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◇◆ OISEAU BLEU 1 ◇◆
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何処かで、小鳥が囂しいほど鳴いている。
群れを成した椋鳥のように、余りにも、けたたましく鳴き続けるから、ふと、ベルとともに訪れた、湖畔の出来事を思い出した―― 「ねぇベル、小鳥たちの話し声が聴こえる?」 城から南西に少し下った森の中。 ファルファーラ湖と呼ばれるその湖は、蝶の形をしていることから、そう名付けられたと聴く。 我がマキアート国は、薬学の国と言うだけあって、薬草の栽培が盛んだ。 だからこそ緑多く、バール四国の中でも、一番自然の残る国でもある。 「うん。本当にマキアートは、御伽噺そのままの、美しい国よね」 可憐という言葉が、これ程似合う少女も珍しい。 いじらしく、可愛らしく、まっさらな心の少女は、言葉の意図に気づかず、無心に何かと戯れる。 このベルに、隠された才が有ると気づいたのは、出逢って間もない頃だった。 癒しの国ココアの王女だけに、ベルの傍へ佇むだけで、張り詰めた神経が温かく緩和する。 けれど、その癒しの力は、ココア国最大と謳われるベルの父、現セルシオ王よりも遥かに勝る。 セルシオ王が世に誕生したとき、予言の国カプチーノの神官ノアは、『最高のものを生み出す祖が、天より賜れた』と告げた。 それを受けて、最高という意を表す、セルシオという名を授かったと聴く。 だからココアの民は、このセルシオ王こそが、最高位と疑わなかった。そして今でも、疑っていない。 けれどそれは違う。セルシオ王は、最高位を生み出す親だと、ノアは予言したのだ。 そのことに気づいたのは、やはりこのファルファーラ湖に、ベルと訪れていたときだった。 突然、森が揺れ、堅いはずの樹木が、柔と撓って道を創り始める。 そこで、何かを見つけたベルが、オレンジの皮を甘く煮詰めたジャムを、得意気にスプーンで掬う。 すると、スプーンだけが、ゆらと宙に浮かび上がり、忽如として、掬ったジャムだけが消えた。 見えない者にとっての、その光景は、異常な現象にしか捉えることが出来ない。 けれどベルは、見えない何かに向かい、陽気に微笑み問う。 「貴女は、この森のお姫様なのね?」 ベルの言葉で、何一つ見えない私にも、漸く、此処に誰が現れたかを悟ることができた。 我がマキアートの守護神、樹木の女神ダーフ。幾神にも愛された、美しき女神。 神に仕える神官は多けれど、彼らが本当に、神と接しているとは思えない。 けれどベルは本物だ。奇蹟のようなその瞬間に、立ち会うことができた自分を光栄に思う。 ベルはその才で、見えないものを引き寄せる。神と名の付くものから、悪と呼ばれるものまで、来るもの拒むことなく引き寄せる。 そして皆、ベルの癒しに触れて、心安らかに消え行く。 だから、ダーフもまた、そんなベルの才に引き寄せられて、現れるのだと思っていた。 この事実を受け入れることは、意外にも容易いことだった。 それは、特殊な力を、意に反して授かってしまった者だからこそ、理解し易い事柄なのかも知れない。 我が弟、キャラバンにもまた、不思議な能力が備わっていた。 けれど、どうしてなのか、普通とは違う能力を宿して誕生した者を、隠そうとする動きが絶たない。 ベルの才は隠しに隠され、代わりにベルの兄であるアルファード王子が、その期待を一身に背負った。 同じくキャラバンの能力も、我が国王が包み隠し、私をマキアート最大の継承者と名打った。 特殊な力を持たない者が、その役を強いられることは、何よりも苦しい。 勤勉に勤勉を重ね、独りでに歩き出してしまった賛美を追いかけ、その賛美に劣らぬ自分を、鍍金で塗り上げ固め続ける。 いつ剥げても可笑しくないそれを、懸命に塗り返し、罅の入った箇所を補修する日々。 