角と秘薬 6
夜更けになって砦の修復が終わった。外壁の損傷は少なかったため、守備に甚大な影響はなさそうだ。
アネスは現場を離れるとすぐに自室に戻った。そこに手当を受けさせたボロウェを寝かせている。
「目を覚ましたか」
ボロウェを看ていた部下は首を振った。傷はガラス瓶で額と掌をさっくりと切った他にこれといってないらしい。有角人の角には神経や血管が通っていないため折られても大丈夫だそうだ。頭上で衝撃を与えられたために失神してしまっているだけという医者の話だ。
部下を下がらせるとアネスはベッドの横の椅子に座った。ランプの灯りで照らされたボロウェを見つめた。折れた角はくせのある髪に隠れている。先程見た時は髪に焦げた後があったが、誰かが切ってやったらしい。机の上にあった瓶に入った水をコップに注いでいると、ボロウェが薄らと目を開けた。
「ボロウェ! 良かった」
アネスはガバッと覆いかぶさるように抱きついた。机の上の瓶が倒れんばかりに揺れる。ボロウェが苦しくてもがいた。
「痛いところはないか」
アネスがどくとボロウェは眠そうな目のまま手を見る。手に包帯が巻かれているがそこは痛くない。枕に違和感をもち頭に手をやった。角がないことに気がつき、やっと覚醒した。
「ダークエルフは」
「逃がした。お前の角の片方持っていかれた」
アネスは悔しさを顔に滲ませた。そして今度は優しく、ボロウェの手を握る。
「起きたばかりで悪いが、ダークエルフが言っていた、薬のこと、話してくれるか」
ボロウェの眉宇に翳りが生じた。
「……知らない。ダークエルフが作った薬なんて……」
「頼む! 教えてくれ」
アネスはボロウェの肩を掴み、彼の目を真っ直ぐに見た。
「信じてくれ。お前や有角人に絶対に害はなさない」
「そういう問題ではない! もはや人間が侵略をやめればいいだけの関係ではない。異形が武器を持ち、有角もそれに携わった。人間は有角を警戒し、有角も武器を手放せなくなる。……敵だ。敵として認識される」
「ボロウェ! 俺がお前の敵になるはずがない。お前が俺の敵になることも
――絶対に許さない。俺はお前の側にいられるなら、トネロワスンを捨ててもいいんだ」
「嘘だ。できるわけがない」
アネスがきつくボロウェの体を抱く。そしてほんの少しの距離でボロウェの瞳を見つめた。
「なら他の奴にはダークエルフだけで作った薬だと、有角人は関わったなどと話さない。軍議を騙しきる。俺は人間を裏切り続けることを覚悟の上だ。お前が人間を信じられなくても、俺だけを信じてくれればいい。
今はただ、バシェルアを止める方法の手がかりがほしい。あいつを殺してでも
――こんな戦い終わらせたい。お前と無事に帰還したい」
「どうして……私をそれほど……」
「何度も言った。好きだからだ。
――お前が好きだ」
胸が高鳴った。込み上げてくる狂おしさにボロウェは目頭が熱くなる。
「俺を信じてくれるか」
ボロウェはアネスの背に手を回し、抑えきれなくなった感情を吐露した。
「私も好きだ……、アネス!」
ずっとボロウェから聞きたかった言葉をもらい、アネスはこの上なく幸福になった。ボロウェの小さく震える腕にしがみつかれ、自分も彼を抱く腕に力を込めて温かさを噛みしめた。
ボロウェの話はこうだった。
異形の民の中にはダークエルフや有角人といった、武力は弱いが学問を得意とする種族がいる。人間の侵略から身を守る為に、数年前それらの種族間で密約が交わされ、魔族のような強力な戦士を作る研究を共同で行うことになった。ボロウェの薬の師匠が有角人の中心人物になり、ボロウェも研究に誘われたときにその密約の存在を知った。
「誘いを断ったからそれ以上は知らない。だがバシェルアに使われた薬には間違いなく有角の技術が混じっていた」
それを確認する為にバシェルアに薬瓶で飛びかかっていったのだ。
全て喋ってしまった。アネスを信じているが、まだ恐い。暗闇で仲間を見失い、アネスだけが手を繋いでくれているような感覚だ。
「あの薬の効果はどのくらい続くんだ」
「分からない。有角人の薬なら飲ませた直後からだんだんと効力が弱まって五時間程で通常に戻る。しかも次に飲む時は半年は期間を空けないと効果がない。だがダークエルフは私達より識達だし、人間の身体能力も考慮しなくてはならないから」
「あのダークエルフがバシェルアにいくつ薬を渡しているかしれないし、効果が切れるのを待つのは得策ではないな」
