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◇◆ General of the Army ◇◆
「ひ、仁美? 仁美!」
「貴女が死なないから、そいつが死んだだけ」
「いやっ…仁美ーっ!」
「貴女が死ねば全てが終わるのに、自ら幕を閉じる勇気が貴女にはないの?」

 若行、今ようやく全てが解った。
 それでも最期にもう一度だけ、あなたに逢いたかった……


◆ SIU統括本部――

「呉埜! この一大事に、一体お前はどこに居るんだ!」
 無意識に取り上げた受話器の向こうから、動転した木村の罵詈が飛ぶ。
 その返答にさえ詰まり、呆然と佇む俺を見かね、岩間が俺の手から受話器を毟り取る。
「岩間だ。木村か? いや、何でもない。……何だって?」
 話の内容は解らない。それでも木村の言葉と、岩間の表情からするに、緊急事態が起きたことは確かだ。さらに岩間は三宅へ、画面を地上波に切り替えろと無言で指示を出す。
 そこで、怪訝な顔をしながらも、三宅が画面を切り替える。
 すると、どの周波数帯でも番組を変更し、速報と称して、角度の違う同じ現場を映し出していた。

「はい。こちらは木下国務大臣の自宅前です。大臣は数時間前、この自宅前で忽然と姿を消しました。大臣の行方は未だ解っておらず、その安否が心配されておりますが……」

「忽然とって、機動は何をやってたの?」
 三宅の言い分は尤もだ。
 山崎の失脚直後とはいえ、部隊の態勢が整っていないなどという言い訳は通用しない。
 けれど、大臣の場合は公の要人だ。つまり大臣の護衛は、SIUではなく、警視庁のSecurity Police。通称、SPがその任務に就く。
 これは、可成り拙い展開だ。
 大臣直属の部隊であるが故、大臣の許可がなければ、SIUは動けない。
 さらに、例え水面下で動いたとしても、警視庁が己の面子に懸けて、それを阻むだろう。
 そしてこちら側には、何一つ情報が伝わってこないはずだ。

「まいったな…これじゃ動きようがない……」
 状況を把握した岩間が、俺と同じ想いを吐き出した。
 不意に或ることを思い出し、胸の携帯電話に手を伸ばす。
 けれど此処では拙い。そこで、二人に指示を出しながら、退室の旨を簡潔に述べた。
「現在に至るまでの情報を、出来る限り集めてくれ。俺は一旦、大臣専用室に籠もる」
 俺の言葉に直感で反応した岩間が、眉根を寄せた鋭い視線で問う。
「大臣の部屋? 呉埜お前……」
「俺は其処から動かない。けれど其処に俺が居なければ、後の指揮は頼む」
 この言葉では、完全な理解は出来ないだろう。けれど、危険を孕んでいることだけは伝わる。
 だから、岩間の眉間筋が消えた。あの顔は、腹を括ったときの、あいつの癖だ。

 ICカードを褐色のパネルに宛がい、程なく大臣室の扉が解錠された。
 静閑過ぎるほどの室内に佇み、数ヶ月前の出来事を振り返る。
 シリアの任務後、岩間の脳内にコアが発見されたとき、俺はこの大臣室に呼ばれ、大臣の要求するがままに、携帯を差し出した。
 そして大臣は、俺の携帯に小型の器具を装着し終えてから、こう告げた。
「元帥の番号を入力しておいた。もし万が一、私に何かあったら、ここに連絡をしてくれ」
 あのとき大臣は、既に身の危険を予期していた。
 自分が居なくなることで、SIUが凍結してしまうことも、それに含まれていたはずだ。
 だからこそ、俺にこの番号を残した。冷静に対処しろという言葉を添えて。

 携帯電話を握り締め、睨みつけながら葛藤する。緊急時以外、押すことを禁じられた番号。
 逢ったことも、話したこともない、SIU最高上官に、唯一通じるその番号。
 ただ番号を登録するだけに、器具を装着する必要はなかったはずだ。
 つまりあの行動は、大臣からの無言の暗号だったに違いない。
 現に、登録されている番号は、たった三桁の【009】
 全てを踏まえれば、簡単なことだ。この番号は、最高上官ではなく、俺の名を指す。
 さらに、あの器具で、携帯内のチップに、直接番号を埋め込んだのだろう。
 そしてそれが稼働するのは、この部屋内だけだ。