そんなとき、物陰に隠れ、一人静かに顔を歪ませるアルファード王子を見つけた。 その煩悶する表情に、偶感した。この人は、私と同じだと。同じ苦しみを抱いて生きているのだと。 回廊を擦れ違い様、思わず想いを口にした。その言葉を聴き、アルファード王子が驚きに目を瞠る。 それが、私たちの始まりだった。決して叶うことのない、夢のまた夢の、秘められた想い…… ビオラを妬む醜い感情は、日を増す毎に膨張し、こうしてベルと会うときだけは姿を消すものの、ベルが国へ戻ればまた、現れる。 そしてその歪んだ心は隙を生み、その頃から、私の身体に異変が起き始めた。 「違うのよベル、小鳥の声ではなく、小鳥語が聴こえるかと尋ねたの」 ベルは掌に乗せた何かを、そっと地面に下ろすと、不思議そうな顔をして、私の方へ向き直る。 その顔を見れば解る。ベルには小鳥の囁き声など聴こえない。 否、ベルに限らず、きっとバール中探しても、その言葉を理解できる者など居ないだろう。 オワゾブルー。青い鳥という名の、その能力は、美しい名の反面、魔に犯された者だけが、与えられると言う禁域の能力。 それは、羽を毟り取られた唯一の魔族である夜魔族が、宿す能力だからこそ、そう謳われる。 「昔、バールの思想家が、仲睦まじく囀る小鳥の声を聴いて、何を話しているのだろうと、解読したのが始まりらしいの」 飛び跳ねるような小走りで、ベルが私の下へとやってくる。 「えぇ? じゃ、小鳥語を解読できたってこと?」 木陰に敷かれた絨毯の上に腰を降ろし、籐籠に詰められた色鮮やかな菓子に、ベルが手を伸ばす。 「いいえ、結局完全には出来なかったのよ。だから、解読できる能力者を、オワゾブルーと呼ぶの」 ベルの脇髪を小分け、三つ編みに結い上げながら、初めて、オワゾブルーという名を口に出した。 きっと、この可憐で才溢れるベルならば、オワゾブルーも、キャラバンの持つ威力にも、簡単に理解を示し、逆に褒め称えてくれるだろう。 「青い鳥? 素敵! 幸せを運ぶ能力者なのね!」 現にこうして、屈託無く笑いながら、既にその能力を受け入れている。 けれど、ベルの描く想像と現実は異なり、オワゾブルーは決して、心引き付けられるような、素晴らしいものでは無い。 「そうね。きっと思想家も、最初はそう思ったはずだわ」 だから、ベルの想像を窘めるように呟けば、ふと、首を傾げたベルが、思わぬことを口にする。 「聴きたくもない声が、聴こえてしまうってことなのかな? こう、エースみたいに」 カプチーノ国のエース王子の噂は、否が応でも耳に入っていた。 突然、狂ったように喚き暴れ、手が付けられないほど厄介な、気の触れた王子。 あるときは、自分の喉を指跡付くまで締め上げ、あるときは、実母である王妃へ向けて、剣を突き立て振り回す、呪われた王子。 けれど、神官ノアの予言通り、ベルがこの世に誕生すると、その発作はひたと治まったと聴く。 「エース王子? エース王子には、小鳥語が分かるの?」 魔に犯された者の発作と考えれば、エース王子の挙動にも納得が行く。 けれどベルから齎された事実は、その予想など、遥かに超える戦々としたものだった。 「ううん。エースの場合は霊の声。私は見えるだけで何を話しているのか分からないけど、エースはきっと聴こえているんだと思う」 「そう……」 いにしえの物語。万能とされた神族に、唯一脅威を齎した、龍の一族。 その若き龍族の長ピューボロスは、死者の霊を操り、悉く、我に歯向かう神族を討ち破ったと言う。 バール再生紀元前、神族の長ラノンさまとの戦いにより、朽ち果てたピューボロスの魂は、魔の大甕に封じられ、赤の国の大地に葬られた。 ベルが奇蹟を起こすように、エース王子もまた、物語を現実にしてしまう力があるのではないか。 もしかしてエース王子は、大甕に封じられたピューボロスの魂を…… 「あれ? もしかして……」 静かに想いを馳せていた私は、ベルの声で我に返った。 