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◇◆ Moon ◇◆
「ふあっ…んっ、あっ、や、も、あぁぁっ!」
 うつ伏せにベッドへ沈み込み、このままズブズブと、めり込んでいきたいほどの疲労感が私を包む。
 それでも無造作に置かれた私の両手の甲を、エースが自分の手を重ねて包み込み、うなじにキスの雨を降らしながら、飽きることなく私を抱く。
「うぅぅっんっ、あぁっ…つっ、んぁっ」
 そして私はまた仰け反って、訳もなくシーツを掴む……

 あれから、どのくらいの時間を、こうして過ごしているのだろう?
 分厚く柔らかいカーテンの引かれた部屋は、日差しが届くことなく、今が昼なのか夜なのかすら分からない。
 丸く霧のように吐き出される熱い息と、身体中から溢れ出る、互いの液体の香りが充満したその部屋で、 数え切れないほどの絶頂を叫び、ウトウトしてはまた抱かれ……
 それでも既に悲鳴を上げている身体とは裏腹に、心は離れていた時間を取り戻そうと、必死でエースにしがみつく。

 初めて身体を重ね合わせたとき、重ねられた肌から、エースの震えが伝わってきた。
 私が約束を破ってしまったから、憤りからくる震えなのだと思う。
 それなのに、何度も何度も私の名を囁くエースの声が、それ以上の何かを期待させた。
 怒りだけじゃないと、その声で囁いて欲しい。
 そこに私を想う気持ちが、少しでも込められていて欲しい……

 刻み込まれるたびに、注ぎ込まれるたびに、身体が記憶を取り戻す。
 考えてみれば、生まれ変わってからは一度も、こうして正面からエースに抱かれたことがない。
 アイちゃんとは違い、荒々しく攻撃的な抱き方だけれど、その激しさの中に沢山の感情を詰め込んで、 まるで言葉ではなく、身体で何かを伝えようとしているかのように、私の中へと注ぎ込む。
 おかしな話だけれど、私はこんなエースの抱き方が好きだ。
 込められた感情の正体など、何一つ分からない。なのに貫かれる度、愛しさがこみ上げるんだ。

「エース……んっっ!」
 そしてまた私は弾け飛び、ベッドに沈み込んではシーツを掴む――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 もう震えることのなくなったエースの胸に包まれて、ゆっくりと奏で続ける鼓動に耳を澄ます。
 けれど突然その鼓動が早まって、ビクンと跳ね上がるように目覚めたエースが、私をきつく抱きしめながら溜息を吐いた。
 その溜息が私の髪を揺らし、額に宛がわれた唇の温かさで目が覚めて、重い瞼を渋々こじ開ける。
「ん…いま何時……?」
「そんなことはどうでもいい……」
 答えになど全くなっていない言葉をつぶやいて、エースが私の身体を仰向けに倒す。
 そしてまた、腫れの引かない唇に、自分自身の唇を重ね合わせ始めた。

「の、喉が渇いちゃったかも……」
 息継ぎの合間にそう切り出してみたけれど、動きを止めることなくエースがベッド脇のテーブルに手を伸ばし、 口に含んだ琥珀色の液体を、口移しで私に注ぎ込む。
「んふっ……」
 口の中に広がりすぎて、唇から溢れ出すその液体を、エースが唇で吸い取っていく。
 そして冷やされた舌で、また私の胸の先端を転がし始めるから、ゴニョゴニョと動いて抵抗した。
「あっ、んっ……だ、だめ…もうダメ……」
「覚悟しておけと、言ったはずだけど?」
「お、おトイレに……」

 歯の痛みと体の痒みと生理現象だけは、誰にも我慢できないはずだ!……と思う。
 しかもレディーらしく、ちゃんと『お』も付けているのに、 そこまでゲンナリした顔をしなくてもいいと思う。
 それでもとにかく、久しぶりにエースの腕から解放されて、滑るようにベッドから降り立ったのだけれど……
 今私は、なぜ蛙があんなに、ガニ股なのかを理解した。
 あんな格好をずっとしているから、あんなガニ股になっちゃうんだ。
 けれどガクガクと震えるガニ股は、蛙よりも数段情けない。

 毛布をバスタオルみたいに身体へと巻きつけて、壁を伝いながらヨロヨロと歩く。
 ダンスを何時間踊った後ですら、ここまで足元がおぼつかなくならなかったと思う。
 なんだかとっても、過酷なダイエットに挑戦した気分だ。
 これで数字に変化がなければ、その体重計が壊れているに決まっている。……はずだ。