 大きく息を吸い込み、深くゆっくりと吐き出した。
 この数年、機密に関する対応や処理に追われ、その度に、様々な術を身に付けた。
 けれど、AMIKAが登場してからと言うもの、身の回りで不穏な動きが多過ぎる。
 俺の弱点は香里だ。其処を叩かれれば、俺の機能は衰える。
 大臣はあのとき、こうも告げた。
「君を外したのには理由がある。考えたくはないが、君が冷静さを失う危険を孕んでいるからだ」
 そこで直ぐに、香里が関わっていると悟ったけれど、その真髄が解らないままだ。
 この番号を押せば、梗概を把握することができるだろう。けれどそれは諸刃の剣だ。
 聴きたくも、知りたくもなかった事実を、突きつけられるようで怖い。
 特に、あんな映像を観た後では尚更だ。

 心が鬩ぎ合う。けれど、自分の中で鬩ぎ合ったところで、何一つ解決などしない。
「どんなことがあっても、冷静さを欠いてはならないよ。君なら解るね――」
 大臣の言葉が、頭の中を埋め尽くす。そうだ。此処で尻込みするわけには行かない。
 意を決し、発信ボタンを押した。すると前方から、小さな石膏の動く音が鳴る。
 ただ一度だけ、コトンと、静寂な空間に広がるその音。
 それ以外は、何等変わりは無い。発信音も聞こえないのだから、応答も在る筈がない。
 安堵の溜息混じりに画面を閉じ、携帯を胸に仕舞い、音の出所を突き止めようと、ゆっくり進んだ。

 出所は、大臣のデスク下だった。タイルが一箇所だけ持ち上がり、手で外せるようになっている。
 これは非常事態に備えて設置された、大臣専用の脱出ルートだ。
 死角になるこの場所に、それが設置されているのは知っている。
 けれど非常事態用だけあって、敵に居所を知られぬよう、内部にはセンサー等が施されていない。
 大臣はそれを逆手に取り、このルートに絡繰りを仕組んだのだろうか。
 瞬息の間、躊躇ってから、浮き上がるタイルへ手を伸ばす。
 極力、音を立てぬようにタイルを取り外し、つと内部へ入り込んで蓋を閉めた。

 其処は地下であるが故、窓もない。電力も通じていないため、完全なる暗闇だ。
 眼を凝らし、意識を集中させて、短時間での瞳孔拡大を試みる。
 夜目を効かすこの訓練を、岩間と幾度、競い合っただろう。
 それでも俺は、何時もあいつに負けていた。何せあいつの視力は、常人から掛け離れている。
 視力や視覚だけではなく、岩間の五感は、優れるとされた者と比べても桁が違う。
 まるであいつの身体は、全てが武器だ。異常な環境の下で、生き延びることを強要されたとき、その環境が酷烈すればするほど、岩間が残る確立が上がる。
 だからセーフハウスの一件後、窪野が震えながら呟いたのも解る。
「あの人は恐怖です……」

 携帯画面の明かりを使えば、事足りるのだが、もし此処に、敵が忍んで居たら、その光は仇となる。
 三宅の傍に居れば、文明の利器というものが、どれほどの威力を示すか理解もできるし、数々の其れに救われてもきた。
 それでも俺は、三宅の嫌う、アナログな人間らしい。
 漸く、瞳孔が最大径まで開き、通路の全体像が浮かび上がった。
 通気孔内部のように幾重にも枝分かれした、迷路の如く複雑な通路でも、進むべき道が見える。
 否、伝わるが正しい。誤った通路に足を踏み入れると、胸の携帯が微かな振動を起こす。
 まるで三宅と岩間の争いだ。そんなことを想いながら、五感と携帯を稼働させ、通路を進んだ。

 最後の通路は、行き止まりだった。
 けれど、間違えてはいない。そしてそれを、相手も知っている。
 だから引き返すことをせず、目前の壁に手を添えた。
 暗闇とは言え、蝶番など何処にも見当たらない。けれどその壁は、音無く静かに開かれた。
 柔らかな白熱灯に包まれながら直進み、重厚なオーク材の観音扉の前に辿り着く。
 愈々、対面のときが来た。
 興奮に似た想いをゆっくりと吐き出せば、それを見越したように、扉が内に開く。

