サイト運営者の日々の日記。2009年06月。
DQはDSリメイク版の5しかやっていないが、一種類やった以上、同ハードによるDQ9にも興味がある。が、かつて金がなくてゲームの本数を絞った時代があったのに対し、今は時間がなくてゲームの本数を絞る。且つ、手抜きする気は微塵もない。ポケモン第4世代に費やした合計時間は1000時間を超えた。
ところで、DQ9のセーブデータが1つしかない問題について、ずっと任天堂の携帯ハードしかやっていなかった私としては、セーブスロット1個のRPGばかりだったせいで極めて自然にしか感じないわけだが。
世の中には友愛だとか憲法9条で世界平和を実現する案があるらしいが、人間関係という相互作用において脆弱なものを基盤にするのは危険としか思えない。世界史上その手の関係が仇になった例は数限りない。というわけで、強制力のある世界平和実現方法としての思いついた下らん妄想でも書いてみる。
現状では国家同士が突きつける軍事力が実質的に強制力を持った制度維持装置として機能しているが、国家を一切媒介せずに強制力を持った戦争抑止手段として、インターネットを用いる方法が考えられる。技術的には半世紀程度で機械による完全な言語の相互翻訳ができると仮定して、この技術を用いて手っ取り早く世界の言語障壁を取っ払う。国と国を隔てる最大の要因は言語であるから、これを切り崩して、発達したインターネット上での文化同士が区別できない混合を起こせば、先ず民主主義を貫く限り同一文化圏となった他国に対して感情論で敵意など抱くことは難しく、区別できなくなった文化集団を統御する民主的な方法は、もはや単一国家の手に余る。現状でも国境のないインターネットで各国の法律が齟齬を来たしているが、これが極限まで進めば、世界全体でインターネットを統御する法整備を行う必要がある。まして、これが経済と文化・生活インフラとして限界まで進歩しているなら、これを統御するために組み上げられるであろう国際法の整備は、殆ど個々の国家の国内法そのもので、実質的な世界政府による立法にもなりうる。以上のプロセスが上手くいけば、ほぼ強制的に世界政府らしき法制度を作らざるを得ず、戦争も完全又はある程度抑制される。ただ一つ、国家による検閲を防いで、且つそこに民主主義が存在していることが条件だが。まぁ、戦後の国際社会で戦争を抑止するために自由貿易を使って強制力のある相互依存関係を作るっつーWTOのやり方をサイバネティックに拡張した挙句更に強化したような発想と言うべきか。
更に過激な思考実験に励んでみると、究極的に全ての価値が電子情報になってしまえば、インフラを除いて、経済を成立させるために物体を移動させるコストも資源を浪費する必要もなくなる。現状の世界を、本来生存のために使うべき資源とエネルギーを経済という道楽のために浪費しているとするならば、電子情報として代替された世界では、持てる資源を生存のために限界まで使えることになるし、余計な資源消費による環境負荷も存在しない。破壊的な方法で世界の変革を図らずとも、滑らかに且つ自主的に革命を起こせるのがよさげ。最終段階では都市を作って人口を集中させる手間もなくなる。
文明論まで視野に入れたSF作品でいかにも使えそうな図に見えてきた。尤もこの妄想自体最初からサイエンス・フィクションな考え方だが。
州都となる中央都市に人口が集中しても、現体制の下で東京だけが肥大化するよりはマシで、全州八程度の都市への人口集中は弱った経済力を効率よく使えるし、エネルギー効率も良く環境に優しい。というわけで肯定派。資本主義を続ける気があるなら、人口は集中してもらったほうが良い。残った土地は農地と山林に改造すれば尚良い。無駄に道路を張り巡らす必要もない。
民主案の300区分は細かすぎて今以上に動きにくい気が。これを合理的観点から肯定しうる論証ってあるのか。例えば300自治体をつなぐために土建屋から始まる日本再生とか(笑)
初期シード固定化はパラメータが同じコピー個体の量産になってしまうから、個人的にはあまりいい気がしない。当面使う気はないが、第3世代の個体吟味の際に、ゲーム開始時の条件を変え続けないと均一な乱数が得られず、知識として覚えておく価値はある。
反面第4世代では初期シードの固定は必須ではないため、粘っても出ないときの最終手段として留置くことにしよう。慣れたらどうなるか知らないけれど、現状で調整する程の高難易度厳選は色違いぐらいのもの。
両方予約の方向で。
FR/LGを引き継いでDPtの補助ロム的な位置づけになるかとも思ったが、随分と本気っぽい。やっとこさメインをPtに移行したところで、冬あたりにまた移行とかすることになったら面倒この上ない。まぁ喜んで移行作業するだろうけど。
