3. 幸せ
(城の外、何年振りだろう……)
自分の歳も正確に覚えていない少年には、よく分からない。
目の前にある綺麗な青いタテガミを、指先で遊ぶ。
ガグルエ王の愛馬は巨大だ。王の前に乗せられ跨った少年は、足を下げるというより横に投げ出している。
タテガミで遊ぶのに満足して、腕を下ろそうとするが、そうすると少年の腹に添えられたガグルエ王の腕に当たることに気づく。……少年は腕を上げたまま、馬を愛で続けた。腕が疲れて少しぷるぷるする。
城門から閑静な官庁街をしばらく進み、ガグルエ国の駐在館に着いた。
王一行が滞在先に選ぶだけあり、大きな門構えだ。警備兵の機敏な動きや、掃除の行き届いている様子は城以上に見える。
王の愛馬との別れ際、少しばかり擦り寄られて嬉しくなる。もう一度手を伸ばそうとするが、ガグルエ王に声を掛けられる。
「ぐずぐずするな」
「はい、申し訳ありません!」
先に行く王の後を慌ててついていった。
館に入ってからは、王とは別の場所へと、使用人に連れてこられた。
通された浴室には、大量のお湯が用意されていた。何人で入るのかと問えば、僕一人の分らしい。
しっかりと洗ったけど、これでいいのかよく分からず、あと二回同じ洗い方を繰り返した。
風呂から出ると、簡素ながら柔らかく心地良いローブを着せられ、また使用人に案内される。
「わあ」
通された部屋には、豪華な食事が用意されていた。
「外におりますので、何か不自由がございましたらお申しつけください。それでは、ごゆっくりとお食事をお楽しみください」
「いただきます!」
使用人は一礼して出ていく。
少年はテーブルに駈け寄り、皿の上の料理に目を光らした。
こんがりとした焦げ目に香草が載った肉料理、彩り豊かなサラダ、ほのかにエビの香りのするスープ。その端にしっかりと、ベルニルの実が皮を剥かれて盛られていた。
(すごい。今日は特別な日なのかな)
全体的に館の調度品は大きく、椅子に座ると足が浮く。テーブルも高い。遠い皿をずるずるとこちらに引き寄せる。
(そうか! 花嫁を迎えにきた日だもんね)
温かいスープを口にして、その美味しさに頬が緩む。
大きなベッドがどっしりと置かれた寝室に通される。
「王が戻るのは夜遅くになります。仮眠を取っていただいても構いませんが、起こされることはご了承ください」
一人になると、少年はベッドに近づく。
すごく大きい。少年の身長の三倍くらいの長さがありそうだ。
高めのベッドの上によじ登り、最初は遠慮がちに座っていた。
さらさらの感触が気持ちよくて、ごろんと横になる。布地は上等だけれども、たまにベッドメイクする城内のベッドより、硬い気がする。
(他は全部この館の方がすごいのに)
疑問に思ったが、ガグルエ王の体格を思い出して納得する。彼の体重に合わせた硬さのため、少年の体重ではうんともすんともいわないのだろう。
窓の外は夜。室内は静かで広々としている。
ベッドの上で転がるのを止め、じっとしていると、自然と思考の中に入っていく。
(……どうして僕が、ここにいるんだろう)
王はこの部屋に戻る、と使用人は言っていた。
ならばここはやはりガグルエ王の寝室。そこに入れるのは、王と花嫁のはずでは……、でも王女様は広間に置き去り……。
ベッドの上掛けをぎゅっと抱き寄せ、少年は体を縮こまらせた。
頬に温かい感触。
「…………ひゅむっ」
魂を持っていかれそうなほどの、ふわふわ滑らか……。
目を瞑ったまま擦り寄る。滑らかに整った短い毛。
「こら、起きろ」
笑いを含んだ重低音。
ぼんやりと目を開ける。
目の前には、四つの目。
そうだった。ガグルエ王の寝室で、彼を待っていて、いつのまにか寝ていたようだ。
「……お帰りなさいませ、王様」
この肌触りは彼の手の甲か。少年は頬を緩める。
「……ッ」
少年の笑顔を見て、ガグルエ王は目を瞬かせた。
ベッドに腰掛ける彼の前に、眠い体をのそっと起こし、少年は行儀よく座る。また撫でられるのを期待しながら。
