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 15. 一緒






 アージュの腕に抱かれ、ヴィーに乗って城へ向かう。

 アージュはリューの足に傷があるのを見て、赤い魔力で拭った。血がまた滲んできたので、少量の魔力を張りつけて止血する。
 他に痛むところはないか訊かれ、リューは首を横に振る。
「すぐに粥か何か用意するが」
 リューのベルニルの実を持つ手を上げさせた。
「食べられるなら食べるんだ」
 お腹は空いているけど、
「最後の一個……」
 リューは手のひらで大事に包む。
「別の国から買ってやるから大丈夫だ」
「……! 本当に……?」
「ああ。お前が喜んでくれているなら、俺も抱きたい」
「こ、今夜から」
「駄目だ。元の体つきに戻ってからな」
「うぅ……、いっぱい食べます」
 リューは実の皮を剥こうとした。弱った指先が皮に刺さらないでいると、アージュが剥いてくれた。
 ひと房ずつリューの口に入れてくれる。
「リューが育てた実か」
 アージュはひと房を自身の口に入れる。
「……美味しい、ぞ……」
 しかめた顔で、無理に笑おうとしている。
「ふふ。ガグルエに着いたら、アージュ様の好きな果物や野菜を育てたいです」
「ありがとう。そうだな……、ブドウは育てられるか? ガグルエの畑に生っているのは見たことがあるが」
「それなら大丈夫です。任せてください」
 同じ国内でも土の微妙な違いはあるだろうが、そのくらいならノームの力で何とでもなる。
「その隣に、あの木も植えような」
「え……」
「実が生っていたことだし、青い葉もあった。まだ枯れきってはいないだろう。ガグルエに持っていこう。リューが元気になるまで庭師に世話を頼んでおく」
「ありがとうございます……!」
「それと、周りに生えていた花もリューが植えたのか」
「はい。小さい花ですけど薔薇なんです。あ、あの、棘は刺さりませんでしたか」
「大丈夫だ。薔薇か。あれも持っていかないか」
「え?」
「薔薇が好きなのだろう」
 リューの好きな花を覚えていてくれた。
「持っていきたいです」
 アージュの胸に頬を寄せて答える。
 アージュと共にヴィーに乗って、薔薇を抱えてガグルエに入れるなんて。
(おとぎ話みたい)
 庭園は春の盛り。ヴィーがかき分ける緑の匂い。服越しに感じるアージュの毛の柔らかさ。アージュの腕が、しっかりとそこに抱き寄せてくれている。


 宮殿に着き、ヴィーと別れて、アージュに運ばれる。
「あ、あの、アージュ様……」
「寝ていていいぞ。洗った方がすっきりするだろう」
「っ……はい……」
 風呂場でアージュに裸にされて、温かいお湯をかけられる。
 アージュの手が体中を撫でてくれるのは、嬉しくて気持ち良くてうずうずするけど、骨の浮いた体を見せるのが恥ずかしい。
 リューの体力を気遣ってか、さっと済ませてくれた。カラスの行水だったけど、タオルで拭いて綺麗な部屋着を着ると、なんだか体の力が抜けてほっとする。

 ソファに座って、アージュに寄りかかり、彼が冷ましてくれた粥を食べる。
「熱くないか」
「はい、温かくて美味しいです。けど、さっきからつきっきりで……。王様のお仕事大丈夫ですか」
「ああ。軍は本国に入り、問題なく次の任地へ分かれた。政務は元々私がいなくても回る」
 リューが旅してきた国々はよく統治されて治安が良かった。こそこそ隠れていたとはいえ、一人旅のハーフノームが誘拐の危機に出くわさず済んだ。
(フィルド様みたいに、優秀でアージュ様を大好きな方がいっぱいいるのかな)
 アージュの放任っぷりの下でも、誠実に任務に当たってくれる。セブの堕落を感じていたリューから見ると、とてもすごいことに思えた。
「それと、リューが無事見つかったことは、すでにフィルドに伝えてある」
「フィルド様、いらしているんですか」
「いや、首都の受信場へ魔力を飛ばして知らせた。この長距離だと私でも文章や声は送れないから、あらかじめ数パターン決めておいた合図を送った」
 受信……パターン……?
「アージュ様、魔法使いみたい」
 リューは食べるのを休憩し、アージュの手を掴んでじっと見た。


