【中編 王の望み】 5. 愛玩奴隷
「やぁっ……アージュ様ぁ……!」
圧し掛かる彼の巨体が、奥の奥までリューを貪る。
広くて硬いベッドが揺れる。
南の窓から差し込んでいた光が、西の窓に移る。照らされたリューの体は吸い跡だらけだ。
「リュー……」
アージュの手で体勢を変えられ、どこもかしこも彼の視線に晒され、口付けられる。彼の跡がついていない場所を、許さないかのように。
「ん…んっ……」
アージュの熱に、リューの体は燃え上がる。沈む心を忘れ、体は快楽を喜んでいる。
「……
――ッ……っ」
体格の差があっても、ノームの体は体力の差を埋めてくれる。
アージュの舌がリューの口の中に入ってくる。とろとろの狭い口内で、アージュの舌と絡み合う。すっぱくて苦い味を、彼は感じているだろうか。
「リュー、……ッ」
「ン
――!」
アージュがくれる熱。それを飲み込むための実を食す口。
彼のために造りかえられた体なのに、
(狭いのかな……)
アージュは苦しそうだ。
彼のための体……なのに……。結実しないこの体。
(アージュ様……)
覆いかぶさるアージュの体は大きな影を作る。リューの体はその影にすっかり入ってしまい、陽光から隠される。
(なんだか……)
息を吸えば、アージュの匂い。
(安心する……)
二人だけの世界に遮断されたようで、とても心地良い。
リューの顔の両側に、アージュは腕をついている。彼にまっすぐ見下ろされているなんて、なんて贅沢だろう。
けれどアージュの肩越しの陽光が眩しくて、リューは目を逸らした。
「
――ァ……」
目を逸らした途端、影はさらに濃くなる。足が胸につくほど折り曲げられ、アージュがその上から重なってくる。
(アージュ様が、近い……)
彼の呼吸が耳をくすぐる。
外で鳴く鳥の声より小さいのではないかという声に、耳を澄ませる。
その声は、快楽に艶めいて、苦悶にかすれている。
苦しそうなのにアージュは、リューの奥へ進むことをやめない。
目を覚ました時は夜だった。
「アージュ様……」
部屋のランプは点いていないが、窓の外では灯りを焚いているようだ。そのため部屋の中も薄明るく、誰もいないのはすぐ分かった。
服は全て剥がされたはずだが、今はちゃんと別の服を着せられている。
(アージュ様が着せてくれたのかな)
ボタンは全て開いているのを見て、リューは微笑みを浮かべた。
(このボタン、アージュ様には小さくて閉められなそう)
リューはアージュの手を思い出しながら、胸元のボタンを閉める。
窓に近づいて外を見ると、この駐在館の周りを多くのガグルエ兵が警戒していた。
昼に見た様子と、日が落ちたこと以外は変わっていない。あれから新たな戦闘は無かったのだろう。リューは胸を撫で下ろした。
城の広間での戦闘の後、アージュは城のことをフィルドに任せた。
フィルドはセブ王を斬ったガグルエ兵を捕まえて、
「全く、王は生かしておいた方が便利だと言ったでしょう。老体にあんな大きな傷を負わせて放置したら死ぬに決まっています」
などと文句を言っている。
「生かすつもりでしたが、申し訳ございません。以後気をつけます」
フィルドとガグルエ兵がちらりとアージュを見る。アージュは、
「分かっている。時間を取って悪かった」
と何かを謝った。
「仕方ありません。陛下、セブ国の処理はサンドラ王女にしていただきます。よろしいですね」
ピクッと、アージュの片眉が上がる。
「この惨状では生き残っている王族を探すのも一苦労です。無くすと決めた国の代理人など王族なら誰でもいいですし。私、武器を持っていない方を殺すのはあまり好きではありませんし」
(王女様、無事でいられるかもしれない)
リューは黙ったまま、アージュの答えを待つ。手に力が入って、拳をにぎってしまう。リューが口を挿むと悪い方に転がりそうで、無表情に一点を見つめたまま、神に祈る。
「任せると言ったはずだ」
アージュの答えを聞き、安堵の溜息をつきそうになるのを堪えた。
「行くぞ」
アージュに手を引かれ、広間の出口へと向かった。
ヴィーの背に乗って駐在館に帰ってきた時、館の前は荒れていた。セブ兵と小競り合いがあったらしい。ガグルエ側には大した被害はなく、今片づけているところだそうだ。
アージュは館にいる指揮官らしき人に状況を確認し、問題ないと判断したのか、その場はその人に任せた。
そしてリューと共に館内に
――寝室に入り、激しい愛撫にリューが気を失うまで一緒にいた。
昼にあったことを思い出していると、寝室の扉が開いた。
