色彩のブルース (6)
また同じように週の半ばを過ぎ、カフェテリアの隅の席で、次回の講義のためにテキストを読んでいたところだった。携帯の鳴ったのをそれほど鬱陶しいとも思わずに、ジェロニモは液晶画面の名前を見る。何となくそんな気がした通り、アルベルトからだった。
メッセージを送って来たのではなく、直接の電話だ。珍しいと思いながら、ジェロニモはちょっとひと呼吸置いてからそれに応えた。
──ああ、すまない、邪魔したかな。
ちょっと弾んだ声が聞こえて来る。いや、と短く答える声が、一緒に弾みそうになるのをきちんと抑えた。
──別に用ってわけじゃないんだ。君が、その、どうしてるかと思って。
まるで友人が、ちょっと気晴らしに会わないかと掛けて来た電話のようで、そしてこれは多分、それに近からず遠からずと言うところなのだろう。
本から視線を外して、目の前の空いた椅子にアルベルトが坐っているかのように、ジェロニモはそこへ目線を置いた。
「講義の予習で、テキストを読んでたところだ。」
──今日はまだこれから講義が残ってるんだろう?
ちょっと探るように、押しつけがましくならないように、声の調子に気をつけながら訊いて来るのがはっきりと分かる。ああそうだと、いつもなら即座に答えるところだった。
「いや、今日はもう全部終わって、居残ってノートの整理をしようかと思ってるところだ。」
そう言ってから、アルベルトがもし会いたいと言うなら、今夜までに終わらない予習の残りは明日にしてもいいと、頭の隅でちらりと思う。
そうか、とぽつりと言ってから、少し間(ま)が空く。何か考えているのが伝わって来て、助け船を出そうかどうかジェロニモが迷っていると、アルベルトがちょっと早口に、予想もしなかったことを言い出す。
──その、それならウチに来て勉強するってのは・・・その、俺も実はちょっとやることがあるんだが、ひとりだとちっとも進まないんだ。
精神科医の次は、グループ学習か。ジェロニモは口の中でだけ小さくつぶやいた。
騒がしくないなら、別にどこで本とノートを開こうと違いはない。ジェロニモは携帯を耳に当てたまま、ぐるりと肩越しに後ろへ振り返って、半分以上埋まったテーブルを眺め、中にはビールの瓶片手の顔ぶれも混じっていることを確かめる。図書館のひりひりした空気も励みにならないではないけれど、今日はそれほど切羽詰まってもいない。
結局はアルベルトの酔狂に付き合うつもりになって、
「・・・別に、行ってもいいが。」
言いながら、もう片手で、閉じたテキストをカバンの中に詰め込み始めている。
今から、とせっかちなアルベルトの声を耳に当てたまま、ジェロニモは立ち上がってカフェテリアの中を横切って行った。
アルベルトのアパートメント──コンドミニアム──の住所はちゃんと覚えている。大学の正面玄関前へ停まるバスへ急ぎながら、ジェロニモはいつの間にか小走りになっていた。
何だか、会いたくてたまらなかった誰かに会いに行くみたいじゃないかと、内心で自分を揶揄しながら、それについて、一体どう返事をすればいいのか自分で分からない。そうだとも、そんなわけはないとも、どちらとも答えが決められず、決められないそのことに、バスの窓を流れてゆく外の眺めを実は何も見てはいない目の先に追いながら、ずっとこだわり続けていた。
午後のちょうど半ば、例の守衛の男たちはガラス張りの窓の中でだらりと椅子の中に手足を伸ばし、ロビーへ入って来たジェロニモに無感動な視線を儀礼的に投げ、
「どこ?」
と形だけ問う。アルベルトの部屋の番号を短く告げると、ああとうなずいて、指先でまたエレベーターを示した。それに、礼の代わりに浅くうなずいて見せて、ジェロニモはさっさと降りて来たエレベーターへ乗り込む。
あの守衛の男たちに、このアパートメントの他のどこかで会っても多分分からないだろうと、想像の中で彼らを私服姿にして考える。彼らの顔はぼんやりとした白い塊まりにしかならず、それは容易に、ジェロニモの頭の中でアルベルトにすり替わった。
また小走りに、そんな必要もないのにアルベルトの部屋へ向かう。肩から下がったカバンの中で、本とノートが揺れていた。ドアの位置をきちんと覚えていた。強くノックする必要がないことも、ちゃんと覚えていた。
「やあ。」