寝巻なのか、彼は薄着になっている。上の服は前が大きく開いて、短い獣毛に覆われた胸元が露わになっている。艶めく黒が彼の呼吸でほのかに揺れている。少年の視線は、恋をする乙女かのように潤む。
「アージュと呼べ」
「……アージュ?」
「私の名だ」
「!」
自分に向かって、誰かが名乗ってくれるのは初めてだ。
「アージュ様!」
少年は満面の笑みで呼んだ。声に出すだけで、なんだかくすぐったい。
「お前の名は」
「名は覚えておりません」
「……他の者に呼ばれるときは何と?」
「”ノーム”とか”そこの”です」
「…………」
アージュは首を横に振ると、少年に手を伸ばした。
彼の腕に軽々と持ち上げられ、その膝の上に載せられる。
(アージュ様の膝だ)
ここの毛は長めで、着ているローブ越しにもふかふかの感触がある。
ローブをまくり上げて素肌で感じたいが、じっと我慢する。
とっても優しく素敵な方の腕の中。このままでも、身に余る幸福だ。
アージュは目を瞑り、何かを考えている様子だ。やがて目を開けた。
「これからはリューと名乗れ」
「リュー……」
「分かったか」
胸がざわざわとした。
「はい! 僕はリューです!」
「そうだ」
少年……リューが勢いよく名乗ると、アージュは目を細めて微笑んだ。
(名前……名前ができた!)
嬉しいことばかりで、今日はどうしたのだろう。
にこにこと喜びを噛みしめていると、
「魔獣族が、恐くはないのか」
と訊かれた。
(魔獣族……)
その種族の名を聞いたことはあるが、馴染みがない。
「恐ろしい種族と聞いていますが、アージュ様としか会ったことなくて」
よく知らない種族だけど、アージュの種族だと思うと、もっと知りたい。
「唯一知っているアージュ様は、とても優しいです」
夢の中で妄想していた王子様と同じ。
(現実にこんな素敵な方がいるなんて)
ただあの四阿は彼には小さいから、修正しないと。
憧れの王子様が目の前にいる。リューはアージュのどんな細かな動きも余すところなく見つめようとする。
「……リューはまっすぐ私を見る」
彼の顔が近づいてくる。薄く開いた唇の間から、立派な牙がちらりと見えて……。そう思った時、唇に柔らかい感触が当たった。
夢にまで見た感触。彼の体温に、体中が痺れるように震えた。
けれど
――どうして僕が、アージュ様と口付けしているんだろう。
ゆっくりと彼の唇が離れる。
「……ベルニルの実の味が残っている」
「ご、ごめんなさい」
歯磨きはしたけど、まだ青っぽいかな。
「いや、薄っすら感じる程度だ。丸一個、文句も言わずに食べたそうだが、嫌ではないのか。野の獣でも口にしないそうだが」
リューの主食が悪く言われている。
擁護しようとしたが、擁護して王女にダメ出しされた記憶がまず思い浮かんでしまった。ベルニルの実の美味しさを知るには、何よりも慣れが必要で、他の人に説明するのは難しい。素直にリューが感じているままを答えた。
「酸っぱいのは何年も前に慣れて、苦いのは最近克服しました。今は果汁たっぷりなところが結構好きです」
「それは良かった」
アージュの手が、リューの腰に触れた。
「必要なものだからな」
「必要……?」
ローブの裾をたくし上げられ、素肌の太腿を撫でられる。
アージュの手のひらは毛がなく、熱い体温が直接触れている。
(これ、気持ち良い……)
うっとりと、されるがままになっていると、太腿を撫でる手がさらに奥に入り込んでくる。
「アージュ様っ? あの、そこは」
「人族やノーム族に私の相手は難しい。ベルニルの実を日常的に食べていると、閨事のときここが柔らかくなる」
「閨事?」
「つまり子作りだ」
「それで……」
王女はベルニルの実を食べていないのを怒られていたのか。
「ごめんなさい。僕、食べ物をもらえるのでもらってしまって……。それと、王女様は本当にそのような効果知らなくて!」
「どちらにせよ今から食べても、最低三年は掛かる。私の妃候補は白紙だ」
「三年、そんなに……」
自分と王女の過ちを取り返すには、それだけの時間が掛かるのか。年頃の女性には大きな時間だ。
