打倒クリフ隊 4
とても幼い頃のクリフは、病弱でベッドから出られなかった。
マッドはクラッセン家の書庫で本を選び、クリフの部屋で読む。
大人は喜び、マッドは読書時間を長めに確保できる。
ウィンウィンな関係だった。
クリフは何もできず窓の外を見ているだけ。
置物のように静かだった。
たまに苦しんでいる時は、思わずクリフの手を握って声を掛けたりもしたが、お互いに置物同士の関係だった。
ある日の夕暮れ。
「マッド……どんな本、読んでるの……」
置物が喋った。
マッドは涙ぐみそうになった。
最近のクリフは、すぐにでも消えてしまいそうなほど力無い。
「魔石の本。うちの魔法道具によく付いているから」
本当はマナグレイスに遊びにいったから興味を持った。
けれど山の上の湖で家族と舟遊びや釣りをしたことを、クリフに言っていいのか分からなかった。
「魔石は自然界の魔力が凝縮したものではないかって云われているんだ」
「ぎょ、しゅく」
「んーと、あった」
マッドはポケットに入れっぱなしになっていた魔石をクリフに見せた。
マナグレイスの採掘場で案内人が砕いてくれたものだ。
魔石というものは砕いたままで利用可能な純度になっている。
採ってもらったのは、マッドの好きな赤色。
兄弟姉妹も近くにあるなら好きな色を選べた。
魔石を映すクリフの赤い目。
「きれい……」
マッドは布団に手を入れて、クリフの動かせない手に触れさせる。
クリフはわずかに指を動かして、魔石の硬い感触を確かめている。
石がずれないように、マッドは読書には戻らず手を添えたままにした。
しばらくして、クリフの容体は急激に好転した。
好転しすぎて、いつの間にかやんちゃ坊主に育っていた。
昼食の後は魔石鉱山の見学だ。
鉱山職員にガイドしてもらって、アリエル達三人は歩く。
「キラキラしてきた」
洞穴の壁や天井にきらめく透明感のある石。
まるで星空のようだ。
分岐の先を眺めると、それぞれ違う色味を放っている。
「欲しい色、一個くれるって」
「青!」
「薄紫!」
アッシュはアリエルの、アリエルはアッシュの目の色を希望する。
「薄紫はないかなー」
アリエルは白と青色の結合した石を選んだ。
職員が魔法道具のタガネで石を砕いてくれた。
アッシュと二人、魔石を見せ合ってにっこりする。
「マッドの分は?」
「俺はいつでも手に入るからいいよ。それにどうせ使えないしね」
「魔力がないと、魔石からも魔力を取り出せないの?」
「そうだよ」
案内人の手から、ランプの魔法道具を受け取るマッド。
魔法道具には白い魔石が付いている。
マッドが触れてしばらくして、ランプは消えた。
「本当だ」
「じゃあこれは?」
アリエルは手にある魔石を活性化した。ランプに付いているのと同じ白い魔石だ。
マッドのランプと反対の手に、その魔石を触らせる。
マッドの中を白い魔力が流れて、魔法道具に届いた。
だがランプは点かない。
「そっか。魔力がないと、使用者の意思が全く伝わらないんだね」
魔法道具であっても、発動には意思が必要。
……本当に必要かな?
「そうだ。魔法道具を機械的な構造にすればいいんだ。魔力持ちの意思に関係なく、魔力が触れているかいないかで動くように」
アリエルは付与魔法で魔法道具を一時的に改造する。
「さあ、もう一度」
「……ああ」
アリエルが差しだした魔石に、マッドは触れた。
「!」
ランプが点いた。
「使えた……」
嬉しそうなマッド。
アリエルとアッシュもつられて笑った。
「回路の一部になっただけだけど、使えた」
「うん。今は僕が魔石を活性化したけど、魔石の活性状態を維持できれば、魔力がない人でも使える魔石ができるかも」
「そっか……。そうかも」
マッドの目に、ランプの光がきらめいている。
「アリエルはかっこいいね」
「えー……、えへへ」
思いつきだったのに。照れる。
「そういえばアッシュ以外に魔法を喜んでもらったの初めてかも」
「そうなの?」
「うんっ。ありがとう、マッド」
赤色の魔石が剥き出しになっている道を通る。
マッドが立ち止まり、壁を見上げた。
「マッドもやっぱりもらっていく?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。昔のこと思い出して」
「昔……」
「クリフとの思い出」
そう言ったマッドの表情はとても優しい。
「……どうして喧嘩しちゃったの?」
アリエルとアッシュはこの一か月、二人が仲直りしたくなるよう頑張った。
彼らの前で手を繋いだり、あーんをし合ったりしたのだ。
……効果はなかった。
ラティに「幼馴染だからって、お前らと同じ思い出はないぞ」と言われてしまった。
「どうしてって……。言うほどのことじゃないよ。すごく下らないから」
「聞きたい!」
坑道にアリエルとアッシュの声が響く。
