百年の神子 1
川が削ってできた高台の上で膝をつく。川を挟んで前方には、急峰が聳え立っていた。
霊気を湛えるその山に向かい手を組み、細い体をした青年は静かに目を瞑る。冷たい風に身じろぐことなく、懸命に祈りを捧げていた。
祈りを終え館に戻ると、庭先に背の高い男……、主の姿があった。それだけで心が逸り、彼の下に走り寄った。
「チャムか」
彼は目が見えないが、よく会う者ならば足音で聞き分ける。
「はい、アラン様」
「この林檎、もう熟しているのではないか」
庭の木を見上げると、大分実が赤くなっていた。
「そうですね。午後にお出しします」
(本当にすごいなあ)
匂いだけで時期を見たのだ。
三年前に病で視力を失うまではこの国で一番の剣の使い手であり将軍だったらしい。いまでもなお、彼は王宮の兵士の訓練を任され、尊敬を受けている。
目があるのに庭の様子に気付かなかった自分を反省する。毎日の館の掃除ぐらいで手いっぱいになってしまっているのだ。
「いや、今日はいらない。今からリアンに会いに行くから包んでくれ」
胸がちくっと痛んだ。
「ただいまご用意いたします」
声色を変えないように気を付けながら、林檎を取るための台を取りに行こうとした。
「それと」
呼び止められ、またアランの前に戻る。彼の瞼を伏せた顔はとても整っているが、どこか近付き難い。
「毎日屋敷にいない時間があるな。どこに行こうと構わないが、仕事はやってからにしろ。庭の管理もお前に任せているはずだ」
「……申し訳ありません」
アランは身の回りのことはできる限り自分で行っている。それなのに。
「まあ、毎年うちでは林檎の収穫していることはまだ知らなかったか。他のことはとても良くやってくれているから、これも気を付け……」
アランが続けた言葉を聞く前に、チャムは急いで手土産の用意をしに館内に入ってしまった。
土埃を拭いてから、布に包んでアランに渡す。
「リアンは果物が好きだから喜ぶだろう」
いつも無表情の彼が、妹のことを想う時だけその口元がほころぶ。
「最近のあいつは、妙に思いつめて修行に励んでいるから。少しは力になってやりたいのだが」
「心配ですね」
「もう頑張らなくとも、あいつを超える神子などいないのに」
リアンは強い魔力を持っていて、王宮にほど近い神殿に仕えている。この国では魔力の持ち主は尊ばれ、その中でも彼女は一番の使い手と呼ばれている。彼の自慢の妹なのだ。
「今夜は帰らない」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
明るく声を出してから、彼が出掛けていく後姿を、悲しい顔で見送る。
ここに仕えてから、一つ季節が替わろうというチャムは、まだ一度も笑いかけてもらっていなかった。
彼と出会ったのは、隣国からこの国へ国境を越えた所だった。
(ここまでくれば……)
山中の道をはずれた場所で、足がもう動かず崩れ落ちる。体中の打撲や切り傷が、ずきずきと痛む。血の気が静かに引いていく。
「どうした」
ふいに声を掛けられ、全身が強張った。
「殺気立った気配がして来たのだが、お前は追われていた方だな」
(あいつらじゃない……)
貴族の旅装という感じの男がいた。どうしてか目を瞑ったまま、彼は真っ直ぐチャムの方に近づいてきた。
「立てるか」
手を差し出されたが、チャムは動くことができなかった。虚ろに彼を見上げる。
その後ろ、森の影で、鈍く何かが光った。
「!」
チャムは咄嗟にその光を睨み、力を込めた。バキッと高い音が鳴る。
アランは後ろを振り返ると同時に剣を抜き払っていた。
「……?」
矢の空を切り裂く音を聞いて、それを叩き落とすつもりだった。だが手応えは無く、矢で傷ついてもいない。倒れた青年がピクリともしなくなったが、息はしている。
「はずしたのか」
