ヴァッシュは、いつにも増して緊張していた。番組の料理コーナーにアシスタントとして出始めて軽く
半年は経った今でも、毎回収録の時には緊張している。しかし、今回はヴァッシュにとって初めての特番と
いうこともあって、その緊張は相当なものだったのだ。


「おはようございます、ヴァッシュさん。丁度良かったですわ」

「ヴァッシュさん、おはようございますぅ」

気を落ち着ける為に一度深呼吸をし、ヴァッシュがスタジオに足を踏み入れようと扉に手を掛けた時、
背後から明るい声がかけられた。

「おはよう、メリルにミリィ。で、何が丁度良かったんだい?」

名を呼ばれた二人は、にこやかに返事をするヴァッシュを尻目にちらりと顔を見合わせる。

「え、何・・・わっ!」

首を傾げるヴァッシュの目の前に、綺麗にラッピングされ、彩りも鮮やかな箱が差し出された。

「はい、コレ。私達からですわ」

「バレンタインのチョコなんですよ。良かったら、受け取って下さーいv」

にこにこと嬉しそうに笑いかけられ、ヴァッシュの顔も自然に綻ぶ。

「本当は、明日が当日ですけれど、残念ながら土曜なので収録もありませんし」

「いつもお世話になっているちょっとしたお礼なんですよ」

「うわー、ありがとう二人とも。嬉しいよ、大切にいただくね」


そういえば、明日はバレンタイン・デーだ。今日収録する番組で特集が組まれている(しかも自分が出演する
コーナー)くせに、ヴァッシュはそのことをすっかり忘れていた。だから少し驚いたが、素直に二人の好意は
嬉しかった。

チョコを受け取って微笑むヴァッシュに向けて、贈り主である二人は、もう一度顔を見合わせ、何故か
意味深に笑う。

「ヴァッシュさんも隅におけませんねぇ。ねー、先輩?」

「うふふ。そうですわね、ミリィ。」

「え・・・どういうこと?」

ヴァッシュは困惑した表情を浮かべた。

しかし、二人の視線が自分の持っているギフトバックに注がれていることに気付き、ヴァッシュは
ギクリと身体を強張らせる。

「だって早速そんな大きいの、貰っていらっしゃるんですもの」

「モテるんですねぇヴァッシュさんv」

「あ、いや・・・こ、これ・・・・・・わぁっ!」

慌てて否定しようとしたヴァッシュの太腿の後ろ側に、いきなり鋭い痛みが走った。


「あっ、おはようございます。ウルフウッドさん」

「おはようございますー」

「おう。姉ちゃんら、おはようさん」

ヴァッシュが何事かと振り返る前に、男はそ知らぬ顔でスイと横をすり抜けて、二人と挨拶を交わしている。
ここまで来てようやく自分はウルフウッドに後ろから蹴られた、ということが分かった。

