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◇◆ THE HERMIT FIN ◇◆
 その昔、バールの四つの国は、四人の神が治めていた。

 白の国は、力と戦いの神 『クレス』
 青の国は、冥界の神 『フィン』
 赤の国は、予言の神 『アポロ』
 緑の国は、魔力の神 『ディーネ』

 そして、全知全能を司る神族の王『ラノン』は、バール中央に神殿を構え、妻『レイア』、末娘『ベラ』と共に、その神殿に住まう――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 バール神話が綴られた古書を、溜息混じりに重く閉じた。
 頭の中は様々な仮説で埋め尽くされるものの、確信の持てるもなど一つもなく、どれもこれも早々に行き止まる。

 エースはあれから、一向に目覚める気配がない。
 会議を終え、俺の自室に引き上げて間もなく、エースは突然に意識を失いその場へ倒れた。
 ゼロとエースが一体化するとき、こういうことになるとは聞いている。
 それでも、特別なことが起きない限りは、ゼロと一体化などしないはずだ。
 しかも倒れる直前まで、俺と論議を交わしていたのに、言葉の途中で唐突に倒れている。

 未だ父上と対談しているカプチーノ王に、このことを知らせた方が良いのかと戸惑うところで、庭園迷路の中に動く人影を見つけた。
 その人影がベルであることを確認すると、エースの現状と照らし合わせ、何かよからぬことが起きるような予感が走る。
 さらに突然、空気が肌に纏わり付くよう重くなり、その感覚に身体中の皮膚が粟立った。
「な、なんだこの圧迫感は……」
 俺には、エースやベルのような能力はない。
 それなのに、犇々と締め付けるように迫ってくる、この見えない感覚に動揺した。

 そしてその瞬間、胸に架かる水晶のペンダントが、オーロラのような七色の光を放ちだし、五線譜を描きながら、迷路の方角へ流れ始めた。
 誰かに呼ばれている。
 無意識の領域でそう確信し、エースを置き去りにしたまま、後先考えずに部屋を飛び出した――

 暗闇の迷路でも、明かりなど必要なかった。
 オーロラが、俺を案内するように行く道を照らし出す。
 父上も異変を感じ取ったのだろう。沢山の護衛を引き連れ、ランタンを手に俺を追いかけてくる。
 けれど、迷路中央辺りの岐路を曲がったとき、その光が突然消えた。
 そして目の前の暗闇に、芝へ倒れるベルと、威嚇の吠え声を上げる獅子を見つけた……

 王に触れずとも、ルーティの姿が俺に見える。
 それもそのはずだ。たった一度だけ、王に触れて見たルーティとは訳が違う。
 普通の獅子二頭分は優にある巨大な猛獣が、完全な実体化でその場に降臨しているのだから……
 後方から、護衛たちが武器を構える音が続々と鳴り響く。
 けれど父上が珍しく大声で叫びながら、そんな護衛を止める。
 そして俺はその場に立ち尽くし、ベルを傷つけないように注意を払いながら自分の背に乗せるルーティを、ただ呆然と見つめていた。

 こんな時に限って、俺の頭は働かない。
 予測不可能な出来事に、脳と心が付いていけず拒否反応を起こす。
 だから俺にはエースが必要だ。あのオーロラのように、行くべき道をあいつが切り開き、俺はそれを追いかければいい。
 呆然としながらそんなことを考えて、そこでようやく思いつく。
『エースならどうしただろう? エースならどう動く?』
 答えは簡単だ。どんなモノからも、ベルを奪い返すはず――

 武器を手にすることなく、ルーティの元へ一歩一歩近づいた。
 父上の鋭く息を飲む音が、背後から俺の耳に届く。
 俺が近づいていることを知りながらも、ルーティは悠然とその場に居る者たちを見つめていた。
 けれど、腕を伸ばせば届くほどの距離まで到達すると、俺へ視線を走らせ、深い悲しみに囚われた面持ちで呟いた。
「神族の血を受け継ぐ者たちよ、何故そなたたちは、同じ惨劇を繰り返そうとするのだ……」

 その言葉を最後に、ルーティがベルを背に乗せたまま飛び上がり、見上げる人垣を越えていく。
 父上も護衛も俺も、何も手出しができないまま、ただその光景を眺めていた。
 けれど不意に、ルーティの姿がベルとともに消え失せると、恐怖や重圧感から解放されて我に返った面々は、ルーティの捜索に精を出し始める。
 それでも俺はその場を動くことなく、ルーティの最後の言葉を復唱し続けた。

『神族の血を受け継ぐ者。同じ惨劇を繰り返す……』
 エースがピューボロスで、ベルがベラの生まれ変わりだというのならば、 その惨劇を繰り返すであろう人物たちも、全て生まれ変わっているということなのか?
 ならば俺は、誰の生まれ変わりだというのだ。
 青の国は冥界の神、フィンが治めていた。
 だが俺には、冥界の神ならば持ち合わせて当然な能力がない。
 俺がフィンの生まれ変わりである証拠など、どこにも……