 リューがいなくなってからのことを、アージュが教えてくれた。

 ―あの日、ガグルエ本国を目前にした野営地。
 見当たらないリューを探し回っていると、ロッダがリューに食料を求められたことを打ち明けてきた。
 アージュは、リューが自分の意思で脱走したのだと思った。
 リューの食欲が目に見えて減ったのは、セブの城を出た頃だ。サンドラと離れ離れになって弱り、ついに耐えられなくなったのだと。

「だからまずは軍の統率を優先した」
 リューはサンドラのことは考えていなかったけれど、セブに向かったのは合っている。ヴィーに乗って追われたら、すぐに追いつかれていただろう。
「それに、実際離れるわけにはいかなかった。将兵に褒賞は都度出していたが、五年の遠征からの帰国で、節目として褒賞が期待されていた。ここで王がいなくなっては、将兵が不満を募らす」
(五年……)
 そんなにも長い間、干戈を交えて過ごし、やっと帰ってきた祖国。
(大変な時期に、僕……)
 きつく目を瞑って反省する。
「配下にリューを追わせてはいたが、それは道中に何かあってはと考えてのことだ。リューが行きたい場所へ向かうのを止める気はなかった」

 けれど配下はいつまでもリュー発見の報告を寄こさない。
 アージュの胸は不安に締めつけられた。

 元々フィルドや諸将は、アージュの兄弟の仕業を疑っていた。リューがいなくなったのはガグルエ本国の近く。アージュに愛妾ができたことを知った兄弟たちが攫ったのではないかと。
 だが、人質を取ったならば要求の連絡をしてくるはずだ。
 いくら考えても、捜索に当たる兵を増やしても、リューの行方は知れない。
 やがて首都にて遠征軍を解散し、褒賞もひと段落した頃、アージュはフィルドたちに国政を任せ、ヴィーに乗った。

「無事な顔がどうしても見たかった」
 アージュは、今は腕の中にいるリューを、ぎゅっと抱きしめた。
「直感に従い、セブに来た。……だが、サンドラ侯に訊いても何も知らなかった。次の当てがないまま、庭園で休ませていたヴィーを呼んだら、ヴィーが私を誘うように庭園の奥へと走っていって……、リューが私を呼ぶ声が聞こえた」
「……それで見つけてくれたんですね」
 アージュが来てくれた時に胸に広がった、苦しいほど切なくて、同時に温かくなった気持ちを思い出す。
 アージュの胸にもたれ掛る。くつろいだ襟の間から、獣毛に頬ずりする。

