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◇◆ Rainbow ◇◆
 冥界での暮らしは、とても穏やかなものだった。
 冥界の神フィンは、何の記憶も持たない私を受け入れ、妹のように可愛がってくれた。
 アポロという名の、心許せる友もできた。
 アポロはその昔、予言を司る神族の一員だったらしい。

 私の身体には、解毒不能な毒が混在されているという。
 だから私は、次々と転生をしていく周りの者と違い、生まれ変わることができないのだとフィンに教えられた。
 アポロもまた、私と同じような毒に侵されているらしく、やはり私同様、生まれ変わることが許されていない。
 そんなアポロが、私たちの遠い未来を予言した。
 だからこのことを、深き眠りにつく前に、私は書き記さねばならない。

 アポロは言った。
 貴方の毒は強力すぎて、永遠に転生することができない。
 けれどいつかの世に、貴方の全てを受け入れることの出来る器が誕生する。
 それは、貴方を不憫に想う、フィンの子孫の元へ現れる。

 満を期して、貴方はその器の中へ入り込み、そしてそのまま眠り続けるだろう。
 けれど、完全に記憶を取り戻した貴方が目覚めるとき……
 冥界の扉が開かれ、私の魂が解放される。
 そしてそれはまた、魔界の門番までもを呼び起こし、故に当然、魔界の扉も開け放たれるであろう。

 世のため、貴方も私も、此処へ留まるべきと想う。
 それでも全ての決着をつけるには、この時の他ならない。
 その結果がどうなるのかが、私には見えない……
 けれど、僅かな望みを貴方に託そう。
 全ては貴方の想うがままに。その時まで、私はこの冥界で深く眠る――

 アポロの予言通り、私は今、器の中へ入り込んだ。
 直に私の魂は、この器の中で再び凍結してしまうだろう。
 それでも、限られたそれまでの時は、意味のあるものだった。

 私は虹が見たかった……
 あの青く澄んだ空に架かる虹を、心から見たいと願い続けていた。
 なぜこのような想いを、抱いていたのかは解らない。
 けれどきっと、これからこの器の中で、想い出していくのだろう。

 あぁ、本当に美しい虹だ。
 この願いが叶えられただけで、私は幸せだと心から想う――


               ◆◇◆◇◆◇◆

 天井に広がる古代文字を一語一語丁寧に読み取り、全ての文の解読を終えたときには、首が凝り固まっていた。
 バールの空に、虹が架かることはほとんどない。
 さらにバールの民は、虹を神話になぞって『ベラの降臨』と呼び、不吉なことの起こる前兆として忌み嫌っている。
 現に俺が生まれてから、最初で最後の虹が架かったあの日、俺の中で眠る怪物が暴れだした。

 ベラの日記とでも言えそうなこの文と、俺の記憶を合わせれば、答えは直ぐに出る。
 ベルはベラの生まれ変わりではなく、ベラを受け入れることのできる器だったということだ。
 そしてベルがぶっ倒れたあの日、ベラがベルの中へ入り込んだ……

 ベルが呼んだのか、ベラが呼んだのか。俺が動いたのか、ヤツが動いたのか。
 どちらにしても、気を違えた俺はココア城へと向かった。
 けれどベッドで固まるベルを目の当たりにして、ヤツよりも俺の感情が優先された。
 あのとき俺は、俺の力がヤツよりも勝ったのだと思っていた。
 でもそれは違う。
 ベラの魂は、ベルの中で目覚めたのではなく、逆に眠りについたんだ……

 だからヤツは退き、俺にその場を譲った。
 何百年もの間、ただ一人孤独にこの日を待ち侘び続けたにも関わらず、数々の妨害でその機を逃した。
 そんなヤツの想いを考えると、なぜか震えが止まらない。

 解らないことが沢山あり過ぎだ。
 なぜベラには記憶がないんだ? 強力な毒とはなんだ? なぜベルの中へ入り込む必要があったんだ?
 そして、このアポロの存在だ。
 予言の神アポロは、我がカプチーノ王家の祖先だ。
 なのになぜ、冥界へ囚われている?

