開花 2
「アリエル様、おはよう」
「んみ……」
今日もいつもと同じように、起きたら服を着替えてダイニングチェアに座っていた。
目の前には美味しそうな朝食がある。
「いただきます」
ようやく目が覚めてきて、アリエルはフォークを手にする。
今日はとてもいい天気で、庭では洗濯物がはためいている。
「放課後、クリフと対戦する」
「わあ。久しぶりだね。応援するね」
「うん」
違和感があった。
(アッシュと目が合わない。なんで……)
そこで昨夜の出来事を思い出した。
(! ……夢じゃなかった。アッシュと、キス……)
アリエルはアッシュの唇を見て、かあっと顔を赤らめた。
ちゃんと説明しないと。
「アッシュ、昨日、服勝手に脱がせちゃってごめんね」
あれ、でも僕も毎日脱がされているな。
ううん。アッシュのは僕のためだもん。
「あれはその……えっち……な意味はなくて」
しどろもどろで弁解する。
「あのね。唇は、恋人のキスだと思うんだから、しないんじゃないかなと思うんだ。……けど、アッシュがしたいなら」
「もうしないよ」
「え……」
アッシュの目がまっすぐこちらを射抜いた。
「僕とアリエル様で恋愛なんてしない」
「
――――」
ぎゅっと胸が締めつけられる。
「そう……」
とても、とても痛い。
「そっか」
今頃になって自分の気持ちに気づいた。
(僕、アッシュのことが好きだったんだ)
特別であることが当たり前で気づかなかった。
気づいたとたん、アリエルの恋は終わりを告げた。
放課後。
クリフと向かい合ったアッシュ。
その身からは、おどろおどろしい気迫が渦巻いていた。
「クリフ。今日の僕の機嫌は最悪だ……。全力でお前を叩き潰す!」
悪役の台詞をのたまうアッシュ。
「よしっ、来い!」
クリフはいつも通り溌剌と挑戦を受けた。
アリエルは二人に結界を張る。
「…………」
「アリエル、俺が審判やる」
「え、うん」
ぼんやりしていたアリエルに代わり、フーシーが審判になった。
「始め!」
アッシュのいきなりの大振りの薙ぎ払い。
クリフは体勢を低くして避けつつ足払いをかける。
アッシュは飛び跳ねて躱し、下方にいるクリフに剣を突き立てようとした。
だがクリフは横に飛び退くワンアクションで立ち上がった。
クリフの払った剣がアッシュの脇腹を捉える。
だがアッシュはその剣の腹に手をついて側転して躱した。
結界はレベル3仕様で、壊すには打撲や切創ができる程度の衝撃は必要だ。剣に触れただけでは壊れない。
剣がアッシュの体の影に入り、クリフは身構えようとした。
アッシュの着地と同時に来るはず。
だがアッシュは着地を待たずに剣を投げた。
クリフは反射的に弾いたが、構えを崩される。
アッシュは着地と同時にクリフに向かってジャンプし、剣を握ると同時に斬り上げた。クリフは辛くも受け止める。
見ているアリエルは息つく暇もない。
隣でラティとランドもいつもと違うアッシュの気迫を感じていた。
「めちゃくちゃだ。今回は策がないんすかね」
「だが速い」
策を捨てて……。
(違う)
動きは激しいが、ちゃんとクリフの攻撃を躱せるタイミングで動いている。
今までの策や経験の積み重ねを頭に入れて、考える前に繰り出しているのだ。
アッシュの反射速度にのった攻撃は、凄まじい速さになっている。
「クリフさんも、ノアバートさんと戦っている時、あそこまで速いか?」
二人はお互いの殺気を察知できる。それによって高次元の剣戟が生まれていた。
「
――!」
アッシュの剣が止められ、一瞬硬直した。クリフのカウンターでさらに崩される。
「ッ、どうして……」
アッシュをスピードにのせないよう立ち回るクリフに、アッシュは押されていく。
「どうして届かないッ……!」
涙が滲みかけた、感情を乱した声。
一瞬できた隙をクリフは素早く刈る。
アッシュの結界が一枚割れた。
クリフの一本に沸く聴衆。
アリエルはアッシュを応援するが、一人の声では周りに飲み込まれてしまう。
「何を考えているか知らないけど、試合に集中していない奴に負ける気はしない」
「
――ッ」
クリフが隙のない構えでアッシュの前に立ちはだかる。その殺気は無数の可能性を擁していて、アッシュの意識を防御に押し込む。
「アッシュ!」
アリエルの悲痛な声が、アッシュの耳に突き刺さった。
――アッシュの体は自然と前に進んだ。
絶望の間合い。
だが活路もそこにしかない。
二人の剣が交差し、クリフの結界が割れた。
だがアリエルの表情は絶望に染まった。
アッシュの剣が空高く弾き飛ばされたのだ。
「倒す、倒す……倒すッ!!」
それでもアッシュの目には闘志がほとばしっている。
クリフは終わりにするために、剣を突き出す。
アッシュは残された全てを拳に込めて、雄叫びをあげて殴りかかった。
その拳は、輝いて膨れあがる。
「
――――!」
輝きはクリフを飲み込んで突き抜けた。
砕かれた結界が、きらきらと宙を舞った。
クリフは後ろに倒れ、地面に手をついた。
結界がクリフを守ったが、その外側、クリフの左右と背後の地面が大きく削れている。
観戦者は皆、唖然とした。
その視線の中心にいるアッシュさえも、手を突き出したまま固まっている。