「だが、バシェルアが拒否反応で死ぬ時期は近いかもしれない。あの痣と苦しみ方は尋常ではない」
アネスは俯いた。バシェルアを殺す覚悟は出来ているがやはり心が寒くなる。
ボロウェはアネスの暗い表情を読み取った。薬に蝕まれるのを止めてやりたいが敵陣にいるバシェルアを治療できるわけでもない……。
沈黙が続いてボロウェはアネスがついでくれた水に口を付けた。水に不格好になった自分の影が映る。バッとボロウェは顔を上げた。
「霊薬を使えばいい。有角の角で作る薬だ」
「ダークエルフが言っていた万能薬か」
「万能というより、自己浄化能力を高める薬だ。人の体には体内の毒や病原菌をある程度自分で取り除く治癒力がある。それを限界まで高めることができる。
――拒絶反応が起きているということはバシェルアの体が薬を異物として攻撃しているのだ。そこに霊薬を投与すれば異物の薬を尽滅できるかもしれん」
「だが角はどうする」
目を泳がせつつアネスはボロウェの頭を見た。
「私のものを使う。どうせ一本では格好がつかん。アネス、斬ってくれ」
アネスはギョッとして脇に置いてあった剣を遠ざける。
「剣よりも医療用の鋸がいい。正確に斬れる」
凛とした声でそう言うと、サッサと立ち上がり扉の方へ歩いていった。アネスに早く来いと促す。
外は夜風が冷たかった。怪我人を収容するテントは幾分か落ち着きを取り戻していたが、篝火に照らされ医師達がまだ忙しそうに動き回っていた。ボロウェは役に立てなかったなと自責の念に駆られながら、彼らの横を通り抜けた。
アネスはボロウェの後について窓の無い小さな建物に入った。中は真っ暗で入口近くにあった灯台に油を足して火をつける。ここはどうやら倉のようで、輸送隊が運んできたと思われる薬や医療道具が積み上げられている。
「扉は閉めておけ」
ボロウェは下の方に置かれている箱を必死で引っ張りだそうとしていた。アネスが手を貸すとすんなり取れてしまいボロウェは少しむくれた。
箱の紐を解くと中には木製の柄の鋸が何本か入っていた。ボロウェはその内一本を取り出しアネスに渡した。そしてアネスの前に正座して「さあ来い」と言わんばかりに目を閉じる。アネスが戸惑っていると催促してきた。
「さっさと終わらせてくれ」
ボロウェは服の裾を硬く握って震えていた。ボロウェの恐怖を感じ取ったアネスは意を決してボロウェの角に刃を立てた。
「待て……!」
ボロウェは耐えきれず身を引いた。
「すまん……。アネス、体……、押さえていてくれるか」
アネスは片手でボロウェの体を壁に押しつけ、もう片手で鋸を持った。一度逃げてしまうと抑えが効かないもので、ボロウェは角に刃が当たると首を振ってしまう。
結局ボロウェを床にうつぶせにし、その背にアネスが馬乗りになり片手でボロウェの頭を押さえる形になった。まだボロウェは華奢な体を震わせている。アネスはボロウェが言い出したとはいえ、いけないことをしている気分になった。
「はやく……、頼む……」
ボロウェはか細い声で懇願した。
「……わかった。
――いくぞ」
アネスは慎重に、だが力強く刃を前後させた。刃が押し引きされる度にボロウェの背筋に震動が響く。ボロウェは小さな悲鳴をあげつつも最後まで耐えた。
ボロウェはアネスの部屋に道具を持ち込んで、折れた角を槌で砕いでいた。両方の角を失い、折れた跡はふわりとした髪に隠れて人間と見分けがつかない。
「これでエトラには戻れなくなったな」
ポツリとボロウェが呟いた。アネスは驚いた。
「帰るつもりだったのか」
「お前が都にいない間に皇帝から研究の中止と帰郷の許可が出た。だが角を失って帰るのは有角の面子に関わる。ダークエルフに角をとられた師匠や先輩方もそのために帰らないのだと思う」
アネスは心の中でホッとした。自分のいない間に都からいなくなるなど冗談じゃない。
「数年すれば生え揃う。それまでは……北の交易街ゴッドリムにでも行って診療所を営もうか。種族に遠慮することのない場所だと聞く」
慌ててアネスはボロウェの手を取る。
「帝国の外じゃないか! トネロワスンの都では駄目なのか」
「駄目ではない。だが都にいたらお前に迷惑をかける。いままで何度お前に頼ったか」
そんなことを気にしていたのか。
「好きでやっていることだ。俺はお前に頼られるのは嬉しい」
ボロウェは頬を赤らめた。だが首を振る。
「なら俺がエトラに行く。そうなると俺がお前に助けてもらうことが多くなると思うが、いいか」
ボロウェは驚いて目を見開いた。