マッドは耳を押さえて、溜息をついた。
「可愛いって言われた」
「……?」
アッシュとアリエルは同時に首を傾げる。
「褒められたのに、どうして喧嘩するの?」
「可愛いって、からかわれている気がしない?」
きょとんとするアッシュ。
「アリエル様の可愛いは常に本気だよ」
アリエルはうんうんと頷いている。
「…………」
マッドは眉尻を下げて笑った。
「あいつも、そうだな」
クラッセン家。
「クリフ様、お客様がいらしています」
「約束はないけど」
「マッド様です」
「!」
クリフの部屋にマッドが入ってきた。
マッドはすたすたと慣れた様子で進み、ベッドに座る。
「…………」
お互いに無言だ。
(あの頃のクリフは、ずっとここで眠っていた)
ベッドの軟らかさを感じながら、あの日の儚い少年を思い出す。
今はもう立ちあがって、浮遊魔法で遠くの空にさえ飛んでいける。
「いままで……ごめん」
マッドが口を開いた。
「クリフが初めて魔法を使った日覚えてる?」
「うん」
「あの頃のクリフは、元気になるなり連日外に出ていた。大雨の日、雨が降っているから駄目っておじさん、おばさんに止められたら、魔法で雨を弾くドームを作った」
クリフはどうしてそんな昔の話をするのか分からない顔をしていた。
けれど静かに聞いていた。
「俺が魔法を使いたいって思ったのも、その時なんだ」
「
――……」
「俺は頭でっかちで魔法のことは知識や理論でしか紐解けなくて、でもそんな俺の話を聞いてくれた。……俺が、本当は魔法使いになりたいって言っても、なれると信じてくれた」
マッドは睫毛を震わせる。
「そんなお前に、いつまでも俺より幼くいてほしかったんだ」
とてもくだらない、情けないプライド。
そんなもののために、大切なことを忘れていた。
「大切だ。クリフのこと。先に行ってしまっても、ずっと」
マッドを見つめるクリフの目が見開いた。
そして、穏やかに微笑む。
「先じゃない。違うように見えるだけで、きっと同じ場所を巡っている」
アメジスト色の目がマッドをまっすぐに見つめる。
「俺はずっとマッドのこと頼りにしているよ」
どうしようもない自分に、欲しい言葉をくれた。
嬉しさが胸に広がる。
いつだって優しい幼馴染。
「お前はいつも本気だなあ」
「えっ。なに、冗談だったの?」
肩を揺らして笑うマッド。
「……ところで、マッドが俺を避け始めたきっかけってなんなの」
「言わない」
笑いが止まらなくなったマッドを、クリフは頬を膨らまして押し倒した。
魔法クラス、レベル3。
「今日はフーシーとだ!」
アリエルは意気揚々とフィールドに出る。
「警戒する。騙されない。よしっ」
気合を入れてフーシーの方へ振り向くと、フーシーはレベル3クラス担当教師と話していた。
「アリエルの制限は結界の回数だけでいいです。僕は不利でも構わないので、全開のアリエルと戦わせてくれませんか」
教師はフーシーを見下ろす。
教師は防護結界を得意とする優秀な魔法使いだ。
生徒の実力や資質の幅が広いレベル3で、事故もなく指導している。
「駄目だ」
「ですが」
「位置に着きなさい。すぐにだ」
「……はい」
アリエルと向かい合うフーシー。
「アリエルをこのまま我慢させていくのか。ずっと? それが……大人のすることなのか」
「フーシー、僕は平気だよ」
アリエルが心配そうにフーシーの表情をうかがう。
「……うん。始めよっか」
「うん!」
アリエルはフーシーに翻弄されて、こてんぱんに負けた。
市内西部。
神殿と軍事施設がある整然とした街だ。
フーシーの通う道場もここにあった。
フーシーは早朝の道場で一人、坐禅を組んで瞑想していた。
(何故。アリエルの能力を知りたくないのか。知りたくない……。いや、違う。むしろアリエルの秘密を独占できる。主導権を握っているなら)
アリエルの能力の探究は今、十賢同士が主導権を争って話が止まっている。
(あの先生は防護結界が得意。ならばその師は……)
「フーシー」
「
――っ」
兄弟子フラドが数歩の距離に立っていた。
「心を鎮めなさい」
彼も座って瞑想を始めた。
フーシーはその横顔を見つめ、また瞑想に戻った。
(俺があの人に逆らったら、フラドさんや師匠はどうなる)
自分を律して、無にして、心の平衡を保つ。
フーシーは修行を続けた。
夏が来た。
家のホールで、アリエルとアッシュは上を向いて口を開けていた。
「実がなってる」
朝起きたら家の中に生えている木に、黄色い実がなっていたのだ。
見た目は梨のようだ。
「どんな味だろう。食べてみよう」
「!」
アッシュが気楽にもぎ取った。
恐いもの知らずの行動力だ。
「…………」
アッシュが黙りこくって、手に持った実を見つめている。
「どうしたの?」
「アリエル様、これ魔石だよ」
「ええっ!」