今日は、黒い薄いセーターだった。コットンのパンツに、相変わらずの素足だ。ジェロニモはさっさと中へ入り、例のソファの傍へ自分のカバンをそっと下ろす。
アルベルトはもう、キッチンで何やらやっているところだった。
こんな昼間に正面から向き合うのが何だか照れ臭くて、だからアルベルトがこちらに背を向けているのはちょうど良かった。きっとそれは、アルベルトも同じだろうと、ジェロニモは思った。
天井の高さとスペースを区切る壁の面積の小ささで、ここは妙に居心地が良かった。ぐるりそこから正面にある窓は、街の西の果てが良く見渡せる。まだ明るいそこへ目を細めて、ジェロニモは足音をさせずに大きな窓へ近寄った。
街の中心とは反対側のそちらは、主には住宅ばかりでいわゆる高層ビルの類いはほとんど見当たらない。20階建て前後の、ここよりももっと背の高いアパートメントも、街のこちら側には数は少ないようだった。
斜め後ろにも窓があれば、大学の校舎──最上階まで図書館が入っている──が見えるのかもしれない。今度、大学の図書館の最上階から、アルベルトのこのアパートメントが見えないか確かめてみようと、遊びのように考えた。
アルベルトは、もう尋ねもせずにさっさとコーヒー──例の、カプチーノとやらのようだ──を淹れて、コーヒーテーブルへ運んで来る。
「好きにやってくれ。冷蔵庫には牛乳と水くらいしかないが。ワインもあるが、君は飲まないんだろう?」
キッチンの方を指し示して、わざとのように、ちょっとからかう口調でアルベルトが肩をすくめて見せた。ジェロニモはにこりもともせずにただ浅く首を振って、目の動きだけで、アルベルトにコーヒーの礼を伝えた。
「俺はそこの部屋にいる。バスルームはあっちのドアだ。ノックしても聞こえないから、用がある時はドアを開けて声を掛けてくれ。」
並んだドアを順番に示して、アルベルトはじゃあと手を振って、ドアのひとつの向こうへ姿を消した。
ドアが閉まると途端に静かになって、ジェロニモはまるでここにひとりきりのように、束の間手持ち無沙汰に窓の外をまた眺めた後で、コーヒーの香りに気づいて、やっとそちらへ足を向けた。
今日はソファの右の隅へ腰を下ろし、そこから腕を伸ばしてカバンを取り上げ、半時間前にカフェテリアでそうしていたように、中からテキストとノートを取り出す。外のポケットからペンを出して、すぐに膝の上に本を開いた。大きなソファは坐り心地が良すぎて、2段落も読み進めないうちに、ここが大学の構内でも自分の部屋でもないことが気になり始める。
結局、カプチーノをひと口飲んだ後、コーヒーテーブルをそっと向こうへ押し動かし、そのままずるりと床に滑り降りた。ソファの座面の縁に寄り掛かる形で、適当に足を投げ出し、膝に本は置いたまま、ノートはテーブルの上に広げ、ひと段落読んで要点をノートにまとめると言う、いつものやり方へやっと心が狭まり納まってゆく。
床に敷かれた小さな絨毯も、時々気まぐれに触れると驚くほど手触りが良く、ソファほどではない坐り心地がちょうど良かった。
アルベルトは向こうの部屋で何をしているのか、閉じたドアの向こうはずっと静かで、他には人の気配も車の音もなく、平日の早朝ですら誰かの気配の途切れない自分の部屋に比べると、ここはほとんど無音と言って良かった。
静かだと、こんなにテキストを読むのに集中できるのかと、いつもよりも乱れの少ない自分の書き文字にちょっと驚いて、カプチーノが半分になった辺りで、もう予定の分の章はほとんど終わりに近くなっている。
こんなに進むなら、別のテキストも持って来れば良かったと、今朝には思いもしなかったことを考える。カフェテリアでは、この章が終わったら家に帰るつもりだったから、章の最後の段落を終わって、数瞬、他にすることも思いつけずにただ窓の外を眺めて、それからゆっくりと、何か恐れるような心持ちで、アルベルトがいる部屋のドアへ振り返る。
ドアの向こうも、いるのかいないのか分からないくらいに静かだ。ジェロニモは、呼吸と一緒にその静けさを胸の奥へ深く吸い込んでから、そこでアルベルトの気配を探ろうとした。
何もない。静かだとまた改めて思って、もしかして今にもドアが開いてそこからアルベルトが顔を出すのではないかと期待しながら、再び数秒ドアに視線を当てたまま、ジェロニモは膝の上の本へ心を戻すのに少しばかり苦労する。そのことを、視線の位置を戻してから、ひとりで笑った。