「おい、ウルフ・・・」

「おんどれは、打ち合わせがあるやろが。さっさと来んかい!」

文句の一つでも言ってやろうと口を開いたヴァッシュを、鋭い一瞥と一括で押さえ込んだウルフウッドは、
それだけ言うとさっさとスタジオに入っていってしまった。


「うわー、今日は一段と不機嫌さんですねー」

「ホント相変わらずですわね。まぁその分、御自分やお仕事に関しても厳しい方なのでしょうけど」

あまりの仕打ちに呆然とするヴァッシュに向けて、二人から小さなフォローが投げかけられる。

「あぁ、うん、そうだね。仕事というか、料理に関してはアイツ、妥協しないっていうか。本当に真摯だと
思うよ。」

そうして、扉の向こうに消えた男の事を思う。料理に向かう真っ直ぐな眼差しをその姿勢を、職種の違い
こそあれヴァッシュは尊敬していた。

しかし・・・。


『アレさえなけりゃ・・・なぁ』

つい余計な事まで思い出して、ヴァッシュは一人で顔を赤らめる。

「ヴァッシュさん、どうかしたんですの?」

「顔が赤いですよ、大丈夫ですかぁ?」

急に黙り込んで赤面したヴァッシュへ、二人から同時に声がかけられた。

「あ!いや、何でもないよ。じゃあ俺、そろそろ行かないと」

ハッと我に返ったヴァッシュは、大慌てでぶんぶんと頭を振り『余計な事』を振り払う。
そして扉を指差し、少し困ったように笑った。

「ええ。あんまりお引止めすると、またあの方の雷が落ちそうですものね」

「わぁ大変。雷注意報ですねー。ヴァッシュさん、打ち合わせ頑張ってください」

「うん、ありがとう。じゃあまた、リハのときにね」

立ち去る二人を笑顔で見送り、ヴァッシュはスタジオへ続く扉に向き直る。


「・・・よし。さぁ、行くぞ!」

もう一度深呼吸をし、気合を入れるように軽く両頬を叩くと、今度こそスタジオへと続く扉に手をかけた。





「おはようございま・・・わっ!!!」

スタジオの扉を開いた瞬間、小さな塊が脚にぶつかってきた。慌ててヴァッシュはそれを受け止める。

ふわりと柔らかいものが手に触れて、温かいぬくもりが伝わり、ヴァッシュは驚きで見開いていた瞳を
微笑みの形に変えた。

「大丈夫?痛くなかったかい?」

「・・・ご、ごめんなさい」

小さなぬくもりが、おずおずと謝罪の言葉を口にする。零れるくらい大きな瞳がヴァッシュを見上げていた。

「スタジオ内は色々なものがあるから、走ったら危ないよ。気をつけてね」

「はーい」

ヴァッシュに受け止められた少女は、くるくるした巻き毛とスカートをふわりと翻し、スタジオセットの方へ
走っていった。


「ああ、もう。走ったら危ないって言ったばかりなのに」

苦笑しながらその後姿を見つめる。そうして改めて辺りをぐるりと見回した。

「うわぁ・・・スゴイなぁ」

スタジオ内は、いつもにも増した喧騒に包まれていた。特番の為、スタッフの数が多いこともあるが、
それだけが理由ではない。

人込みの中、さっき出会った女の子が、可愛らしい白いエプロンをつけてもらっていた。それが大層
お気に召したのか、少女はくるくると回ってみては近くにあった鏡を覗き込んでいる。

『ああ、やっぱりあの子も一緒に出る子だったんだな』

ヴァッシュは、スタジオ内のあちこちにいる小さな共演者達を見ながら微笑んだ。

そう、一般公募で集まった今回の出演者とは、『初めて料理を作る女の子』だったのだ。

テレビ局のスタジオなど初体験の子ども達は、緊張と興奮で沸き立ち、浮き足立っているようだった。
応募者はランダムに選ばれたので、お互い知り合いではないのだが、そこはそれ子ども同士のこと。
あっという間に打ち解け、楽しそうに談笑する姿があちこちで見られた。

しかし、何よりもこのスタジオ内での喧騒を作り出しているのは、出演する少女達の保護者である、
お母さん達であった。その視線は、セットの中をせわしなく動く男へ一心に向けられている。