『探せ、証拠を探すんだ。この仮説はきっと正しい』

 湧き上がる想いに支配され、群がる護衛を掻き分け、逆方向へ走り出す。
 エースを叩き起こし、二人で古書を隈無く調べ直せば、きっと何か解る筈だ。
 けれど自室に飛び込み、声を荒げながら揺さぶり続けても、エースの意識は戻らない。
 だから仕方なく、汚い罵り言葉を舌打ちとともに吐き出しながら、机に置かれた無数の古書に手を伸ばす。

 エースを見ながら適当に開いた頁へ目を落とすと、そこには不思議な挿絵が描かれていた。
 まるでタロットカードの隠者の如く、頭まですっぽりとマントを被り、暗闇へ向けて明かりを掲げる男の絵。
 男の顔は、マントで隠れて拝むことができない。
 けれど男の胸に架かる装飾品に、俺は釘付けとなった。
「この形は……」

 左手で、思わず自分の胸に架かるペンダントを握り締める。
 俺が母上の胎内から出でたとき、左手に握り締めていたという雫形な水晶の塊。
 それを父上がペンダントに加工させ、俺の胸に掛けたと聞く。
 細かい細工など、挿絵からでは解らない。
 それでも解る。それでも伝わる。この男は俺だ……

 挿絵枠外の中央に、男の名であろう古代文字が並ぶ。
 その文字を指で追いながら、ゆっくりと読み上げた。
「冥界神フィン。隠れる者ではなく、隠す者……」
 この挿絵が真実ならば、俺は冥界の神フィンの生まれ変わりということだ。
 ようやくそう納得してから、慌てて頁を捲り、他の神々の挿絵も確かめる。

 甲冑に身を包んだ男が、二頭の馬を生やした車輪に乗る挿絵。
 その男の手首に填められた太い腕輪は、グランドが填めているバングルと瓜二つだ。
 さらに、分厚い書物を手にして玉座へ座る、女性の胸に輝く大きな赤の石。  これはハープのルビーと一致する。
 間違いない。グランドは戦いの神クレス。ハープは魔力の神ディーネの生まれ変わりだ。
 けれどまたそこで、おかしなことにぶち当たる。
 予言の神アポロだけは、生まれ変わりが存在しない……

 七人の王子と王女全てに、生まれ変わりの配役が与えられているのならば、 アポロの生まれ変わりは、残るキャラバンかビオラとなるはずだ。
 けれどそのどちらも、赤の国カプチーノとは関わりがない。
「いや、待て…… 何かがおかしい。なぜこれが……」
 剣と天秤を手にして玉座に座る人物。  その挿絵によって、ようやく疑問が解き明かされた。
「なんてことだ。もしこれが本当ならば、キャラバンとビオラは!」

 エースの存在すら忘れて、ありったけの古文書を手に神殿へと向かう。
 魔界を訪れなければ終わらない。
 けれど魔界へ辿り着くためには、冥界を訪れなければ始まらない。
 俺がフィンの生まれ変わりだとすれば、神殿から冥界への扉を開けることが出来るだろう。
 そして魔界への扉は、ハープでなければ開けられない。
 だからハープは、魔界の扉が決して開かぬように、自らを仮死状態へ陥れたんだ。
 ベルを守るため。バールを守るため。そしてあの挿絵が真実ならば……

 神殿の重く閉ざされた扉の前に立ち、石に刻まれた窪みへ手を差し入れると、 取り巻く空気と同じような重苦しい音を立て、徐々に扉が開いていく。
 そんな扉を見つめながらまた、深く物思いに耽る。
 神話を再現するのであれば、ベルを魔界へ送り込まなければならなかったはず。
 けれどそれを阻止しようと、ハープは害のない人間界にベルを転生させた。
 いや待て。神話では、ベラを魔界へ送り込むようディーネへ命じたのはクレスだ。
 そう考えれば、ベルを人間界へ転生させるよう命じたのは……

「冥界の扉を開ける気か?」
 轟音が響く中、掠れた声が俺の思考に割って入る。
 一瞬身体を震わせてから声のする方へ振り向けば、柱の影から男が現れ、ほくそ笑みながら言葉を吐いた。
「俺がもし、力ずくでそれを阻止しようとしたら、お前はどうする?」

 相手を挑発し、その後の出方や言動で、状況を把握しようとする男。
 昔から、何を考えているのかまでは解らずとも、こいつの思考回路が手に取るように解る。
 なぜならそれは、俺と同じ経路を辿るからだ。
 だからその挑発に乗ることなく、嫌味を嫌味で投げ返す。
「お前は阻止などしない。何よりも冥界へ行きたかったのは、お前だろうからなグランド?」
 その台詞でグランドの目が細まり、そのまま俺を直視する。
 そして一瞬だけ左下に視線を投げた後、無言のまま元の表情に戻った。