結局またテキストへ視線を戻し、続きの章を読み始める。けれど今度はなかなか視線がそこへ定まらずに、気がつけば耳の後ろ辺りが、アルベルトのいる部屋の方へ引っ張られているようにむずむずする。
それでも半分くらいは先へ進んだところで、手の中のペンをテーブルの上に放り出し、残っていたカプチーノを無雑作に飲み干した。帰るならそう言わなければと、言い訳のように考えて、ジェロニモは部屋の空気を全部揺らすような勢いでそこから立ち上がり、そのくせ目当てのドアまでは爪先を滑らせるようにしてそっと歩く。目の前まで来ても、相変わらずドアの向こうは静かだった。
ノックしようとしてから、そう言えば聞こえないから開けて声を掛けろと言われたことを思い出す。閉じられたドアをいきなり開けるのには普通にためらいがあったけれど、これもまた音をさせずにノブを回し、きしむ音を気にしてそろそろとドアを開いた。
隙間から覗く部屋はそれほど広くはなく、突き当たりには窓がある。そこに体の左側を向けて、アルベルトが軽くうつむき込んでいる先は、キーボードだった。ヘッドフォンをつけて、コードがキーボードの背面のどこかへ消えている。鍵盤の上に乗っているのは左手だけで、右手は、横に長いベンチのような椅子の上に置かれたノートの上に、ペンと一緒に乗っている。
ぎこちない形に、金属の指先がペンをとらえて、左手が動くと、その後にペンがノートの上を滑る。さらさらと言うようには行かず、いかにも機械めいた動き方だった。
ノートにうつむいていた横顔が、そこにいるジェロニモに気づいて瞳を動かし、アルベルトは、ヘッドフォンを外しながらジェロニモの方へ振り返った。
「どうかしたのか。」
訊かれて、ジェロニモはさり気なく、見つめていたペン先の動きから視線を外した。窓の方を見ていたような振りで、そこから、アルベルトが背を向けている壁の方を眺めやって、壁一面の本とCDに驚いている素振りを作った。
入っていいかとは訊かずに、半分だけ開いたドアから滑り込むように中へ入り、本棚を下から上へ眺める。続きで天井を見上げて、スピーカーが掛かっているのを見つけ、そこから伸びたコードは目立たないようにまとめられて、部屋の隅のステレオに繋がっていた。そこにもまた小さな棚があって、そこにはレコードがぎっしり並んでいる。話に聞いたり写真で見たりして知ってはいても、実際に実物を目にしたことはないジェロニモには、それがレコードだと確かなことは分からず、好奇心で手に取ってみたい気持ちを抑えて、こちらはまだ馴染みのあるCDの並んだ棚へ再び視線を戻した。
本は、英語のタイトルもあったけれど、一体何語──きっとドイツ語だろうと、勝手に想像する──か分からない文字ばかりだ。読み取とろうとするのはさっさと諦めて、ジェロニモはこれ以上はアルベルトの邪魔はすまいと、もう帰るとそう言うために口を開いた。
「あんたが弾いたのは、ないのか。」
目の前のCDの背に指先で触れて、これも読めないタイトルを、それでもちょっと首を傾けて字だけは目で追って、ジェロニモはそれが自分の発した声だと、一瞬気づかなかった。
背中越しに、アルベルトが頬の辺りを硬張らせたのが伝わって来る。余計なことを言ったと後悔した直後に、アルベルトの、薄く苦笑を混ぜた声が飛んで来る。
「ある。でもそこじゃなくて、もっとあっちの方だ。」
振り向いたジェロニモに向かって、アルベルトがもっと右の方を指し示す。当然のようにそちらへ動き出そうとしたジェロニモを止めるように、
「──コーヒーのお代わりを淹れよう。」
ベンチから立ち上がったアルベルトが足早にやって来て、ジェロニモの行く手を塞いだ。
微笑みを浮かべてはいても、作り笑いだと分かる口辺の線の固さを見逃すことはできず、ジェロニモは自分の迂闊さを再び後悔しながら、素直にアルベルトに背中を押されて部屋を出た。
部屋を出ると自分を追い越してさっさとキッチンへ向かったアルベルトへ、もう帰ると言い出し損ねて、ジェロニモは何かこれ以上問われることを拒んでいるようなアルベルトの背中をしばらく眺めた後で、やや明るさの失せ始めた窓の外を、他に視線のやり場もなく眺めた。そうして、少し落ち着いた後でようやくテーブルの上に広げたままのノートや本に気づき、コーヒーのお代わり以上の長居をするつもりはなく、それらを手早くカバンの中へしまった。
