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 雪は静かに降りつもる 3






「面白かったなー」
「だね」
 並んで映画館のロビーに向かう。
 難しいこと考えなくていい映画でよかった。始めは集中できなかったが、目を向けているうちにそのテンポの良さに引き込まれた。

 映画館から上に向かい、屋上庭園で自動販売機のお茶を買って、ガーデンテーブルに着く。
 街と山並みが広がり、黄色い夕暮れが青い空を押しやっている。

 映画の話をして、それから

『手紙の子が気になっている』
 満が気になってしかたない話になった。


「手紙に書いてあったの、別れの言葉って言ったけど、本当はラブレターだったんだ」
 知っている。自分で出したんだから。
「すごく嬉しくて、中学の頃しょっちゅう見返していた。中学で付き合ってって言われることがあって、その時になって、付き合うなら手紙の子がいいと思っていることに気づいた」
「そ、そうなんだ」
 胸の中に焦りと、甘い喜びが湧きあがる。

 手紙のことを頬を染めて嬉しそうに話す純に、なんでもないような顔をして相槌を打つ。
「転校した時、かなり気持ちが沈んでいたんだけど、その手紙のおかげで頑張れたんだ」
(嬉しいけど、『沈んでいた』?)
 純の顔が陰った。

「……俺さ、引っ越しの時、親と喧嘩したんだ。こっちに残りたいって言って」
 喧嘩。いつも穏やかな純が……。
「家事は自分でするって言ったのに、親は全然聞いてくれなくて。ばあちゃん達はこっちの家事代行のこと調べてくれたりしたのに、父さんは無理というだけで」
 妹はよく分かっていないかったみたいで、「母さんもおばあちゃん達もどっちも好き」とだけ言っていた。もし引っ越しを回避できなかったらと思うと、妹の前で引っ越しについてネガティブなことを言いづらく、説得の味方に引き込めなかったそうだ。

 純にできることは何もなく、引っ越しが決まった。

「なんかさ、自分なんていなくてもいい存在に感じた」
「そんなことない!」
 満はつい否定した。純の伏せ気味だった目が開き、満を見つめた。
「あっ、ごめん。……でも小学校の時、僕は純のこと優しくて頼りになると思っていたよ」
 満がそう言うと、純は柔らかく笑った。
「ありがとう」
 純は穏やかな声で続ける。

「あの手紙で、俺のこと好きでいてくれる子がいるって知った。俺の良いところをいくつか挙げてくれて、その中に『優しいところが好き』って書いてあった」
 たしかに書いた。
「多分その言葉がなかったら、いろんな人に当たる嫌な奴になっていた気がする。その子が好きになってくれた自分でいたいと思ったから、嫌なことがあっても優しくいようと思えた。あの手紙が、俺を支えてくれたんだ」

 満は純を見つめる。

 純は穏やかで皆に親切だ。
 小学校の時からそうだったから、高校でさらに紳士的になって、同い年なのにお兄さんのように見えても、順当な成長としか思っていなかった。

 だが、その心が折れそうになった時があったのだという。
 満が純が転校してしまい淋しく感じていた時、純はそれ以上に淋しくて、でもそれを乗り越えた。
 前を向くのは素敵なことだ。けれどそのために、どれだけ我慢したのだろう。

「純はとても頑張ったんだね」
「そうかな。ただ、まともでいようとしただけだと思うけど」
「それがすごい。きっと手紙の主も、今の純を見たらもう一度惚れちゃうと思うよ」
 真実をこっそり伝えつつ、照れ隠しに純の頭を撫でた。
 純は大人しく撫でられている。目を逸らして少し恥ずかしそうな、それでいて悪くはなさそうな表情。
 こんな顔もするんだ。

「今の純も優しくて好きだよ。僕や友達が手間取っていたらいつも助けてくれる」
「…………」
「純も優しくされたかったら言ってね」
「……あのな、満」
「なに?」
「俺単純だから、好きと言われて優しくされるのは、その、困る……」
「あっ、そ、そういうのじゃないよ!」
 慌てて撫でる手を引っこめた。満は真っ赤で、純も少し赤くなっている。
(夕焼け! 夕焼けのせい!)

 しばらく次の言葉を言いあぐねた後、純が口を開く。
「別に手紙の送り主とは四年以上何もなかったから、俺の想像とはまるで違う子になっているかもしれないけど。今でも手紙読むと嬉しくなってしまって、恋だな、って思う相手はやっぱりその子なんだ。だから、こっちに帰ってこられた今、もう少し探したい」
「…………」
 満は沈黙する。
 満のあの時の気持ちを綴った手紙。それが純の大切な思い出になったのは嬉しい。
 けれど……。

(純はどういう子を想像しているんだろう)
 同学年の女の子達は、どんどんお洒落になって理知的になっている。それに比べて自分が小学生から成長した部分ってどこだろう。手紙の主の正体が自分では、がっかりさせてしまうだろうか。
(……言わない)
 決めた。手紙の主には、素敵な思い出のままでいてもらおう。


