何が、と言えない位、私は彼を愛していた。
真っ直ぐな眼差しも、薄い唇も、端正な顔立ちにそぐわないほど筋肉のついた体も。
いつだって弱音を吐かず、素直な彼の心が、いつだって私を癒してくれた。
その彼が私の下で苦痛と快楽の狭間でゆれる顔を見るたび、私はどうしようもないほど昂ぶった。
彼の指が余裕無く私の乳房をまさぐるたびに、彼の口から抑えきれない愉悦がもれるのを聞くたびに。
私は興奮するのを抑えきれなくて、彼の上で一心不乱に腰を振った。
「君は、なんて綺麗なんだろう」
私は綺麗なんかじゃないと思う。
貴方を汚すような行為が、たまらなくて仕方ない淫乱な女――そんな私が、どうして綺麗なのか。
「ほら、またそんな顔をして。君は綺麗だ。誰よりも綺麗だ」
そして付け足す。好きだ、誰よりも愛していると。
私を綺麗だと言ってくれる貴方の穢れ無き笑顔が、私の内側にまた情欲を掻き立てさせる。
ベットに横たわる彼の裸体をまさぐりながら、軽く爪を立てた。
傷をつけない程度に、跡を残すように。
白雪に足跡を残す子供のように。真っ白な貴方に、私の色をつけるように。
彼は冒険者だった。
いつか、ちゃんとしたお金がたまったら結婚して、たくさんの子供を作ろう。
そういってちょっとした冒険に出かけたり、護衛や探索の仕事をして稼いでは私の元へ帰ってきた。
私は彼と一緒にいられるのが嬉しくて、また彼を押し倒す。
彼は私が求めるまま、暖かい体をなすがままにさせていた。
傷一つ無い体。不自然なほど美しい彼の体が、私を狂わせる。
狂った私をもてあます彼のまっさら過ぎる反応が、私をもっと狂わせる。
そうして何も可もわからなくなった頃、彼と私は溶け合うように泥のように、眠りに落ちる。
そんな毎日が、たまらなく幸せだった。
「今度の仕事でまとまったお金が入りそうなんだ、新しく見つかった遺跡の探索さ。
結構な金額なんだ。それが終わったら、余裕ができる。
どこかの街でまともな職業について君と暮らそう」
私は驚いて、何もいえない。
「どうしたんだい?」
いいえ、なんだか信じられなくて――
嬉しすぎて、幸せでなんだかかえって不安になっちゃったのかもしれない。
「大丈夫、きっと無事に帰ってくるよ」
頭を撫でてくれる彼のぬくもりを感じながら、唇を重ねる。
私は彼の胸のぬくもりを感じながら、しがみついて今日も体を求める。
「しょうがないなあ、明日は早いから一度だけだぞ」
つながったまま何度も何度もしがみついて、彼の手を握り締める。
怖かった。
不安は的中した。
彼がいる遺跡の探索隊が、ほぼ全滅したと聞かされた。
傷つき、瀕死の状態で戻る隊員の中に、彼の姿もあった。
駆け寄る私の姿を、彼の目は映すことが出来なかった。
「あー……あ、うー……」
刀剣で作られた無数の切り傷に、噛まれた跡。
巻かれた包帯からにじむ血に、蟲が集る。
白く濁った目は、もう何もみることは出来ない。
美しかった彼の面影は、もうどこにも認めることは出来なかった。
「神の領域に立ち入ろうとするから、ばちがあたったんよ」
近所のおばあさんの声に、私は大声を張り上げて泣き叫ぶ。
――私たちは、幸せになろうとしただけよ――
見舞金と証して渡された金貨の重さが、彼はもうどうにもならないという事実を認めさせる。
もう私を見てくれない瞳。ぼろぼろになった体、抱きしめ返してくれない腕。
あんなに綺麗だった体からは、鉄のような血の匂いと、腐った肉の匂いがする。
それでも私は彼を、あきらめられなかった。
いつ彼が傷ついて帰ってきてもいいようにと覚えていた回復魔法を唱え、
