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◇◆ Suspect ◇◆
◆ Side IWAMA――

「観葉植物の裏手に、小包を見つけました」
 先行部隊である機動班が現場に着いた数分後、隊員が通路天井にある監視カメラを見上げて通達する。
 そこで、無線マイクのスイッチを押し続けながらそれに答えた。
「爆発物の可能性がある。木村が到着するまで、誰もそれに触れるな」
「了解」
 隊員が短い確認の意を投げた直後、アナで別れた木村が現場に姿を現した。

 木村が他の隊員たちを退けさせ、オペラグラスのようなスコープを覗いて小包を確かめる。
 けれどその後すぐ、左手を軽く上げて無言の合図で隊員たちを呼び戻した。
 そして先ほどの機動隊員同様に、監視カメラを見上げながら木村が俺に問う。
「これは爆発物じゃないな。どうする? この場で開けるか?」
「いや、安全であるのならば、ラボに持ち帰ってくれ」
「解った。では先にうちが調べさせてもらう。岩間、お前もラボに来いよ」
「あぁ、今から行く」

 科捜班のラボ入り口に設置された、小型の画面を覗き込んで静止する。
 赤い光のラインが、上下左右に素早く動いて俺の網膜をスキャンすると、ものの数秒で本人であると認証し、入り口のロックを解除した。
 開かれた自動ドアの向こうには、三宅の部屋とは種類の違う複雑な機械がひしめき合っている。
 そしてどことなく懐かしい、理科室のような匂いに包まれていた。

 奥の部屋に木村を見つけ、白衣を着た隊員たちが忙しなく動き回る中をすり抜ける。
 無言で分厚いガラスのドアを押し開けると、その風圧に気付いた木村が振り向きざま言い出した。
「M-DV。つまり旧型の、ビデオカメラ専用テープだ」
 親指と人差し指でそれを持ち上げ光に翳し、隅々まで異常がないかを確認する木村。
 その木村の手にした物を、顎で軽く指し示しながら、単刀直入に切り出した。
「指紋は出たのか?」
「あぁ、ここにくっきり着いていたが……」
「犯人のものではなさそうだ?」
「そういうことだ。指紋照合でヒットしたのは長官のものだった」

 優に三畳はある巨大なステンレス製のテーブル上に、現場で見つかった全ての証拠品が、規則正しく印を付けられ置かれている。
 そんなテーブル全体を手のひらで指し、横目で俺を見ながら木村が言った。
「小包に使用された箱、包装紙、全ての出所を調べるが、多分これも……」
 多分の続きは、聞かなくても分かる。
 だから木村同様に、眉間へ皺を寄せて呟いた。
「全て長官に繋がるのか……」



◆ Side KURENO――

 メインコンピューターの設置される、情報処理室の前に辿り着き、天井に設置されたセンサーの下に佇む。
 センサーが俺の身体全体をスキャンし、網膜どころか、静脈で本人と確認するまでその場を動くことが出来ない。
 こうやって、三宅以外の者がこの部屋に入室するには、通常よりも厳重なセキュリティーを通過しなければならない。
 ただ、三宅本人が入ることは簡単だ。それを逆手に取られて、今回のような非常事態に陥った。

 センサー脇のスピーカーから、内部に居る三宅の声が響く。
「ごめん。センサーは呉埜っちだと認証したけど、こんな時だから、質問してもいいかな?」
「あぁ、構わない」
「僕が渡した時計があったでしょ? さて、あの名前は何だったでしょうか?」
 そこで、盗聴防止用に三宅から渡された腕時計を思い出し、考えることなくその名を告げた。
「ヤケックスだろ」
「やっぱり呉埜っちだ。待って、今ドアを開けるから」

 当然だが、三宅はこの手のシステム情報を漏らしたりはしない。
 けれど今の質問で重要なのは、その答えではなく、俺の表情筋の動きだったと知った。
 なぜなら、画面に取り込まれた俺の顔が、詳細な立体画像と比較されていたからだ。
 このセキュリーティーシステムの、具体的な認証方法は解らない。
 それでも、指紋・網膜・静脈認証システムの、上を行くものなのだろう。

「あ、やっぱりバレちゃったか。まだ試作段階なんだけど、呉埜っちを実験台にさせてもらっちゃったよ」
「うまくいきそうなのか?」
「まだ何とも言えない。コアに対応するセキュリティーを編み出さなきゃ。 本当は、モグラに対応するものが欲しいんだけど、こればっかりは難しくてさ」
 三宅は笑ってそう言うが、内心は穏やかではないだろう。
 こうして新しいセキュリティーシステムを作り上げては、それを突破され続け今に至る。
 まるで鼬ごっこだ。同じようなことの繰り返しで、戦いは永遠に続く。