茶目っ気を湛えた瞳で、そうであって欲しいとばかりに、期待を込めてベルが問う。 「ハープは、幸せのオワゾブルー?」 きっとベルは偏見を持たない。そう解っていても、告げることのできない事実。 私は狡い。私の中に眠る、醜く歪んだ感情を、ベルに気取られたくなかった。 だから、ふふと笑い、ベルの瞳を真似て、おどけた口調ではぐらかす。 「それは内緒」 ◆◇◆◇◆◇◆ 『冥界の扉が開いた! 冥界の扉が開いた!』 『アポロさまが甦る! アポロさまが甦る!』 『ディーネさまを呼び覚ませ! ディーネさまを呼び覚ませ!』 数千羽という鳥たちが、口々に叫び、伝達しながら、群れを成して集まってくる。 大群と成った鳥たちは、窓を嘴で割り、部屋の中へ押し寄せ、ガラスケースを突く。 けれど、群となっても、このガラスケースは破れない。そして、私も目覚めない。 この結界が張り巡らされた、硬度なガラスを、破れる者は一人だけ。 予言の女神アポロ。冥界にてただ一人、深き眠りにつく魂に、私の心は連動する。 長きに渡る眠りは、静かに考拠することのできる、快適な時空間だった。 さらに、周期的な浅き眠りが訪れると、私の回路は過去へ飛んだ。 過去と言っても、幼少期という意味ではなく、いにしえの物語とされている、神話の中へだ。 戦慄の走る、あの出来事を眼の当たりにしてから、グランドと私は、古書という古書を読み漁った。 それでも確信までには至らず、互いの役処もまた、きっちりと理解してはいなかった。 けれど今は違う。私が何をすべきかが解る。だから、そのときが来るまで私は此処で待つ…… ココア城に在るベルの寝所で、ベラさまの日記を発見してしまったとき、これを書き上げた者が、ベルだと解っていたからこそ、ベルの中にベラさまが棲んだのだと悟った。 そして、ベラさまが棲んだとされる日、エースが起こした暴動との因果を考え合わせれば、エースの中にも、ピューボロスが棲んでいるのだと確信に至る。 バールに遺された神話は、語り継がれるに連れ、真実が捻じ曲がっていた。 ベラさまは、不幸を齎す災いの女神とされ、龍族の長ピューボロスもまた、破壊神と謳われる。 ベラさまを殺め、神族の長であるラノンさまを、討ち滅ぼしたために、ピューボロスは、全ての悪を一手に引き受ける形と成ったけれど、真実は違う。 それでも、あのときの私たちは、その神話を信じて疑わず、ベラさまを封印しようと躍起になった。 全ての元凶が、ベラさまに有るのであれば、ベラさまを宿す、ベルごと封印してしまおうと。 グランドは、ビオラを守ることに必死だった。どんなに論議を重ねても、私が反論を唱えても、目にした事実以外は受け付けず、ベルは何時かビオラを壊すと譲らない。 それは、あの日の出来事がそうさせた…… キャラバンが誕生し、祝いの謁見に国中の民が集まる中、我が国と同盟を結ぶ、エスプレッソ国の王族たちが見舞われる。 授乳のため、公の席から一旦退くキャラバンの元へ、グランドとビオラとともに訪れたときだった。 まだヨチヨチ歩きだったビオラが、授乳を終えたキャラバンの傍に歩み寄る。 グランドと私は目笑を交わし、互いの幼き兄妹を微笑ましく見守っていた。 ところが、突然ビオラが悲鳴を上げ、苦しみもがき始める。見れば、キャラバンに握り締められたビオラの指が、白い煙を上げて焼き爛れて行く。 慌てて駆け寄り、グランドとともに、二人を引き剥がそうと躍起になった。 けれどそこで、赤子であるはずのキャラバンが、瞳を金色に光らせビオラへ語り出す。 『アポロよ、お前の想い通りにはさせぬ――』 私たちも、まだ幼かった。だから、この目で見た現実を、必死に周りの大人へ告げた。 けれど大人たちは、夢だ錯覚だと小莫迦にするだけで、全く取り合ってくれない。 現に、焼き爛れていたはずなビオラの指は、何一つ、形跡を残すことなく元の皮膚に戻り、あれだけ泣き喚いていたビオラ本人も、何事もなかったかのように、けろりとしていた。 