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◇◆ The fifth story ◇◆
武頼くんはそれから何一つ話さなくなって
眼鏡は私を見ているのに、その中の瞳は私を通して過去を見つめている様だった。
私と違って、過去のパズルのピースが全て繋ぎ合わさったのだろう
左手で口元を覆い、私から視線を外すと
さっきまで私に掛けてくれていたベージュのコートをいきなりつかんで
何一つ言わないまま、店の出口に向かって歩き出す。
慌てて首だけを動かして彼を追うけれど
何を言うわけでもなく、呼び止めるわけでもなく、
すれ違い様、「武頼?」と心配そうに呼び止める浅海さんに対しても
何も言わないでくれ! とばかりに左手で制して
足早に去っていく彼が消えていくのを、ただずっと黙って見ていた。

呆然と一人座る私のところに浅海さんが戻ってきて、 さっきまで彼が座っていたソファーのほうに腰を下ろした。
絶対に何か考えているのだろうけれど、そんな素振りはおくびにも出さず、 相変わらず大人の優しい思いやり笑顔をたたえて私に話しかけてくる。
「武頼は、ようやく満月さんを満月さんだと認めたようですね」
涙をワンピースの内側の袖でぬぐいながら、この人なら答えてくれるはずだと、 聞きたくてならなかった質問を矢次に浅海さんにぶつけた。

「新月から、自分が満月だと名乗ってしまったとは聞いていました。 でも、新月はいつそう名乗ったんですか? 私は小さい頃、彼を川に突き落としたんですか? 小さい頃ってイタリアにいたころですよね? 彼が浅海さんのことを寛にぃと呼んでいました。寛にぃが溺れた自分を助けてくれたと。。だから浅海さんも、イタリアに居たんですよね?」
「ま、まつきさん? 少し落ち着きましょう? 私が解る範囲のことでしたら順を追って説明しますから」
そう言われて初めて、自分が鼻息荒くまくし立てていたことに気がつき、 テーブルに乗り出していた体を引いて、背もたれに預けた。
浅海さんが組んでいた指を解いて、ゆっくりと深い溜息をつく。
「武頼の父親は、イタリア料理の勉強をしに渡伊していました。なので まだ幼かった武頼がイタリアに住んでいたのは事実です」
私の心の中を探る様に見ながら少し間を置いて、それからまた続きを話し出す。
「そして私の場合は、それとはちょっと違う事情ですが、やはりその頃イタリアに住んでいました」
やっぱりイタリアで二人に会っていたんだ。
それでもその記憶は未だ一向に戻ってくる気配はない。
「武頼はそこで満月さんと新月さんの二人に出逢いました。でも、どこでどうやって出逢ったのかを私は知りません」
ここで、おもむろにカップに手を伸ばし、冷めてしまったコーヒーを 少し飲んで浅海さんは息をつく。
「ちょうどその日は、武頼と新月さんの二人だけで遊んでいた様でした。えぇ、満月さんはその場にいなかったんですよ。そこで事故が起きた……」
言葉では表さず、簡単な身振りで溺れる仕草をする。
「同じ様にそこに出くわせた私と満月さんが、懸命に大人を呼んで 武頼は助かりました。そこから先の話は、私にもわかりません」
浅海さんが、これで自分の知っている話は全て終わりだと告げ、 そこからお互い無言になった。

私はただ頷くことしかできなくて、そう聞いてもやはり何も思い出せなくて
自分の記憶力のなさに落ち込んでうつむいていると、 急に明るい声になった浅海さんが声を掛けてきた。
「満月さん? おなかがすいていませんか? 私はもうペコペコです」
見上げれば、目尻にしわを寄せて恥ずかしそうに笑う浅海さんがいて
周りを見渡せば、外はもう薄暗くなっていて
仕事を中断させ、大事な時間を私のために使わせてしまったことに
ただただ謝り、膝に乗せてあったバックをつかんで立ち上がる。

「ほ、ほんとうにすみませんでした。私、これで失礼します……」
一緒に立ち上がっていた浅海さんは、キョトンとした顔で私を見下ろしながら
「それは、私に一人で淋しく食事をしろということですか?」
サラッと流れるように言った。
そう言われてしまうと、帰ることがいけないことの様に聞こえてきて
「あ、いえ、そんなつもりじゃ……」
ちょっと口ごもり慌てる私を、楽しそうに眺めながら
「じゃ、一緒に食事をしましょうか」
そう言って自分のコートを腕にかけ、私に先を歩く様に促した。
後ろから歩いてくる浅海さんを気にして何度も振り返りながら、 ゆっくりとコーヒーショップを後にした。