「起きていたか」
軍装姿のアージュが入ってきた。彼の手が赤く光ると、部屋の奥にあるランプが灯る。
「はい」
窓辺にいたリューは、アージュの前に走り寄った。顔を上げようとして、”奴隷”と言われたことを思い出した。彼の顔を直視しないよう、うつむき気味に話しかける。
「服を着せてくれてありがとうございます」
「……風邪でも引かれては敵わないからな」
アージュの声色が冷たい。
「この国の統治の準備が整ったら、オーラリオに向かう。まともなベッドに寝られるのはあと数日だ。十分に体を休めておけ」
……気遣ってくれているように感じて、胸がきゅっと騒いだ。多分、そういうつもりではないのだろうけど。
少し迷ったが、
「心配してくれてありがとうございます」
とお礼を言う。
「心配などしていない。風邪にでもなったら迷惑だからだ」
分かってはいたが、否定されるとやはり悲しい。
酷いことはされていない、と思う。気を失うまで欲望をぶつけられたとしても、好きなひとが相手なら構わない。
けれど、昨日までとは明らかに違う態度。
(城で、怒らせてから……)
多分、王女を助けてと、不相応な頼みごとをしてから。
(頼みごとなんて……甘えたりなんかしてはいけなかったんだ)
アージュが優しくて、つい甘えてしまった。
(側にいられるだけで……充分……)
リューは微笑んで、顔を上げた。
「風邪を引かないよう気をつけます。丈夫さだけが取り柄ですから」
リューの視線の先のアージュの口が開けかけたが、結局何か言うことはなかった。
ノックが聞こえ、アージュが応えると使用人が扉を開けた。食事の用意ができたそうだ。アージュがリューに訊く。
「食べられそうか」
「まだあまりお腹が空いていません」
「ではこれだけ」
アージュに指示され、使用人はテーブルの上にベルニルの実が盛られた皿を置く。二つのカップにお茶を注ぎ、一礼して出ていった。
「いただきます」
アージュはリューから顔を逸らしてお茶を飲んでいる。
その横顔を見ながら、リューはベルニルの実に手を伸ばす。
(ベルニルの実、用意してくれている)
アージュはまたリューを抱く気なのだ。
(また、一緒にいられる)
次の機会を期待しながら、喉を潤す果汁を幸せな心地で味わう。
「リュー」
アージュがベルニルの実をひと房摘まんだ。
(また食べるのかな。美味しくなさそうにしていたのに)
興味は好き嫌い克服の第一歩。いいことだ……と思っていたら、その手はリューの方に伸ばされた。
「口を開けろ」
「? はい」
リューが口を開けると、実をひと房、口の中に入れられた。
「……っ」
アージュの爪が一瞬リューの唇に触れる。
緩んだ口元を閉じて、もぐもぐと噛みしめる。この実、特別美味しい気がする。
ごくんと飲み込むと、またひと房アージュが差しだす。
「……ん……」
食べさせてくれるのは嬉しいのだけれども、咀嚼する姿をじっと見られるのは……。
「んく……、あの、恥ずかしいです……」
「奴隷の仕事だ」
(……奴隷……)
そうだった。自分の立場を思い出して落ちこむ。
リューの口が空になると、もうひと房。
「そうやって、私を楽しませろ」
(僕は美味しいけど……、アージュ様にも何か楽しいところがあるのかな)
アージュは無表情のまま、ただ淡々とリューの口に身を運んでいる。あまり楽しんでいるようには見えないけど。
(アージュ様……)
構ってくれるのが嬉しくて、リューは黙々と食べ続けた。
(幸せだな……)
城にいた時は知らなかった幸せ。胸がじんわりと温かくなる。
奴隷で、十分幸せだ。
――昨日、アージュと結ばれたと錯覚していた時の幸福感には届かないけど……。
頭をよぎった考えに、温かかった胸が締めつけられた。一瞬止まった呼吸を、ゆっくりと整える。
(もういい)
胸の奥にしまってしまおう。あれは、幻だったんだ。
(奴隷でいいや……)
アージュが側にいて、触れてくれるなら。
(それでアージュ様を楽しませて……。…………)
逸らしていた目を、そっとアージュに向ける。
本当に楽しいのかな。
昨日の……、今朝までアージュは、とても優しい笑みを見せてくれたのに。
今は……無表情。どことなく悲しげにも見えた。
二日後の夕方。
寝室の隣の部屋でのんびりしていると、フィルドが入ってきた。
「……何をしているのですか」
ソファに座るアージュの膝に、リューは頭を載せて横になっていた。
……当事者のリューにも、何をしているのかよく分からない。
(膝枕……?)
