小説目次へ



 貴族の閑話 2






---


「カナー様……陛下の前で母君のアニナ女皇の話はしない方がいいですよ」
 ルガオロはベフィーナに忠告した。
「アニナ女皇は陛下と今も連絡を取らないのですか」
「逆です」
 ベフィーナは首を傾げた。
「彼女は女皇になってすぐに、カナー様に連絡を取ってきましたよ。カナー様と兄の後継争いに、散々口を出してきました。『アニナ神聖女皇』『元トネロワスン皇妃』の肩書で飽き足らず、『トネロワスン皇帝生母』の称号も得たかったようで。カナー様に皇帝の座を継げ継げと。
 カナー様は無視を決め込んでいましたが、彼女から手紙が届くたび機嫌が悪くなってなぁ、困りました」
「そんな方だったのですか。私、いい噂しか聞いてなかったのですが」
「いえ、噂どおり抜群に綺麗で、無欲で温情ある方ですよ。ただ権力欲だけ異常で、人が変わるというか、見境なくなるというか。
 ああいうエネルギッシュな時は特に、カナー様と似ていますね。―あ! 陛下に『母君に似ている』なんて言っちゃ駄目ですよっ! 地獄を見せられますから!」
 ルガオロは慌てて口止めした。
「ふふ、本当にルガオロ様は陛下のことを多くご存じだ」
「そりゃあ、長く一緒にいましたからね」
 ルガオロはまた胸を張ってえばる。
「私もアニナ女皇がいなくなった後ぐらいには、中央で働くようになりましたが、そのようなこと全く知りません」
「そういえば、私がベフィーナ殿と初めて会ったのもこの頃でしたな」
「はい」
 ベフィーナは嬉しそうに答えた。


---


 ルガオロは、自分より十年は長く軍にいるベフィーナの名前を、聞いたことがなかった。
 ベフィーナリスアシキアと名乗った彼の名を一発では覚えられず、
(やたらと長い名前の男だな)
「どこの出身だ」
 と自身の名前を名乗る前に質問してしまったことを思い出す。ベフィーナは不快な顔もせず穏やかな笑顔で、地方の都市の名前を告げた。

 同じ貴族とはいっても格の違いがあるため、その後も彼と深く関わることはなかったが、ベフィーナが総帥になる数年前からは、ベフィーナの位も高くなり、顔を合わせる機会も多くなった。


---


(あまり覚えているエピソードが無い)
「ところで」
「はい」
 ルガオロは話題を変えた。
「何の本をお読みですか。ベフィーナ殿のことですから、兵書や地誌などかな」
「いえ、そういったものも読みますけど。お恥ずかしながら今は、話題の恋愛小説を」
「ほんとだ。意外です」
 ルガオロは積んであった本を手に取った。
「流行り物か名作が好きなんです。人の心が垣間見られて」
「ふーん」
 パラパラとページをめくった。
(駄目だ。趣味が合わん)
 ルガオロが本を置くと、今度はベフィーナが質問してきた。
「ルガオロ様は今日は何をしに宮廷に?」
「剣士を探していたんです」
「剣士? なんのために探しているのですか」
「はっ…! それは……」
 アネスの手下に扮したごろつきがカナーを襲い、それを颯爽とルガオロが倒す、という計画のためだ。
「えー、えーっと……、そう! 避難訓練です」
 ベフィーナはキョトンとした。
「たまにやるんですよ。大事な陛下を危難からお守りするための避難訓練。剣士は刺客役に使うのです」
「わあ、ご立派ですね。いつ何が起こるか分かりませんから、普段から危機を想定することは大事ですよね」
「ええ、そうですとも」
 ルガオロは、何故か、本当に何でか誇らしげだった。
「私に協力させてください。これでも軍にいるので、多くの剣士を目にする機会があるんです。紹介します」



 数日後。
 宮中の森をコソコソと動く者達がいる。
「あそこだ。皇帝陛下と、将軍のアネスがいるだろう。いいか、陛下のことは絶対傷はつけるなよ。アネスは怪我してもいいんだが……、この襲撃はアネスの仕組んだ陰謀に見せるんだ。アネスにわざと手を出さず、陛下に疑いを抱かせる。陛下にばかり刺客が襲いかかって大変! というところに私が助けに入るわけだ」
 ルガオロが宮中に招き入れた剣士達は、声を出さず頷いた。