まだ他に、知りたいことがたくさんあったはずなのに
目先の疑問がなんとなく解決できたから
後は家に帰ってから新月に根掘り葉掘りと聞けばいいか? なんて
全てが解決した様な気持ちでいたけれど
食事の席で、いつもではあり得ない失態を繰り返す私。
そんな私をにこやかに笑いながら気遣ってくれる、大人で、 こんなにも穏やかで、物腰の柔らかい浅海さんと一緒にいるのに
年齢差のせいなのか、なぜか心がざわざわと落ち着かず、
ぶっきらぼうで嫌味しか言わない武頼くんと一緒に居るほうが 楽だったんじゃ? だなんて、おかしなことを考えながら
誰も弾いていないのに、勝手に鍵盤が動く自動演奏のピアノの前の席で、 喉をなかなか通ってくれない食事を無理に続けた。
今日はなんだか【月の光】に、とても縁があるみたいで
ゆっくりと奏ではじめた自動演奏の月の光に、一瞬目を奪われて
鍵盤を見つめてみたけれど、もうこれ以上過去の記憶を思い出すことはなくて
思い出せないことにイライラしていたはずなのに、 記憶が蘇らないことに どこかホッとしている私がいた。

結局、浅海さんの車で家まで送ってもらうことになった私は
初めてパパ以外の男性が運転する車の助手席に座り
運転に集中する浅海さんの横顔をチラチラと盗み見ながら、意外にも長い帰路につく。
浅海さんの横顔は、彫が深い顔立ちのせいなのかどことなくパパに似ていて、武頼くんとも やはりどこか似ていて、コーヒーショップの中で思い出した今日の夢の内容を、 浅海さんにも当てはめてみる。
食事中に見た浅海さんの瞳は綺麗な黒い色で、 スーツだし、眼鏡も掛けていないし、何一つ当てはまらない。
でも、全てが違うと確信したくて 突拍子もなくいきなり切り出した。
「浅海さんは、苺とジェラートはお好きですか?」
ちょうど信号が赤に変わり、車を止めた浅海さんは、唐突で突然すぎる私の質問に少し驚きながらも
「えぇ好きですよ? こう見えて、結構 甘いものは好きなんです」
そう答えてから、また恥ずかしそうに笑った。
それからは、少しずつぎこちなさが消えていき
お見合いの席で話すだろうと思われる様な会話と質問を お互いに投げあい、答えあい、思ったよりも早く家に着いた。

私道から見える、二階の新月と私の部屋の電気は付いてなく、 遠くからでも、リビングだけに明かりが灯っているのがわかる。
車が駐車場に入ると、パパの車もママの車もいつもの場所にはなくて
パパはともかくとして、ママの車までないのは何故だろう と、いぶかしげながら浅海さんの車を降りて玄関まで急ぐ。
浅海さんにご迷惑をかけてしまったんだとママに報告して、ママからきちんと浅海さんにお礼を言って欲しかったのに、肝心のママはどこにもいない。
代わりに、玄関まで聞こえてくる男女の喚き声に驚いて、当然のことながら足がすくんだ。
玄関先で失礼するからと言っていた浅海さんにも、その声が届いたらしく
私を玄関まで引き返らせて、何かあったらいけないから、私より先に自分がリビングに入ると小声で言った。
私がリビングの場所を伝えると、何度か静かに頷きながらリビングに近づいて
そっと中の様子をうかがった浅海さんの顔が、急に険しくなった。
右手で右半分の顔を覆いながら首を何度も横に振り、左手で私を手招きする。
恐る恐る浅海さんのところまでたどり着いて、浅海さんを盾にしながらリビングを覗き見れば 、聞き覚えのある双方の怒鳴り声と、双方の顔が一致した。

そこには、立ち上がり、鼻にしわを寄せて剣幕に怒鳴る新月がいて、
同じく立って 眉間にしわを寄せて歯軋りしながら怒鳴る武頼くんがいて、
依然、首を横に振りながら天を仰ぐ浅海さんと
左の口端が、ヒクヒク引きつる私と。
ここは私の家じゃない! と叫びたくなった
誕生日12日前の土曜日
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photo by © Lovepop