「その子の手掛かりってあるの?」
 うまく隠れるために探りをいれる。
「字が綺麗ってのは前に話したよな。あとは学校の鞄にいつの間にか入れられていたから同じクラスだった可能性が高い。それと封筒は雪うさぎのイラストで、大人しい感じの絵柄が好きそうな気がする」
(うう、たしかに僕が可愛いと思うもの、お姉ちゃんには地味って言われる)

「今のところ他の奴にはぼかして伝えているせいか、他に情報はないな」
「? 僕には話していいの?」
「うん。満は絶対秘密にしてくれそうだから」
 真っ直ぐに信頼されて、罪悪感に胸をえぐられるが、どうにか耐える。

「それと、満には俺のこと知っていてほしいというか……。とりとめなく話しても受けいれてくれて嬉しいんだ。甘えてるのかな、俺」
(ぐっ……!)
 ときめきと罪悪感が同時に襲ってくる!


「でも他の奴に教えるのも考え中。こっちにきた今ならちゃんとアクション取れるし。字、綺麗だから成績良い気がするから、あの小学校のエリアならこの高校に来そうじゃない?」
 来ています。

「名乗らなかったのは俺が引っ越す相手だからだと思うんだ」
 勇気がないからです。

「俺が戻ってきたって知れば名乗ってくれるかもと思ってさ。俺、わりとモテるようになったし、悪くないと思ってくれないかな……」
 悪くないどころかすごく格好良い。髪をいじりながら、言葉のわりに少し自信なさそうなところも可愛いすぎる。

 けど、もう手紙の主には伝わっているのだ。この上、他人も捜索に加わるのは恥ずかしい。
「純はモテるから、不用意に情報を流すと偽物が現れかねないよ」
 公開捜査はストップしたい。
「そこまでする?」
「するかもよー」
 なにしろ今日、グループ内にスパイが生まれていたからね。
 というか、三人のうち二人が曲者かあ。申し訳ない……。
「じゃあ、また細々と探す」
 その返答に、満はほっと胸を撫でおろした。


 屋上庭園がライトアップされていく。
「そろそろ帰るか」
「うん」
 バータイムに訪れた大人達とすれ違いながら、純の背中を見つめる。

(ごめんね、純)
 探してくれているのに、名乗りでる勇気がない。
(……純は僕だとは夢にも思っていないんだろうな)
 男だし、接点も少なかった。当たり前ではあるけれど「満が手紙の子なのか」なんて訊いてもくれなかった。
(いいんだ。どうせ僕が本物だって証明できないし)
 四年以上前に、誰にも言わず出した手紙だ。内容は薄っすら覚えているが、それくらいしか証明しようがない。
 そう心の中で言い訳して、速足で純の隣に並んだ。





 六月になって、伯父から進学祝いが届いた。
「立派なお皿!」
 手にずっしりと重さを感じる青い濃淡のある皿。どうやら満が料理をはじめたことを聞きつけたらしい。
「お礼しようね」
 本日の満の料理。卵焼きを皿の中央に載せる。
「……スペース余ってる」
「はい。写真送ったー」
「ああっ」
 母がいつの間にか写真を撮り、メッセージアプリで送ってしまったようだ。
「お礼の文面は自分で考えてね」
「うう……」
 母の携帯でメッセージを送ると、伯父は「いい色合いだ!」と褒めてくれた。

「紙でもお礼書こう」
「律儀ねえ。伯父さん、陶器趣味だから買う口実が欲しいだけよ」
「筆ペン使う機会は逃せないからねー」
「あら、満も趣味だったか。そんなに楽しんでいるなら書道習わせた甲斐があるわあ」



「あ……」
 自室で文箱の中の便箋を選んでいて、一枚の封筒を手に取った。

 雪うさぎの洋封筒。
 純に出して、余ったものだ。便箋はいっぱい書き損じたので無くなってしまったが、封筒は三枚セットで、あと二枚残っている。

 小さな雪うさぎの絵を見つめる。
(僕であって、僕でない)
 純の中で解けてしまわなかったことが嬉しくて、同時に心に影を落とす。
(純に好きな人は、いないけど、いる……)

 この二か月の間、純といた。
 昔のようにただのクラスメイトではなく、親しい友人として。
 満、とあの優しい声で呼んでくれる。
 気の抜けたところも見せてくれる。

 仲良くなれた。でも純の好きな人は『満』じゃない。
 恋の相談をするということは、満は対象外だ。

 別人に恋されることに比べれば、ぬるま湯の片想いなのに、たまに泣きたくなることがある。
 もし純に本当に好きな人ができたら、この痛みはきっとより深くなる。

 ―言わない。

 そう決めたけど、毎日のように心はぐらぐら揺れていた。
 正体を明かしたら、満は純の恋人になれるのだろうか。
 それとも失望させるだけなのだろうか。


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