ヴァッシュの共演者でもある、ニコラス・D・ウルフウッド。その男の一挙手一投足に感嘆の溜息がつかれ、
歓声が上げられていた。


「すごいでしょう。奥様方の間では、アイドルらしいですよ、彼」

「え!?あっ、レガート、お、おはよう。へ、へぇー・・・そうなんだ・・・」

ぼーっとその様子を眺めていたヴァッシュは、いつの間にか近くに来ていたレガートに声をかけられて
ビックリした。

「おはようございます。初めての特番、緊張なさっていませんか?」

しどろもどろになりながら返事をするヴァッシュに、レガートは穏やかに笑いかける。

「あはは。緊張・・・は、しているよ。でも俺に出来ることは本当に限られているし。その中で精一杯の
ことをしようと思うんだ」

今度はしっかりとレガートの瞳を見つめ、ヴァッシュは自分の気持ちを伝えた。それを聞いて、レガートは
満足そうに微笑む。

「ええ、それが一番ですね。お忙しくてこちらにはまだいらっしゃっていないナイブズ様も、安心なさると
思いますよ」

「そうかなぁ。いつもナイブズには心配ばかりかけちゃうんだよね」

カリカリと頬を掻きながら、ヴァッシュはいつも自分の事を一番に考えてくれる双子の兄のことを思う。

「大丈夫ですよ。ナイブズ様だってきっと分かって・・・」

言いかけたレガートの言葉が一際大きく上がった歓声に打ち消される。
驚いて声のあがった方を見ると、どうやら男が観覧席にいるお母さん達に何か言ったようだ。


『うわー・・・物凄〜く怒ってるよぉ・・・』

いつもだってそんなに愛想が良いわけではなく、むしろ不機嫌そうな時の方が多いと思う。しかし今日は、
眉間に深く刻まれた皺が、男の苛立ちをより一層ありありとヴァッシュに伝えた。不穏なオーラが漂っている
のが見て取れるのだ。なのに、何故・・・。

「えー。怖くないのかなぁ、あのお母さん達・・・」

思っていたことが、ぽろりと口をついた。ウルフウッドの怒りに触れ、奥様方は恐れるどころか、黄色い
悲鳴すら上げて大喜びをしていたのだ。ヴァッシュは訳が分からずポカーンとしたまま、その様子を
見つめる。

「ああいうところが堪らないらしいですよ?クール、っていうんですかね。昔気質でヘラヘラしていない
ところが、奥様方のハートをつかんだんじゃないでしょうか」

「ク、クールねぇ・・・ははは」

確かに仕事中の彼の雰囲気は禁欲的でクール、と言っていいかもしれない。しかし、一歩仕事から
離れると・・・。

『ワイにお仕置きされたいっちうなら、ワザと失敗してもええねんで』

『そんなら、しゃあないわなぁ・・・ペナルティーや』

『・・・へぇ、ええ声で啼くやん』

やっぱり、ただのセクハラオヤジだーっっっ!!!と、ヴァッシュは心の中で絶叫した。

また、余計なことの数々が脳裏を横切ってしまたので、それを振り払う為にヴァッシュは赤面しながら
激しく頭を振る。


「・・・そういえば、ご存知ですか?」

「えっ、な、何を?」

大きく深呼吸して冷静さを取り戻そうとしていたヴァッシュに、レガートが思い出したように言う。

「この料理コーナーは、あなた方二人の掛け合いが面白い、という視聴者の意見も多いのですよ」

「掛け合い???」

ヴァッシュは疑問符をたくさん浮かべて首を傾げる。レガートは小さく笑って言葉を繋いだ。

「収録中、何回か彼があなたに『蹴り』を入れますよね。中には、代わりに蹴られてみたい、という方も
いらっしゃるとか」

「ええ!?あれ、蹴られる方は、相当痛いんだよ!代わりに蹴られたいなんて。し、信じられない・・・」

愕然として、ヴァッシュは呟く。しかし、ウルフウッドの怒声にもあの鋭い眼光にも怯まないのだから、
恐るべきは世の奥様パワーか。

『でも、でも・・・マジでそろそろ危ないって!』

短い期間ではあるが一緒に仕事をしてきて何となくではあるが、ヴァッシュはウルフウッドが本気で怒る
瞬間が分かるようになってきた。しかし、それが分かっていても、ついドジをしてしまい、やっぱり怒られる
ことは変わらないのだが。



「あ、じゃあ俺、そろそろ・・・」

ウルフウッドが切れる前に何とか場を納めようと、足を踏み出しかけたヴァッシュは、小さな女の子が男に
近付いて行くのを見て凍りついた。その子は、先ほどヴァッシュにぶつかってきた少女であった。