でいいのだろうか。アージュの太腿はとても逞しいため、頭の位置が高くなってしまう。恋愛小説を読んでもらって想像していた膝枕とは、少し違う気がする。
フィルドが来たので体を起こそうとするが、アージュの片手に押さえられて動けない。リューは自分の子供っぽい姿に赤くなる。アージュとフィルドは気にした様子はない。
「お前が待たせるから、暇していた」
アージュは手でリューの髪を梳きながら、フィルドに答えた。
「本来は貴方の仕事なのですがね」
「軍の統率は執っていたさ。それに加えて一国の統治ができるほど、私はできてはいない」
「そうですね。軍の対応が迅速で、抵抗してくる残党を最小限にしてくれて助かりました。次の行軍の準備も整っているようですし」
二人は主従というより、もっと気安い仲のように見える。
リューは王女のことを思い出した。今どうしているだろう。城でセブの統治体制を整えていたフィルドなら一緒にいただろうけど。
フィルドがこちらに歩いてくる。
(……あれ?)
フィルドの歩き方に違和感を感じた。ほんの少しだけ足を引きずっているように見える。
(城で痛めたのかな)
それとも、リューが寝そべっていて、自然とフィルドの足元に視線がいく今だから気づいただけで、ずっとフィルドは足を引きずっていたのだろうか。
疑問に思っているうちに、フィルドは向かいのソファに座った。
リューは置物のように動かないまま、二人の話に聞き耳を立てる。
四日後にはガグルエ本国から統治を任せる文官が到着するそうだ。
「今出発すれば、オーラリオは雪になりますね」
「……雪が解けるのを待つか?」
「いいえ。向こうの将軍が病に倒れたばかりですから、今攻め込んだ方がいいでしょう」
「分かった。軍の出発は明後日だ。お前は引き継ぎをしてから、遅れて合流しろ」
「かしこまりました」
(明後日……)
リューはアージュについていくのだろうか。隣の国……。たった数日前に、城門から出たばかりのリューには、想像が追いつかない。
「ついにオーラリオだな」
アージュが呟いた言葉に、
「……ええ」
フィルドが重い口調で答えた。
(……?)
二人の間に流れる沈黙。
オーラリオは大きい国だ。セブの領地がいくつもオーラリオのものになったし、城にはオーラリオから輸入した品がたくさんあった。けれど一日でセブを落としたガグルエほどの力はないと思う。
リューの知らない何かがあるのだろうか。
アージュの視線がフィルドに注がれている。気遣うような、心のこもった目。
「…………」
置物のように大人しくしていたリューだったが、不安を感じて、アージュの膝の服を掴む。アージュの視線がリューに落ちて、大きな手がリューの頭を撫でる。
「随分と仲がよろしいですね」
フィルドの声色に笑いが滲んでいる。アージュとフィルドの間の重い雰囲気は消えたみたいだ。
「陛下が面倒見が良いなんて知りませんでした」
「特に何もしてやっていないさ」
(何も……なんて、そんなことない……)
アージュとは出会ったばかりだけど、リューの中で一番大きな存在。
「それにしては、懐かれていますよ。ねえ、君、陛下が好きなんでしょう?」
どうしてフィルドがその質問をするのか。
――答えたくない。
ガグルエ王の側近。敬わないといけないのは分かっているけど、言葉が出ない。リューが暗い顔で沈黙していると、
「何と答えようと意味などない」
アージュの声が、静かに響いた。
「……愛玩奴隷なんて、こんなものだろう」
先程までのフィルドとの会話より、明らかに温度の下がった、感情を感じ取れない声。
「……っ」
アージュの服を掴む手を離し、リューは自分の胸元の服を掴む。
リューはアージュの膝の上にいて、フィルドはアージュと向かい合って座っている。リューの方がアージュの体温を感じる距離にいるのに……。
胸のモヤモヤが、収まらない。息が苦しい。
「どうした」
息苦しそうなリューの背中を、アージュの手が撫でた。その声から、冷たさは薄れていた。彼に触れられている。意識を向けられていると思うとやっぱり嬉しくて、苦しさが消えていく。
(アージュ様はやっぱり、優しくて面倒見が良い)
彼と目が合うのはまだ恐くて、顔は上げられない。けれど、
(このままずっと……、ずっと僕だけを……)
彼の視線は僕だけのものがいい。
ガグルエ王の愛玩奴隷。
――多分今、僕は、僕が手に入れられる最高の地位にいる。
アージュの胸にもたれ掛り、その首に細い腕を伸ばす。彼との夜を思い出しながら、
「アージュ様……」
耳元で名前を呼ぶ。
二人きりになりたい。彼の腕の中に閉じ込められて、彼だけを見つめて、彼の視線を独り占めしたい。
「……フィルド、話が終わったなら退出させてもらうぞ」
「ええ、どうぞ。この街を発ったらまた、戦の連続ですからね。ゆっくりできる機会を思う存分楽しんでください」
アージュは立ち上がり、寝室へと向かう。
リューを腕の中に抱えて。