 ベルの中へ入り込み、再び眠りにつくまでの時間。
 その時間に、意味があったのだとベラは記している。
 明らかにベルではなく、ベラの仕業だと思われるものは、ベルの私室に描かれた壁画とこの日記。そして……

「え、えっと、エース? く、首がつっちゃった……」
 解けそうで解けない謎を悶々と考えあぐねる俺の脇から、一人三役をこなす問題の女が、戯けたことをヌカシ始めた。
 大体この女は、何食わぬ顔をして、何体の魂を腹に収めれば気が済むんだ?
 絶対にこいつの胃袋は、『魂は別腹』に違いない。

「痛みが止まるように念じれば、直ぐに治るだろうが?」
「え、えぇ? そんなおまじないで、治るわけがないかと……」
「いいから、つべこべ言わずに言えっつうの!」
「い、痛みよ、止まれ〜っ!」
 ここはココア国で、自分はココアのお姫様だというのに、そんなことも忘れた能天気女。
 さらに、念じろと言っただけなのに、なぜか両腕を広げて叫びだす脳腐り女。
 俺の中で眠る怪物よ、一体お前は、こんな女のどこがいいんだ……

 本当に痛みがなくなったと浮かれ続ける鈴をマリンに預け、壁画の事実を報告するために応接室へと向かう。
 着いた先では、気を取り直したアルファードと、二人の国王が真剣に議論を交わしていた。
 その論議には参加せず、切りの良いところで申し立てようと思い立ち、無言のまま窓辺へ歩み寄り、意味もなく階下を見下げる俺へ嫌な波動が届く。
 波動の源は、応接室に飾られたバカデカイ肖像画だ。
 これもまた、ベラの仕業であろう代物なのだが、今回に限らず、昔から俺はこの肖像画を見るたび虫唾が走る。

 ココア国は癒しの国ということもあり、悪しき霊魂は数少ない。
 けれどこの肖像画には、いつも纏わり付くよう無数の悪しき霊魂がへばりついている。
 稀に、肖像画の中から、霊魂がグニュっと現れることもあった。
 さらにこの霊魂たちは、俺が霊の言葉を聞き取れると知っているらしく、ニタニタと薄気味悪く笑うだけで、決して言葉を発さない。
 ところが今日に限って、一体の霊魂が、わざとらしく言い出した。
『レイアが目覚めた。よってもうすぐ、ラノン様も目覚める』

 聴こえない振りをしていても、ベルの私室天井に、この肖像画同様のヘンテコ物体を見つけた後だ。
 だから、ついその名前に反応する。
『目覚めるわけがないだろ』
 俺へ語りかけるそいつを睨みつけながら無言の異を唱えれば、そいつは一瞬怯んで物陰に隠れたものの、考えを改めたようにそこから飛び出して、どこまでも偉そうに言い放った。
『ラノン様が目覚めれば、お前など一溜りもないわ。ピューボロスめ!』

 心臓を直に蹴飛ばされたような痛みと動悸に、思わず声が詰まった。
 俺の中の怪物が、その言葉に怒りを露にしているようだ。
 そこで、良からぬ波動を感じ取った我が国王が、肖像画を見上げてから俺を見て言い出した。
「エース、お前はもう下がりなさい」
 怪物にこんな場所で暴れられたら、たまったもんじゃない。
 だから俺は、事実を報告することすら忘れ、スゴスゴと応接室を後にする。
 そしてそんな俺を追うように、アルファードもその場を退いた。

 元々ココア王家は、冥界を治める者の血を受け継いでいる。
 だからココア王やベルは、死者の魂が見えるのだと思う。
 けれど推測の域ではあるが、ココア王は、あの肖像画に憑く霊魂が見えていない。
 だとすれば、一体あいつらは何者なんだ……

 アルの自室に引き上げてからも、あーだのこーだのと、訳の分からん仮説を捲くし立てるアルに、ただ直感だけで反論する。
「あ、それ、全部違うから」
 するとアルの顔が鬼のように変化し、だったらお前が考えろだとか、 もうちょっと真剣になったらどうだとか、まるで生活指導担当教師のような、小うるさい説教を繰り広げ始めた。

 アルの説教が続く中、退屈で死にそうなゼロが俺の中から飛び出して、部屋の窓をすり抜けていく。
 多分、鈴が、ちょっとでもゼロのことを考えたのだろう。
 鈴は格好の暇つぶしだ。俺だって、今すぐにでもコレから解放されたいよ……

 ところがその数分後、ゼロだけではなく、怪物までもが俺の中から飛び出した。
 アルの説教から解放されたいとは思っていたけれど、さすがにこれは予定外だ。
 怪物が飛び出すその衝撃は言葉に出来ないほど強烈で、俺は目を剥いたまま気絶したらしい。
 けれど潜在意識の中で、やつの尻尾を握り締めた俺は偉い。