『ま、まずい!!!』

周りのスタッフも同様のことを思っていたらしく、スタジオ内にはピンと張り詰めた一種独特の緊張感が
漂う。

しかしそんな空気もなんのその。少女は、不機嫌を顔に貼り付けたまま作業をしている男の着物の裾を
グイグイと引っ張った。

「うわ!ダメだ・・・って・・・あれ?」

それまで忙しそうに手を動かしていた筈の男は、それをぴたりと止め、ゆっくりと膝を折った。

すると、少女の顔と男の顔の高さが同じになる。ウルフウッドが少女と視線を合わせるためにしゃがんだ
のだ、ということがその時分かった。

二人までの距離が遠かった為、会話そのものは聞き取れなかったが(しかもより一層、奥様方の歓声が
うるさくなったので)少女が一生懸命男に話しかけていて、それを頷きながら聞いているのは、見て取れる。

少女は恥ずかしそうに小さな手を男の耳元に持っていき、その顔を近づけた。どうやら内緒話をしている
ようだった。


『う・・・わぁっ・・・!!!』

次の瞬間、ドクン!と一際大きくヴァッシュの心臓が跳ね上がり、一気に顔に血が昇った。

ウルフウッドが少女の頭にその大きな掌を置き、柔らかく微笑んだのだ。濃紺の瞳を細め、口端を緩やかに
上げて優しい表情を浮かべる男に、思わずヴァッシュはボーっと見惚れてしまった。

『うっ・・・そ、その顔は、反則だろぉ・・・』

どうやらその場にいたほぼ全員がそう思っていたらしい。

少女が満足そうに笑ってウルフウッドから離れた直後、またも悲鳴にも似た歓声が観覧席から沸き
あがった。しかし、男はあっさりいつもの不機嫌そうな表情に戻ってしまい、また忙しそうにセット内を
動き回る。そして不意に、ぴたりと足を止めた。

『え?こっち見て・・・?』

「何グズグズしてんねん、はよ来て手伝わんかい!!!」

「う、うわ〜〜〜〜〜っっ!ご、ごめんなさいっっっ!!!!!」

ウルフウッドの雷がスタジオの隅にいたヴァッシュの頭上に直撃し、周りにもその衝撃はビリビリと響き
伝わった。

「じ、じゃあ行くよ!」

「はい。頑張って下さいね」

慌ててレガートに短い挨拶をし、ヴァッシュは大慌てでスタジオのセットの中に入っていく。

「遅くなってゴメン、ウルフウッ・・・どわぁっっ!」

謝罪の言葉を述べようと男に歩み寄ったヴァッシュは、間髪いれずいつもの蹴りを喰らってしまった。

「遅いっちうんじゃ、ボケ!」

スタジオ内には大歓声。

『こ、これの何処が羨ましいってんだ・・・』

ヴァッシュは眩暈すら覚えた。
しかし、急がないとウルフウッドからの鉄の制裁、第二段が襲ってくる。

ヴァッシュは洗い場で手を洗おうとして、両手が塞がっていることに気付いた。

片方の手には、さっきメリルとミリィから貰ったチョコが。もう片方の手には・・・ギフトバックが。

とりあえず、ヴァッシュはキッチンセットの収納スペースにそれらを入れることにした。扉を閉めようとして、
一瞬手が止まる。ヴァッシュの視線は、ギフトバックに注がれていた。


「何してんねん。ぐずぐずすな!」

「あ、う、うん。分かったよ」

もう一度ちらりと中を見た後、ヴァッシュは急いで扉を閉めようとして・・・手を挟んだ。

「痛って〜〜〜っっ」

飛び上がった弾みで、テーブルの上に置いてあったボウルや泡だて器をひっくり返してしまう。
ガランガランという大きな音を立てて、道具がセットの下に落ちていく。

「・・・こんの、ドアホーーーーー!!!!!」

「ご、ごめ・・・んぎゃ!!!」

ウルフウッド渾身の蹴りがヴァッシュにHITする。再び大歓声の渦が巻き起こった。


『コイツに蹴られたいなんて・・・世の中間違ってる・・・』

観覧席から頑張って〜などと声援を受け、情けなさで泣きそうになりながらヴァッシュは、自分が撒き
散らした器具をせっせと拾い集めるのだった。 



↑ ウルフさん、奥様(&ヴァッシュ)悩殺ビーム放出中・・・ ↑



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