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◇◆ The tenth story 1 ◇◆
◆ 高遠和枝の日記 1

12月8日

 今日は寛弥の12回目の誕生日。
美寛が、生前に取り決めていたという遺言状を携え
浅海さんという方がこちらにいらして、寛弥との養子縁組の話が持ち上がる中
ほとんど誰とも口を聞かずに過ごし、能面を被った様な寛弥の姿……
あの子から笑顔を奪ったのは、勝手な大人たち。
私もそんな大人たちの1人に過ぎません。
けれど私は、あの子の笑顔が見たいのです。
お金であの子の笑顔は取り戻せないことは分かっております。
でもどうしたらよいものか見当もつかないのです。
11年間というブランクは、とても大きく重く 寛弥は誰にも心を開かないから……
 誕生日プレゼントに、あれよこれよと迷った挙句
寛弥ほどの年頃の男の子たちが、夢中になって遊んでいたゲームを買いました。
お金や物じゃ、あの子の心は動かせない……
分かっていても、何かしないと居られずに、結局は物を与えてしまった私。
当然のことながら、寛弥の笑顔など見れるはずもなく
「ごめんね。おばあちゃん、何をプレゼントしたら寛ちゃんが喜ぶか分からなくて」
そうつぶやいた私に向かって、微かに放たれた寛弥の言葉は

「Luna piena」

満月が欲しいのかと一瞬固まり、言葉に詰まる私に
慌てた様な仕草で、窓を無言で指差す寛弥。
窓の外を眺めれば、大きな満月が水面に揺らめき、幻想的に輝いていて
ふと、武頼に告げた 『月の紅茶』 の話を、寛弥にもしてみようと思い立ちました。
 寛弥が何を想って微笑んだのか解りません。
けれど、あの子が微笑んでくれた……
そして寛弥もまた、武頼と同じ様に、紅茶に映った満月を飲み干したのでした――


12月20日

 なぜか朝から寛弥の様子がおかしくて
そわそわと動いては立ち止まり、また動いては…の繰り返し。
そこに遊びにやってきた、武頼のお友達の『マツキちゃん』
その子を見て、名前を聞いた途端、寛弥の顔が微妙に歪みました。
マツキちゃんの方も、決して寛弥と目を合わそうとせず
傍から見ていると、2人は知り合いなのでは?
そんな気がしてなりませんでした。
 今日はマツキちゃんの誕生日らしく、武頼は花で作った冠を
マツキちゃんにプレゼントしていて、それを横目で見ていた寛弥が
何かを思いついた様に、いきなり屋敷を飛び出して行きました。
心配になって後を追えば、4、5歳ほどの黒髪の女の子と楽しげに遊んでいて
その女の子が転ぶたび、戸惑うたび、頭をなでて
「全く、お前は……」
そう日本語で囁きながら、屈託のない笑顔をその子に向けていた……
その姿と笑顔を見て、胸が詰まりました。
誰にも笑顔など見せないあの子が、その女の子の前だけでは笑うから
親も、兄弟もいない寛弥が、唯一 心を開ける家族。
あの子にも、そんな人が存在してくれたこと……
その女の子に、言葉では言い尽くせない感謝の気持ちが溢れて
2人の仲睦まじい光景を眺めながら、心からの溜息をつきました。
 あの女の子が誰なのか、寛弥に聞いたところで教えてくれるとは思えず
武頼の方に、さりげなく聞いてみると
「そいつはシヅキだ! 僕を川に突き落としたシヅキだ!」
そうやって、頭を抱えて発狂する様に叫びだし
そのただならぬ武頼の様子に、ただただ驚き抱きしめれば
「僕は、シヅキなんて大嫌いだ!」
呪文の様にその言葉を繰り返しながら、眠りにつく武頼……
何がなんなのか、さっぱり分からないままのおかしな日。
この謎々を私が解ける日は訪れるのか、心配でなりません――


11月18日

 揉めに揉めた寛弥の養育権。
結局、美寛の遺言状がものを言い
浅海さんが正式に寛弥の保護者だと裁判で決定された日。
 浅海さんは、日本では有名な会社を経営なさっている方で
生涯独身を貫き、後継者として寛弥を育てていくつもりだと
心からの誓いを述べられていました。
いつでも寛弥に会える権利。そして、18歳になった寛弥が
自分の道を、自分で選ぶことのできる権利。
それだけは主張したもの、やっと巡り会うことができた孫を
また手放さなければならなくなり、たまらない気持ちです……
こうやってまた、落ち着ける環境をあの子に与えることが出来ず
こうやってまた、大人の身勝手で左右されるあの子の人生……
同じ私の孫で、同じく幼くして母親を亡くした武頼。
どうしてこうも、両極端な人生を歩まねばならないのでしょうか。
 去年の寛弥の誕生日。
何か欲しいものがあるかと聞いた私に、つぶやいたあの子の言葉……
なぜか、その言葉を急に思い出して
美しい木工細工を作ることで有名な近所の職人さんに
オルゴールの製作をお願いしました。
美寛が大好きだった曲。よく、我が家で奏でていたピアノの曲。
ここに来て、早1年の寛弥が 相変わらずの能面を被った顔のまま
時折、右手だけでつっかえつっかえ弾いていた曲。
満月をプレゼントすることはできそうにないから
せめて 『月』 に纏わる何かを 私との思い出に渡したかった……
どうか、少しでもあの子が喜んでくれます様に――


12月20日

 短すぎる寛弥と過ごした日々。
とうとうあの子が日本に旅立つ日がやってきてしまいました。
 先日、寛弥の13回目の誕生日にと贈ったオルゴール。
中身を開いた途端、飛びきりで、最高の笑顔を私に返してくれた……
 片手に収まるほどの小さなオルゴール。
どこに行くにも持ち歩き、部屋の前を通るたびに聞こえてくる 『月の光』
あの子の心に、少しだけ触れられた様な気がして 涙が止まらなかった……
 出発の数時間前、皆にお別れを言ってくると告げて出かけた寛弥。
泣いた跡を残して、帰宅したあの子にかける言葉が見つからなかった。
けれど、美寛の形見の品だった大切な銀のロケットが寛弥の胸から消えていて
失くしてしまったのかと問えば
「大切な人に、大切なものを預けただけです」
うつむきながら寛弥がつぶやいた。
瞬間的に、あの黒髪の女の子が思い出されて
「シヅキちゃんにあげてきたのね」
笑いながら声をかけてみると、また寛弥がつぶやいた……

「Luna piena」

『満月』 この言葉にどんな想いと、意味が含まれているのでしょう?
何ひとつわからないまま、わかってあげられないまま
私は寛弥を日本へと送り出しました……
 空港から帰宅して、泣きながら自室へと戻ると
サイドテーブルの上に寛弥からの手紙が置かれていました。
私への感謝の言葉の後に、そっと書き添えられた文字。

『いつか、僕を訪ねてくる人が現れたとき、どうかこう言ってください。
あなたの胸に揺れるものが全てを知っている……』

この言葉に込められた、寛弥の想いを推し量るけれど
やはり私には 何ひとつわからない。
何もかもが後悔で終わる私の人生――
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photo by ©clef