「人間と有角人には確執がある。俺とお前どちらかが住みにくい思いをするということだ。お前が嫌なら俺がお前の里に行くよ。お前と離れるなんて考えられない」
どちらかが……。ボロウェは心が軽くなった気がした。そうか、頼ってしまうのは自分が弱いせいだけではないのだな。
「アネス。やはり私は都に残る。お前の側にいさせてほしい。だから……決してこの戦いで死ぬな」
朝日が差しこむ頃になって、霊薬ができあがった。隣のベッドではアネスが眠っている。薬をバシェルアに飲ませる算段はアネスがしてくれるというので、早めに休んでもらったのだ。ボロウェはアネスの寝顔を覗き込む。寝ていると彼の凛々しい顔立ちがほんの少し柔らかくなっていた。
ボロウェがアネスを起こすことも忘れて見入っていると、扉の外から声がかかった。
「将軍。敵軍が動き出しました。ご指示を」
アネスはバッと身を起こした。
「な、お前! 起きていたのではないだろうな」
「……。薬は出来たか」
ボロウェは眉間に皺を寄せながら薬壷を手渡した。外にいる部下がもう一度呼んでくる。アネスは扉越しに指示を出した。
「ルガオロ様が指揮をするのではないのか」
アネスは鎧を着ながら、昨日ボロウェが気を失っている間に起きたことを話した。ルガオロはバシェルアの襲撃で瓦礫の下敷きになって大怪我したらしい。そのため副将のアネスが代わりを務める。
アネスは総大将の代理を務めつつ、バシェルアと接触を試みることになる。ボロウェには難問に感じて心配になった。
「将軍。配置は完了しました。号令を」
「いま行く。
――大丈夫だ。無事帰ってくる」
アネスは約束するとボロウェに顔を近づけた。
唇を重ねる。
「な、何をするか!」
ボロウェはアネスをはねのけようとして腰を抜かして尻餅した。
「何ってキスを……。好きと言ったんだからこの位いいだろう」
「好きだと言ったのは! 信頼する、……仲間として……、ち、違うのか」
「俺はずっと愛しいという意味で言っていた」
すぐに赤面するから奥手だとは予測していたがこれは、鈍いというか疎いというか。
「男が男を……なんて考えつくわけがないではないか! ……あの、そういう意味で好きでなければ……、駄目か」
「……別にいい」
アネスは不機嫌な声で言った。
「
――そのかわり帰ってきたら、必ず惚れさせてやるからな」
アネスはそう宣言すると、ボロウェの前に屈み今度は額に口付けをした。そしてボロウェの頭を愛おしげに撫でると、凛とした表情に戻り戦場へと向かった。
残されたボロウェは床にへたったまま動けなかった。沸騰しそうなくらい熱い顔を腕で隠した。
「……確かに、惚れてしまうかもしれん……」
バシェルアは出て来ない。数に勝る皇帝軍は怒濤の勢いで皇太子軍を圧していく。
頃合いを見てアネス自ら前線へ出た。目指すは敵総大将
――皇太子だ。敵旗の下の一際目立つ鎧姿の皇太子を見つけ、アネスは一騎駆けした。アネスの剣の前に敵は近づけない。ぐんぐんと皇太子の姿が迫る。
「アネス!」
二人の男が同時に声をあげた。一人は皇太子。もう一人はその隣で戦車に寄りかかっていたバシェルアだった。バシェルアの息は荒く、痣の一部が高熱で溶けかかっていた。それでも皇太子の危機と見ると立ち上がった。
「バシェルア、座っていろ。俺は殿下に話がある」
「ふざけるな! 殿下には指一本触れさせない!」
アネスは痛ましいバシェルアの姿から、後ろの皇太子に目を移した。
「殿下。このままではバシェルアは死にます。それでいいのですか」
皇太子は驚愕した。
「殿下! 惑わされてはいけません。私は大丈夫ですから」
「アネス……、その話は本当か」
「今のバシェルアの状態を見れば自ずと分かるはずです」
バシェルアはアネスを黙らそうとするが、腕が動かない。ヨロッと倒れそうになるのを咄嗟に皇太子が支えた。
「……殿下。この薬を飲ませれば力を失う代わりに、バシェルアの命は助かします。
――私は無益な戦を起こした貴方を好きになれません。ですが貴方なら、バシェルアを救ってくれると信じています」
アネスは霊薬の薬壷を皇太子に向かって投げると、馬首を返し皇太子軍の真っただ中から駆け抜けていった。
皇太子は薬壷の蓋を開ける。中身を少量舐めて毒ではないことを確認した。
「バシェルア。飲んでみよう。助かるかもしれない」
「この力を失えば殿下の天下が……!」
「お前を失って何が天下か! いいから飲め!」
バシェルアが皇太子の言葉に唖然としているうち、皇太子は無理矢理その口に薬を注いだ。
