「・・・え〜と。これにグラニュー糖を加えて、泡立て器で白っぽくなるまで混ぜてっと」
ガチャガチャという激しい音とボウルの中身の大半を周りに撒き散らしながら、ヴァッシュは自宅の
キッチンに立ち、正に格闘の真っ只中であった。
「こんな感じだったよな?うん、多分そうだ。そしてぇ、ホットケーキの素とココア液、溶かしバターを入れて
更に混ぜる、と」
その優しそうな外見とは裏腹に、荒っぽい手付きでドカドカと材料を加え、またぐるぐると混ぜ続ける。
ふんわりと甘い香りが漂い、まだ出来上がってもいないのにヴァッシュは何だかとても嬉しい気持ちに
なった。
「よし!これにチョコチップを入れて、マフィンカップに流し込んだら・・・あれ?これでOKだっけ?」
ヴァッシュは手を止めて首を傾げた。何かもう一つ作業があったような気がするが・・・無かったような
気もする。
必死に記憶を辿ってみるが一向に思い出せない。そもそも作り方の手順をメモしたノートを仕事場に
忘れてきた事は、ヴァッシュにとって最高に手痛いミスだった。
「確かアイツは、あの後・・・」
あの男の姿を思い出す。そう、ここまでの手順は多分間違っていない。メモだって、とっていたのだから。
男が鮮やかな包丁捌きと何ら変わらぬ手付きの良さで、泡立て器やヘラを操り材料を纏め上げていく
のをヴァッシュは眺めていた。
ほんの少し、その動きに目を奪われた次の瞬間、男がヴァッシュの方を振り返った。深い色の双眸に
見つめられ不敵にニヤリと笑われて、ドキリと心臓が大きく跳ね上がる。
「何や、またワイに見惚れとったんか」
「なっ、そんな訳ないだろ!?何・・・言、って・・・」
顎を長い指で捉えられて、言葉が途中で途切れた。反射的に引こうとした身体は、いつの間にか男の
反対側の腕によって逃げ道を奪われ、身動きが取れなくなっている。
「アカンやろ?人がせっかくおどれの為に時間割いてやっとるのに、ボーっとするやなんて」
ゆっくりと瞳を細め、さも楽しそうに笑う。
「・・・『ペナルティー』、やなぁ」
ウルフウッドは、その言葉に殊更甘く低い響きを持たせて囁いた。ヴァッシュがビクッ、と小さく肩を
震わせる。
『ペナルティー』
ウルフウッドと初めて出会ったときに一方的に持ちかけられ、ヴァッシュが課せられたもの。
仕事関係でヴァッシュが失敗するたびに『ペナルティー』と称し、ウルフウッドは嬉々として、セクハラ紛いの
ちょっかいをかけてくるのだ。
確かに不器用な自分の為に、わざわざ次回収録予定の料理の手順を見せてくれるのは、本当に有難い。
感謝もしている。
だがしかし・・・。思わず過去のペナルティーの数々が頭を過ぎり、ヴァッシュは顔を赤らめる。
「・・・あっ・・・」
ヴァッシュが気を逸らしている隙に、ウルフウッドの顔がゆっくりと近付いてきた。
思わずきつく目を閉じてしまい、ヴァッシュは自分の行動を思い切り後悔する。
『うわーっ、オレってば何やってんだ!コ、コレじゃ、まるで…!!』
しかしもう今更、目を開けることは出来なかった。男の着物の袖を握り締めると小さく笑われて、ますます
目蓋に力を入れる。ふわりと甘い香りがヴァッシュの鼻腔をくすぐり、身体の力が僅かに抜けた
・・・・・・直後、ウルフウッドは事もあろうかヴァッシュに『頭突き』をかました。
完全に油断しきっていたのと、仕掛けたウルフウッドの頭が相当固かったのとで、ヴァッシュは大打撃を
受けてしまった。目の前に火花が散ったような気さえしたのだ。
しかもその後、人の悪そうな笑みを口角に貼り付けた男は、痛みに呻くヴァッシュに向かって
「なぁ、もっとやーらしいお仕置きの方が良かったか?」
などと不埒な事を囁いたのである。更に、
「今日はこの辺で勘弁しといたるわ。ま、精々家でも復習に励むことやな。出来上がったら持ってこいや、
味見くらいはしたるさかいに。胃薬用意してな」
と、痛みと羞恥と怒りで顔を真っ赤にしているヴァッシュに止めを刺して、ウルフウッドはスタジオを出て
行ってしまったのだった。
「あーもう、腹立つなぁ!!まだ痛いんだよ、ホントにさ」
おでこを擦りながらヴァッシュはブツブツと文句を言った。
「まぁいいや、多分大丈夫だろ。これを電子レンジに入れて・・・五分くらい温めれば完成だったよな」
結局、そのままレンジのトレーにマフィンカップを並べて、『強』のボタンを押す。
「俺だって少しずつだけど、上達してるんだからな!」
ヴァッシュは拳を握り締めて、テーブルの上に置かれた次回収録分の台本をじっと見つめた。
その表紙には『簡単!生料理<バレンタイン特番>今からでもダイジョーブ!失敗しないお菓子作り』の
文字が大きく書かれてある。
明日の放送は、特番ということで通常の時間枠を大幅に拡大して行うことになっていた。しかも出演者を
一般公募し、一緒に料理(今回の場合、バレンタイン用のお菓子)を作る、といった企画らしい。
公開録画になる為、一般の人も沢山スタジオに押しかけるだろう。番組の進行をスムーズに行うために、
アシスタントの身とはいえ、ヴァッシュはコーナー内で作る料理の材料・作り方などをきちんと把握して
おきたかった。
そこで行われたのがウルフウッドによる居残り料理教室だったのだ。
「胃薬なんて、馬鹿にしやがって。見てろよ、絶対美味いって言わせてやる!!」
確かに自分は不器用だが、今回の料理に関してだけは少しばかり自信があった。何故なら今回一般
公募で決まった出演者とは・・・。
チン、という音がレンジからして、ヴァッシュは我に返った。慌てて電子レンジの前に行く。
「よーし!これで出来上がり〜」
ウキウキしながらレンジを開け、トレイを取り出して・・・
「げっ!!!」
と、ヴァッシュは一言口にしたきり、手にしたものを見たまま固まった。
中から出てきたものは、ウルフウッドが試しに作って見せてくれたものとは、全然形が違うような・・・。
色も僅かに、いや大分こちらの方が黒ずんでいるような・・・。しかも、何だか焦げ臭いような・・・・・・。
「あ・・・あれぇ?変だなぁ・・・」
何がどうまずかったのか・・・もう分からない。ヴァッシュは溜息をついて、ガックリと頭を垂れる。
出来上がったものは、どう贔屓目に見ても『チョコカップケーキ』とは、似ても似つかないシロモノになって
しまっていた。
「これを・・・持っていくってのか?」
自分が作り出してしまった『黒い物体X』をまじまじと見つめる。
あの男の意地悪な笑い顔がふいに浮かんできて、ヴァッシュはもう一度深い溜息をついた。
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↑ ヴァッシュさん、正に格闘中の図(笑) ↑
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