「王女様……結婚楽しみにしていたのに」
本来ならここには王女が……。
そう考えて、リューの胸はずきっと痛んだ。
なんだろう。モヤモヤする。
「相手を知らなかったからだ」
「人族でないと嫌だったのでしょうか……。こんなに格好良い方なのに」
「……魔獣族の中でも、私の容姿は倦厭されている。リューの感じ方が珍しいんだ。それにリューは、私の今までの行いをあやふやにしか知らないだろう」
「今までの行い……」
それを知ったら、僕もアージュ様が恐くなるのだろうか。
「とにかく、それが縁ってものだろう。実を食べなかった王女とは縁が無く、実を食べたお前とはあった」
「僕と?」
アージュがまた、リューの唇に口付けを落とした。
お尻の中に何か入ってくる。彼の指……尖った爪の先が、リューの穴を左右に開いて、すぐ離した。
「上手い具合に柔らかくなっているが、私の爪が駄目だな。傷つけそうだ」
(柔らかく……)
アージュと子作りするために、体を造りかえる実。
「あの、僕男ですよ」
「見れば分かる」
アージュがリューの前を指で弾いた。
「……ひんっ」
「男にしては、大分可愛らしいがな」
リューは訳も分からず混乱している。足を閉じたいが、アージュの片手が押さえていて閉じられない。
「こういうことの経験はあるか」
リューは恥ずかしさで涙目になって、首を横に振る。
「それでは仕方ないな。私が広げるが……」
言葉のわりにアージュは嬉しそうだ。
「やり方には文句言うなよ。爪で傷つくよりはましだと思え」
リューの股の間で、アージュの指先が赤く光った。不思議な感覚。リューの尻の中に細い棒のようなものが入ってきて、不安でアージュの服の裾を掴む。
「やっ!」
中のものが膨れ上がって、リューは悲鳴を上げてアージュに縋った。
「動くな。魔力の細かい調整は苦手なんだ」
「は、はい……」
アージュの胸のふわふわに顔を埋める。体格が違い過ぎて、胴に腕を回せない。
「……アージュ……さまぁ……」
情けない声を上げると、アージュがぎゅっと抱き寄せてくれた。彼の温かい腕に、胸に、しっかりと支えられる。
(アージュ様の心臓の音……)
リューは安心して目を瞑り、身を任せた。
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遠くから響く優しい調べ。
小鳥たちがご機嫌に朝の歌を歌っている。
「…………」
(朝……起きないと)
リューは振り子のようにゆらゆらしながら、上体を起こす。
広い部屋、高い天井。
お尻の中に、まだ何か入っているような違和感。
(あ……)
いつもの寝床ではない。アージュの寝室だ。
ベッドの上に座ったリューは、いまだ夢の中のアージュを見下ろす。
閉じた四つの瞼。
夜の暗闇の中では爛々と光り、リューを射抜いて……。
「…………」
朝の冷え込みも関係なく、頬が熱くなる。
(あれは、子作り?)
リューの少ない知識からすると、そうとしか思えない。
(じゃあアージュ様と僕は)
「結婚、したの……?」
隣で眠るアージュに向かって呟くが、彼はまだ目を覚まさない。
何度も口付けを交わして、リューの色んな場所に触れた唇に指で触れる。
「ん……」
指の先でアージュの唇が動いて、心臓が飛び上がった。
「ア、アージュ様、おはようございます」
「……おはよう」
アージュは体を起こしたが、まだ寝ぼけ眼だ。
昨晩の閨事の最中気づいたが、アージュが意識的に動かしているのは、どちらかといえば下の両目のようだ。上の両目は眠そうなアージュに関係なく、すでに覚醒し辺りを見回している。
「よく眠れたか」
「はい、ぐっすり」
そう答えると、大きな手が頭を撫でてくれる。
「アージュ様……」
優しい優しい理想の……それ以上の王子様。
立ち上がって、座った彼の首に抱きつく。首ならどうにかリューでも手が回る。
彼の手がリューの顎を掴んで上を向かせる。彼の目の表情を見て、口付けされると自然と分かった。リューが目を閉じると、優しくて温かい感触に啄まれた。