 強引な幽体離脱を試みて、怪物の尻尾にぶら下がったまま宙を舞う。
 長い身体を蛇のようにくねらせて豪快に空を飛ぶから、怪物が動くたびに、尻尾へ掴まる俺は左右に大きく振り飛ばされる。
 今の俺は実体がないからそこまで苦じゃないが、それでも振り落とされまいと必死になるのは変わらない。

 そこに、気配を感じ取ったルーティが森の中から姿を現して、脇目も振らずに駆け寄ってきた。
 すると怪物は何を考えたのか、俺ごとルーティの腹部に突入し、何かを爆発させるような波動を撒き散らしはじめる。
 半透明だったルーティの身体が、みるみるうちに実体化されていく。
 けれど心は怪物が支配し、俺とルーティの心は、尻尾の先っちょに追いやられた。

『ルーティさんよ、一体どうなってるのかね?』
『我輩にもわからん。だが父上には父上の考えがあってだな?』
『だったら、その考えとやらを父上に聞けよ』
『あ、それは無理。我輩は龍語が喋れんのでな』
『お、お前ってやつは……』

 尻尾の先っちょでルーティと小競り合い、怪物の不可解な行動を解明しようと躍起になるけれど、このルーティが相手では全てが徒労に終わる。
 けれどきっと相手がフェニーだったとしても、それは同じだっただろう。
 女は男親に似て、男は女親に似易いと聞くが、本当にその通りだ。
 どいつもこいつも、鈴やベルを思い起こさせる言動を巻き起こす。

 まるで飛ぶように、迷路の高い垣根を実体化したルーティが越えていく。
 そしてそこで俺の目に飛び込んできたのは……

『ベル! なんであいつはあんなところに! ゼロはどうしたんだ!』
『僕なら、ちゃ〜んとここに居るよ〜ん』
 ルーティの鬣からニョッキリと顔を出し、尻尾の俺へ向かって、相変わらずの暢気加減でゼロが手を振っている。
『ゼ、ゼロ? お、お前、こんなところで何をやって……』
 余りもの驚きで言葉に詰まる俺を、ルーティが脇から制止する。
『エースよ、お主は今まで、ゼロが何者かも知らずに腹に収めていたのか?』

 何者? あいつは、者じゃなくて狐だ。
 いや、正確にはイタチ科のオコジョという動物霊で、管狐と呼ばれる精霊だと聞いた。
 けれどそれは全て、ゼロを見つけたときに自信満々のベルが告げたこと。
 我が国の森の中で、今にも息絶えそうなほど衰弱していたゼロを見つけ、 涙ながらに助けてやって欲しいと懇願しながら断言したこと……

『ゼロは管狐だろ?』
『何を戯けたことを……ゼロの一族は、古くより龍族に使役される眷属神ではないか』
『龍族だ? ということは、もしかして……』
『左様。ゼロはお主に仕えていたのではなく、お主の腹の中に留まる、父上に仕えておったということだ』
 その言葉で全てを把握した。そして断言できる。
 ベル、俺はお前の言うことを、二度と信用したりしない……

 けれどそこで怪物が、地響きのような凄まじい声を張り上げ、ベルの首を絞めている者へ叫び狂う。
『なぜこのようなことを!』
 こんな声を直に聴いたら、誰もがぶっ倒れること請け合いだ。
 それなのに、そいつは全く怯むことなく、逆に怪物を睨みつけながら呟いた。
『貴様には解るまい。私のこの苦しみが……』

『冥界の扉を開ければラノンが目覚める。さすればまたあの惨劇が繰り返される……この子が生きている限り』
『我は同じ過ちを繰り返す気などない。この地を、そしてベラを手に掛け壊してしまうくらいなら、自らの命を真っ先に絶つ!』
『死に損ないが、何をほざく。貴様がこうして居られるのは、全てアポロのおかげだろうに!』

 怪物を貴様と罵る女。俺は、この女を知っている。
 この女は、人間界のマンションで、鈴をエスプレッソへ送り込んだメイドだ!
 ところがそこで、不意にその女が俺の居る尻尾を見つめた。
 今の俺は実体がない。けれどそんなことは問題ないとばかりに、俺へ向けて言葉を放つ。

『アポロの子孫よ、我と交わした約束を忘れたわけではあるまいな?』

 女の瞳孔が、爬虫類のような楕円を描いて広がり、金色に光る。
 その瞬間、俺の意識はものの見事に消え去り、長すぎる夢を見る羽目になる――
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photo by ©clef