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◇◆ Memory ◇◆
 ワサワサと忙しい朝っぱらから、居ても立ってもいられずにエントランスへ出向き、 キビキビと係りの方たちに指示を出す豊田さんを捕まえて、開口一番切り出した。
「豊田さん、あの、今日のマナー講座を、お休みさせてください」
「鈴姫さま、おはようございます。それは構いませんが、何かお困りなことでも?」
「あ、おはようございます。えっと、いや、その、ちょっと……」

 私の困惑を読み取った豊田さんは歩みを止めると、傍に居た係りの方たちに、一度だけ手の甲を向ける。
 すると皆がペコリとお辞儀をし、蜘蛛の子を散らすように辺りから消え去った。
「私がお力になれることはありますか?」
 顔を少しだけ傾けながら、豊田さんが優しく微笑みそう告げる。
 その微笑に、なにやら安心感が芽生えた私は、たまらず訳の分からぬ本音をポロっと吐き出した。
「ア、アイちゃんが、エースだったんです!」

 言ってからシマッタと思っても、言っちゃった言葉は戻せない。
 だからアワアワと微妙な動作を繰り広げる私に、豊田さんがにこやかな顔で繕った。
「鈴姫さまは、大変お疲れのご様子で。只今、相坂様をお呼び出し……」
「うわ、ま、待って! それだけは嫌です……」
 受話器のようなものを取り上げた豊田さんの腕を、必死に掴んで懇願すれば、眉根を寄せた豊田さんが、 渋々腕を下ろしてキッパリと言い放つ。
「そんな状態では、マンションから一歩もお出し出来ませんよ。相坂様のお帰りをお部屋で待つか、どなたかをこちらへ お呼びになるか、そのどちらかしか鈴姫さまには選択肢がございません」

 これでマンション脱出計画は、ものの見事に計画倒れと相成った。
 自分の間抜けな舌を、舌切り雀のごとく、ちょん切ってしまいたいところだけれど、 考えただけで痛そうだから、それも計画倒れで終わらせよう。
 ということで、残された私の選択肢は二つ。
 アイちゃんが帰ってくるのを待つか、誰かをここに呼ぶかだ。
 当然、後者を選ぶつもりだけれど、誰を呼んでいいのかが分からない。
 このモヤモヤに、ちゃんと答えてくれる人って……

「あ、坂東さんを、ここに! ……呼べませんよね」
 ようやく頭に閃いた人物の名を、声高らかに切り出してみるものの、肝心の連絡先が分からない。
 だから尻窄まりで言葉を繋げたけれど、なぜかアッサリ快諾された。
「かしこまりました。只今、先方にご連絡致します」
「れ、連絡先が分かるんですか?」
 驚いて咄嗟に言い返したところで、自分に知らないものはないとばかりに口端を上げた豊田さんが、スマートなお辞儀を繰り出しながら私を促す。
「鈴姫さまは、どうぞラウンジでお待ちください。あそこでしたら、お寛ぎになれるかと」

               ◆◇◆◇◆◇◆

 カウンターバーが設置された、一面ガラス張りのラウンジで、数冊のノートを抱きしめたまま待つこと数十分。
「鈴! 何かあったの!」
 ラウンジのドアが大きく開いて、血相を変えた坂東さんが飛び込んできた。
「や、別に何も……ごめんなさい、私の質問に答えてくれる人は、坂東さんしかいないと思って、それで」
 坂東さんの慌てようは尋常じゃない。だから焦って言い返すけれど、頭の中を駆け回る疑惑。
 一体、豊田さんは、何と言って坂東さんを呼び出したんだ……

「バンバンでいいよ」
 安堵と言う大きな溜息を吐き、目を細めて笑う坂東さんが、息を整えながら囁いた。
「バ、バンバン、本当にごめんね……」
「いや、鈴が無事で何より。何事もなくて良かったよ」
 お言葉に甘えてバンバンと呼ばせてもらったところに、訳知り顔の豊田さんが現れて、 バンバンにコーヒーを差し出しながらにこやかにつぶやいた。
「キャラバン殿下、お早い到着で何よりでございます」

「豊田さん、バンバンに何と……」
 今度は私に飲み物を差し出す豊田さんに向かって、疑惑の真相を聴きだそうとするけれど、途中で綺麗に遮られ、 お茶漬けよりもサラサラっと喉越しよく言い渡された。
「私はただ、鈴姫さまが朦朧としながら殿下のことをお呼びです。と、お伝えしたまでですが?」
 う、嘘がないから言い返せない。
 昔からレスタはこうだ。エースが喜びそうな意地悪を、合法的にアッサリ遣って退ける。
 確実にこの事は、エースの耳に入る。そしてそれを聞いたエースが、ニヤニヤしながら笑うんだ……