テーブルの上が片付くと、後はさっきのカプチーノのカップだけが残り、謝罪の言葉の代わりにせめてと、ジェロニモはそのカップを取り上げてキッチンへ向かう。ジェロニモの足音に気づいて、アルベルトが顔だけこちらに向けて、今度はそれほどの硬さはなく微笑みを浮かべた。
その笑みにちょっと救われた気分になって、ジェロニモは、自分の体にはどうしても狭くなるキッチンへ、アルベルトの邪魔をしないように滑り込んで行って、流した視線の先にシンクの位置を確かめて、迷わずそこへ爪先を向けた。ジェロニモが伸ばす腕を、アルベルトが見ている。シンクへカップを置いた後で、ふたりの視線がぶつかった。
カプチーノを淹れる道具は目の前に置いて、けれどまだ何か考えている風に、アルベルトは所在なさげにカウンターの縁へ両手の指先を乗せていた。ジェロニモを見て、自分の手元を見て、それからまたジェロニモを見上げる。ジェロニモの、左側のどこかへ視線を当てて、ふと眉の間を開いた表情が浮かんだ。
「刈ったばっかりなのか。」
鉛色の右手が動く。それから、慌てたように左手へ変えて、わざわざそちら側からジェロニモの左耳の上へ触れて来た。
ぐるりと刈り上げた側頭部は、アルベルトがそう訊いた通り、昨日手入れしたばかりだ。週に何度か自分でバリカンを当てるそこへ、今は少しだけ伸びて柔らかな草の葉のような触り心地のその短く刈り込んだ髪へ、アルベルトが予想通り目を細める。伸びればしなやかさよりも靭(つよ)さの増すジェロニモの黒い髪は、指の間からさえ出ない短さの時には、不思議に獣の仔の毛並みのように柔らかく、ジェロニモが自分で触れても心地良いそれを、今はアルベルトがちょっと稚なく見える表情で楽しんでいた。
自分の髪に触れて目を細めるアルベルトへ目を細め、ジェロニモはアルベルトの好きにさせながら、時々耳の縁をかすめるくすぐったさに何度か首をすくめた。そうする間に、空気はいつの間にかやわらいで、そうして突然、数センチ爪先を進めれば胸の触れ合う近さだと言うことに気づく。気づいた途端、ジェロニモは無意識に、ほとんどにらみつけるようにアルベルトを見つめていた。
顔の前を横切るアルベルトの左腕を払いのけるようにして、両手の指先をいっぱいに広げて、そこにアルベルトの頬を包み込んで少し強引に引き寄せる。喉が伸びてあごが持ち上がり、引き上げられた体と一緒に、かかとが上がったのが分かる。ジェロニモは、やや逃げ腰に、それでも自分を拒みはしないアルベルトを、あまり力の加減はせずに抱き寄せた。
唇は何度か重なる方向を変えて、力任せのそれはひたすら不様だったけれど、それよりも今は情熱の方が勝って、触れ合う舌先は次第に絡まったままになる。
アルベルトの両手も、ジェロニモの首へ触れて来た。まるでステップでも踏むように、ふたりの足が前や後ろへ動き、ジェロニモが押す形でアルベルトが後ろへ下がると、すぐに、そこにある仕切り代わりのアイランドへ行く手を塞がれて、それでもまだ一応は逃げるような仕草で、アルベルトはジェロニモの腕の中で体をねじった。
唇がこすれて外れ、後を追おうとしたジェロニモを避けて、アルベルトはジェロニモの胸に額をつけて、そこで大きく息を吐いた。シャツ越しに、息が熱い。
腕は互いに掛かったまま、拒まれているわけではないと思って、ジェロニモはまた、アルベルトのあごをすくい上げるように持ち上げた。相変わらずアルベルトの背は反り返るようにアイランドの縁へ押し付けられて、息苦しさかどうか、わずかにもがいた拍子に、持ち上がった腰がそこへ引っ掛かる。咄嗟に、ジェロニモはそのままアルベルトを抱え上げてそこへ乗せてしまった。
まさかそこへ押し倒す気はなかったけれど、すとんと腰を下ろした形になったアルベルトを抱き寄せると、アルベルトももう観念したように両腕をジェロニモの首にきつく巻きつけて来る。両手がジェロニモの刈り込んだ側頭部を撫で、右手の指先がまとめた髪の根にもぐり込んでゆくのを感じた。
唇が外れても、触れ合わせた頬はそのままにして、そこでアルベルトがずるっと顔の位置を滑らせて、ジェロニモの耳元へ唇を近づける。弾んだ息が、隠しても耳朶へ触れて来る。ジェロニモは、アルベルトに聞こえないように、こっそり大きく息を吐いた。
