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 空間魔法






 リリアンクには【十賢】と呼ばれる人々がいる。

 家庭教師のメイナードは最後の半年、アッシュの受験対策の他に、リリアンクについても教えてくれた。
「十賢は全員が卓越した魔法使いであり、議会から絶大な権限を与えられています。最高決定機関である議会と、即断即決できる十賢によってリリアンクは統治されているのです」
 かなり変わった共和制だ。
「そして百年もの間、その十賢で居続ける者がいます。彼がいる限り、人間の世界の頂点がリリアンクであることは揺るぎないでしょう」
「世界の頂点」
 アッシュがピクッと反応した。
「その男の名は……」





「クー。彼の空間魔法で作った異空間に、現在ハニアスタは幽閉されているの」
 学長ダリアはハニアスタの状況を説明した。
「空間魔法……」
 『初級魔法教本』には載っていないが、その名は轟いている。

「ハニアスタが終身刑を受けたのは二年前。この市を守る防御結界を許可なく解析し改造しようとした罪による刑よ」
(何考えているんだろう。おじい様)
 重要な軍事機密だと子供でも分かる。
 防御結界というのは他国における城壁のようなものだろう。
 壊したり抜け道を作ったりしたら、反逆罪に問われてもしかたない。
「あの、祖父のせいで危ない目にあった人は……」
「すぐにアラートに気づいて捕らえたから平気よ。怪我人はいなかったわ」
 アリエルはほっとした。

「貴方のおうちにも知らせたはずなのだけど、何も知らなかったの? ミスティアに置いてあった彼の研究資料も職員が回収しにいったわ」
「あ。あの人達」
 ミスティアの家にリリアンクの客が来たことがあった。
 アッシュのお気に入りのボードゲームが持っていかれた日だ。

「なぜ普通の牢ではなく異空間に?」
「ハニアスタが並外れた魔法使いだから」
 ダリアは頬に手を添えて溜息する。
「ハニアスタの能力……それと倫理観では、脱獄に警戒しないといけない。それに加えて、あの天才を研究から遠ざけることは大きな損失だった。だからは魔法を封印するような真似もできない。―異空の檻。それこそがハニアスタを逃さず、ひたすら研究だけに従事させる唯一の方法だったの」

「クーさんの空間魔法というのは、絶対に出られないのですか」
「そうよ。空間魔法というのは、歴史上クーしか使ったことがないわ」
「ええっ」
「クーがいなければ、私達もハニアスタと連絡さえ取れない。唯一無二の魔法よ」
「では祖父と話したければクーさんにお願いしないといけないんですね」
「それもできないわ」
「えっ」
「クーの居場所を私達も知らない。神出鬼没な人なの。いつの間にかハニアスタの研究成果が学長室の机に置かれていたりするのよ。あ、ハニアスタの研究はとても順調で、元気にしていそうよ」
「えっと、それはよかったです」
「そういうわけでクーの痕跡はあるのだけど、目撃情報はもう三年近くないわ」
(うう)
 アリエル達がクーかハニアスタに接触するのは難しそうだ。

 一応、遭遇した時のためにクーの容姿の特徴を訊いた。
 彼の学園への在籍登録は神聖時代の終わり頃で、百年以上前。
 経歴も年齢も不詳だそうだ。
 二十歳くらいの若者にしか見えず、黄緑かかった不思議な色の白髪らしい。

「こんな謎だらけの人が十賢だったり、大罪人の管理を任されていたりしていいんですか」
「そうねえ」
 ダリアはおっとり言う。
「そうは言ってもクーには十賢が他の束になっても勝てないもの」
 たしかに同じ魔法を使える人がいないなら、空間魔法に勝てる気がしない。
 異空間に閉じ込められてしまえば手も足も出ない。
 不意討ちしようにもクーは行方知れず。

「ハニアスタの状況は以上よ」
 ダリアの話が終わった。
「渡したい手紙があれば連絡ボックスに入れておけば、クーが時折届けてくれるわ。こちらの世界の研究をそうして共有しているの」
「いえ……。はい。リリアンクに来たという報告の手紙を今度書きます」
 おそらく学園やクーに内容を検められる。
 隷属魔法については聞けそうにない。
「……ありがとうございました」
 アリエルは気落ちして学長室を後にした。