 そこまで考え付いて、ようやく本題を思い出した。
 こうやって次々と浮かぶ妄想が、バンバンの言っていた通り、私の前世の記憶かどうかを確かめなければならない。
 だから後生大事に握り締めていた数冊のノートを、バンバンに突き出しながら切り出した。
「バンバン、こ、これを見てもらえる?」
「鈴が描いていたマンガだね? 喜んで見せてもらうよ」
 どこぞの出版社へマンガを持ち込んだくらいの緊張感に、思わずクラクラと眩暈がしたけれど、 この方法しか思いつかなかったのだから仕方がない。
 そして、固唾を呑んで佇む私に、バンバンが最期の審判を下した。

「俺の知らない話もあるけど、知ってる話は全部本当。十八年以上前に、鈴がベルとして経験した出来事だ」
 バンバンの答えが、望んだ結果なのか、そうじゃないのかが分からない。
 だけどずっと灰色だった気持ちが晴れたのだから、それだけでも良かったはずだ。
 それでも、こみ上げる不安は隠せない。
「喜ぶべきなのか、分からないや……」

 どんなストーリーにしようかと考えて、ポッと思いついたことを描いていた。
 でもそれは、思いついたことではなくて、過去の記憶だったってことだ。
 おかしなおかしな話だけれど、そう受け入れてしまえば、全ての疑問が解決する。
 だけど疑問は解決されても、受け入れた瞬間、悲しい現実がやってくる……

「真っ赤な媚薬を飲んだところまでしか覚えてないの。だからハープに何があったのかまで、私には分からない。 なぜビオラが一緒に転生したのかも……」
「うん……」
「バンバンには、私たちを探すって目的があったでしょ?」
「ま、まぁ、ビオラを探すことについては、ハープに頼まれたことだけどね」
「じゃ、エースはなんでここに居るの?」
「それは、俺にもよく分からないけど、ベルはエースの婚約者だから……」
「仕方なく……でしょ?」
「鈴……」

 どんなにプラス思考で思い浮かべても、エースに好かれていた記憶がない。
 怒るか睨むかしながら強引に事を進め、嫌々そうな顔をして、仕方がないって言うだけだ。
 それでも一つだけ、私が傍に居てもいい理由があった。
 エースの身体が壊れそうになった時、私がそれを助けることが出来たから……

「ベルは、傷口に手を翳すと、それを治すことができたでしょ?」
「うん、俺も何度も治してもらったよ」
「それから、変なものが見えた……」
「そうだね。ベルはよく、誰も居ない場所に向かってお菓子を差し出してた。そうすると、お菓子が勝手にフワフワと浮かぶんだ。 あれを初めて見たときは、何事だと思ったよ」

 ベルには、ヘンテコな力があった。
 どこぞの超能力者みたいに、手を翳すだけで怪我や病気を治しちゃう力。
 でもそれはベルに限ったことではなくて、ココア王家に生まれた者は、確実に備わっている力だったはず。
 問題は、そっちじゃない力の方だ。
 ハープやバンバンはそうやって、それがベルなんだと簡単に受け入れてくれたけれど、グランドやビオラは、そんな私を化け物と呼んだ。

 見えるはずのないものが、見えてしまう力。
 当たり前のように見えるから、みんなにも、当たり前に見えるんだと思っていた。
 けれどそれは、私だけの特殊な眼力だったようで、あのアルでさえ、その手の話をすると顔を歪めた。
 見えない人の方が多いと悟って、私はその力を隠そうとした。
 だけどそんな時、初めてエースに出逢ったんだ。

 エースは、いつもたくさんの霊魂に取り囲まれていた。
 普段はとても大人しい霊なのに、自分たちが見える者が居たと分かると、集団になって自分の主張を繰り広げたがる。
 私は、彼らが見えても、声は聴こえない。
 でもエースは、彼らと会話ができたんだと思う。
 だから異常なほどの霊魂に纏わり憑かれ、願いを聞き入れてくれないエースに腹を立てた死霊が、エースの首を絞めたり、 襲い掛かったりしたんだ。

 私が化け物王女ならば、エースはキチガイ王子だ。
 突然もがき苦しみ発狂したり、何もない場所へ向かって剣を振り回したり、 そんなことばかりを繰り返したエースは、私が物心ついたときにはもう、気が触れた『キチガイ王子』と呼ばれていた。

 祭祀が好きなのは人だけではない。
 霊魂もまた、そんな人々に釣られるかのように、どこからともなく集まってくる。
 見ていられなかった。あれだけ首を締め付けられれば、相当苦しいはずだ。
 なのにエースは、平然としたままアルと話していた。
 国の祭祀で自分が取り乱せば、カプチーノの民が笑われる。
 それが分かっているから、ただ一人、誰に悟られることなく耐えていたんだ。