 しっかし、想像以上にトイレまでもが広い。
 どこかのデパートみたいに、男子用と女子用が別れちゃっているところが尚凄い。
「なんか私、ここだけででも暮らしていけそう……」
 そんなことをボソボソとつぶやきながら便座に腰を掛け、溜息をついたところで急激な眠気が身体を襲う。
 ここのトイレの記憶はないけれど、妙に落ち着くんだから仕方がない。

「まさか、そんなところで寝ていないよね?」
 突然のそんなエースの声で、体がガクンと前後に揺れた。
 今のエースの台詞には、明らかに疑問符が付いていたから、寝ちゃっていたことはバレていない。
 だから口の周りを手で拭いながら、慌てて言い訳を試みる。
「い、いやだなぁ、寝るわけないよ…ト、トイレなんかで……」
「よく言うよ。常習犯が」
 ど、どうやらベルさんは、ここで居眠りする常習犯だったらしい。
 トイレで居眠りをするお姫様って、なんだかとっても、こう……

「ベルちゃんに、親しみが湧いちゃうな」
 格好悪さを隠すように照れ笑いを浮かべてドアを開け、目を泳がせながらつぶやいたけれど、 ローブを羽織ったエースが、例の如く人差し指を突きたててアッサリ否定する。
「いや、親しむも何も、お前本人だから」
「そ、それは分からないかと……」
「いいえ、完全に、絶対に、お前本人です」
「そ、そんなことは、ないんじゃないかな……」
 そこで、いつまでも続きそうな水掛け論をエースが止めた。
「どうせまた寝てたんだろ? 風呂にお湯が溜まるまで、トイレに篭っていたくせに」

 お風呂と聞いて、目が輝いた。
 別にしずかちゃんほどお風呂好きじゃないけれど、汗でベタベタな身体にとって、その響きはなによりも甘美だ。
 だから促されるがままいそいそと、エースとともにバスルームへ向かう。
 ところが、床から数段上がった先にそびえるドデカイ湯船には、テカテカトロトロな、お湯らしき物体が溢れている。
 さらに、ポコポコとそこら一体から泡が浮かんでは消えて、それが魔女の鍋を連想させちゃうから恐ろしい。
 とにかく見るからに高温そうな、見るからに躊躇いたくなるお風呂加減。
 まさか、コロッケにでもされちゃうんじゃなかろうか……
 いや、コロッケじゃなくて、ロースカツかも。

「う、あ、こ、これ、天ぷら油?」
「はっ?」
「だ、だって、トロトロしてるし、ボコボコしてるし……」
「トロトロは薬草油。ボコボコは気泡。いいから早く入れよ」

 まごつく私の背中を、エースがグイっと押し込んで、強制的に片足が湯に浸かる。
 そしてその瞬間、ジュワジュワっとした小さな泡が、音を立てて私に襲い掛かるから大変だ。
「やっ、やっぱりメンチカツにされちゃうんだっ!」
 慌てて足を引っ込めて、その足をブンブン振りながら騒げば、予想外の展開にエースが珍しく戸惑い叫ぶ。
「えぇっ?」
「だ、だって、ジュワジュワって! ジュワジュワって!」
 だから必死で怖さをアピールしたものの、事の次第を理解したエースの何とも言えないヘンテコ顔。
「炭酸ガスなんだけど」

「バブか。バブだったんだな? 脅かすなよバブめ」
 呆れ果てるエースを尻目に湯船へ浸かり、お湯に向かって罵り言葉を吐いてみた。
 多分これが、俗に言う八つ当たりという代物なんだろうけれど、この気まずさから逃げ出す手段はこれしかないのだから仕方がない。
 けれどすぐ、そんな八つ当たりをしてしまったことに後悔した。
 小さな小さな泡が、身体中にくっついて、トロトロなお湯が、身体中に絡みつく。
 なんとも言えないその感覚に、地獄谷の猿っぽく鼻の下が伸び始め、極楽浄土に酔いしれた。

 突然照明が落とされて、バンブーなブラインドがスルスルと上がり始め、そこに大きな窓が表れる。
 そしてその向こうに、柔らかい光でライトアップされた庭園と、奥まで続く深い森が見えた。
「やっぱり夜だったんだ」
 何がやっぱりなのか分からないけれど、とりあえずそうつぶやいたところで、 月明かりだけの暗い湯船の中に、エースの姿が水音とともに現れた。