 人気のない廊下を歩く。
「クーさんについて調べないといけないねっ」
 アッシュはなぜか元気なままだった。
「アッシュはおじい様に会えなくて平気なの? 解呪が遠のいちゃう」
 反対にアリエルの声は弱々しい。
「それはまあそうだけど」
 アッシュはふんっと拳を握る。
「それよりクーさんのこと調べないと。いつか倒さないといけない相手だよ」
「たっ、倒さないよ。なんでそんなことするの」
「だって世界の頂点だよ!」
「なおさら倒さないっ」
「ええ……。かっこいいのに。世界の頂点」
「もうっ。大事な話してるんだよ!」
 弱気になっていたアリエルの声が、少しだけ大きくなった。
(アッシュ、世界の頂点をかっこいいと思っているんだ。そっか。アッシュにかっこいいと思ってもらえるのかあ……)
 アリエルの頬に赤みが差す。
「ねえ、アリエル様」
「えっ、な、何」
 アッシュの声で、アリエルは思考から引き戻された。
「僕、学園案内図で怪しい場所を見つけたの。偵察に行こう!」
「偵察?」





 重厚な多層の学舎に囲まれた緑の園。
 縦に連なる装飾アーチから差す、昼下りの陽光。
「わあ……。すごいね」
「すごい……」

 アリエルとアッシュの二人は、中央棟の中庭に訪れていた。
「二人きりだね」
「うん。書いてある通り、本当に僕達しかいない」

 中央棟は魔法学園の中枢であり、リリアンク国の議会、学園の中枢会議、その他重要機関が集まっている。
 ロビーや回廊には大人から初等科生徒までいっぱいいた。

 しかしこの中庭には人影がなく、葉のさやめく音と泉の注水の音しかしない。
 中庭を見下ろす回廊にも、人の気配は全く感じない。
 感知魔法で感覚を広げても同じである。アリエルには閉ざされた壁越しだと十メートル弱、障害物が疎らであれば二十メートル感知できるが、人や動物の気配はない。

「これがクーさんの空間魔法……」
 『異空の園』。
 学校案内にはそう呼称されていた。
 この中庭はクーの魔法が掛けられており、入った者ごとに多重次元を作っているそうだ。
 このリリアンクの中心で、誰もが静謐な緑の園を独り占めできるのだ。

「何が起こったか全く分からない……。結界に入った感覚もなかったのに」
「アリエル様でもそうなんだ」
「アッシュと一緒に入れたのもよく分からない」
 同行者であることを示すための行動を何もしなかったのに、この空間に共に導かれた。
 同じタイミングで入ったからだろうか。
 けれど案内には待ち合わせもできるとあったので、同じタイミングで入らなくても落ち合えるらしい。
 それこそどうするのだろう。
 ここに入る前に道を訊いた魔法使いが色々教えてくれたのだが、そこまでは言っていなかった。

 ここは誰もいない秘密の会議にも使えるそうだ。
 クーが覗いている可能性は捨てられないが、彼は十賢なのでリリアンクの最高機密を扱えるし、どうせこの世のどこにも空間魔法使いクーが入れない場所などないのだからノーカウントだ。

「クーさんが行方知れずで、他の人では魔法の状態を調べることもできないって教えてもらったね」
 こんな大掛かりで複雑な魔法を設置しっぱなしらしい。

 二人で呆けながら歩く。
 大きな造りの五階層に囲まれた、東西に長い長方形の庭園。
 靴をくすぐる芝。
 下草を踏みしめるたび鳴る心地良い音。
 こんこんと湧き出ている泉。
 その縁石に二人は座った。
 新緑の透ける木々は、最上層の採光アーチを目指すように伸びている。
 窓辺や壁に這う蔦は控えめな花を咲かせている。
「夢みたいな魔法」
 魔法の最高峰を見上げながら、アッシュが呟いた。



 図書館も覗いてみたら、びっくりするくらい大きかった。
 分類の載った館内図を見ると、アリエル達が名前も知らないようなジャンルが溢れていた。
 興味はもちろんあったが、今日は気もそぞろな状態なので、すぐに図書館を後にした。

