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 精霊 2






 クリフに案内されて、アリエル、アッシュ、フーシーは森を歩く。

「森って街の魔素と全然違う」
 アッシュが周りを見回した。
 辺りには植物や水の魔素が多く漂っていて、清々しい気分になる。

 アッシュの成長の一つ。
 彼は魔力を目で視ることができるようになっていた。
 正確に視るのはまだ難しいそうだが、大まかな量を視ることは一瞬でできるそうだ。

 小川の流れる涼やかな音。
 苔むした岩場に、下草から露が零れる。
「綺麗なとこー」
「ここ、綺麗で修行しにくいな」
 フーシーが言うと、
「えっ、修行しにきたの?」
 クリフが驚いた。
「?」
「観光かと思って綺麗なとこに案内しちゃった」
「……まあ、ここも見られてよかったですよ」
「うん! ありがとう。クリフ先輩」
「修行場所もあとで紹介して」
「分かった」


「もっと奥いこー」
「アッシュ、足元気をつけて。苔で滑りそうだ」
「分かったー」
 川辺をどんどん進んでいくアッシュ。
 フーシーが注意を払ってくれている。

 アリエルはクリフと話したくて、少し後ろを進んだ。
「クリフ先輩、いつも僕達に付き合ってくれてありがとうございます」
「いや、俺の方こそ相手してくれて嬉しいよ」
 クリフは朗らかに笑った。
 いい人だ。
「それと、アッシュが態度悪くてごめんなさい」
「気にしていないから、アリエルも気にしないで」
「そうなんですか」
「そうだよ。アッシュは大事な友人で、可愛い後輩だ」
 可愛い……。
「そうですよね! アッシュって可愛いですよね!」
「っ……!?」
 アリエルの食いつきに、クリフはびくっとした。
「そ、そうだね」
「冷たい態度のアッシュもそれはそれで可愛らしいですよね」
 出会ったばかりの反応の薄かったアッシュを思い出す。
 今は笑顔でいっぱいだけど、あの頃だって世界一可愛かった。
「アッシュの魅力を分かってもらえて嬉しいです!」
「う、うん……」
 満面の笑顔のアリエルから、クリフは目を逸らした。
(ラティも素っ気ない人好きだし、そういう趣味の人って結構いるのかも。じゃあクリフ先輩には冷たい態度とっていいんだ。よかった!)
 アリエルは安心してアッシュ達を追いかけた。


「二人とも、どこー」
 苔が木々の幹を完全に覆い、視界は緑のグラデーションに包まれた。
 左右は植物が生い茂り、頭上も枝がすぐそこまで下がっている。
 小川の上だけが、ぽっかりと導くように通れるようになっている。
「アッシュはこの奥みたいです」
 アッシュに掛けている防護結界。アリエルはその魔力の繋がりを辿る。
「こんな道あったんだ」
 クリフも知らない道のようだ。

「いた」
 アッシュとフーシーの後ろ姿を見つけた。
 そこは神秘的な泉だった。
 緑の木漏れ日に照らされた二人は、何かを見上げている。
「何を見てるの」
「アリエル様、あれ……」
「わあ……」

 美しい異形が浮いていた。
 透明感のある水色に近い肌には、葉っぱの葉脈のようなものが薄っすらと見える。赤子のようなサイズで、すずらんのように可憐に丸まっていて可愛らしい。
「精霊だ」

 魔素から生まれた異形。
 それは攻撃的なら魔物と呼ばれ、友好的であったり攻撃性がなければ精霊と呼ばれる。

 目の前の精霊は水を操りだした。
 宙をふわりと水が飛び交う。きらきらと光を反射し、水の涼やかな香りを運ぶ。
「ふふ、遊んでる」
 精霊からは楽しい気分が伝わってくる。歓迎してくれているようだ。
「僕もっ」
 アッシュが対抗して水魔法を使うと、精霊も奮起してさらに水を増やす。
「わっ、わっ」
 四人してびしょ濡れになってしまった。
「どうしよう……。精霊さん、乾かすことってできる?」
 クリフが訊いてみると、四人の体が光り、服の水気が消えていった。
「すごいね。ありがとう」
 精霊は満足したのか、ふわふわと泉の上に降りていき、水の上に浮いて眠ってしまった。

「可愛いねー」
 小声で話す。
 四人で泉の周りの岩に腰掛ける。
「こんなところよく見つけたね」
「アッシュが何かいるって言いだしたんだ」
「勘がいいね」
 鼻高々なアッシュ。可愛い。
「ずっとここに棲んでいるのかな」
「そうだったら、ここにくればまた会えるね」
 精霊がすーすーと寝息を立てるたび、水面に淡い波紋が広がった。

(生きてる……)
 魔素は命さえ世界に生みだす。
 精霊の体。精霊の心……は話していないのでよく分からないけど、水遊びに興味を持つ心とは触れ合えた。
(魔素って、魔力ってなんなのかな)
 今アリエルは魔石に興味を持っている。
 魔力持ちしか魔力を取り出せない魔石を、魔力がなくても取り出せるようにしたい。
(この子は魔法を使っていた。つまり魔素でできた存在でも魔力を生みだせる。ということは、肉体に依存した才能ではないのかな)
 精霊は魔物と違って友好的なので、ゆっくり観察できる。
(魔素の体……あ、でも魔力でできた部分もある。魔力のまま世界に留まっている。その維持はどうやって……)
 精霊の可愛さに思考をふわふわにされたりしながら、アリエルは頭を巡らした。