「あ、こんな話をしている場合じゃなかったね。地下駐車場から通用門までのカメラを、一連の動きで繋げてみたんだ」
 メインコンピューターのスクリーンを切り替え、そこに過去の映像が早送りで流れ始める。
 画面右端に刻まれた時刻表示が、スロットのような速さで回転していく中、突然三宅が動きを止めた。
「で、怪しいのはこれ」
 三宅が指す画像は、昨日の夕刻だ。
 スーツ姿の男が、辺りを何度も振り返りながら、駐車場入り口から大臣通用門へ足を踏み入れている。
「長官?」
「うん。大臣専用の通用門に、なぜか長官が映ってるんだ」

 俺が警視庁に拘留されて以来、『長官に逆らえば降格される』という、悪循環に汚染された本部内。
 だから明らかに挙動不審でも、その男が長官であるが故、警備もそれを黙認したのだろう。
「長官が昨日本部を出たのは定時の十七時だから、引き返して来たってことだよね?」
「そういうことになるな」
 靴紐を結ぶため、その場に跪く長官。らしくない行動だが、この行動に意味があるはずだ。
 そしてその考えを肯定するように、三宅が画面を指差し言い切った。
「ほら観て、ここで何かを植木鉢の方向に滑らしてる」
「なるほど。そういうことか」
 こうやってスローで観れば瞭然だが、通常の速さならば見落としてしまうほど手際がいい。
 さらに靴紐を結び終えた長官は、監視カメラに向かって右手を挙げ、生前最期の笑顔を残し立ち去った。

「長官がカメラの位置を知っているのは当然だけど、なんでこんなことをしたんだろ……」
 本部に引き返したこと、大臣通用門に現れたこと、そして不可解なメッセージを残したことの全てに疑問を抱き、三宅がそれをそのまま口にする。
 監視カメラに向かい笑顔を見せたのは、これをライブで観ていた警備に怪しまれないためだ。
『俺はお前たちが観ていると知っている。だから気に留めるようなことは何もない』
 そんな無言の圧力を、警備に掛けたのだろう。
 だから何かがおかしいと思いながらも、この時点で警備は動いていない。

 長官が入り口付近に滑らせた代物は、今頃岩間と木村が探し当てているはずだ。
 それが何か解らない今は、長官の行動を断定することができない。
 けれど確かなことは、遺体右手に書かれていた文字も含め、長官を操った人物が存在するということだ。
 それも、俺たちを挑発するかのように堂々と、真っ向から勝負を挑んできている――

 胃の内容物などから、岡田が長官の死亡推定時刻を割り出している頃だろう。
 そしてその推定時刻はきっと、この映像直後だ。
 通常、心臓の機能が完全に停止すれば、体温を保持している組織の新陳代謝も停止する。
 当事者の体格やその場の環境によって変化はするものの、おおよそ一時間に一℃の割合で、体温は徐々に低下していく。
 午前二時過ぎの段階で、サーモグラフィが捉えた長官の体温は三十℃以下だ。
 このことから粗く計算をしても、あの時点で長官は死後七時間を経過していたはず。
 それなのに、長官自宅の非常スイッチが押された……

 全てを把握している者の、全てを見透かした行動。
 そう考えれば合点がいくが、なぜか胸がざわついて仕方がない。
 迷信や直感など露ほども信じてはいないが、嫌な予感が払拭できずに重く圧し掛かる。

 突然、室内のランプがブザーとともに点燈し、セキュリティーシステムの作動開始を告げる。
 メインスクリーン脇のモニターに、センサー下で佇む岩間の姿が映し出された。
 そしてそれは、まるでカテーテルのような血管造影に切り替わり、その数秒後、画面に合致を意味する【agreement】の文字が点滅した。
 そんな岩間に向けて、俺と同じく質問を投げる三宅。
「君の名前と、スリーサイズを言ってみて?」
 そこで、唖然とした岩間が、半口を開けてセンサーを見上げながら首を捻る。
「い、岩間直己? ス、スリーサイズは分からない……」

「表情を作り出す筋肉に代わりはないんだけど、正確には眼輪筋をターゲットに絞って観ているんだ。目は口ほどにものを言うっていうでしょ? それから瞬きね」
「瞬き?」
「うん。瞬きってランダムに打っているようで、実は固体によって正確なリズムを刻んでいるんだ。さらにこうやって脳に刺激を与えてやることで、脳が固体特有の指令を出す。だからモグラ対策の、嘘発見器にならないかと思ってさ」
 三宅の言葉を踏まえて画面の岩間を観れば、質問の直後から今まで、岩間は一度も瞬きをしていないことが解る。
「嘘は、瞬きにも影響するかも知れないと?」
「うん。でも、まだ実験段階だけどね」
 そしてその言葉を最後に、三宅がドアロックを解除した。

 カーディオ・ニュモ・サイコグラム。
 血圧や脈拍、呼吸速度に発汗量などで嘘を見破る現在主流の機材だが、これには限界がある。
 ましてその装置を被疑者に取り付けなければならず、水面下でのモグラ探しには役立たない。
 けれどこの新しい装置が完成すれば、静脈認証と組み合わせることで、コアにもモグラにも対応するセキュリティーとなるだろう。