「・・・シャワーを・・・。」
消え入りそうな声で、アルベルトがやっと言った。うなずく代わりに、また唇が重なる。押し付け合う体が、もう汗で湿り始めていた。
先にジェロニモにシャワーを譲り、何のつもりか、アルベルトはバスルームへ行くジェロニモの髪からゴムを引き抜いた。突然髪がほどけ、首と肩にまつわりつく髪越しに驚いて振り返ると、アルベルトが上気した頬に、今は奇妙に無邪気な笑みを浮べて、ジェロニモに向かってその黒い髪ゴムを振って見せる。それさえ奪っておけば、ジェロニモが突然消えたりはしないと信じてでもいるように、その他愛もなさを、ジェロニモはバスルームへ入りながら薄く笑った。
カーテンを引いたところで、失せるはずもないまだ午後の明るさを気にして、それから濡れてしまった髪を気にして、ジェロニモは裸のアルベルトと抱き合って、彼のベッドへ入った。
唇と手指で互いに触れ合う。義務感も焦りもなく抱き合って、無理矢理もぐり込んだシーツの中で、何となく下肢は避けながら胸や肩の辺りへ触れる。唇は、始終重なり合っていた。
アルベルトはむやみにジェロニモの髪に触れて、指先に絡め取っては外し、また絡め取る。上から自分へ向かって天幕のように落ち掛かって来るその髪を、耳の後ろに上げては下ろし、そうしながら指先を構わずもぐり込ませて、水を含んで固く巻きついて来る髪を、ジェロニモがちょっと顔をしかめるまで引っ張ったりもした。
今は精神科医とその患者でもなく、客と娼夫でもなく、まるでうっかり友人の枠を踏み越えてしまったふたりのように、ぎこちなく、それでもそこに親しさは確かに在って、互いに伸ばす腕に戸惑いはなかった。
口づけの合間に、アルベルトの膝へ掌を乗せる。膝を割ろうとすると、どうしようかとためらう素振りを見せてから、腿の間に指先が入る程度にはゆるく膝が開いた。
ジェロニモほどではなくても、アルベルトの体も、どこに触れてもしっかりと固い。事故の後のリハビリに、体を鍛えることも含まれるのだろうかと、腿の裏側を撫で上げながら考えた。
そこへ顔の位置をずらそうとすると、それはアルベルトがやんわりと押しとどめて、ジェロニモは今日はそれに傷ついたりはせずに、素直にアルベルトの手に従った。
体を起こし、膝の間にアルベルトを抱き寄せる形になって、首を斜めにねじ上げて来るアルベルトと、また唇を交わしながら、ジェロニモはアルベルトの下腹にそっと触れる。みぞおちへ掌を当て、腰の骨の形をなぞって、腿から指先を滑らせてゆく。唇を重ねたまま、アルベルトが不安気にそこで目を開き、ジェロニモを見上げている振りで、わずかの間視線を泳がせた。
それでも、滑って来るジェロニモの手を止めたりはせずに、アルベルトはまた目を閉じた。
掌全体で包み込むと、くたりと手応えはない。体温よりはわずかに熱く、けれど張りつめてゆく気配はなかった。触るなと言うのは、触れても無駄だからだ。何も起こらない。熱くなる血と体温が、そこへなだれ込むことはない。ジェロニモはそれに気づいてもそこから手を離さず、包み込んだまま、そっと指先を動かした。
唇の間で、アルベルトが細く、熱い息を吐く。反応はなくても、感覚はちゃんとあるのかと、その発見に励まされて、ジェロニモはアルベルトの薄赤く染まった首筋を眺めながら、そこで手指を使い続ける。
アルベルトは、漏れる声を隠すように口づけを深くして、左手の指はずっとジェロニモの髪の中にもぐり込ませたままだ。右手は、時々ジェロニモの腕や脚へ触れ、それが生身ではないことを、ふたりは忘れ切っている。
ジェロニモは、アルベルトにそうやって触れ続けた。柔らかいままのそれは、小さな生きものの生まれたての仔のようで、そうだと思い込みながら、ただ優しさだけで触れる。傷つけることを恐れて、掌の大きさを怖がられることを恐れて、ほんとうに壊れもののように、ジェロニモはアルベルトに触れ続けた。
息だけが荒くなる。耐えるためと、そして多分意趣返しに、アルベルトは時々ジェロニモの首筋に噛みついて、そこでも湿った息をこぼした。
掌の穏やかさとは裏腹に、唇と舌は貪るように触れ合っていて、舌先は互いの喉の奥まで届きそうだった。時々外れる唇を、追い掛けて甘噛みして、また深める口づけの重なりの先で、歯がぶつかってみっともない音を立てさえする。
