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 雪は静かに降りつもる 4






 六月になって、ようやく純に出せる料理が一品だけ作れた。
 純に褒めてもらえて嬉しかった。

 梅雨は雨で校庭を使えない日が多かった。
 純の室内筋トレに付き合って、筋肉痛になった。


 夏休みはお互いの家で遊ぶ。
「カボチャ硬いから、切るの気をつけろよ」
「平気だよ。はあ!」
 スコンとカボチャが二つに割れた。
 今日は純の家で宿題してゲームして、今は一緒に料理している。
「妹は切れないんだけど、満はできるんだな」
「そりゃ男で高校生だし」
「そうだな」
 純が満の二の腕をふにふにしてくる。
「包丁使ってるんだから邪魔しないで」
 揉むのはやめてくれたが、手は離さない。
(心臓に近い……)
 エアコンの冷気が、純の熱を際立てている。ひたすらまな板の上に集中して、純の行動に振り回されないようにした。





 秋の修学旅行は京都・奈良だ。紅葉狩りには早いが、気温はちょうどいい。
 純と一緒の班で、バスも隣になれて大満足だ。

 高校生活ももう半年。
 満と純はいつも一緒にいたわけではない。
 純はスポーツする友達、満は小説の話をする友達をそれぞれ作っている。
 それでも一番遊んだのは、やっぱり純だ。

 班行動で歩く時も、満と純、木尾と村上のペアで会話することが多い。

 ちなみに純のことが好きだった椎名は夏休み前に彼氏を作ったので、木尾はスパイ活動からは足を洗っている。
 純にとっての曲者は、満だけとなった。


(そういえば手紙の話、全然聞かなくなった)
 手紙の件を諦めたのなら、新たな恋に歩みだすのだろうか。
 純に特別親しい女の子はいない。相変わらず誰にでも親切にしているけど、二人きりになろうと画策する子とはすぐに距離を置いているようだ。
 男友達だと満と一番仲がいいと思う。他にも仲がいい相手は結構いて、特に同じ陸上部の子達とは満には割って入れない絆がある。
 それでも……。

「満、寄って」
「うん」
 スマホのカメラを構える純は、満の肩を引き寄せた。もしこれが木尾や村上なら口で言うに留めるだろう。

 ……純がこんなに触れ合っている相手は、満しか知らない。

(もしかして……)
 純の次の恋の相手になることを、夢見てもいいのだろうか。



 班行動日。今日の日程はわりと歴史好きな満が決めた。

 有名な神社の社務所でお守りを見ていると、小さなうさぎの置物があった。白くシンプルな造形なので、雪うさぎにも見える。
「可愛い……」
 輝くような純白で、あの遠い日、純に守ってもらった雪うさぎを思い出す。
(この子なら解けないな)
 頬を緩ませて一匹手に取る。

「満、それ頼むの?」
「わっ、純、いたんだ」
 道から外れたところで見学レポートの下書きを書いていたのに。
 恥ずかしいから可愛いもの好きなことはあまり知られたくない。
「可愛い。満が好きそうだな」
 すでに知られていたようだ。
「俺も欲しい。一緒にもらおう」
「え……」
 純にとってのうさぎは、あの手紙だろう。
(まだ純は……)
 ズキッと胸が痛む。

「あ、お揃いは嫌?」
「ううん、そんなことない」
 罪悪感と嫉妬。秘密にしている満が悪いのに、もやもやとしてしまう。

 うさぎを簡易な紙袋に入れてもらい、リュックに入れる。
「純?」
 先にもらった純が、袋から取り出したうさぎを見つめている。
「目がつぶらで満に似ている」
「ええ……。そんな単純な顔で似ているも何も」
 満に似ているだなんて、純は手紙のことは考えていなかったのだろうか。
「可愛いな」
 そう笑って大事そうにしまった。





 また日常に戻り、変わらない通学電車に乗る。
「あ、雪かぶってる」
「本当だ」
 遠くに見える山頂が白くなっている。
「この辺にも降るといいね」
「なー」
 去年なら受験日に降られたら厄介なので断固拒否したが、今年なら歓迎である。


 ふと、同じ車両に見覚えのある顔を見つけた。
「ねえ、あれ。村上くんだ」
「本当だ。声掛けるか」
「あっ、待って」
 村上はうちの制服の女の子と話している。
 たしか隣のクラスの人。
 楽しい話をしているのか、二人とも笑っている。
(黒髪ショートだ)
 お邪魔かもしれないので、とりあえず見守ることにした。

「そういえば何度か村上と話しているの見たことあるな、あの子」
「村上くんの好みの子だね」
「好み?」
「黒髪ショートの子がタイプって言ってたでしょ」
「ああ」
 春頃の会話を純も思い出したようだ。

「なるほど。黒髪ショート……、俺もそれがタイプなのかも」
「え……」
 まさか。あそこにいる女の子のことが?
 純は村上達の方はもう見ていなくて、満に視線を戻していた。
(違う。誰かを思い出しているんじゃ……)
「? どうした」
 満のかすれた声に、純が首を傾げた。
「純……、容姿の分かる人で、いいなと思っている相手がいるの?」

 誰か好きな人ができたのだろうか。
 ……胸がズキズキする。
 純を見つめる目に、涙が滲んでしまいそうだ。

「相手? 別に―」
 満を気づかわしげに見つめ、純の口は開きかけて、―止まった。
「俺、今……」
 純の視線は満の輪郭を行き来する。
「あ」
 そして急に顔が真っ赤になった。

「なんでもないっ! ごめん! 俺コンビニ寄ってくから先行ってて!」
「えっ、純!?」
 最寄り駅に着くなり、純は速足で離れていった。
「純……?」
 質問に焦っていた純。やはり気になる相手ができたのだろうか。
 満は呆然とする。村上が気づいて声を掛けてくれるまでホームで立ちつくしていた。