とりあえず今はいい。向かってくる凶徒と対峙した。
チャムが目を覚ますと、蝋燭の灯った部屋でベッドに寝ていた。怪我が手当てされている。
「起きたか」
戸が開いて、先程の貴族が入ってきた。
「君を追っていた者達は捕えられなかった。オルシー国に逃げ込まれたのでな」
「はい。ご迷惑をお掛けしました……」
「君は亡命したのか」
「っ……。……はい」
「手当てした時、体中に痣が」
「お願いです! 見逃してください。もう、あの国には戻りたくないんです……!」
懇願して組んだ手が震える。
「見逃して、このエミュス国で頼りはあるのか」
「それは……」
殺されるよりはとエミュス国に逃げ込んだが、この先住む場所や働く場所が見つかるかは分からない。
「ちょうど使用人を探していたところだ。私のところに来ないか」
驚いて目を見開いた。
「私はアランという。君は」
「チャム、です」
涙が込み上げてきて、それ以上は喋れなくなった。髪を撫でてくれる大きな手が、とても頼もしく思えた。
アランはチャムの過去を何も聞かなかった。
妹のリアンに会った時、兄は目が見えないことに甘んじないために使用人は雇わないと言っていたと聞いた。自分のためにそれを曲げてくれたと知った時、彼を想う心は消すことができなくなっていた。
アランがいない日はやはり寂しい。別にいつも一緒に話などして過ごしているわけではないのだけど。同じ屋敷にいるだけで幸せなのだ。
掃除は捗ったが、仕事が終わると何もすることが無く、自室に戻ると早めにベッドに入った。
「そうだ」
ベッドの下から隠すように置いてあった紙を取り出した。林檎を包むので焦って忘れていたが、これに毎日、祈りを捧げた月日を書き付けているのだ。
「もうすぐで百日だ……」
チャムは切なそうに笑った。
「もうすぐ……」
次の日、祈りを終えると市場に向かった。
野菜を買って包んでもらいながら、顔馴染みの売り手のおばさんと話をする。
「今日は品物が豪華な店が多いですね」
春を迎えて収穫したものがあるとはいえ、こんなに急に増えるものだろうか。
「もうすぐ百年祭だから、そのお祝いに買ってくれる人がいるからね」
「百年祭?」
「ええっ、このエミュスに百年祭を知らない子がいるのかい」
おばさんが驚いて声を高くした。
「あ、えっと、とても田舎から出てきたので」
オルシー国から来たことは誰にも言っていない。怖くて言えないのだ。隠し事があるせいで、誰かと親しくなろうとすると、自分から線を引いてしまう。
「それにしても、アラン様と話していて出てこなかった?」
話などしていない。同情で拾ってもらっただけで、ただの主人と召使いなのだ。
「……もしかしたら、おっしゃっていたかも。忘れていました」
「そうでしょう。何しろアラン様の妹君のリアン様は、百年祭の主役の一人になるだろうからね」
「主役?」
「そうだよ。この国で一番勇敢な者と、一番魔力の強い者に神様が降りるんだ」
エミュス国が成立するより昔から、この地に受け継がれる伝承。
百年に一度、神託の痣が二人の人間に現れ、百年神子に選ばれる。
一人は、勇ましき者。つまり戦に長けた勇猛な戦士。
もう一人は、清き者。つまり強い魔力を持った神子。
(強い魔力)
魔力という言葉に、胸騒ぎがした。
「兄君としては寂しいんじゃないかな。二人の神子は婚姻しないといけないからね」
「え、相手がまだ分からないのに?」
「相手も決まったようなものさ。アラン様はそういうことは言わないのかな。硬そうだものね。都中の噂なのに」
おばさんはとても楽しそうに言った。
「この国一の戦士は王宮の将軍、エゼム様。すでにあの二人は恋人なんだよ」
「そうなんですか」
エゼムの名は聞き覚えがある。アランとリアン二人とも好意的に話題にしていたと思う。なら、良いことなのかな。