 今日のカナーは、温室にアネスを招いていた。カナーは一日のうち、執務室や会議室だけでなく、宮廷各地にある庭で仕事をする。護衛をあまり連れず、多々ある庭からその日の気分で選ぶため、ごく親しい者しかこの時間帯の皇帝の居場所を知らない。
「レッゼ山脈に、道を開こうと思っている。今は北から回り込むしかない。難所があるためごく一部の商人しか使っていない道があるのだが、調査させたところ、数か所切り開けば使えるようなんだ」
「レッゼ山脈の向こうはキシトラーム王国ですね」
「ああ、優秀な造園家がたくさんいる国だ」
 カナーはにっこりと笑った。
(大嫌いな兄君の逃亡先でもある)
 アネスは溜息を飲み込んだ。

「! 陛下……」
 アネスが急に険しい顔をした。
「なんだ」
「金属音がしました。護衛の者は」
 あの茂みの側に控えていたはずなのに、いない。
 二人は振り向いた。
「くっ、気づくのが早い。しかしっ、トネロワスン皇帝! 失った祖国の恨み、晴らさせてもらうぞ!」
 剣を抜いた男達が躍りかかってきた。覆面をしている。
(七人。九、十、十一……、こんなに大勢、どうやって宮廷に侵入したんだ!?)

 茂みの中に、その侵入を手引きしたルガオロが隠れていた。
(ふっふっふ、アネスめ、焦っておる。よーし、もう少し経ったら私が颯爽と現れて……、!?)
 高い金属音が鳴り、ルガオロはビクッとした。アネスと覆面の剣士が真正面から刃を交わしたのだ。
(あれ、おかしい)
 アネスには手を出さないはずなのに。
「ぐあっ」
 カナーの方に目を向けると、カナーは刺客から奪った剣で、刺客の喉を切り裂いた。真っ赤な血が舞い、刺客は絶命した。
(そんな、本気で戦っている)

 アネスが剣士と交えた剣を弾き返し、そのまま剣士を突いた。剣士は小さな動きで横に避けた。アネスの剣先は覆面を破いた。
「お前は……! デルク王国のファンキルマ将軍!」
 最強の剣士として名をはせた男だ。アネスは新兵の頃、戦場で彼の姿を見た。敵ながら素晴らしい剣技を、目に焼き付けた。
「デルクだと。先帝の時トネロワスンに敗北し、併合された……」
「併合……か。あれは、滅亡だ! 死んだ幾千幾万の者達の恨み、晴らしてやる……、この好機、逃すものか!」
 ファンキルマは再び襲いかかった。

「デルクのファンキルマ! そんな!」
 ルガオロは叫んだ。デルクの最期はむごいものだった。あの国の将軍が、芝居で襲撃などするわけがない。本気の男達を、招き入れてしまったのか。
「カナー様!」
 ルガオロは走り出していた。武器も持たないまま、必死にファンキルマに向かった。
「くっ」
 アネスという並でない剣士を相手に、ファンキルマはギリギリの均衡を保っていた。ルガオロに掴まれそうになったのを避け、少し体勢を崩す。
「邪魔だ……!」
 最小限の動作で、ルガオロの心臓を貫こうとした。その手の甲を、アネスがさらに俊敏な動作で貫く。
「ぐ、う……まだだ!」
 ファンキルマは片手持ちだった剣に、もう一方の手を添えて握った。握った次の瞬間、アネスの剣はファンキルマの心臓を貫いていた。敬慕する剣士の一人が死んだことに、アネスは一瞬眉を顰めたが、次の一振りで他の剣士を斬っていた。
「ルガオロ! アネスの邪魔だ! こっちへ!」
 カナーはルガオロの手を引くと、背中にかばった。
「アネス、私はこれで手いっぱいだ」
「承知! あとは全て私が倒します!」

