あなたは、自分の恋人の唯一の苦手なものが、自分の料理だと知ったら、どうしますか?







ちなみに、神谷薫の場合は。

















稽古事 -前編-



















「弥彦、今日も出稽古でござるか」





早朝、庭で薪を割っていた剣心の後ろに、少年が立っていた。


その少年―――明神弥彦は、自身の髪先を暇そうにいじっている。



背中には、竹刀と荷物包が一つ。

出稽古に行く時の恒例の身なりで、石畳の玄関先でひなたぼっこしている状態だった。



「―――まあな。前川道場に」



興味がこちらに向いたのか、少年は髪から手を放し、剣心と視線を合わせた。
その時の眼差しは並の十歳にはないもので、思わず剣心のほうが圧された。
達観したような、深い視線。






(………? 前川道場に行くのが嫌なのか…?)





いやでも、そんなそぶりを、今まで弥彦は見せたことがない。

しかし、その瞳は何かを訴えかけるかのように剣心を捕らえている。




(朝から薪割りなんてするな…とか?)



主夫と化している自分が、以前、縁と対決した時と比べて腑抜けて見えるとか。



(弥彦は拙者に憧れているようでござるし………)




短い間に逡巡している剣心の心など露知らず、弥彦は言った。






「………剣心も、いろいろ大変だよなぁ」

「お、おろ!?」





しみじみと言う少年は、本当に十歳か。





大変だよな。

俺は分かってるぜ。





そんな包容力のある眼差しを受けて、戸惑うのは剣心だ。





(拙者、何かしたでござるかっ!?)






弥彦が心身共に大きく成長してきているのはとうに知っていたつもりだ。

しかし、一応保護者のような、兄のようなのつもりとして面倒を見てきた弥彦にそのような目で見られると、なんだか居心地が悪い。

けして、彼を子供扱いしているわけではないが、一応自分のほうが年長なわけで。





しかし訊く機会を奪うように。






「おっ、薫おせーぞ!!」

「ごめん、準備に時間かかっちゃってー」





胴着姿の薫が駆け足で現れた。
竹刀には、弥彦よりも大きめの包が一つ掛けられている。



「それじゃ剣心、行ってくるね」
「ああ。連日ご苦労様。気をつけて行ってくるでござるよ」









最近、前川道場への出稽古の回数が頓に増えた。

それは、前川道場の師範が交代し、新しい師範が道場を切り盛りし始めたからだ。
新しい師範の手助けになるようにと、薫は前川道場に連日通っている。
勿論道場主の前川も補佐しているのだが、薫は大きな力となっているらしい。




それは分かっているのだが。





「…………静かでござるなぁ」





誰もいない家に、その声が反響した。





































「お願いします」



真剣な表情で彼女は敵を見据えた。
どうやっても上手く切り込めないのだ。

ごくり。

無意識に唾を飲み込んだ。


落ち着け。


平常心を保たねば、手元が狂うことは漫然とした事実なのだから。


敵は、余裕さえ見せ付けるかのようにただそこにいる。
怖じけづく様が、周り全てに笑われているような気さえして、改めて気を奮い直した。




そして―――――――――




「いたっ」

「大丈夫かい、薫ちゃん」

指先に細かい赤い筋が入っていた。

「ああー、また切っちゃった」
「皮むきはまだ早かったかい。さて。こっち煮えたから味付けするよ。よく見ておきな」
「は、はいっ!」




前川道場の稽古場から離れた厨で、薫は料理の稽古を行っていた。
頼み込んで、剣術の稽古を早めに切り上げて貰い、その後の時間に包丁を持つそれが最近の習慣だ。
前川先生の奥さんは、最初こそ傍観していたが、一口薫の料理を食べてからというもの、亡き母親の代わりに……と、
毎回熱をあげて料理を見てくれていた。