 対極の地に生まれ、対極の性格だと周りからは囁かれるが、根底である軸は変わらない。
 それは、同じく対極の地に生まれたエースとキャラバンにも言えることで、やつらは互いに、直感や本能で衝動的に動く。
 そして俺たちは、何をするにも理性が残る。
 頭の中で構想を練り上げなければ動けない、臆病者と言うのかも知れない――

「それはそうと、エースはどうしたんだ?」
 神殿入り口の扉が開き切ったところで、グランドが唐突に言い出した。
 だから内部に足を踏み入れながら、手のひらを翻してそれに答える。
「わからん。突然意識を失ってぶっ倒れたままだ」
 そこで、苦虫を噛み潰したような表情のグランドがボソッと呟く。
「また誰かに憑依したのか……」

「また? まるで憑依されたことがあるような言い方だな?」
「何もかも知っているくせに、そういうところがお前の嫌なところだよ」
「お前も同じ穴の狢だろ?」

 大理石で覆われた神殿に、俺たちの足音が何重にもこだまする。
 この場に居ない者のことで、無意味な会話を続けても仕方がない。
 だから単刀直入に、グランドへ切り出した。
「いつから気がついていたんだ?」
「話せば長くなる。だが確信したのは、ベルを転生させる直前だ」

 そこで俺は足を止め、先を行くグランドの背中へ向けて、ジワジワと湧き上がる憤りを吐き出した。
「ある日突然変貌したお前の態度に、エースや俺が気付いていなかったとでも?  憎まれ役を買って出るのはお前の勝手だ。だが、なぜハープまでを巻き込んだ?」
 するとグランドが立ち止まり、ゆっくりと振り返りながら答える。
「俺が疑惑を抱いたのは、キャラバンが生まれて間もなく、ビオラとともにマキアート城を訪れた時だった……」
 そこまで言うとグランドは一旦息を止め、わずかな沈黙の後、その後に起きた出来事を語りだした。

「……そこにハープも居たというのか?」
「そういうことだ」
 苛立ちが、雷の如く俺の身体を貫いた。
 分かりきったことなのに、グランドの胸倉を掴み、自慢の理性すら忘れて怒鳴り狂う。
「なぜもっと早くに、こうなる前に、俺だけにでも話さなかった!」
「ならば訊こう! 言えば信じたか? お前の親友と妹は破壊神だと、お前自身もまた、冥界神だと信じたか!」
 俺の手を払い、負けじと声を張り上げるグランド。
 そんなグランドの声が俺の中に浸透し、払い退けられた手で額を覆いながら、冷静さを金繰り集めた。

 きっとグランドの言う通り、俺は信じなかっただろう。
 こうなった今でさえ、認めることが出来ずにいるのだから。
 それでも告げて欲しかった。
 ハープを巻き込む前に。ハープを苦しめる前に……

「あの現場を観た者でしか、信じることはできない。いや、観た俺やハープでさえも、信じるまでに十年を費やしたんだ!」
 未だ声を荒げるグランドが悲痛な叫びを放つ。
 それに誘発され、額に当て続けていた手を勢いよく振り下ろして嫌味を吐いた。
「信じた結果がこれか? 十年間を費やした結果がこれなのか?」

 そこでようやく力が抜けたグランドは、辺りの支柱に凭れ、うな垂れながら呟いた。
「こうするしかないと思ったんだ。ハープと二人、考えて考えて、 これが一番の解決策なんだと。けれど結局蓋を開ければ、お前の言う通り、神話の再来だ……」

「冥界の壁には、アポロの手で書き記された真実の神話があると言う。 それを知らなければ、運命を変えようと躍起になったところで、結局は神話の再来を綴るだけだ」
 歩みを再開しながら古書の内容を語り、通りすがりにうな垂れ続けるグランドの右肩を叩く。
 するとグランドが顔を上げ、俺の背中に囁いた。
「遅すぎる台詞だが、この俺で役に立てることがあるか?」
 だから俺は、振り向くことなく答えを告げる。
「当然だ。アポロを見分けられるのは、お前しかいない」

 胸に架かる水晶のペンダントを外して、古書に記された通り、神殿に祀られた女神像の胸の窪みに埋め込んだ。
 すると金属が擦れ合うような、耳を塞ぎたくなる強烈な音が神殿内に反響し、ものの数秒で治まったその音と入れ替えに、初めて見る通路が目の前に現れた。
 まるで、地の底にまで辿り着けるのではないかと思えるほどの、深く長い階段が入り口から延々に続いている。

 身構えて、腰に掛かる剣に手を伸ばすグランドが、剣を引き抜くことなく呟いた。
「驚いたな。これが冥界への入り口か……」
「どうやら、そのようだ……」

 そして、この扉を開けることこそが、惨劇の幕開けになるとも知らず、 俺たちは新たな通路に足を踏み入れた――
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photo by ©Alice