何ひとつ気にならないまま、ふたりはそうして触れ合っていた。
アルベルトが、ジェロニモの手を押さえた。もういいと、目顔で言って、体の向きを変えてジェロニモと真正面に向き合うと、一度ジェロニモの髪を右手で撫で、それから体の位置を落とす。左手の後を唇が追って、一度そこから上目にジェロニモを見た後で、アルベルトがジェロニモに触れた。
そうされた途端、背骨のつけ根辺りがびくっと慄えたのが自分で分かった。ジェロニモは喉を伸ばして、アルベルトの動きに合わせて息を吐く。迷う風ではなくても、慣れているとは到底言い難いアルベルトの扱い方だった。自分も似たようなものだと思いながら、迂闊にも他に寝た客たち──例の教授とか──の顔をちらりと思い浮かべて、彼らとあまりに掛け離れているアルベルトの仕草に、だからこそひどく煽られた気分になる。
舌の根に当たり、喉の奥に触れて、時々唇を外す時には、唾液が糸を引いた。腹を打ちそうなそれ越しに、互いに上気した顔で見つめ合って、アルベルトがまた顔を伏せる。アルベルトの色の薄い唇のせいで、そこへ走る血管の浮き出た猛々しさが今は余計に凶暴に見えて、自分の躯だと言うのに、ジェロニモは己れのその反応を束の間嫌悪しそうになった。
口の使い方が不慣れに思えたのは、単にジェロニモを引き止めておくためだったのか、アルベルトはやっと体を起こすとジェロニモの上に乗り、そこでそのまま躯を繋げに来る。いつの間にそんな風にしたのか気づかせもしないなめらかさで、ジェロニモは結局何もかもアルベルトに任せ切りだった。
アルベルトの表情を窺いながら、苦痛のしるしを見逃すまいとして目を凝らす。年上の女たちですら持て余すことのあるジェロニモのそれ──体の大きさに吊り合っているのは、ある意味では不運だった──を、アルベルトはゆっくりと受け入れながら、深い呼吸で腹筋の形が露わになる。ジェロニモの方が息を詰めて、不安気にそれを見守っていた。
したこともされたこともあったけれど、どの時も馴染めずに、好きだとも思えなかった。相手が誰であれ、やり方がどんな風であれ、人の体も使い様によっては凶器になると身を持って思い知っているジェロニモは、いかにも傷つきやすそうな触れ方が煩わしいとしか思えず、求められれば必ず断ることにしているのに、今そのやり方で触れているアルベルトの内側を、今は思いやりの気持ちで気遣っていた。
いいもいやだもなく、アルベルトが思うように先に進んでゆく。それでも、使われていると言う感覚は湧かず、ジェロニモは自分の腰をまたいだアルベルトの脇腹へそっと手を添え、いっそう近寄って来る躯を支えた。
アルベルトがやっと息を吐いて、それからゆっくりと動き出す。自分でも動きたくなるのを抑えて、ジェロニモはただアルベルトの動きに合わせて、時折浅く腰を揺すった。
そうやって寄り添わせた体は、眺めれば違いがよく見える。体の大きさや皮膚の色だけではなく、アルベルトの無反応の躯と、今アルベルトの中で荒れ狂おうとしているジェロニモの躯と、それでも皮膚に上がる血の色は、よく似たふたりだった。
何も着けていない裸だった。剥き出しの皮膚と言うだけではなく、心を覆う膜を取り去って、心も裸になっているような気がした。驕りもなく卑屈もなく、ただこの男に触れたかったのだと、それだけでアルベルトを抱いて、アルベルトがジェロニモにどんな役割を求めているにせよ、ジェロニモは今ただのジェロニモとして──ジュニアですらない──アルベルトを見上げている。
躯の動きと呼吸の間を自然に合わせて、ただ一方的に自分のためではなく、相手のためだけでもなく、ふたり一緒のために、ふたりは一緒に動いていた。汗のにじんだ躯は、無理に繋げてきしむその近さで時々滑り、そこには無理矢理作った物語も、扇情のための誇張の媚態もなく、自然であれば結局、こんなことはこんなにも静かで平凡で飾り気のないことなのだと、端から見ればきっと退屈で殺風景だろう、ふたりの交わりの眺めだった。
ジェロニモは、何度もアルベルトの右腕に触れて、撫でた。皮膚のないその金属の腕は、なぜか自分に親(ちか)しいような気がして、自分に対して隔てのない態度のアルベルトの、それこそが理由のように思い込んでいた。