初代からの継続ユーザーな私としては、当時の金銀のインパクトはRSE以上だったかと記憶している。逆に金銀で止まったユーザーがえらく多いことから、かなり本腰を入れているらしいこのHGSSでどれ程の結果が出るのか興味のあるところ。
暖かい社会とかいう理想像を目指した結果、言論と表現の制限及び人間同士の接触を物理的に絶った統制社会が出来ました。
色々書いたけどこれでいいや。中身は兎も角、世の中の美しいものとそうでないものを他人が決めようとしているのが気に入らない。100%を目指すために機械的で強制的な規制に頼ってる奴の口から、暖かい社会なんて言葉が出てくるのが気に入らない。尤も、現実には規制しやすいところからガンガン規制していくだけで、統計値で圧倒的に悪い結果があっても反対者の多い部分は放置されるのだけれど(未だに1回しか使われないダガーナイフを犯罪抑止として規制するぐらいなら、子持ち世帯のプライバシー侵害したり酒全体に規制を加えるほうが数千倍の効果)。
メールがしばらく経っても返ってこねーどーしよう的な問答を聞いたとき、急務でない限り電子メールをすぐに返さないし何時も見ない私の常識とやらは、激しく誤解されそうだと思った。そして、そのような問答を行っていた当の本人から来るメールは、大抵着信後30分-数時間の時間制限を扱ったものばかりで、多分この推論は極めて正しいし、実際にこれらのメールに対して対応できたことがない。大体、私的な常識では時間指定の類は前日以前に済ませる。
どうでもいいが、メール送信後最初に届いた返事が1ヶ月後だったのが経験上最長の通信期間。
同じ構造化テキストであるXMLとHTMLの運用思想上の決定差について現状の考え方をメモ。
結論から述べれば、HTMLで定義されている要素は特定の言語的意味合いを含まない。ただ、内容となるテキスト間の関係性のみを論じている。これに対して、XMLはもっぱら、内容となるテキストの意味を要素の名前としてローカルに定義することで運用される。例えば、HTMLにおけるリストを構成する要素とは、内容となるテキストが並列関係又は順序関係にあることのみを規定し、リストの要素それ自体は、内容となるテキスト群が持つ共通の意味的要素を一切持たない。そして、そのような意味要素はid・classによって必要に応じて追加可能だ。正反対に、XMLによってリストを構成する場合、要素の名前自体にリストの内容を規定する意味・単語を用いるのが当たり前で、機械的な意味的解釈を要求されるXMLにとって、運用上、固有の識別子を持たない汎用的な関係性のみを規定する要素は全く使い物にならない。
以上。実際、XMLの要素に規格なんて作っても、実装されうる意味の数が多すぎてお話にならず、HTMLについても要素の持つ意味を求めて仕様を作れば、それは殆ど不可能か、膨大な仕様となってしまう。XMLは型の決まった定型的な構造化テキストを扱う際に用い、HTMLは構造における意味を一切破棄する代わりに、グローバルでも使えそうな汎用性を手にしたと解釈しておこう。
ただ、属性による追加定義ができるため、個々のサイトがオリジナルに不足した構造要素やよく使う意味要素を補填することはできる。このサイトでは、例えばsection要素の代用としてdiv要素section属性を使っていたり、統一された日付データのためにspan要素date属性を使っている。しかし、divとspanで不足した意味を補う際に、まとめて構造ごと補完してしまうことはあまり宜しくない。既存のHTMLで定義できる構造である限りそれを使い、汎用的な意味の不足はその規定の構造要素への属性の追加で実装すべきだろう。
ネットの右傾化とは言っても、それを世の右翼政党・左翼政党の指向性に照らし合わせれば、安全保障分野では右翼的(軍備の拡充)である一方、国内の規制については真っ当に左翼的(規制反対)だろう。尤も、ネット黎明期の今において、元々存在しなかった傾向を推し量ることが無理なのかもしれないが。
いい機会だしと観てみたが、個人的にはそこまで面白いとは思わなかった。音楽はいいから、割り切るのが妥当な作品だなー。悪役のテンプレ加減は置いておき、最初に随分とまともな世界史を解説するも、物語のキーとなる0ラグフォールド通信について、悪役さんの野望に引きずられて元々あったその技術の重要度さえ有耶無耶になっているのが、SF屋的には極めて微妙。まぁ、最近のロボットモノの傾向について、どっかのこなたさんの言っていた通りだと理解することができた。←結論
ちなみに初代だけは大昔に観た事があった。