しばらく様子を見ているとバシェルアの呻きがまた始まり、熱が上がって大量の汗をかいている。だが黒い痣は薄くなっていくので、皇太子は混乱した。
アネスが自軍と合流した頃、皇太子軍は撤退を開始した。追い討ちの指示は出さなかった。
その後すぐ皇太子軍から休戦の申し入れがあった。元気を取り戻したルガオロが松葉杖を振り回しながら「全面降伏以外認めない!」と高らかに演説していた。アネスは、相手が皇太子を国外に逃亡させる時間を稼いでいるだけだということに勘付いていたが、口出しはしなかった。
数日使者のやりとりが続いた後、皇太子軍は全面降伏をした。主な将はすでに逃亡していて、ルガオロはやっと自分が手柄を逃してしまったことに気づいた。
都に帰還すると、ちょうど新皇帝の着任式の準備も進められており街は賑やかになっていた。冬だというのにどこから集めてきたのか色とりどりの花で飾られている。活気は暖かさに通じる。
だが謁見の間で帰還報告をしているルガオロの顔は青白かった。カナーから冷たい怒りを感じる。第二子でありながら皇帝になったカナーは、長兄をどうしても殺しておきたかったのだ。ルガオロは必死で弁明する。
「まさか敵が逃亡を図るとは考えていなかったのです。そ、そういえばアネス将軍は、先の皇太子が重傷おった戦場でも、今回亡くなられた将軍、そして私がこんなに大怪我をしたのにピンピンしています。敵と通じているのではないでしょうか」
「三度とも、大将が副将より迂闊だっただけじゃないかな」
カナーの冷たい声は変わらない。その後もルガオロは冷や汗をかきながら三十分も言い訳し続け、カナーが飽きて謁見は終わった。
アネスとボロウェは宮殿の研究室にいた。ボロウェがまとめていた荷物をアネスが借りてきた馬車に載せていく。ボロウェはそれを止めようとしていた。
「私はアネスの家になど行かないぞ! 街で家を借りてそこで診療所をやる。だから荷物を返せ!」
「恋人になったんだ。一緒に住みたいと願ってもいいだろう。診療所は俺の家でやれ。将軍の身分になると規定の広さの敷地で家を建てなくてはならないんだが、それが無駄に広いんだ」
ボロウェは砦から都に帰る間アネスに口説かれ続け、ついに頷いてしまっていた。
「恋人……、だからってその……」
「駄目だ。連れて行く」
そう言ってアネスはボロウェに軽く口付けをした。ボロウェはまた真っ赤になる。堅そうなアネスがこんなことをするなど信じられない。文化の違いかとボロウェは頭を抱えた。
実はアネス自身も自分のうかれ具合に驚いている。それでもボロウェが愛おしくて仕方ない。
皇帝の使いがルガオロの謁見が終わったことを告げにきた。入れ替わりでアネスが呼ばれる。
「ボロウェ、私と暮らしてくれるな」
「……分かった」
アネスはその答えを聞くと、後はボロウェに任せてカナーの元へ向かった。
アネスが呼ばれたのは謁見の間ではなく私室だった。カナーは人払いするとテラスにアネスを招いた。
「兄を逃したようだな」
「申し訳ありません」
カナーはしばらくアネスの顔をじっと見ていた。わざと皇太子を逃がしたことを疑っているのだろう。
「……まあ過ぎたことはいいか。それよりもこれから、私に忠誠を誓えるか」
「誓います」
テラスからは街が見渡せる。市民は新皇帝の即位を喜んでいて、アネスもカナーが先帝の子の中で一番皇帝に相応しいと思っている。
「ただ、お訊きしたいことがあります。陛下がこれから行う政策では、異形の民とどう関わろうとお考えですか」
「そうだ。それを貴殿に教えておこうと思って呼んだ」
カナーはニッと笑った。
「私が一番やりたいことはなんだか分かるか」
その質問にアネスは考えを巡らした。だが答えは出て来ない。
「私はな、魔族よりも強い帝国にしたい。その為には人間の力だけでは足りない。異形の民の処遇を改善し、優秀な者は都に招いてその知識の教えを乞いたい」
アネスは驚いた。
「今回の戦でよーく分かった。私は魔族に怯えてコソコソするのが大嫌いだ。だから帝国を強くする。そのためには種族や身分など気にせずに優秀な者を集めたいんだ」
カナーはアネスの肩を叩いた。
「ちなみにお前は貴族主義を壊す旗頭だ。もう決めてある。頑張れよ」
「
――承知いたしました」
アネスは異形と人間の確執がカナーが思っている以上に根強いものとは知っている。だがカナーに託してみる気になった。カナーは満面の笑みをした。
〈終〉