「楽しかったー。じゃあねー」
「また明日」

 フーシーはアリエル達と別れて帰路を急ぐ。
 魔法レールを降りると、日は随分傾いていた。
(この時間なら……)
 フーシーは待合所に座り、次のシャトルを待った。
 魔法レールを走ってきたシャトルが止まる。
 降りてきた客の顔を確認して、フーシーは立ち上がった。

「フラドさんっ」
「フーシー」
 フーシーは優しい兄弟子に駆け寄った。
「偶然ですね」
「そうだね。今帰り? よかったら一緒にご飯食べていこうか」
 フーシーの家族は生活時間がバラバラで、食事は各自用意している。
「はいっ」
 フーシーは即答した。


 近くの食堂に入った。素朴な家庭料理を出す店だ。
 通りに面した窓際の席。
 フーシーは塩魚の炊き込みライスを頼んだ。フラドは野菜スープを二人分頼んでくれて、もう少し酒に合う料理も注文した。
「そっか。今日はアリエル達と一緒にいたんだね」
「はい。それでね、水の精霊に会ったんです」
 大人びたフーシーは、フラドの前では興奮を隠さず話した。フラドは優しく微笑みながら相槌を打ってくれる。フーシーが唯一甘えられる人だ。
「……あの子、兵団や学園に捕まったりしますか」
「聞いた感触では、軍事に利用するには弱すぎる精霊だ。そんなことしてもすぐ消えてしまう。森の奥地に足を踏み入れる者の特権として、密かに姿を愛でるのが一番だと思うよ」
 フーシーが嬉しそうに笑い、フラドもつられて笑った。
「フラドさんは精霊と会ったことがあるんですか」
「ああ、兵団に何年もいればね。魔物として通報されてくることがあるんだ。発見場所に棲まれると不都合なこともあるから、他所に移動してもらったりする」
「へー」
 フーシーはフラドの仕事の話を聞くのが好きだ。いつかその隣に立ち、彼を支えたいと思っている。

「あと三対一ですけど、クリフに勝ったんです」
 鬼ごっこのような遊びで、フーシーがクリフを捕まえたことを話した。
「それはすごい。フーシーは相手の行動を読むのが得意だな」
 頭を撫でられた。フラドは酒が入ってさらに人好きのするお兄さんになっている。フーシーの顔がへにゃっと綻んだ。

 だが、
「お前は兵団以外の道を目指してもいいんだぞ」
 そう言われて、フーシーの顔は曇った。
「俺の能力を兵団以外で活かすのは問題あると思うんですけど」
「それ以外の魔法も器用にこなすだろう。今、五系統できるんだったな。アリエルと友人なことだし、万能適性を目指してはどうだ」
「…………」
 操れる魔法の数でいうと、自分がアリエルを超えることはないだろう。
「あんな才能、真似できませんよ」
「そうかな。じゃあ対戦にはもっと参加しないのか。ちょうどクリフと仲がいいみたいだし」
 フラドはクリフと面識がある。中学生向けの短期の公開訓練に、クリフは毎回参加しているのだ。
(俺がこのまま鍛錬を続けたら、裏の仕事に割り振られる)
 諜報や潜入工作などの表に出せない仕事。フラドは今年十二歳になる少年に、その道だけに突き進んでほしくないのだろう。
 だがフーシーはすでに自分の力を隠し、観客がいる大会への参加を控えている。
「クリフが兵団志望でよかった。戦闘センスが良く全体も見えている。期待している子だ」
 素直に褒められるクリフが憎らしかった。
 ぐっと拳に力が入る。

「……フラドさん。またお子様のお守りですか」
 後ろから暗く重い声がした。
 フーシーは邪魔が入り、不機嫌そうに振り向く。
「ジェイさん……」
 フラドが隊長を務める六番隊において、フラドと並び立つエースだ。罠を張るタイプのフラドと真っ向から火力勝負するジェイはお互いを補い合える。
 彼は近くにある兵団の寮に住んでいる。食堂の前を通りかかって窓際にいた二人を見つけたのだろう。
「酔っているんですか」
「酒も飯もこれからだ」
「ジェイ、お前も一緒に食べるか」
(二人での食事だったのに)
 フラドは誰にでも優しく面倒見がいい。
 そのせいですごくモテる。
「ありがとうございます。ご一緒します」
 ジェイはフラドにだけ表情を緩ませる。
 そして空いている椅子をわざわざフラドに近づけて座った。
「……ッ」
 フーシーは奥歯をギリッと噛む。

「今日もジェイの魔法で一撃だったよ。助かる」
「フラドさんが魔物の動きを止めてくれたお陰です」
「わー、すごい。俺もジェイさんみたいにパワーだけの単純な能力がほしかったです」
「…………」
 ジェイは無言でフォークの柄でフーシーの頬をぐりぐりとしてくる。
 フラドが止めてくれた。


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