「けど、どうしてサンドラのところにいると思ったんですか」
 サンドラとはもちろん会いたい気持ちはあるけれど、リューとしてはちゃんとお別れして納得している。アージュのお手本ノートを質に入れてまで、無理に会おうとは思わない。
「お前は今は……私が一番と思ってくれているのだろうが、前はサンドラ侯……サンドラ王女が好きだったのではないのか」
「……え?」
 リューは首を傾げた。
「好き……。はい、好きですけど……、アージュ様と比べるのは何か違うような……。それにサンドラはアージュ様を好きではないから、僕は一緒にはいられません。二人のどちらかしか選べないなら、僕はアージュ様の側にいたいから」
―……!」
 リューを抱くアージュの手に、再び力がこもる。
「アージュ様……?」
 リューの髪にアージュの指が絡む。首筋に掛かる熱い吐息が苦しそう。やがて、震えた声が聞こえた。
「お前は、彼女が好きなのではなかったのか。彼女の存在が、お前の”幸せ”と、以前言っていた」
 ―幸せ。
 いつ言ったか忘れたけど、確かにサンドラはリューの幸せにとって大事な人だ。
「サンドラが僕に幸せを教えてくれたんです。ずっとずっと昔から、いつもお喋りしていました」
「……そう、だろう」
 アージュはまた考えこむような表情になった。リューの言葉が上手く伝わっていないのだろうか。リューは悩んで、
「あっ」
 と声をあげた。
「アージュ様にとってのフィルド様のような存在かもしれません」
「……フィルド?」
 何故あいつの名が、とアージュは不思議そうだ。
「アージュ様、フィルド様が故郷を取り戻した時、自分のことのように喜んでいました。僕もサンドラが生きられると聞いて、すごく嬉しかったです」
「……あ」
「友だちですから!」
 リューの笑顔をアージュは見つめ、やがて、頬を緩めた。リューはどきっとする。
「そうか。私がフィルドに感じているものと、同じ……」
 アージュは息をついた。リューが触れている肩から、力が抜けていく。
「友というのか、これは」
 アージュは初めて知った言葉かのように呟いた。
「はい!」
 リューは元気よく頷いた。二人が仲良しなことはよく知っている。
 ……それでもリューが時折フィルドに嫉妬してしまっていることは、恥ずかしいから秘密だ。
「良かった……。私はお前がサンドラ王女を想っていると思って……」
「ごめんなさい。誤解させてしまったのですね」
 恋心でないと分かっていても、リューはフィルドに何度か嫉妬した。それを恋心だと思っていたら、どれほど辛かっただろう。
「いいんだ。それに、結局私は自分の望みを優先した。リューを私の側に置き、サンドラ王女と引き離した。……リューにベルニルの実を食べさせなくなったのは、ようやくリューの幸せを一番に願おうと決心したからだ。今なら、笑いかけてくれる。嫌われていないと……。友達になれたら、私の側から解放しようと思っていた」
 リューの体が固まった。その不安な気持ちを察してくれたのか、アージュが深く抱き寄せてくれて、リューは息をついた。
「友だちなら、リューが他の誰かのものになっても、ずっと繋がっていられると思った。苦しかったが、愛しい者と引き離される苦しみをリューに与えているのは自分だとも思っていた」
(アージュ様、友だちになりたかったわけでも、僕を手放したかったわけでもなかったんだ)
 心を落ち着けて、アージュの目を見つめる。
 リューの表情を伺いながら、不安を滲ませて揺れる下の両目。じっとリューを真っ直ぐ見つめる上の両目。四つ共リューが独り占めしている。
「私を救ってくれたリューを、私のせいでこれ以上苦しめたくはなかった」
「救った……?」
「セブの王宮に婚約者を迎えにいったあの日から、リューは私の特別なひとなんだ」
「アージュ様が僕を連れていったのは、ベルニルの実を食べていたから、偶然……」
「違う」
「え」
「リューだから欲しかった……」
 苦しみを滲ませていた目が、懐かしそうに細められた。
「私が婚約者について知ったのは、セブの隣国の攻略の目途が立った頃だ。婚約者と聞いて、憧れを抱かないではなかった。私に嫁ぐ覚悟ができている姫なら、もしかしたらと」
「アージュ様……」
 サンドラは……、婚約者の国も名前も知らず、初めて知ったあの時、アージュを拒絶した。
「彼女の態度に、やはりと思って……納得した。そこにリューが現れた」
 何をしたかよく覚えていない。ただサンドラを守ろうと必死だった気がする。
「リューは私の四つの目を真っ直ぐ見た。恐れのない目で。私はあの時……、この子を迎えにきたかったと思った」
「……っ」
 リューの心臓がとくんと鳴った。
「この心の高揚がなんなのか、初めての感覚で、その時は分からなかった。ベルニルの実を食べていて、私を嫌悪していない者。閨に連れ込んでも、その笑顔は曇らなかった。リューといる時の高揚は、情欲からくるものだと思っていた。……一目惚れだったんだと気づいたのは、しばらく経ってからだった」
(一目惚れ……)
 リューと一緒だ。初めて会った日から、リューもアージュに惹かれていた。
(嬉しい)
 こんな……奇跡みたいなこと……。
「愛されないと思っていた私を、リューが救ってくれたんだ」
―……!」
 リューは思わず、アージュの首に手を伸ばし、抱きついた。
「僕も一目惚れです! アージュ様」
「……そうなのか」
「はいっ」
「そんなはずは……。私は魔獣族の中でも……」
 アージュは戸惑った様子だったが、
「……そうだな。今思えば、駐在館に連れていかれてもずっと笑顔だった。リューが演技であんな顔をできるはずがない」
 リューを信じてくれた。
「リューも私を……」
 アージュが噛みしめるように呟いて、リューの顔をじっと見つめる。
「えへへ、アージュ様……」
 リューはうっとりして、少し甘えた声で名前を呼んだ。
「ん……」
 柔らかい口付けで答えてくれた。

