよな。いくら暑くなったといっても風邪引くぞ。慌てて福ちゃんがいた方へ振り返る。
福ちゃんはちゃんと起きていた。起きて、コンビニで買った林檎の果肉が入ったロールケーキを幸せそうに食べていた。オレはそっとしておくことに決めた。が、それを許さない男がいた。新開だ。
『なぁ、寿一。オレたちは寿一のために話してるんだ。その態度はないだろう』
冷たく放たれた声に冷や汗が出る。
やべェ。このふたりが喧嘩になったら、話がややこしくなる。ちらっと東堂の方を見ると、東堂も青い顔をしていた。
『すまない』
福ちゃんは素直に謝ると、ロールケーキの器を床へと置いた。
『話は聞いていた。東堂の策で問題ないだろう』
『寿一、オレは』
言い募る新開の顔を福ちゃんはいたわるように見つめる。
『新開、お前の気持ちもわかる。なるべく無駄が最小になるよう努力しよう』
『寿一……』
どうやら喧嘩は回避できたようだ。流石、福ちゃん。オレと同じく胸をなでおろした東堂が、いつものポーズを決める。
『よし、これから作戦を練るぞ』
結局、オレたちは消灯の時間まで“作戦”について話し合ったのだった。
今、思えば完全にその場の空気に流されていた。遠巻きに東堂の周りにいる女子を見つめながら、荒北は自らの迂闊さを嘆く。今日のシナリオはこうだ。東堂ファンクラブの前を偶然を装って通りかかる福富と新開。さり気なく新開が福富の尻をみんなの前で触わる。うっかり新開が菓子を落して、同じく“偶然”通りかかった荒北がそれを踏む。最後に、新開が大げさに悲しむ。包装の上から踏まれたお菓子は後でみんなで食べることになっている。めでたしめでたし。
――これ、マジでヤバイじゃナァイ。
うまくいく可能性が見つからない。大体、昨日の作戦会議の後半は『これ、どうかな』『いいじゃねェか』『天才だ』などとお互いに褒め合う謎のハイテンション状態になったあげく、終いには『隼人、そこはもっと繊細にっ、かつ大胆に表現するんだっ』などと東堂の新開への悲しみの演技指導が始まり、このあたりで福富は半分寝ていた。つまり、まともに作戦は練れていない。今朝方、やっと冷静さを取り戻した荒北は作戦を中止しようと三人へと慌てて連絡を取った。が、時既に遅し。他の三人のやる気に押されて結局荒北は巻き込まれることとなったのだった。
――とりあえず、やるしかねェ。
覚悟を決める荒北を通り過ぎる生徒が不思議そうに見ている。この時点で、心が折れそうだった。早く終われと心底願う。
そこへ、やっと東堂のところへ福富が歩いて来た。その後ろから新開が歩いているのが見える。作戦開始だ。荒北もゆっくり動きだす。福富と新開は東堂と合流して、東堂ファンに囲まれて三人で話している。
東堂から一番離れたファンの女の後ろまで近づいたところで、新開へ視線を送る。新開もこちらを見た。荒北は『やれ』声を出さず、口だけ動かすと新開は素早く頷いた。
「そうそう、そうなんだよ〜」
不自然極まりない相槌を打った新開は、さり気なくだが目立つように福富の尻を軽く叩いた。動作は完璧だった。だが、
――なんであいつ、照れてんだ?
いつも涼しい顔で福富とスキンシップしている男が頬を赤く染めている。
「あ、寿一ごめん」
しかも、何故か謝っている。その姿に女の子たちがざわめいた。
「え、新開の照れ顔、初めて見た」
「かわいくない?」
「ちょっ、やばいかも」
「もえる」
「どうしよー、新開先輩もいいかもー」
――女ってわけわかんねェな。
荒北が呆れたが、当の新開はびっくりした顔をしている。
予想と違う反応に混乱したのか、突然新開は得意のアレをやった。ピストルで撃つ真似だ。照れ顔で。
悲鳴のような黄色い声が一斉に上がる。ヤバイ、荒北は焦った。これでは、新開のファンが増えて不幸どころか幸運だ。とりあえず、空気を変えようと荒北は大きく息を吸った。
「福ちゃん、おはよう」
できるだけ大きく、明るい声で言いながら、どんどんと女子を掻き分けてファンで形成された円の中心へと進む。まだ、新開は菓子を落としていない。
「靖友ォ」
苦笑いした新開がこっちを見たので、全力でガンを飛ばす。その形相に、新開は察したのかカバンのジッパーを開け始めた。が、途中で布を噛んだのかスムーズに開かない。
――カバンいっぱいに食い物を詰めるなっていつも福ちゃんが言ってんだろう、新開ィ。
荒北の心の声が聞こえない新開は、どうにか開いた小さい隙間から無理やり長方形の箱を取り出すと、ぽとりと地面へと落とした。全てが雑だった。これだからスプリンターはいやだ。
――しょうがねェ。オレが決めてやんよ。
「福ちゃーん、これから朝練? オレも一緒に行くよォ」
さり気なく近づきながら、新開が落としたカラフルな女の子が描かれた箱を正確に左足で踏み抜く。潰れた箱から、丸い何かが飛び出して、女生徒のつま先にコツンと当たった。荒北は気にせず、新開を見る。
――後は頼んだぜ、新開。
ナイス、アシストだというように福富が頷く。それだけで、荒北は満足だ。
新開が渾身の演技を始めようとしたその時だった。ファンの一人が先ほど箱から飛び出た手に丸い人形をもって悲鳴をあげる。
「こ、これ今人気のラブ☆ヒメの超激レアフィギュアじゃない」
再びざわめく女子たち。いや、それだけではなかった、登校途中の男子生徒まで寄ってきている。
「おい、あれニュースでみたぞ。マニアの間で値段が高騰してるって」
「ネットオークションですげー値段で売れるらしいぞ」
「マジかよ」
呆然とする新開たちのところへ、フィギャアを持った女子が近づいてきた。
「はい、これ」
「あぁ、ありがとう」
新開が力なく受け取る。その後の女生徒の言葉に、荒北たちは絶望したのだった。
「びっくりしちゃった……あの噂は本当だったのね」
こうして“作戦”は見事に失敗に終わったのだった。