サイト運営者の日々の日記。2008年12月。
自己主観性という観測者が、脳が各感覚器から収集した入力情報に基づいて構成された仮想空間の上に定義されるなら、外部から見てこの自己主観性は、恐らくそれを"生んでいるであろう"と推測されるに過ぎない情報処理にしか映らない。この場合、演算による意識の発生を証明する方法は原始的なものと理論的なものの2種類が考えられる。原始的なものは自分自身が意識を持っていることを前提に、外部から自分を観測したとき、測定される情報処理と"同じ"ことを行っているものに意識が生ずると判断する。理論的なものは、意識を生じうるアルゴリズムを解明することだ。
日記の各記事への個別リンクは書かれた日付に付加されているけれど、これは論理的に正しくない。記事番号と書かれた日付は無関係であり、同一日時に書かれた場合、全く同じ文字に対して異なるリンクがつけられることになってしまう。では見出しにリンクするのはどうか、と思ったが、これも個人的にNGだ。見出しの表現上リンクがわかりづらくなるか、見出しが汚くなる。そこで解決案として、書かれた日付の文字に記事番号を追加することで、リンク文字列の差別化を図ることにする。
どうやら、各heading要素内部に、そのheadingに対するリンクアンカーを自動生成可能なXMLを構成したのは正解らしい。これなら無数の日記に対してリンク形式を一気に変更できる。もっと進んで日記の形式専用のXMLなどを作ればいいのだろうが、このサイトは日記サイトではなく、想定するXMLのパース先は極めて汎用的なHTML/XHTMLだ。いや、やろうと思えば拡張として特定XMLだけに新しい構造を定義できるが・・・
悲しいかな、現仕様上できても、その仕様を対応させた日記はごく最近という。大半の日記に適用させていないのが痛い。文章全体の構造を論理的に記述して、仕様変更時の即応性を最大にするようなXMLの構成について考えたくなった(今までの私の歴史は基本Try&Errorだけど)。
タグ打ちでしかもスタイルシートを使っているサイトなのに、見出しに<h1>
や<h2>
などを使わずに<div class="title">
や>span class="title">
を使っているのを見ると、なんでわざわざ意味不明なマークアップするんだろうね、と。定義リストやリストをマークアップではなくスペースと文字で実現しているのも、返って見辛いだけだ。難解なソースに仕上げる理由が今一わからねぇとか言ってみる。
オーサリングツールならHTMLわけわかめでも書けるからどうでもいいんだけどねー。そういえば、私がタグ打ちに完全移行したのは、結局HTMLより"簡単な"XMLを使い出してからになる。そもそもHTMLというヤツは(限りなくプレーンな文章なら別だが)恒常的に書くにはお約束的な無駄要素が多すぎて面倒なんじゃないかと。
なんか前にクラスター爆弾を使おうが使わまいが、日本の使用目的が敵戦力の上陸に対する海岸での防衛だから、使用有無に関わらず弾薬まみれの海岸は立入禁止だろ的なことを言ってたが・・・。改めて考えると、上陸戦にまで持ち込む時点で、少なくとも洋上防衛が突破されて、制空権にも風穴開けられてるんだよな。爆撃機の侵入を許すレベルになって、不発弾の事後処理を心配できるような状態なんだろうか。
そこまで破片を気にするなら、いっそ上陸させない前提でサーモバリック爆弾とか保有したほうが牽制になるよな。無装甲相手のkm2単位での面制圧兵器で、単弾頭で攻撃特性上破片なし且つ非破壊性など、その辺の兵器よりよっぽど事後処理の心配がないのはクラスターよりメリットあるんじゃね、とか。
まぁクラスターが対人地雷に例えられて非難されるように、こっちはこっちで核兵器に例えられるから、前者のように思考停止した連中にとっては全く同じような非難のやり方になりそうだが。個人的に瞬殺せずに死ぬまで痛みを与えるような遅効性殺傷兵器などの非人道的兵器を批判するなら兎も角、爆圧で圧殺(又は逆)されるのと破片で切り刻まれることのどちらが人道的かなんて、そんな非人道的な議論はやる気が起きない。