錯覚などではない。夢でもない。それでも、告げたところで、証拠など何もないからこそ、誰にも信じてはもらえない。 だからただ二人、幾年もの時を掛けて、密かに調べ続けた。 グランドはアポロという名を。私は金色に光る眼を、古書という古書を開いて探し、論議を交わす。 消去に消去を重ね、互いに辿り着いた答えは、どちらもバール創世記と呼ばれる、神話の中にあった。 ところが、偽りのバール神話が、それを複雑なものにした。 龍族と恋に落ちた不埒な女神ベラは、成らぬ想いに耐えかね、魔族に魂を売り渡して、異形の怪物と成り下がる。そして、それを必死に止めたアポロをも異形に変え、自らアポロを飲み込んだ。 そこに、恋路を邪魔され憤慨したピューボロスが、ラノンさまを討つため、バールに乗り込む。 バールを守るラノンさまと、ピューボロスの激しい戦いが続く中、化け物と化し、我を失くしたベラさまが割り込み、自らピューボロスへ仕掛け、反対に殺められた。 息を引き取る間際、本来の姿に戻ったベラさまを見取り、ラノンさまは怒りに塗れる。 そしてピューボロスもまた、罪の呵責から巨大な龍へと変化し、狂ったように全てを破壊した。 そう。現世に残る神話には、エンプの存在が微塵も描かれていない。 禁忌を犯した者の行く末と、神族のみを崇める歴史に摩り替えられていた所為で、歯車は狂い、それに惑わされて、破滅の道へと突き進む。 グランドは、ビオラがアポロの生まれ変わりだと、信じて疑わなかった。 赤の国の神が、白の国には転生しないと、何度私が反論しても、それを聞き入れてはくれない。 さらに、ベルがベラの生まれ変わりなのではないかと、疑い始めたグランドは、ビオラをベルから遠避け、容赦なく甚振った。 大臣が権力を握り過ぎたエスプレッソ国は、強い内乱が起きていた。 詳しい情勢は解らないけれど、ビオラの身に危険が迫っていることだけは確かだったと思う。 だからグランドは、ビオラの婚儀を早める手段に出た。国外に許婚の居るビオラを、正式なルートで、祖国から脱出させたかったのだろう。 けれどビオラの許婚は、アルファードだ。 つまり、ビオラをココア国に嫁がせれば、必然的に、ベルとビオラの距離が近づくことになる。 そこでグランドは、両膝をつき、涙を馳せて私に懇願した。 害のない世界に、ベルを転生させる媚薬を、作ってはもらえないだろうかと…… 全てはビオラを守るため。全ては逃れることの出来ない運命のため。 ビオラとアルファードの婚儀は、国同士の条約だ。それに逆らうことなど、私たちにはできない。 どんなに相手を想っていても、結ばれることのない運命。 結ばれた二人の未来を、この目で見続けなければならないのなら、私もベルとともに転生しよう。 何かに取り憑かれたように、私は禁忌の媚薬を作ることに熱中した。 今考えれば、これも罠だった。なぜなら、窓辺に群がる烏が、媚薬の調合を私へ囁いたのだから。 私の中には悪魔が棲んでいる。そのことに気づかないまま、歯車は確実に回る。 出来上がった媚薬を、人知れずベルに飲ませるため、我が国で園遊会を催させた。 それでも、そう簡単にはいかない。先ずはエースをベルから引き離さなければ無理だ。 エースの直感は鋭い。黒の媚薬香を身体から漂わせているくせに、ベルを想って止まないのだろう。 そこで騒ぎを起こさせエースの気を逸らし、その隙をつき、言葉巧みにベルを自室へ連れ出した。 けれどそれを、ビオラに気付かれた。それでもこの期を逃せば、ベルを転生されられない。 自室に向けて歩きながらも、心は鬩ぎ合う。 そして、止めよう。そう決意したとき、一羽の烏が囁いた。 『ビオラが居なければ、アルファードはお前のもの――』 |
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