 怪訝な表情で首をかしげながら、岩間がこちらに向かって歩き出す。
 そして三宅の意図に気付かず、俺たちの顔を途端に文句を放った。
「一体、なんであんな馬鹿げた質問を?」
「岩間くんの、秘められた馬鹿力解明に役立つんだよ」
「スリーサイズがか?」
「僕はJNのファンだからね。何でも知りたいのさ」
 こうやって飄々と質問を翻す三宅に対し、呆れたように岩間が鼻笑いをこぼす。
「フン」

「長官が隠した小包には、何が入っていたんだ?」
 直球で吐き出した俺の言葉に、岩間の眉が微妙に跳ね上がる。
 けれど一瞬の間を置いてからスクリーンに目を走らせ、そこに映る長官を見て取ると、事の次第を把握し言葉を繋ぐ。
「なるほどね。これをあそこに隠したのは、長官本人だったのか」
 そして『これ』と言う名の、小さな茶封筒を三宅に手渡した。

「M-DVだね。しかも今時にしては、とってもアナログだ」
 茶封筒の中身を確かめた三宅が、嫌味を吐きつつテープを再生する。
 くぐもった背景音が先にスピーカーから流れ出し、少し遅れて薄暗がりの画像が映った。
「これだからアナログは嫌なんだ。目を細めなきゃ何がなんだかわかりゃしない」
 小言を言いながらも、三宅が解像度を調節すると、そこに男の姿が浮かび上がる。
「こ、これは、まるで……」

 岩間が口籠るのも無理はない。
 明らかに長官とは別人の男が、長官殺害方法と同様に、粘着テープで手首足首を椅子に固定され、目隠しと猿轡を施されていた。
「なんだか僕、すごく嫌な予感がするよ……」
 顔を顰めながら言葉を吐き出し、そんな男の顔を拡大する三宅。
 そして、幾分真面になった映像を見つめ、目隠しを取った男の顔を想像すると、 予感が的中したとばかりに叫び出す。
「こ、これって、もしかして、矢部長官じゃない!」
 ところがそこに線の細い影が現れ、男の頭部に赤いマニキュアを塗った右手が添えられた。
「ん? 待て、女か?」
 岩間が腕で三宅を制し、食い入るように映像を見つめて疑問を口にする。
「や、やめてよ。長官を殺したのも、マニキュアを塗った女じゃなかったの!」

 拘束された男の背後に回った女が、右手で男の頭を強引に下げる。
 さらに、左手に握るフォールディングナイフを、ゆっくりと男の喉下に宛がった。
「なっ! 待て、待て、やめろっ!」
「うわーーっ!」
 そして岩間と三宅が絶叫する中、躊躇うことなく男の喉を掻っ切った――

「三宅、女の顔をどうにか映し出せ!」
「どうすれば、そんなことができるんだよ!」
 女の映像は、首から上が映されていない。
 だから取り乱す二人は、互いに声を荒げ、互いにいきり立つ。
 けれど、画面右端の影が微妙に揺れ動くことに気がつき、岩間と罵り合う三宅に声を掛けた。
「三宅、窓に反射している画像を、取り込むことができるか?」

「も、もちろん出来るよ。あ、そうか! これが女の顔かも知れない!」
 気を取り直した三宅が、マウスを素早く動かし始めた。
 窓に映る影が四角枠で囲まれ、それと同時にスクリーンへ拡大される。
 けれど拡大された女の顔であろう影は、厚い曇りガラスの向こうに居るような不透明さだ。
 だから岩間がまた、頭を掻き毟りながら騒ぎ出す。

「これじゃ、人相が全くわからないじゃないか!」
「これ以上はアナログじゃ無理だよ!」
「ならデジタルにしろよ!」
「うるさいよ岩間くん、少し黙ってて!」
 岩間と三宅の押し問答が続く中、アナログからデジタルに画像が処理され始め、モザイクがかった女の顔が、外側から鮮明に映し出されていく。
 ノロノロと処理を続ける機械相手に、岩間が苛立ちながら脚を振り動かすが、それでも誰も何も言わない時が過ぎる。

 けれどここからは、岩間と俺の形勢が逆転する。
 混乱と動揺で、思わず吐き気がこみ上げた。
 全体像を見なくても解る。額だけで充分過ぎるほどだ。
 これは紛れもなく……

「こっ、かっ……」
 女の全体像が鮮明になり、その姿を拝んだ三宅が咄嗟の叫び声を漏らした。
 そんな三宅の台詞に、反応した岩間が問い質す。
「三宅、この女が誰なのか知っているのか?」
 けれど三宅は岩間の問いに答えることなく、ただただ驚きで目を瞠りながら俺を見た。

 二人の視線を感じながらも、衝動的に服の上からIDタグを握り締めた。
 頭が働かない。完全に思考回路が停止する。
 そうして、千切れるほどにタグを握り締めたまま固まる俺を見て、状況を悟った岩間が確信を呟いた――

「AROMAか……」
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photo by ©Alice