 アージュはリューを横抱きにして、ソファから立ち上がり、寝室へと向かう。
「いままで冷たくしてすまなかった。……嫉妬していたんだ。リューの好きな相手が私ではないと思って」
「嫉妬……」
 にやけそうになって、慌てて口元を引き締めた。
「冷たく何てされていません。アージュ様はいつも優しいです」
「優しいのはリューの方だ。私は酷いことばかりした……。これからは、今までの分も優しくする」
 ベッドに着いて、ゆっくりと横たえられる。
「十分なのに。これ以上優しくされたら、僕もっとアージュ様のこと好きになってしまいます」
「その言い方だと、優しくするしかないぞ」
「ひゃ……う」
 撫でられて、髪の上から口付けてくれた。
「今日はもう眠るといい」
 離れようとするアージュの服を、リューはきゅっと握る。
「やっぱり、少しだけしたいです」
 アージュも好きでいてくれると知って、こんなに触れてくれて、アージュへの気持ちで体が昂ぶっているのだ。
「駄目だ」
「じゃあ添い寝は、駄目ですか……?」
「……。分かった。一緒に寝よう」
「! はいっ」
「誘惑しないでくれよ……」
「しませんよー」
 リューの体力はやはり大分弱っている。それに王であるアージュをいつまでもセブにいさせるわけにはいかない。早く回復しなければ。
「こら、そんなところに……っ……頬擦りするな……」
「……これは回復のために必要なことです」
 ふわふわの毛の感触を味わいながら、リューは幸福な気分で夢の中に誘われた。





 次の日には元気に動けるようになった。新しい旅装を整えてもらって、リューは外に飛び出した。
「本当に大丈夫なのか」
「はい! アージュ様のおかげです」
 ヴィーに飛びつくと、ヴィーは喜んでリューを振り回す。勢いよく空に投げ飛ばされたのを、アージュの魔力に受け止められた。
「ひどい……」
「ヴィー、この棘だらけの薔薇も背に乗せるから、暴れるとどうなるか分かるな」
 アージュが野薔薇の鉢を突きつけると、ヴィーは大人しくなった。

「ヴィーの全速力だ。目を回すなよ」
 アージュの魔力が広がり、大きな薄い膜となる。ヴィーと、ヴィーに乗っているアージュとリューを包んだ。
「さあ行け!」
「わあっ!」
 ヴィーは西門方面に向かい、城壁を飛び越えた。
 膜とアージュの支えが無ければ、風と衝撃によって植木もリューも吹き飛んでいただろう。
 街の外に出ると、そのスピードはさらに上がり、草原の景色が飛ぶように後ろに流れていく。ヴィーの青い巨体が、風になっているのではないかと感じた。

 アージュの魔力の膜の中は、このスピードからしっかり守られていて、葉がそよそよと揺れているだけだ。
 ベルニルの木と野薔薇の鉢は、若木とはいえ大きい。リューでは支えられないので、アージュに支えてもらっている。
 枯れかけてからの移動で、ベルニルの木には大きな負担が掛かっているはずだ。リューは幹に触れ、ノームの力を分け続けた。
「どちらも朝より元気になっているな」
「本当です。良かった」
「リューにそっくりで丈夫だな。可愛いらしい」
 アージュの何気ない言葉に、リューが頬を染めていると、ヴィーは不満げに鼻を鳴らした。
「棘、嫌なのかな。ごめんね」
「いや、多分タテガミに土が零れるからだな」
「……お洒落さんなんだから」
 太陽よりも速く走っているのではと見紛うヴィーの背で、のんびりとアージュとのお喋りを続けた。


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