「ここで味噌を加えて…」
「鰹節を………」



孫に料理を教えるように、懇切丁寧に教えてくれる。



「よし。今日はおしまい。明日は里芋の煮っころがしを作るからね」
「はい。お願いします!」



剣心には秘密。それが暗黙の了解だった。





































「………おろ?」


朝、いつものように彼が厨を使っていると、明らかに以前には無かったものがある。
こっそり隠すようにしまい込まれたこれは…………



「浅漬け、でござろうか……?」



誰が置いたのだろうか。自分は漬けた覚えがない。
薫殿………は最近出稽古で忙しいから料理は全部拙者がやっておるし………
まさか、昨日の晩、夕飯の後にでも漬けたのだろうか。

しかしこの浅漬け。









「塩多過ぎでござる………」








少々呆気にとられながら、剣心はそのままそれを元に戻す。
隠してあったようなので、きちんともとどおりに。

「今日の食卓には浅漬けが出るな…」

素知らぬ顔で調理を開始した。
しかし、その日の食卓に浅漬けは出る事なく、昼には浅漬けは消えていた。
てっきり、食事前か食事中に薫殿が出してくると思っていたのだが………
あの塩の量だ。味見をしたら失敗したと知り、出すに出せないとか?
そんなこと、普段気にせず料理を出してくるというのに。
いやしかし、稽古で疲れた身体には塩気のあるものが美味しいのも確か。こっそり弥彦と食べていたのかもしれない。



「…明日の夕餉は、塩気のあるものにするか………」



その時はそれくらいにしか考えていなかったのだ。











しかし一週間後。









「また浅漬けがある…」




日に日に塩の量が調整されてきた浅漬けがそこにあった。今日のはよさそうな漬け具合。
何やら夕晩にこそこそしている薫の様子を発見したことと合間って、剣心はこの浅漬けは薫が作っているものと信じて疑っていなかった。
別に拙者に隠さずともよいのに……というか、浅漬けの行方が気になっていた。



拙者には一度も浅漬けを出してはくれないのに。




自惚れかも知れぬが、それも杞憂だと思うことにする。
何故ならば、ここにある浅漬けは上出来だからだ。 



――――――見ているだけで、厳密に味がわかるわけではないのだが………


隠す必要も、もはやないだろうと思う。

塩の量が段々調整されていたことから、薫が浅漬け作りを練習していたことは分かっていたから。
完璧な浅漬けが、今度こそ食卓に並ぶのでは、と思っていた。




――――――しかし、その日の食卓に浅漬けが出る事はなかった。


そして次の日の朝も、浅漬けは隠されていた。これも前日同様よい塩具合。その浅漬けも、昼には厨から消えている。


――――――食卓に並ぶ事なく。



さらにまた次の日。





――――――厨に、浅漬けは無かった。















「薫殿」
「なっ、なあに剣心」


前川道場に行く準備をしていた薫を、彼は呼び止める。


「本日拙者、所用にて日中出掛けねばならぬ。出稽古で疲れてる中申し訳ござらんが、
今日の夕餉は薫殿にお願いしてもよろしいでござるか? 拙者、夕餉の時刻には帰る故」


いきなり言われた言葉に薫は思わず戸惑う。


「えっ! あ、あ、そうね。剣心に毎日ご飯作らせちゃってるもんね。で、でも私も夕餉作る気力ないかなーなんて。
あ、あはは。えーと…そうだ! 久々に赤べこで牛鍋なんてどお? 赤べこで待ち合わせしましょう!」

「え……」


あわてふためきながらの薫の返答に、剣心の双眸が惑う。
彼女はそれの真の意味に気付かない。


「大丈夫よ。連日の出稽古分の稼ぎはあるんだから。6時に待ち合わせでいいかしら?」
「……そう……でござるな。それでいいでござるよ」




にこりと、彼は笑う。
その時見せた剣心の微笑は、傍目には完璧だった。
普通の人ならば違和感を感じることもないだろう。
しかし、薫にはそれが作られたものだと分かる。
先程の会話の剣心の真意は分からなかったが、それだけは分かった。