魔力が尽きるまで唱えては傷口を消毒し、膿を吸い出してはうじを取り除く。
体力が途切れてはベットに倒れこみ、それを何日続けたろうか。
懸命な介護と治療のかいがあってか、彼はなんとか少し会話できる程に回復した。
しかし傷口は、治療しても治療しても新しいところが腐っていく。
医者に見せても、首を傾げるばかりでなんとも手の打ちようが無かった。
「これはただの憶測なのですが――おそらく遺跡の呪いかと」
彼に聞こえないように、いつもの医者は私に耳打ちした。
いくら治しても腐りゆく体。彼は、遺跡を暴こうとした罪と罰に苦しませられているのか。
それとも、私の穢れた心が彼を蝕んだのか。
お医者様が帰ると、いつも彼が私に悲しそうなこえで言う。
「あきらめていいんだよ」
「そんなことを言わないで。お金ならまだ当分何とかなるわ」
「違う――」
苦しげな息をついて、彼の口が金魚のようにぱくぱくして、声が出なくなる。
彼の体力では、長くは話せない。
「苦しいかもしれないけれど、きっと、いつかは――」
終わりに慰めにもならないことを私が言って、いつも会話はそこでおしまいになる。
私は無言で、彼の体の包帯を取り替える。
ああまたひどい膿が、血が彼を汚して――
私は彼の穢れを取り払うのに、時間も忘れて手当てする。
彼を汚していいのは私だけだ。出て行って、彼を苦しめないで汚さないで――
夏がきても冬がきても、私は彼を、彼のことをあきらめられなかった。
「殺してくれ」
もううんざりだ、楽にしてくれ――
悲鳴をあげる彼の心を無視してまで、私は聞かなかったことにして、血膿をぬぐう。
「いやだ、僕が僕でいられるうちに――」
汚れだ。汚れが彼にこんなことを言わせているんだ。
私は綺麗な彼のため、以前よりも部屋も自分も何もかも、消毒してぴかぴかに磨き上げる。
不潔なものは大嫌いだ。汚いものも大嫌いだ。
彼を汚すものはみんなみんな嫌いだ。
「 」
私がしていることは、結末の先延ばしにしかならない。知っていた。
彼の体の腐肉が増え、声帯もなくなって声もでなくなった頃、
ようやく彼は呪いから――いや、私から開放された。
彼はここに戻ってきたときからもう、ただの腐った死体だった。
「愛してる、君は美しい」
唇が、そう最後に動いたのを、私は確かに見た。
私は最愛の人の胸に、教会から渡された銀のナイフを深深と突き刺した。
彼を墓に埋めて、涙に潤んだ目で見上げた青空は悲しくも美しかった。
空に舞う白鳥が、雪のようで彼のように気高くやさしく、儚かった。
吸い込んだ空気は澄んでいて、世界は綺麗で美しかった。
彼が死んでからも、私は汚れを許せなかった。
世界で一番醜いのは私で、その醜さが彼を汚したことを、一番私が良く知っていた。
それでも――そんな私を、こんな私でも美しいと。
私を綺麗だと言ってくれた彼のために、どこまでも世界を綺麗にしたかった。
しばらくして、私はメイドとして働くようになった。
無心に掃除や洗濯をしている間は、悲しみを忘れられた。
誰よりも汚れを嫌った私はメイドが天職だったようで、サタン城で働くことを許された。
城は広く、どこまでも綺麗に出来そうで――私は、がむしゃらに汚れを落としつづけた。
償いのように。
そして私はいつしか、「キキーモラ」と呼ばれていた。
それは働き者の、妖精につけられる名前――
私はそんなたいそうなものじゃない。けど。
「今日もお掃除、がんばらなくちゃ」
汚れを払うために。私がいつか本当の意味で、綺麗になれるように。 |