“婚姻”が行われるということは、神子は男と女一人ずつ選ばれるのだろう。胸騒ぎが、静まっていった。
百年前の伝承から月日を換算すると、今日明日にも神の啓示があっておかしくないらしい。
帰り道、緑豊かな王都を見渡す。
(そういえば皆、気もそぞろだ)
そしてどこか楽しそう。
(魔力……)
それをこんなに喜ぶ国の人々に、チャムは距離を感じた。生まれた国ではそうではなかったから。自分が、一人ぼっちのような気がした。
(いつ神託があるか分からないから、アラン様が帰るまでに、リアン様への祝福の言葉を言えるようにならなくては……)
笑顔で、心から。
(…………)
また胸が痛んだ。
陽が落ち、その余光が消え、暗闇に星が瞬く。
それでも、アランは帰ってこなかった。夕食はすっかり冷めてしまっている。
「アラン様……」
すぐに切れるように、ナイフと共に皿に置いた林檎。アランはきっと妹と食べたのだろう。チャムはまだ、一口も食べていなかった。
「側に、いたい……」
一方的に想っているだけ。そんな我が侭は一人っきりの時しか言えない。
「会いたい……」
涙を、手の甲でぬぐった。静かにぬぐった涙が、熱く感じた。
「え……」
その熱さが気のせいでないことを知った。涙の跡が青く煌めいていた。
「な、に。……うわあッ!」
光が全身を包んだ。強烈な熱さに、チャムは膝を崩す。
「…っ…はあ……、
――?」
熱さが止み、チャムは目を開いた。光は無くなったが、
「これは……」
チャムの両の手の甲から肘にかけて、美しく青い模様が浮かんでいた。
「……」
チャムは戦慄した。
(こんな……こんな、こんな……!)
ガチャッと音がして、全身を震わした。目の前で、開いてほしくない扉が開いていく。
「夕食はリアンとエゼムと取ってきた。私はもう休む」
それだけ言うとアランは食堂の扉を閉めようとする。それを悲しいとも思わず、今はただ閉まって欲しかった。
だが、
「チャム?」
チャムが返事をしないのでアランは気配を探った。床に座り込んでいるのを気付かれてしまう。
彼がこちらに近づいてくる。
「何かあったのか」
「いえ……、物を落としてしまって」
彼の目の前にある青い痣。それを彼が見ることができないことを安堵した。
「そうか。掃除は任せる」
いつも通り、チャムになど興味無さそうにすぐ背を見せた。
「お休みなさいませ」
(どうしよう……)
館にいるのはアランだけだから、外に行く時だけ手袋をすれば。この痣が知られなければ大丈夫かと頭を廻らした。
ドンドンと、玄関から大きな音がした。
「この声、エゼムか」
アランが呟いて玄関に向かう。
「……ぁ…」
開けないでと叫ぼうとして、恐怖に引きつって声が出ない。彼を掴み止めようとするが、足がふらふらとしか動かない。
外から大きな音を立てて叩かれる扉。アランはもうその前にいて、
――開けてしまった。
「エゼム、そこまでしなくても聞こえ……」
「お前の使用人は!?」
入ってくるなりアランに掴みかかるように聞く男。整っているであろう顔が、鬼の形相をしている。しなやかに長い腕に青い模様が絡まっている。
彼の後ろにリアンの姿を見つけ、チャムは真っ青になった。泣いたことが一目で分かる真っ赤な目と、真っ白な腕が目に入る。
「……あいつか」
エゼムがこちらを見る。とっさに腕を後ろに隠したが、一瞬で見られたのだろう。彼は苦しそうに顔を逸らした。
「一体どうしたんだ……」
アランもこの場の異常な空気を悟り、慎重に聞いた。
「俺に神託が降りた。伝承の通りの青い痣だ。そして……リアンには何も起こらなかった」
「! それは、すぐに二人ともに啓示がなされるのではないのかも……」
「俺達がここに来たのは、リアンが言ったからだ。一人だけ、リアンを上回るかもしれない魔力の持ち主を知っていると」
(知って……)