 いつもとは違って、無造作にかき上げられたオールバックの濡れた漆黒の髪。
 窓を見上げる闇のように深い瞳の上に、月の破片が反射する。
 つい、その横顔に見とれていた。
 こんなにも美しい人に、私はずっと抱かれていたんだと思っただけで、なにやらゾクゾクしはじめる身体。
 なにかがおかしい。この感じは、どこかで出逢ったことがあるんだけれど……

「エースって、綺麗だよね」
 いきなり何を言い出すんだとギョッとして、そんな言葉を口走った自分に驚くけれど、驚くのはまだ早かった。
 さっきまで遠く離れた場所に居たはずのエースが、手を伸ばせば届くほど間近に居る。
 いつの間にエースは寄ってきたのだろうと思いながら、もう少し離れようと試みたつもりが、 なぜか右手はトロリとしたお湯を滴らせて、エースの頬を撫でている。
「あ、あれ? お、おや? なんで…んふっ」

 意思に反して、身体が勝手に動き出す。
 いつの間にか自らエースの上に跨って、両手で頬を包み込み、湯船の縁に仰け反るエースの唇を奪っていた。
 ところがそれだけじゃ飽き足らず、エースに覆いかぶさり、今度は左の胸をエースの唇に押し付けた。
「や、やめ…なんでぇ! あうんっ……」
 エースが下から私の胸に吸い付く音が、広い風呂場の壁に反射して、エコーをかけながら耳に届く。
「んあぁっ! ど、どうし…あんぁっ……」

 どうして、なんでと繰り返し叫びながらも、両手はエースの首筋をたどり、トロトロと一緒に胸を滑る。
 自分の仕出かしている行為が信じられないまま、唇を塞いでいた胸の先端を外し、かぶりつくように唇を奪う。
 上から襲い掛かるようなその行動は留まることを知らず、まるで獣のようにエースを貪り続けた。
「ベル……」
 未だ縁に仰け反ったままのエースが、熱く吐き出される息とともに、そっと私の名を呼ぶ。
 そして私は、エースの胸の先端を舐め上げながら、説得力に欠ける言葉を吐き出した。
「エ、エース…と、とめて……」

 私の脚の間で、固くなったエースが蠢いているのが分かる。
 やめて、やめて何するの! などと心で叫びながらも、エースの身体に沿ってスルスルと下り、欲するがままに自らエースを包み込んだ。
「ぐぅっ…んっ……」
 お湯が、飛び散る雫で波紋を描く。
 浮力でうまく動けないのに、それでも快楽を求めた身体は、狂ったように速度を上げていく。
「あっ、んっ、あっあっあっあっ…と、とめて……」

               ◆◇◆◇◆◇◆

 もう狂いそうだ。いや、既に狂っているんだった。
 あれだけエースに抱かれて、眠くてだるくてたまらないはずなのに、さらにトイレで居眠りまでしちゃったはずなのに、 エースに襲い掛かる自分を止められない。
 それどころか充電バリバリ満タン状態で、リズミカルに動いちゃってる自分が、アンビリーバボーだ。

「や、あっ、なんでっ…んっ、あ、なんでぇぁぁぁっ!」
「許さないって言ったでしょ?」
 カクンカクン揺れながら、その独特な口調に嫌な予感がして見下げれば、お湯よりもキュランキュラン輝く満面の笑顔。
「あ、あ、ア、アイちゃん? ん、ん、ん、ああっ!」

 このキュラキュラ大魔王が登場したということは、何やらよからぬことを企てられたに決まっている。
 エースはこんなことをしない。やるのは、いっつもアイちゃんだ。
 そして予想通り、シレッと爽やかにアイちゃんが言い放つ。
「だって疲れちゃったんだもん。だから選手交代ね?」
「や、え? あ、ま、また…んっ、あぁぁっ!」

 またやられた。やっぱりこのお風呂は、魔女の鍋だったに違いない。
 ここから、いち早く脱出しなければ身が持たない。
 だから意識を集中させて、脱出計画を練り上げるけれど、私の身体に腕を巻きつけたアイちゃんの、 極上スマイル通達が投下された。
「あ、大丈夫よ。お湯に浸かっている限り、疲れないから。まるで鈴ちゃんは馬車ウマねー」
「い、いやぁぁぁぁぁぁ!」

 今気がついたんだけど、絶対にエースよりもアイちゃんの方がたちが悪い。
 キュラキュラしているから、見かけに騙されちゃうけれど……
 言葉遣いが可愛らしいから、騙されちゃうけれど……
 これだけは断言できる。アイちゃんの方が、エースよりも断然意地悪だ!
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photo by ©clef