「魔法学園ってすごいんだね」
「クーさんはこんなすごい学園のトップが束になっても勝てないんだ」
「……バレないようにしないとね」
 奴隷の呪印のことを。
「うん」
 自分で言ったが、アリエルの隠蔽魔法だけで本当に大丈夫なのだろうか。
 不安になっていると、ぎゅっと手を握られた。
「……へへ」
 アッシュの笑顔が励ましてくれる。
「今日は引っ越し祝いだよ。ご飯買って帰ろう」
「うん」

 学園前の大通りで贅沢なご飯を買った。
 魔法レールで帰ろうとすると運行停止になっていた。
 レール上に魔物が出現したそうだ。
「ミスティアでも通行止めってたまにあったね」
「どうする?」
「歩いても一時間くらいかー」
 迷っているうちに運行再開したので、シャトルで楽に帰れた。





「今日は入学前のメインイベントだよ!」
 アッシュが大はりきりだ。
 アリエルも楽しみにしている。

「こちらが魔法学園の制服です」
 仕立て屋に飾られたピカピカの制服に、二人は目を輝かせた。
 全体は白色で、紺色を組み合わせてある。
 胸章と襟のポイントカラーは学年色のオレンジイエローだ。

「どちらをご希望ですか」
 制服は二種類あった。基本のジャケットタイプと、防護性能を上げたローブタイプだ。

「ローブ、魔法使いっぽくていいな」
「じゃあ着てみよう」
 ローブタイプを試着させてもらう。
「わあ、似合うね」
「アリエル様も」
 足元を引きずりかねない丈だが、汚れにくい魔法の布でできているので問題ないらしい。
 それに汚しても、学園の洗濯室に行けば五秒で綺麗になるそうだ。

「足を動かしにくいね」
 防護魔法を最大限活かすには、ローブで全身を覆うことが大事だ。
 学生が慣れない魔法を放てば、魔力が飛散なり暴走することがある。
 ローブタイプはそんな危険から学生を守ることをコンセプトにしているのだろう。

 ただ二人が習得したい魔法は、隷属魔法の解呪のためのものだ。
 際立った防御力は必要ない。
 弾き返し対策は必要だが、その頻度は多くないはずだ。

「戦闘の授業もこの服なんだよね。体術も含めて習いたいから、もっと動きやすいのがいいな」
「じゃあジャケットも着てみよう。あ、その前に……」
 アッシュの手が伸びてきて、ローブに付いているフードをポフっと被せられた。
「可愛い!」
 まっすぐ笑いかけられて、ぼっと全身が熱くなる。
「もう、アッシュはっ! えいっ!」
「わあっ」
 赤い顔を誤魔化すために、アッシュのフードも目深に被せた。

 今度はジャケットタイプを着る。
 着替え終わって振り向くなり、二人はお互いに見惚れた。
「アッシュ、格好いい。王子様みたい……」
 アッシュの引き込まれるような濃い色の肌に、輝くような白がとても似合う。トップスだけでなくボトムスのストレートズボンまで白というおしゃれ上級者向けの服だった。
「……ミスティアの王子様?」
 アッシュの表情が不機嫌になる。
「違うよ。絵本とかの王子様! アッシュが格好いいってこと!」
 そもそもミスティア王族を見たことなんて、パレードで遠目にしかない。
 それも騎士の両親を見たくて行っただけだ。
 アッシュと暮らすようになってからは、淋しくなくなったので行かなくなった。
「ふふ、格好いい?」
「うん!」
 アリエルが肯定すると機嫌が直った。よかった。
「アリエル様も素敵だよ。僕の王子様」
「……!」
 蕩けるような笑顔で返されて、アリエルは息を飲んだ。
「ひゃ……。え、えーっと、動きやすさはどうかな!」
 腕や足を振って誤魔化した。

 礼服としても使える典雅な見た目だが、実用性も抜群のようだ。
 動作にまるで邪魔にならない。
 ジャケットタイプは伸縮性や可動域の広い。
 その代わりに、編みこめる防護魔法の種類が減ってしまうらしいが、こちらの方がアリエルたちには合っていそうだ。
「これにする」
「じゃあ僕も」
 お揃いの制服に決まった。
 仕立てあがったら入学までに自宅へ届けてくれるそうだ。
 楽しみ。



 そしてついに二人は入学の日を迎えた。


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