 カナーは、足手まといのルガオロを守りつつ、侵入者の剣を弾く。
 他の敵はアネスが全て請け負い、二人に気を配りながら始末してしまった。



「お怪我は? 陛下、ルガオロ様も」
 アネスは剣を収めつつ二人に近づいた。
「大丈夫だ。ルガオロも怪我は無い」
 確かにカナーに傷は無かったが、ルガオロは見た目、細かい切り傷と擦り傷だらけだった。だがカナーに無いと断言されては何も言えない。
(まあ、あの猛攻の中でこの程度の傷は無いも同然か)
 カナーは自分の命が危ない中、しっかりとルガオロを守ったらしい。
(……ルガオロ様も……。いざとなったら武器も無く身一つでも、陛下を守るため走ってくることができる人なんだな)
 アネスの中のルガオロの印象が変わった。
 だが、
「ルガオロ……、どうして“すぐに”私が襲撃されている場所に来たのかな?」
 ルガオロはびくっと一歩足を引いた。
 カナーはにこやかな口調だが、目が笑っていない。
(き、ききき、気付かれている……! あいつらを宮中に入れたのが誰か……!)
 カナーの言葉でアネスも疑問を感じたようで、ルガオロの方に向き直る。
「さあ、言い訳があるのなら聞こうか」
 カナーは微笑んでいるが、眉間に寄る皺に怒りが渦巻いていることに、ルガオロはすぐに気がついた。
「申し訳ありませんでした―!!」

 その後、居合わせたアネスは、ルガオロの土下座やカナーの怒鳴り声という、極めて稀なものを見ることになった。
 だがそれは楽しい経験にはならず、居心地が悪いことこの上なかった。



 もう一人、それを目撃した者がいる。

 城の塔の上に人影がある。
「ふふ、おみごと。あの人数相手に皇帝にかすり傷一つ負わせないとはね」
 ベフィーナはいつもと同じ慈顔で、離れた所にいる三人を見下ろしていた。あの老体で、どうやってあの場所に登ったのか。
「まあ、どっちでもいいか。アグラムが皇帝カナーを気に入っているようだから、殺してやって怒らせてみようかと思っただけだし」
 穏やかな顔で恐ろしい名前を出す。
 アグラム、人間にも広く知られた魔王の名前だ。
 そして、ベフィーナリスアシキア。その長い名前が魔界特有の名付け方だと帝国が知るのは、もう少し先になる。



 宮廷の西には、帝国の諸侯の屋敷が立ち並んでいる。中でも一番広い敷地を持つのがルガオロの屋敷だ。
「ルガオロ様、申し訳ございません。まさか私が紹介した剣士達が、不埒な輩だったとは……」
 沈鬱な顔でうつむくベフィーナに、茶を勧めてルガオロはなんでもないという顔をした。
「ベフィーナ殿は知らなかったのでしょう。それでは仕方ありません。陛下も私も無事だったことですし」
 アネスについてはルガオロは触れない。
「そうですか。はあ、それにしても陛下も貴方も無事でほっとしました」
「私が付いていたのですから陛下に怪我など負わせるはずがない」
 ルガオロはどんと我が胸を叩いた。
「ルガオロ様も怪我がなくて良かった。せっかくお茶をご一緒するほど親しくなれたのですから」
 ベフィーナはルガオロを見つめて言う。
「私は先が短いでしょうが、その時まで……、貴方と近しい付き合いができたら幸福なのですが」

 ルガオロは笑いだした。
「はっはっは、先が短いとは聞き捨てなりませんね。よろしい。お茶だけと言わず、我が家に食事もしにきなさい。自慢の料理人にたっぷり作らせますから。その細い体が、私のように恰幅良くなれば、そんな弱気吹き飛びますよ」
「私が、ルガオロ様のように……?」
 ベフィーナはまず目を丸くして、次にルガオロにつられたのか、笑いだした。



 その後カナーによるルガオロへの“仕置き”が決定した。
 ルガオロは転任され大嫌いなアネスの補佐になった。
 度を失ったルガオロは思わず勅命書をグシャグシャにしてしまい、はっとカナーの恐ろしさを思い出し、焦って伸ばしのばしした。

(皇帝暗殺の手助けをするところだったのにこの程度。陛下はなんだかんだいってルガオロ閣下に甘い。あー、良かった良かった)
 勅命書を焦ってさらに皺くちゃにするルガオロを尻目に、アルは仕事に戻った。


 アネスはほぼ同時刻にこの任命を知る。
(よほど陛下も頭にきたらしい。しかし……)
 アネスは皇帝を襲撃者から守った功労者のはずだが。あのルガオロを下に使う苦労を想像し、暗澹とした。

〈終〉


小説目次