日本において上陸作戦は制海権と制空権を失いつつある状況だから、これは太平洋戦争末期のような王手のかかった状態。こうなった時点で常識的には白旗揚げるんだから、物理的に使用される危険性を説かれても何かねー。それとも1億玉砕でもしたいんだろうか。
とか憶測で語ってみる。正直、ただ単に使用された状況に限る想定は可能でも、戦況全体の想定は正当性を保障できない(熱核兵器の破壊性を説くのは容易でも、核戦略を説くのは容易ではない)。
2年近く経ち、いい加減消したかった旧サイトの移転リンクを完全に削除。未だにちらほら旧サイトからのアクセスが残っているが、1週間で1桁ないし20未満と、無視可能なレベルになった。
Yahoo検索の順位を強制的に落とされている原因の1つに、旧サイトから張られた検索エンジン側から見て意味のない膨大なリンクがあるのではないかという懸念事項がある。これらのリンクが完全に消えた後、現状皆無(移転後2年間の間に1回)なYahoo検索からのアクセスが回復すれば、原因は移転用リンクがスパムと見なされていたと判明する。そうでなければこのサーバーの重み付けの問題と判断できる。
Googleで2位を占めるコンテンツがYahooで240位というのは、検索エンジンの単なる性質というレベルではないと思うんだ。
11月の日記に書いていたArchives毎の統計に対応させた。2008年末でデータを保存用に移行しログをリセットする予定。
本来2009年1月1日から稼動させる予定だったが、正月に更新できないかもしれないため、冗長性を持たせて現行の形式でも取り込めるようにしてある。1月に入ってから更新出来次第移行作業を完了させる。
ちなみに、全てのページで統計処理が必ず起動するような方式をとっていないため、統計にはある程度の穴が出る。故に、統計データは正確性に欠き、ある程度の(それでも十分な)傾向をつかむに過ぎない。
どうせならつけてしまえ、という感じで書き出しているlink要素は、改めて見ると実用性に乏しいし十分網羅されてない。無駄な要素を書くぐらいなら書かないほうがいい。
現状XMLデータからリンク要素を指定できないのも問題。個々のページについて、関連するページを指定するのがlink要素ならば、指定もまた個々のページで行うべきだろう。関連するページはMyXMLのnavigationグループ内のdirect要素で指定しており、この機能をパン屑リスト以上のものに拡張を施すことによる対処を考案中。・・・あれ、以前これについて拡張を追加したような記憶が。
3年越しでFirefox3によって計算を試みた。500万以下に288秒かかったWinIE6に対し、Firefox3はその2倍の1000万に250秒しかかからない。きつねさんも速くなったもんだ。確か3年前も手持ちのブラウザで一番速いものを選んだ(IE6)んだけどな。
強硬な反軍事主義者は、軍事力の使い道として物理的に戦争に訴える以外の考えをもっていないように思える。相手の物理インフラに対する攻撃なんて最終手段であって、平時における軍事の利用目的は相手の選択肢に対する心理的攻撃に尽きる。
立ち読みで流したことのある幼年期の終わりを読了。ハヤカワのものがなかったため創元を買ってみたが、オーバーロードに慣れているところが上主になってると微妙に違和感が。
それはさておき、適当に書きなぐっておこう。幼年期の終わりは、オカルトを扱いつつそれをSFとして処理した、一種の終末論。最近のトレンドで言えば2012年云々のアレに似て非なるもの。
今まで統一されていなかった数式を記述したページを、一部MathMLの仕様として変更。ついでに需要あるくせに何書いてあるのか意味不明な文章も訂正。
手元にMathMLのリファレンスが1つ欲しくなった。適当なArchivesのコンテンツの1つとしてメモしておくか、いっそ現在作成中のHTMLリファレンスの基盤部分を流用すべきか。