確かに魔力を持つ者は、他の者の魔力の器がなんとなく分かるが、リアンは何も言わなかったから知られていないと思っていた。あまり人に会わず、魔力を奥底に押しこめ気付かれないようにしていたが、リアンほどの使い手がごく近くにいては無駄だったのか。
「この国でもっとも強い魔力を持つのは、チャムというお前の使用人だ」
神殿への神託の報告は明日にしようと言って、エゼムはリアンを送って帰った。
「強力な神子だと、なぜ言わなかった」
這うように低い声でアランが言った。
「
――……」
恐怖で言葉が出てこない。
「……もういい。痣が出た以上、君に言っても仕方ない」
彼は自室の方へと消えていった。
「ごめんなさい……」
この力を言えなかったことが、こんなことを引き起こすなんて。もっとこの国について、百年祭について知っていたら、……知っていたら、自らこの国を去ることもできたのに。
「アラン様……」
あの人と離れることになっても、嫌われるよりは。
行く場所などないけれど。
その夜、過去の映った夢を見た。オルシー国にいた頃のことを。
生家を追い出され、ようやく馴染んだ隠れ家を燃やされ、逃げても逃げても幾人もが追ってくる。
オルシー国では、魔女狩りが行われていた。
(言えなくて、ごめんなさい)
信じられなかった。あれだけ憎まれていたのにエミュスでは奇跡の力などと。
自分と同等の力を持つリアンの力をアランが褒める度、苦しかった。ただの召使いの自分にも、この力を知ったら少しは興味を持ってくれるだろうか。
それでも、隠し続けていたことを表に出すのはとても怖くて、それにもし同じ力を見せても振り向いてくれなかったら……そう考えると、自然と言葉少なになった。
(彼が私の過去を聞かないのに甘えて……)
魔力を隠すのは、オルシー国では自分の命に関わるため当然のことだった。
(だけどエミュスでは)
言うべきことだったのだ。これだけ神子を大切にするのは、国に関わる伝承に基づいているからだ。その大事な百年神子の役目を、ただの亡命者が横から取り上げたのだ。
翌日は良く晴れて風も穏やかだった。いつもなら洗濯日和と喜んだが、チャムには空模様を見る余裕はなかった。
それに、外に出てすぐ馬車に乗り込んだのだ。腕が見られないように徒歩は避けたのだ。向かい合って座るアランとは、朝から一言も話していない。
大きく美々しい建物が並ぶ通りを行く。真っ白な石でできた、馬車が何台も同時に通れるような大きな門。その先には白塗りの美しい神殿があった。
百年神子の神託に納得のいかないアランにエゼムは、ならば納得するまで神官に伝承にまつわる故事を訊いてくるといい、と言った。エゼムも神殿に神託の報告に行くと言っていたから、あそこにいるかもしれない。
エゼムと合流し、神殿の奥に通される。神官の前で、手袋を外すように言われた。
「確かに」
他より少し上等なローブを着た老女が頷いた。
「では、すぐにも百年祭の準備を始めましょう」
エゼムとチャムに向かい、神官達が跪き祈りを捧げた。チャムは戸惑い逃げ出したくなる。エゼムと、少し離れた場所にいたアランは、感情を押し殺しているようだった。
書庫を人払いし、神官との話し合いの席に着いた。
「同性同士が神子になった例は一度だけ書き残されていました」
王国史や、神殿に関する歴史書を開いて頁を示す。
通常男性が戦を得意とし、逆に魔力の高い者は女性が多いため、百年の神子も男性と女性でちょうど分かれていた。ただそこには同性になった年のことが書き残されていた。その時も、婚姻の儀が行われたようだ。
「婚姻の儀とは具体的にどのようなものなんだ」
アランが訊いた。チャムも気になっていた。ただの結婚式の真似事のようなことならば
――。
「儀式の夜に性交渉を行ってもらいます」
それから、儀式の期間が終われば別れて構わないと、神官は続ける。
(したくない……!)