腕を失ったからこそ、この男は元いた高みからここへ降りて来て、そして自分と抱き合っている。五体満足ではなくなってしまったこの男だからこそ、皮膚で世界から隔てられている自分の、孤独や苦痛を理解してくれるはずだと、ジェロニモはいつの間にかひとり思い込んでいた。
アルベルトを抱いて、ジェロニモは今はひとりではなかった。アルベルトも、こうして今はひとりぼっちではなかった。
躯の感覚よりも、今は寄り添う近さの方が大事だったから、ジェロニモは突然思いついたようにアルベルトを支えて体を起こし、正面から向き合ってアルベルトを両腕で抱きしめた。躯は繋がったまま、けれどそんなことよりも、触れ合った胸の熱さと、そこから伝わる鼓動の方が、より重要に思えた。
アルベルトがジェロニモの頭を抱え込んで、汗に湿った髪に唇を押し当てた。
ジェロニモが終わった後で、躯だけは離して抱き合ったまま、アルベルトはずっとジェロニモの髪に触れていた。
もう右手も左手も構わずに、ジェロニモの髪の根へ指先を差し込み、近々と見つめ合うとどちらからともなく照れて笑いをこぼし、その笑う声を塞ぐために唇を触れ合わせる。
汗がすっかり引いた頃、不意に、腹は空いてないかとアルベルトが訊いた。考える間もなくうなずくと、
「外に出よう。」
もう決定事項のようにそう言って、アルベルトはするりとジェロニモから体を離し、向こうを向いて、床の上に、シャワーの後に使ったタオルを探す背中を見せた。
手早く取り上げたバスタオルを腰に巻きながら、シャワーを浴びて来ると部屋を出て行く。その背を見送って、ジェロニモはまだベッドの中で、カーテンの掛かった窓の方をぼんやり見やる。
部屋の中はまだ十分に明るく、ひとりになった途端に部屋の空気が薄くなったような気がして、ジェロニモはそこでひとつ深呼吸した。
壁を伝って聞こえて来る水の音に耳を澄ませて、知らずに、そこにリズムと音階を見出している。何かが歌っているのだと想像しながら、アルベルトが言う、頭の中にあふれている音と言うのはこういうものだろうかと、そう考える。近寄せた躯から、アルベルトの思考が一部自分へ乗り移ったのだと、そんな風に埒なく考えて、また水音の音楽を追おうとした時、その音はあっさりと止んでしまった。空腹なのはジェロニモだけではないようだ。
バスルームの方からかすかに伝わって来る気配を読み取りながら、ジェロニモはやっとベッドから体を起こし、床に放っておいた自分の服を取り上げ、アルベルトと同じように事前のシャワーで使ったタオルで体を覆って、アルベルトがバスルームを出て来るタイミングで部屋を出た。
もう身支度を済ませたアルベルトが現れて、入れ替わりにジェロニモがシャワーを浴びる。ホテルのバスルームよりずっと広く、天井もシャワーヘッドの位置も高いのがジェロニモにはありがたかった。
まとめていない髪を濡らさないようにするのに少しばかり苦労して、タオルで何度もごしごしと水気を拭き取って、指だけ通してそれで済ませることにした。
仕事で出掛ける時には、何もかも着替えてゆくから、大学からの帰りそのままの自分の姿が大きな鏡の中に映るのが何となく奇妙で、裸ではなくなった自分を眺めて、ようやく初めて、アルベルトと寝たのだと言う実感が湧いた。
使ったタオルは、簡単に畳んで洗面台の傍へ置き、意味もなく呼吸を整えて、ジェロニモはバスルームを出た。
アルベルトは違うシャツを着て、革靴で素足も消えていた。それでも充分普段着らしい身なりは、フードつきのパーカーにデニムの上着を重ねているジェロニモ並んで、何とか釣り合いの取れそうな姿だった。
床に置いたままだったカバンを自分の足元へ引き寄せてから、ジェロニモは片手だけ髪に手をやり、空いた方の手をアルベルトへ差し出して、
「ゴムを返してくれ。髪を結ぶから。」
始める前にアルベルトが取って行った髪のゴムはそのままだ。アルベルトはやっと自分のやったことを思い出したらしく、きょろきょろと自分の腰の辺りを見回してから、すでに革手袋に包まれた右手を不意に持ち上げて、袖の中からジェロニモの髪ゴムを引っ張り出す。
その、差し出された小さな丸い輪を指先につまみ取り、ジェロニモは唇に挟むと、両腕を上げてうなじの上で、まだ湿っている髪を手早くまとめた。
髪を下ろした眺めも、それをまとめ直す眺めも、珍しいのかどうか、アルベルトは妙な熱心さでジェロニモの仕草に目を凝らしていて、軽く頭を振って動作を終わらせるのが、ほんの少しだけ惜しいような気すらする。