「久しぶりじゃの」
 心臓が早鐘を打つ。何度も聞いたこの声を、忘れるはずがない。
「時が経つのは早いのう。あの鼻タレ小僧が、一端の面構えになりよって」
 虫が蠢くような電子音を立て、一台の車椅子が、暗澹たる空間から光の中に出で始める。
 あの頃よりも、顔筋は衰え皺も深い。それでもこの顔を、俺は忘れたりなどしない。
「爺さん…あんただったのか……」
 考えれば解るはずだった。否、つい今まで考えていた。
 AMIKAに関する全ての事件が、俺の周りで起こり過ぎていると。

「いいかい? 心が折れないように、潰されないように、歯を食いしばって笑うんだよ」
 俺を諭すように微笑み、幾度もこの台詞を、俺へ投げ掛けた人。
 ランドセルから、学用品に至るまでの全てを、俺のために用立ててくれた人。
 この人に出逢ったのは、偶然ではなかった。
 しかも出逢ったのは、俺がまだ小学生になったばかりの頃だ。
 つまり俺は、そのとき既に、この事件に巻き込まれていたということになる。

「いつからだ。いつから俺は、この陰謀に巻き込まれている?」
 聴きたくない。知り得たくない。それでも口は、真実を求めて開く。
 そして、真実を知るその人は、俺の動揺を読み取りながら、躊躇うことなく冷酷なまでに告げる。
「生まれる前からじゃよ。どこぞのオナゴの胎内に居るときから、お前さんは巻き込まれとる」
 片手で一人掛けソファーを指し示し、俺に座れと命令しながら、その前へ車椅子を進める。
 足が固まって動けないと、思われたくはない。それでも、足を一歩出す毎に、緊張が走る。
 例え当事者であろうと、客観的に物事を見据えなければ、この先の話は聞けないだろう。
 だから、全ての感情を素早く呑み込み、能面を被った。

 表情が変わった俺を、見逃すはずのない爺さんは、それで良いとばかりに小さく肯き、話を展開する。
「昔、天才と呼ばれる切れ者の科学者がおってのお、そやつが己の遺伝子を実験台にして、精巧な有形複製を作りよった」
 クローン。その開発は、数十年前から水面下で既に始まっていたと聞く。
 俺の生まれた三十年ほど前に、それが実験段階で、完成していたとしても不思議ではない。
 だから混乱しながらも、冷静を装い告げる。
「……それが俺か」
 けれど爺さんは、滑らかな口調で、いとも簡単にそれを否定した。
「いや違う。それは、お前さんではない」

 組んだ両指に力を込めて握り締める。血の気が引き、青白くなった指先を見つめながら呟いた。
「では、なぜ俺は……」
「まぁ待て。答えを急ぐでない」
 爺さんは棚から二つのグラスを取り、琥珀色の液体を注ぐ。
 度数の高い、アルコール特有の香りが、俺の元まで漂い伝う。
「誰にもバレんように、密かな観察は続けられた。けれど予想以上、本物そっくりに育っていくソレを見て、不審に思う者がおった」
 爺さんが、グラスの片割れを俺に差し出し、尚も続ける。
「さらにだ、ソレに、正真正銘の血を分けた子ができた」

 グラスを受け取りながら、此処までの話を、素早く頭の中で纏め上げた。
 四人の者の登場。切れ者の科学者、科学者のクローン、機密を知った者、そして、クローンの子。
 爺さんは、人伝に聞いた話ではなく、眼の当りにしてきたことを口にしている。
 つまり、この全てが、爺さんの現役時代に起きた出来事だ。
 それを踏まえて年代別に分類すれば、多分、末端であるクローンの子が、俺と同年代だろう。
 その上の年代が、クローンと機密を知った者で、さらにその上が、科学者となる。
 そして、全ての名を伏せていることから、四人全員が、俺の知る者だということだ。