 だからエースの首を絞める霊魂に、後ろからそっと手を翳した。
 途端にその霊魂は、エースの首からスルスルと離れ、やってきた方へと戻っていった。
 お前にも見えるのか? そんな目で、エースが私を見たと思う。
 そして、それからすぐに、私たちはゼロを見つけた――

「鈴、大丈夫? 顔色が相当悪いよ?」
 バンバンの声で我に返り、ぼやけた視界をクッキリさせようと瞼を擦った。
 だけど視界は曇ったままだから、しつこいほど手を擦りつけながら、話の続きを言い放つ。
「今の私には、その力がないの。だから、傍に居てもいい理由がないの」
「す、鈴、ちょっと座って? ねぇ、本当におかしいよ?」
 バンバンが、オロオロしながら私に何かを言っている。
 それでも、高ぶっちゃった感情は、堪えきれずに口を飛び出した。
「わ、私が消えちゃえば、ほら、もう仕来りに悩むこともなくなるし、エースもバールに帰れるでしょ?  し、仕方なくこんなことをしなくても済むし、あ、でも予言で見つけられちゃうのなら、また媚薬を飲んで転生すればいいし」

「鈴ちゃん、今の言葉、もう一度言ってごらん?」

 突然のツッコミに驚いて振り返れば、アスコットモーニングに身を包んだアイちゃんが、ドアの前に立っていた。
 ぼやけた視界でも、手に取るように分かる。あれは、ウルトラスーパーのもう一ランク上クラスだ。
 ご、極悪非道のオーラを纏った、キュラキュラ大魔王だ……

 キュラキュラ星屑を振りまきながら、カツンカツンと音を立てて、アイちゃんが私に近づいてくる。
 恐ろし過ぎて言葉がでないから、とりあえずその場の勢いで逃げてみたけれど、 優雅なウォーキングは、キュラキュラさと速さを増して私に襲い掛かる。
「はい、捕まえた」
「つ、捕まえられちゃった……」
 なんという返事をしているんだと思いつつ、こちらもその場の勢いで放ってみた。
 けれど、そんな私の手首を握り締めていたアイちゃんが、突然方向転換をして、ドアの方まで戻っていく。

 ドア脇に設置されているインターフォンに向かって、アイちゃんがいきなり言い出した。
「豊田さん、ちょっとラウンジまで、体温計を持ってきてくださいな」
 訳がわからず、呆然とするバンバンと私を尻目に、ものの数十秒で豊田さんがラウンジに現れる。
 そして電動ドライバーのような形の物体を豊田さんが差し出すと、 それを受け取ったアイちゃんが、ドリルみたいな先端を、強制的に私の耳の中へ差し込んだ。

 ホラー映画のヒロイン並みに、悲鳴を上げようとした瞬間、パスンという音を立てた後、それはすぐに引き抜かれた。
 首を伸ばしてその物体を覗き見たけれど、アイちゃんがまたまたそれを豊田さんに返却し
「レスタ、侍医とアルを呼んでくれ」
 笑顔とは程遠い表情で、そう豊田さんに告げた。

 神妙な面持ちで頷くと、豊田さんは足早に部屋から去って行く。
 そして、その代わりに何かを悟ったバンバンが、私に向かって手を伸ばす。
「なんで鈴が熱なんか……あ、そうか! だから鈴は力が!」
 けれどダンスのターンみたいに私ごと回転したアイちゃんが、チロっと後ろを振り返りながら、背中側のバンバンに言い出した。
「ばんちゃん、そんなことより、お薬を調合して?」
「あ、そうですね。すぐ材料をかき集めてきます」

 こうして、バンバンまでもがその場を去り、ラウンジに残された私は、 相変わらず目をゴシゴシと擦りながら、キュラキュラ大魔王継続中のアイちゃんに切り出した。
「ア、アイちゃん、あのね……」
「鈴ちゃん、今日のご飯は、お粥にしようね」
 けれどやっぱり、いつものように軽くかわされて、身体がポワンと宙に浮く。

「あのね、バンバンは私が呼んだの」
 ジタバタしながらそう言ったところで、アイちゃんの眉毛がピクンと跳ねる。
 けれどやっぱり、うっとりとしちゃうほどの笑顔で、可愛らしく返答された。
「そうなんだ〜それは素敵ね」

「ア、アイちゃん、お願いだから話を聞いて?」
「四十度も熱を出している鈴ちゃんの話なんて、聞けません」
「エ、エースってば! ……え、四十度?」
 どうやら私は、数字に弱いらしい。
 だから数字を聞いちゃった途端に、身体がカーッと熱くなり、心なしか頭痛まで訪れた。
 そして、そんな急激にグッタリする私の真上から、私を抱き上げる人物の久しぶりな雷が落ちた――

「誰に抱かれているのか分かっているのなら、大人しくしてろ」
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