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◇◆ 心を鬼にした葵子さん ◇◆
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由緒正しい條家の生まれとはいえども、私の家は分家最後の九條家。
だから本家令嬢の薫子様は、私にとって雲の上の存在であるし、分家頭・二條家令嬢の菫子様は、高層ビルの屋上くらいな格差がある。 一学年ジャスト百名。その中でも、男女トップ十名だけが松組として君臨できるこの学院。 松組落ちは決して許されぬことだけれど、『本家や分家頭を立てろ』が九條家のモットーであるから、何事もほどほどに生きなければならない運命も結構辛い。 けれど菫子様に比べれば、私の苦痛はたかが知れていると思う。 分家頭令嬢の役目は、いつでも本家令嬢の代役を勤め上げられること…… つまり菫子様は、薫子様の全てを真似、近差で全ての下にいなければならないということだ。 だから菫子様は、幼い頃から自我を捨てる癖が付いている。 『自分が好きになったところで、かおちゃんが好きじゃなければ意味がない』 そんな想いが、何に対しても付きまとうのだろう。 二條家が影武者なら、九條家は護衛を司る。 元々、條家の護衛長が本家の姫を娶り、分家として枝分かれしたというのが我が家の発端だ。 だから薫子様が悪漢に襲われるような自体があれば、自らが盾になる様にと言い聞かされて私は育った。 それだけではなく、全分家の人間は、どれもこれも本家を中心として回る。 つまり、薫子様以外の條家令嬢は、全員が薫子様のために生きていると言っても過言じゃない。 さらに、私たち分家の役目は、薫子様が本家から嫁ぐまでが期限。 だから皆、口には出さなくとも、自分の役目が終わる日である薫子様の婚儀を待ち望んでいるはずだ。 なのに薫子様は、ご自身の婚儀を頑なに拒み、辺り構わず文句を言う。 薫子様のお気持ちが、分からないわけでもない。 自分の意思とは無関係で、さらに商品の如く競り落とされるドラフト会議には、やはり私でも抵抗がある。 こんな古めかしい制度など、なくなってしまえば良いとすら思う。 それでも私たちには、成す術がない。 だからこそ諦めて、この現実を受け入れるべきなんだと思っていた。 そう。あの日までは、本当にそう思っていたんだ―― 一見、何も考えていない人間だと思われがちな菫子様だけれど、実は誰よりも周りに気を配る繊細な方だ。 格下分家の私に対しても、尊大な態度など取った試しがなく、逆に何事にも遠慮しがちな私を、いつもさりげなく輪の中へ引き入れてくれる。 大袈裟な話ではなく、菫子様が居なければ、私の学院生活はとても惨めなものだっただろう。 だから私は、菫子様が愛おしい。 尊敬や羨望、そんな表現は既に通り越し、誰よりも何よりも大事で、ただ純粋に愛おしいと思うんだ。 そんな菫子様は、幼馴染である徳川家の康國様にいつもへばりついており、康國様もまた、ウエイトトレーニングでもするかの如く菫子様をバーベルのように抱えて歩くので、文字通り地に足が着かない方でもあった。 幼い頃からの習慣だから、高等部に進級してからも続く二人の関係に、疑問を抱く者など居なかったけれど、傍らでいつも二人を見ていた私には、幼馴染以上の何かが、互いの感情に込められている気がしてならなかった。 現に、感情表現の乏しい康國様が、菫子様の前でだけは、とても柔らかく微笑んでいた。 そして菫子様もまた、試験の度に最後の問題を解かずして提出するのも、学年順位を下げて、三学年順位次席である康國様が、菫子様を入札できるよう配慮していたのだと思う。 だから私は、この二人が絶対に結婚するものだと思っていた。 それなのに、五月で十七歳を迎えた私のドラフト会議が行われた時、数名の入札者の中に、徳川家の名があった。 私だけではなく、会議に列席していた菫子様の表情も、一瞬凍りついたと思う。 それでも私と目が合うと、菫子様はいつものように平然と微笑んだ。 徳川家が、康國様が、なぜ菫子様でなく私を選んだのか…… そんな理由など私に解るはずもなく、私はただただ途方に暮れた。 そしてその日から、菫子様と康國様の間に見えない壁が築き上げられ、日常化していた二人の登下校も、触れ合いも、一切見られなくなった。 それどころか、その代わりに康國様と私の登下校が始まった。 康國様は元々、とても寡黙な方だ。 だから互いに一言も言葉を交わさぬまま九條家に着き、康國様は去っていく。 その無言な時間が苦しいわけではない。 かえって、そんな無言の中に安らぎがあった。 けれど、菫子様を想うと心が痛い。 菫子様の、たった一つの安らぎを、私が奪ってしまったのではないかと…… そんな折、六月生まれである菫子様のドラフト会議が執り行われた。 菫子様のドラフト会議は、入札制度始まって以来の異例のものだった。 分家といえども、條家の姫君を娶りたいと願う各家は多く、数名の入札家があって当然の通例が、見事なまでに破られたのだ。 今回、菫子様を入札したのは、源家の譲仁殿下ただ一人。 源家も譲仁殿下本人も、何一つ比のない素晴らしい家系であり優秀な人物だ。 だから会議になどならなかった。 誰一人として反論を唱えるものなく、満場一致でそれは可決された。 うまく平静を装っているけれど、菫子様の表情は見たことのないほど青ざめている。 それもそのはず。昔から菫子様は、譲仁殿下を苦手としていたのだから…… ところがそこで、会議に出席した私の耳に届く、密かな密かな囁き声。 「二條家の姫君を入札したいのは山々でも、あの源家が相手では……」 「そうですね。源家を敵に回すなど、自殺行為ですからね……」 ここでようやく、事の成り行きが私にも解った。 源家が菫子様の入札に参戦することを、誰もが知っていたため、誰もが入札を諦めたんだ。 誰もが諦めた。 つまり徳川家も、このことを知っていたがゆえに諦めた…… 徳川家ほどの家系でも、源家と争うことは避けたかったのだろう。 心が痛い…… こんな制度さえなければ、菫子様は康國様と結ばれていたはず。 こんな制度さえなければ、最も苦手とする殿方の元へなど、菫子様は嫁がなくても済んだはず。 そこで思いついたんだ。 誰もが諦めても、私だけは諦めない。 私が源家、いや、譲仁殿下の敵となり、最後まで菫子様の幸せを願うと誓う。 心を鬼にして、二人の邪魔をし続けよう! けれどそれは、事実を知らなかった時までの話。 そして知れば知るほど、その決意が崩れていくことになるんだ―― |
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