慣れない人々の前で緊張していたチャムだが、声を振り絞った。
「エゼム様には恋人がいます……。この神殿にいる、十分魔力の強い方です」
「存じております。ですが、必要なのは神託を受けた神子です」
「儀式など、形だけで……。一緒に儀式の場で何もしなければ」
「そうした例もあります。その時のことがここに……」
神官が別の頁をめくる。
「……それだけはできない」
離れた場所で黙っていたエゼムが言った。彼は儀式について調べたことがあるのか、神官の話の先をすでに知っているようだった。
「愛しい相手が……死……」
その時の神子は二人共に別の恋人がいて、性交渉をした振りをしたらしい。その数日後二人の恋人は急な病で亡くなり、その全身に百年神子の痣に形が似た、黒い痣ができていた。さらに王国には死をもたらす流行病と天災が降りかかり、神子は儀式のやり直しを余儀なくされた。
ぞっとした。
手の痣を見る。確かにこの痣に込められた魔力は、神聖でありながら酷く危うい気を持っている。
(手負いの獣のような……)
「これはエミュス国を守る百年の神がお隠れになるにあたり、新たな百年の神の御霊を産む儀式です。お二人の力にこの国の次の時代が掛かっています」
神官の言葉に納得した。
(この手に宿るのは、死のうとしている神の魂だ)
自らの力を受け継ぐ神を、渇望している。
(……愛しい人)
隣に座るアランを意識する。
(自分の、愛しい人は……)
絶対に言う気のない気持ち。ほとんど憧れのようなものだ。だが、もしかしたら自分のせいで彼に神の災いが降りかかるかもしれない。
エゼムが厳しい顔でこちらを見つめている。
(あの人も……)
大切な人を死なせないために、大切な人を傷つける儀式に臨むのだろう。
「儀式を……、します……」
暗い表情のまま、唇を震わした。
神官が提示した日取りでは儀式はすぐだった。何も言えることが無く、そのまま承諾する。神官とエゼムは書庫を出ていった。
アランは神官の一人を呼び止め、質問を投げかけている。真剣な表情で、きっとリアンのためにできることはないか考えているのだ。
「あの……」
「先に帰れ。私は調べ物をする」
神官と書棚の並ぶ間に入っていく。神官が百年祭に関わりそうな文章を読み上げる。
「私も手伝えますか」
この国の神に関する知識は無いが、アランの目の代わりに本を読むくらいはできる。
「必要ない」
「ですが」
「私が君をこの国に招いたせいでこじれた問題だ。私の責任であり、君には関係ない」
「あ……」
(私が、この国に来たせいで)
チャムは無意識に後ずさりする。
「しばらく帰らない」
「承知いたしました……」
涙が零れるのを耐えるように唇を噛み、その場を後にした。
彼に出会えたことは、チャムの一番の幸福だった。
『私が君をこの国に招いたせいで
――』
全てが否定された気がした。
出口まで俯きながら神殿を歩く。辺りにいる神官がとても丁重に礼を取った。はっとして手袋をはめて痣を隠す。すると百年神子と気付かれにくくなったが、やはり人目が怖い。回廊から外に出て、人気のない建物の脇を通った。前方に人影を見て、他の道が無いか見回してはっとした。
物陰でエゼムとリアンが抱き合い、リアンは肩を震わせ泣いているようだった。彼らの会話が聞こえてくる。
「近頃無理をして修行に励んでいると思ったが、彼に力が負けていると自覚していたからか」
エゼムは悲しそうに言った。
「兄さんの家で初めて彼と会った時、体の奥に隠してはいたけど、とても強い力を持っていた。百年祭まで、あと数か月しかないのに」
「誰にもそれを言わずにいたのか」
「言えないよ。チャムさんは遠い場所から身一つでこの国に来たって……、行くところが無いって。隠すってことは、魔女狩りがある国でしょう? 私さえ力があれば……!」
リアンはチャムの秘密を知って苦しんでいたのだ。
チャムは耳を塞いで出口へと走った。
「……でも私、せっかく兄さんが、視力を失くしてからやっと人を近づけようとしたのに、彼を避けてしまって。兄さん、はじめは気が利く人って、とても好意を持っていたのに。段々彼に対してギクシャクして……」
エゼムの胸にしがみついて、リアンはとても弱い声で言った。
いつも祈りを捧げている高台の、端まで足を踏み出す。眼下は切り立った崖になっていて、急流が岩肌にぶつかり飛沫を上げていた。
(ここを落ちたら、どうなるのだろう)
百年神子がいなくなったら、次の力の持ち主に継承されるだろうか。
だが滅多なことはできない。
少し後ろにさがり、今日の祈りを捧げた。