「複製というものは恐ろしい。まるで、遺伝子が記憶しているかの如く、何するわけもなく、その能力をワシ等に見せつけおった」
 琥珀色の液体を、一口啜りながら爺さんが溢す。
 その内容からして、クローンは科学を学ぶことなく、科学の知識を身に付けたのだと解る。
 恐ろしい。この言葉を付け加えれば、クローンが何を仕出かしたのかも推測できた。
「クローンが、新たなクローンを生み出した……」
 飲むわけではなく、ただグラスを近づけ、アルコールを鼻で吸い込んだ。
 気付け薬のように、その匂いで、意識が鮮明になり、気持ちが引き立つ。
 そこで爺さんは、にやと笑い、俺の好む銘柄の煙草を、一箱投げつけた。
 この振る舞いの意味も解る。それでも素知らぬ振りで、有難いとばかりに火を点けた。

「それは肯定できんな。だが、矢部に双子。その後直ぐに、木下に三つ子が生まれた」
 大臣は、妻帯者ではない。故に嫡子は居ない。さらに、庶子が存在するという話も耳にしていない。
 弱点をひた隠すと言えばそれまでだが、この場のこの発言だ。
 爺さんは肯定できないと白を切るが、この煙草以上に、大きくそれを匂わせている。
 否、白を切っているのではなく、本当に肯定できないのかも知れない。
 そこまで考え馳せたとき、爺さんが惚けた口調で、飽く迄も推測の域であることを強調した。
「まぁ、こればっかりは証拠などない。なんせほれ、一卵性はDNAとやらが一緒だからの」

 短くなった煙草を、テーブル上に置かれた灰皿で揉み消し、物思いに耽る。
 けれど、答えに辿り着く間もなく、爺さんが話を切り替えた。
「話を戻すがの、先ず最初に、ソレが施した実験があった」
「実験?」
 今までの思考を遮断し、新たな謎を前に、鸚鵡返しで爺さんに問う。
 すると爺さんは、何度か小さく肯き、言葉を選びながら話し出す。
「遺伝子の操作での、選りすぐった遺伝子をさらに篩いに掛け、部分的に採取するんじゃ」
 さらに解り易く説明しようと、身振り手振りを加えた爺さんの話は続く。
「正確には、もっと複雑なんだがの? 早い話が、ソレは完璧な遺伝子の兵器を造ったんじゃよ」

 医学は学んだ。けれど科学の知識が、俺には余り無い。
 それでも爺さんの言いたいことは解る。複数の遺伝子をパーツ毎に分解し、優れたパーツのみを結合させる。そしてそれを、受精させたのだろう。
 今でさえ、そんな高度技術の話など聴こえて来ない。
 けれどクローンは、数十年前に、それを遣り遂げた。それは、続く爺さんの話で証明される。
「自分のことは棚に上げて、科学者はその実験に酷く憤慨しての。生命というものを、限りなく侮った行為に思えたのだろう」
 確かにその通りだ。兵器と言っても、ウイルスや核などとは違い、それには心が存在する。
 自分が誕生した理由や経緯を知り得たとき、兵器は自分を呪うだろう。
「けれど科学者がそれに気づいたとき、四つの兵器が、既にこの世に誕生しておった」
 その言葉で、頭の中の回路が悲鳴を上げるほど、フルスピードで回転して行く。

 先ず、四人の者。否、五人だったと訂正するべきかも知れない。
 そこに、木下、矢部、両人物の、五人の子が加わる。
 さらに、クローンが生み出した、四つの兵器。
 全十四名。これを、解っている者から、消去して行く。
 機密を知った者。これは間違いなく、木下大臣と矢部長官だ。
 その裏で、何が起きたのか迄は解らないが、クローンがクローンを生み出す実験の手助けに、遺伝子を提供したと考えれば合点が行く。
 それを踏まえれば、矢部長官の子は、死んだ仁美と岩間の女だろう。

 けれどここからは、憶測でパーツを嵌めていかなければならない。
 それでも、このパズルを解くことに心が抵抗する。
 香里と俺。今までの経緯を思えば、間違いなく残る十名の中に、互いが当て嵌まる。
 そして、解き終えたとき、自分たちの運命を呪うだろう……
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photo by ©防腐剤