「ど、どうしたの…? 赤べこ、嫌だった?」
「え?」
「だって―――――」



薫は目を伏せる。



「薫殿。拙者、赤べこは好いておるよ。それよりほら、弥彦を待たせている。早く行ってあげるでござるよ」
「え……うん………」



様子がおかしい。
そうと分かっていて、薫は剣心に何も言えなかった。
自分も隠し事をしていたため、はぐらかされたと気付いていてもそれ以上詮索しかねたのだ。



そして。




その玄関先に向かう後ろ姿を、彼が見つめていたことに、彼女が気付くことはなかった。














































「あれ? 今日は浅漬け持ってねぇのか」



「うん。太鼓判押して貰えたし。浅漬けだけは楽だし時間かかるから宿題だったのよねぇ」



出稽古への道で、弥彦に尋ねられ、薫は昨日まで作っていた料理に想いを馳せる。
浅漬けは、最近一週間、彼女が練習していた料理だ。
頑張って夕食後に作り、それを次の日前川道場に持って行って味を見てもらっていた。
対して弥彦は、薫の浅漬けが料理へと昇華するまでの惨劇―――もとい、歴史に想いを馳せた。


「最初の頃なんか、薫の浅漬け食べたいーってやってきた前川の門下生もんどりうってたぜ。
俺と違って薫の飯がマズイって予備知識無かっただけに悲惨だったなぁ」

「シメるわよ弥彦!! 何よっ! 一昨日と昨日のは上手くいったじゃない」

「あれは、奇跡だ。ほんとに薫が作ったのかと俺は自分を疑っちまったぜ」



拗ねたように竹刀で頭を小突く剣術小町に、少年は真顔で答えた。
うんうん、と、そうでもしないと納得できないかのように深く頷く。



「や〜ひ〜こぉ〜」
「ま。剣心に美味しいメシ出せるよう頑張れよ。俺のためにも」


軽い調子で発せられた一言。


般若の様相をした薫も、その言葉には気を抜かれた。

そう、その通りなのだ。全ては剣心に、美味しいご飯を食べてもらいたいから。

そのために毎日毎日秘密の特訓をしているのだ。




「……今、里芋の煮付けの特訓中なの。一日一品じゃなくて、一品一品をゆっくり時間かけて覚えていけって」


「何が作れるようになったんだ?」

「えーと、浅漬けと、お味噌汁と、お吸い物に、炊き込みご飯でしょ。ふろふき大根と、ほうれん草のおひたしってとこね」

「あー、道場に差し入れしてたな。そんだけ作れりゃ剣心に出してもいいんじゃねーの?」



本心から言う。

上記の物は全て弥彦は食べた覚えがある。
以前を知るだけに、見違える出来だった。

なんでもっと早くに料理を習いにいかなかったのかと嘆くくらいには。

きっと剣心も喜んで食べるのではないか。




「まだ駄目! 昨日の剣心の作ってくれた夕飯見たでしょ!?」

「…確か――――――」

「野菜の煮物は京都らしく一品ずつ違うおダシで煮付けてあったし、魚の酒蒸しは文句無しに美味しかったし!」

「そーだよな。剣心、京都で過ごしてたからか味付けが薄め………」

「そーじゃなくって!! 料理の腕が違うんだもの。見返してやりたいわ!」








(やれやれ……)







呆れる弥彦の隣で、闘志を燃やす薫。


そう。


料理の腕をあげるまで、剣心に料理を作らないと決めた。
剣心に夕餉を頼まれても、断った理由はそこにある。
美味しいご飯が作れるようになって、驚かせたい。だから。











(見てなさい! 絶対美味しいご飯作ってみせるんだから!)









































あとがき++++++

つづくらしい。


(2008.9.25 加筆 2009.6.16 再加筆)


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