 学校に着いてからも純は挙動不審で、それはしばらく続いた。

 目が合うと純は慌てて視線を逸らす。
(好きな人のこと訊かれたくないのかな)
 満としてもまだ聞く覚悟はない。

 でも手紙の主を探す相談を受けていたというのに。
 知らないうちに純に他に気になる人ができてしまった。
 その上、そのことを教えてくれないのが解せない。



 純と並んでの下校中、もやもやと考えこむ。
 自宅最寄りの駅に降りて、もうすぐ純と方向が分かれる場所。
 下げ気味の視線にローファーが写る。純が進路を阻むように前に立っている。
 その表情は緊張しているようだった。

「満はっ、付き合っている人いるのか!」
 ……なぜそんなことを訊くのだろう。
「いないよ」
 そう答えると、純はほっと笑みを浮かべた。

「じゃあ、好きな人は……?」
 満は息を飲んで、
「……秘密」
 とだけ答えた。
 本人に教えられるわけがない。
 満の答えに、純は眉を寄せてほんのり悲しげだ。
 秘密を持たれて淋しいのだろうか。

(淋しい顔、させたくないな……。―はっ、だめだめ)
 ついほだされそうになるが、純のことを好きだと知られたりしたら、関係が崩れてしまう。

「純こそ、どうなの?」
 聞くのが怖いが、このところの純の様子を考えるときっとはぐらかされるだろう。
 案の定、純は視線を彷徨わせている。

 だが、
「……できた、かも」
 という小さな声が、満の耳に届いた。

「……そっか」
 順光の純が白く眩しい。
「雪うさぎの恋は終わったんだ」

 心苦しくて、でも嬉しくもあった純の想い人の座は、あっけなく解けて消えた。
 何もしなかった満には、ただ受け入れることしかできない。

「うん。雪うさぎの手紙の子には今も感謝はしている。でも今好きなのは……その、あの……」
「?」
「俺……」
 顔を赤くして、口をぱくぱくしている。

―……ッ」
 音が出てこないまま、純は歯噛みした。
「えっと、満、クリスマス空いてる?」
 なぜ今。
「イブも当日も空いてるよ」
「じゃあ当日。一緒に遊ぼう」
「うん」
 純との予定ができたのは嬉しい。けどもしかして誤魔化されたのかな。

 再び歩きだす。分かれ道までもう少し。
 少し遅れた純は、うー、と唸っている。

 いつもなら「大丈夫?」と訊くけれど、今日は涙が零れないように静かに進んだ。





 クリスマス。
「わあぁ。すごい」

 隣の県の大きな街まで来て、美術館にてクリスマスレタリングの企画展を観覧した。
 満は日本や中華の名筆が好きだが、西洋のレタリングも興味深い。
 こんな豊富に見られる機会は滅多にないし、クリスマスがテーマな分、色合いが華やかで可愛らしい。

「こんな企画よく見つけたね」
 現代アート寄りの美術館で、満のアンテナからは外れている。
「僕は楽しいけど、純はここでよかったの?」
「うん。すごく楽しい」
 純は満の顔を見て、目を柔らかく細めている。
「じゃあよかった。あ、これ可愛い」
「可愛いな」
 人の入りはそこまででもなかったので、ゆっくり見ることができた。


 ミュージアムショップであれこれ買う。
 ショップの出口にはカリグラフィーペンの体験コーナーがあった。買ったポストカードに書けるようだ。レシート提示でできるようだったので二人でしてみた。

「満、こういう洋風のも上手いな」
「そう? 純の色使いも綺麗」
 ロビーのソファに座ってゆっくり見せ合う。
(楽しい)
 このところ純とギクシャクしていた感じが、今日はすっかりなくなっていた。


 ロビーは見晴らしがよく、近くの広場が見下ろせた。
 赤と緑の装飾で賑やかな場所がある。
「あそこ、クリスマスマーケットかな。行ってみない?」
「いいよ」

 可愛い装飾をされた木製の小屋のようなショップが立ち並んでいる。お菓子や小物を見物するが、混んでいたので人波に押し流されることしかできなかった。

 マーケットから一つ向こうの散歩道に逃れて、ほっと立ち止まる。
「あはは、今日は事前に調べないとだめだねー」
「ちょっと街中は無理そうだな」
「うん。帰ろっか。純のおかげで美術館は楽しめてよかった。ここも少しは見られて面白かったよ」
「そっか。俺も」
 くすくすと微笑み合う。



 散歩道からキラキラしたマーケットの様子を眺めた。
 がやがやしていて、どこかで明るい音楽も流れている。

 満はちらっと純を見る。少し長めのコートと、初めて見るマフラーが格好いい。純のスタイルの良さを際立たせている。このままクリスマスデートにもいけそうだ。
(そういえば、好きな人は誘わなかったのかな)
 一瞬そう頭によぎって、ふるふると首を振る。
「満?」
「なんでもない」
 今日の純の予定をもらったのは自分なのだから、存分に楽しめばいいんだ。

 少し沈黙が続く。
「あのさ、俺……満が」
「こういうとこ、恋人と行く場所だと思ってた。友達同士でも楽しいねえ」
「友達……」
「ん。純、今何か言おうとした?」
 同時に喋っちゃったかも。会話するにはちょっと騒がしい場所だ。
「……いいや」
 純は微笑む。
「満が楽しんでくれたならよかったって言おうとした」
「うん。純のおかげですごく楽しい! ありがとう」


 予約していたケーキを買って、純の家に向かった。
 妹さんも一緒に夕食を食べて、とても楽しい一日になった。


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