驚きから最初に立ち戻ったのはフーシーだった。
「魔法の使用により、アッシュの反則負け」
審判として無慈悲に告げる。
だがその声色にはほんの少し、優しさが滲んでいた。
呆然としていたクリフの顔に、歓喜が広がる。
「アッシュ、今」
だがそれをもう一つの声が掻き消した。
「アッシュー!」
駆け寄るアリエルの声に振り向くアッシュ。
アリエルは正面から飛びついた。
「アリエル様っ?」
「アッシュっ、アッシュ、魔法! 魔法使えたっ。すごい!!」
ぎゅうぎゅうに抱きついて喜ぶアリエル。
アッシュは目を丸くして、やがて柔らかく緩ませた。
「ありがとー。……
――っ」
アッシュはアリエルを抱きしめ返して、初めての魔法の喜びを嚙みしめた。
学園中央棟よりやや東にある魔法解析所。
そこの一室にノアバートがいた。
重厚な魔法学園の他の内装に比べて、繊細で可憐な印象の部屋だ。
「今日は調子が悪いのか。春からそういうことが増えたな」
ノアバートが話しかける。
その先のソファに、『美少女』が横たわっていた。
初等部のローブタイプの制服。
プリズムホワイトの学年色は、五年制初等部の四年生のもの。
細い体。透き通るような白い肌。
先にいくほど桃色を帯びるプラチナブロンドを、腰のあたりまで届く二つの三つ編みにしている。
その豊かなウェーブを背に、長い睫毛を伏せた姿は、物語に出てくるお姫様のようだった。
「余計な気配が流れ込んでくる……」
「休ませてもらってもいいんだぞ。ジュジュ」
ノアバートはソファの空いている場所に座り、ジュジュの髪を手で梳いた。
予知魔法使いジュジュ。
リリアンクを魔物から守る要だ。
「平気だよ。ノア兄」
部屋の外には予知を待つ通信兵が立っている。
そして部屋にはジュジュの集中を乱さない者
――最も信頼する兄代わりのノアバートだけがいる。
「何か俺にできることはあるか」
いたわるノアバートの声。
彼の手に優しく頬を撫でられながら『美少女』は、
「クリフ、ぶん殴ってきて」
と桃色の目に怒りを込めて言った。
アリエルとアッシュは幸せそうな顔で頬擦りしている。
「そういえばクリフ先輩、怪我はない?」
立ち上がって土埃を払っているクリフ。
アリエルにもようやく彼が目に入った。
「ああ、全く。アリエルの結界のおかげだ」
ランド達も集まってきた。
「木剣を想定した結界とは思えないな。あの威力の魔法を、軽い衝撃を受けただけで打ち消した」
「木剣を想定……? 一撃ならなんでも防げるようにしていたよ。レベル3クラスの先生にどんな結界を作っているか聞いたんだけど、攻撃を受けた側の体勢を多少は崩して、先手を取った方にアドバンテージを持たせるようにしているんだって。だから完全防御もできるけど少しだけ通しているの」
「わー……。天然超スペック……」
フーシーが呆れた顔をしている。
アッシュとアリエル二人で深々と頭を下げて、反則行為を謝る。
クリフは大らかに許してくれた。
「アリエル様! 魔法の練習付き合って!」
「まだ元気あるの?」
「元気!」
その後、見事に魔法を再現し、アッシュは閃光の攻撃魔法を覚えた。
秋の夜長。
今日は市内中が賑やかに飾られるお祭だ。
アリエルとアッシュは庭のテーブルにたくさんの御馳走を並べた。
「いらっしゃーいっ」
「ようこそ!」
打倒クリフ隊の皆が集まる。
パーティーの始まりだ。
「猫耳してる」
アリエルとアッシュの頭の上には、大きな三角耳がのっていた。
リリアンクには、この時期に大きい葉を落とす木がある。
その葉に色水を吸わせて色づけて、三角に折って留める。
これで猫耳の完成だ。
祭りが近づいた頃、近所のおば様達が「広場で葉っぱと色水を分けているから行っておいで」と教えてくれた。
アリエルは橙色の葉に黒を吸わせて、自身のダークブラウンの髪に合わせた。
アッシュは白の葉を先っぽだけ薄紫にして、銀髪に載せている。
「どうして皆はしていないの?」
「道見なよ」
ちょうど五歳くらいの猫耳のグループが大人に付き添われて歩いている。
「もっと小さい子しかしていないでしょう」
「あ」
勧められたから疑問も持たずつけてしまった。
「まあ、近所の人達、アリエルとアッシュがつけているところ見たかったんだろうね。顔が良いと大変だな」
「うー」
アリエルが外そうとすると、
「だめ」
アッシュが手を抑えて止めた。
「可愛いから外さないで」
「僕には……可愛すぎない?」
「アリエル様は似合ってる。僕は……外そうかな」
「だめっ! アッシュは一番似合ってる!」
「じゃあ一緒につけよう」
「……分かった」
というわけで、そのままベンチに並んで座った。
「残念。事前に知っておけばランド様に勧められたのに」
ラティがぼそっと言った。
「つけないぞ」
素っ気なく返すランド。
視線は道の向こう、坂の下に広がる街の灯りに向けたままだ。
「こういう微笑ましい土産話を旦那様や奥様にすると、お小遣いもらえるんですよね」
「つけない」
「あ、始まった」
市内上空に光の線が描かれて、大輪の花のように弾けていく。
流麗で華やかな光のショーを、大事な友人達とともに楽しんだ。