現状MathMLはMyXMLへの直接記述を行っている。この記述内容はXSLTを通す際、XHTML仕様ではMathMLとして実装され、HTML仕様では代替画像に置換される仕組みとなっている。しかしながら、代替画像を一々作成するのはあまりに手間がかかりすぎるし、それを行ったとして専用のXSLTを使えばXHTMLが表示できなくても何とかMathMLを表示することも可能なブラウザがあるっぽいので、別のMathML専用ファイルから、適当にID振ってパース時に文章同士を結合させてもいいかもしれない。優先度は戯言の域(笑。
1つぐらい欲しいよね、という考えで進んでいるありきたり(?)なHTMLリファレンスの残り要素。一体何回作ろうとして諦めたのか、数えるのも面倒だが、ここまでくれば今度はできそうだ。
やたらファイル数と情報量は大きいのに、データ容量はXSLT適用後でも2,3MBぐらいしか見込んでいない、軽い。
今ままで読んだあらゆる小説のうちで最もスケールが大きい。邦訳6作品中、『プランク・ゼロ』『真空ダイヤグラム』しか読んでいないが。宇宙の存亡とかいうネタはよく使われるが、実際に時間スケール100億年、空間スケール10億光年、物質スケールが銀河団クラスを舞台とするのは滅多にないに違いない。
物語の大枠をさらっと書けば、バリオン世界最強の知性体ジーリーと、暗黒物質世界最強の知性体フォティーノ・バードによるお互いの世界の存亡をかけた宇宙開闢から続く壮大な戦いを背景にして、それを知らない下等種族の1つであった人類がジーリーの遺産や他の種族の技術を取り込みながらジーリーに次ぐ文明を築き、ジーリーに戦いを挑んだ挙句敗北し滅亡する様を、主に人類の視点から千年紀スパンで描くものだ。後々一連の物語は少し違っていることになるのだが、先ずはこの説明でいいだろう。宇宙の始まりから終わりまでを極めて長大なスケールで描く本作では、一貫した登場人物を描きつづけることができないため、主に各々の時代の登場人物にスポットを当てつつその時代の様子を記述している。ちなみに背景になっているジーリーの巨大な物語は、人類などの下等過ぎる種族の歴史を無視して続く。
キーボードが壊れて新調。キーの文字が削れて見えなくなるほど使い込んでいたから、いい加減買え時だと思っていたところ。いかにもキーボードっぽいキーを叩く音が心地よい。
自分の意見を持たず、考えられる選択肢の妥当性を計算して出力するだけの存在はどうだろうかと思うことがある。しかしながら、意見の妥当性を検証できずに意見など持てるはずもなく、それは結局は自分の意見を形成する手段でしかない。検証できない能で自分の意見を持っているというパターンは、自分の意見ではなく他人の意見をもたされている危険性を考慮しなければいけない。
最近あった少女殺害犯についての記述で、以前まで議論があった"アニメ・ゲームの犯罪への影響"仮説が、既に事実になっているのを見て、こうやって常識を上書きして定義していくんだな、メディアって。メディアといえば、日本の政府支持率は行った政策の結果ではなく、実にどうでもいい失言や不祥事によって決まっているように思える。あほらしい民主主義だ。
一般的にコンピュータが処理する言語は文法違反も誤記も一切認めない。誤った記述をすれば、処理系によって意図した内容とは違う間違った処理を行う危険が生じる。HTMLという言語は、たまたまそれを処理する主要なアプリケーションがある程度の文法違反や誤記を自動的に訂正してくれる機能を持っていただけであり、HTMLの言語仕様が文法違反を認めているわけではない。
文法規則を守ることは、一般的な言語において"原理的"ではなく、当然のことだ。一般的な言語における"原理主義"というのは、同じ処理をするために特定の言語の使用を強硬に主張する考えを言う。ならば、HTMLにおいて文法違反や誤記を平気で又は意図して行う連中こそ、冗長性を持った特定の処理系で処理されることを主張する"ブラウザ原理主義者"と呼べるはずだ。
この観点において"HTML原理主義者"とは、数あるHTMLのVersionのうち、特定の種類の利用を強硬に主張する者のことであると定義される。