ジェロニモがすっかり普段の姿に戻ると、アルベルトがもうひとつ、今度は少し重々しい所作で、折り畳んだ紙幣の束を差し出して来る。
「いらない。」
それを見た瞬間に、ジェロニモは自分でも驚くほどきっぱりと、そう言っていた。
「今日は、仕事で来たわけじゃない。これは単なる成り行きだ。おれは金の話はひと言もしなかった。金のためじゃない、おれはあんたと寝たいと思ったから寝ただけだ。」
アルベルトはジェロニモを見つめたまま、まだ手にした金は引っ込めずに、
「──それは、俺が自惚れてもいいってことなのか。」
震えを隠すために不自然に低められた声の、アルベルトの小さな叫びのようなそれに、ジェロニモはけれど思いやりを込めて答えることはしない。
「うぬぼれるのはあんたの勝手だ。好きにすればいい。」
ただ寝ただけだ。金を間に置かずに、ただそうしたかったと言う理由で、ジェロニモはアルベルトと寝ただけだ。そこに何か、通い合う心のようなものが在るのだと、思い込むにはまだ思い切れず、そうではなかったのだと明らかになった時に、傷つきたくはない自分の臆病さを見て見ぬ振りをして、ジェロニモは、突き放されて落胆したようなほっとしたような、複雑な表情を浮かべたアルベルトの瞳の動きを見つめて、金がアルベルトの背後のどこかへ消えてゆくのをぼんやり眺めていた。
「夕食くらいはおごらせてくれるんだろう?」
空手になって、重くなった空気を床からすくい上げるように、アルベルトが茶化すように言う。
それにも、好きにすればいいと言う仕草で浅く肩をすくめ、ジェロニモはもう何も言わずに足元のカバンを取り上げた。
エレベーターの中では、ドアのこちらの端とあちらの端に立ち、ロビーに降りた時も、肩は並べていても、ふたりの間には1歩分の距離があった。
アルベルトは手を上げて守衛の男たちに挨拶をし、建物を出て右へ歩き出す。どこへ行くのか知らないジェロニモは、アルベルトの少し後ろを黙ってついて行った。
数ブロック歩いて、そこからいちばん近い大通りへ出ると、いくつか店が寄り集まった角へ向かい、半ば辺りにあるカフェと看板の出た店へ入ってゆく。入り口の小ささと同じに、中も狭い。テーブルが4つか5つ、厨房への入り口らしい場所から灰色の髪の小柄な男が出て来て、アルベルトを見て笑顔を浮かべた。
アルベルトの後ろに立つジェロニモを見つけると、大抵そうされるように男はちょっと驚きの表情を見せて、それからまたアルベルトを見て、テーブルの並んだ方へあごをしゃくる。
アルベルトはジェロニモをちらりと見てから、テーブルの方へ進んで、いちばん奥の壁際の席へ、自分が壁を背にして坐る。ジェロニモは、椅子の強度を気にしながら、そっとそこへ腰を下ろした。
さっきの男がメニューを持って来る。まるで学生向けの店のように、店の中の空気同様気の張らない値段だ。これなら奢られるのも気が楽だと思いながら、アルベルトがにこやかに男に注文を告げた後に、ジェロニモも男へ料理を──無表情に──頼んだ。
「カプチーノもうまいんだ。」
男が去った後に、アルベルトがささやくように言う。アルベルトのアパートメントで、今日飲み損ねた2杯目のカプチーノのことを思い出した。ジェロニモは思いがけない素早さで、
「あんたの淹れてくれたコーヒーもうまい。」
表情の変わらない分、世辞と取られかねない言い方だったけれど、決してそうとは受け取らなかったのは、アルベルトの一瞬で薄赤く染まった頬で分かる。アルベルトは色の淡い瞳を泳がせて、厨房の方を気にしている振りをした。
まるで貸し切りのように他に客はなく、男──どうやら店主らしい──がにぎやかに料理を運んで来た以外は、ふたりはこれと言って騒がしく話すこともないまま、それでも何となく和んだ空気の中で、ふたりきりのささやかな夕食が進む。
食後のカプチーノは、結局そこでは頼まないままだった。
店主の笑顔に見送られて外へ出ると、さすがにもう薄暗くなり始めていて、アルベルトがまた何か迷う風に、店を出て数歩先で足を止める。駐車場の真ん中で向かい合って、ジェロニモはアルベルトが何か言うのをじっと待った。
「もしこのまま帰るなら、タクシーか何か──」
言葉の終わりを待たずに、素っ気なく首を振る。
「いい、バスで帰る。」
どうせバス停はすぐそこだ。今日の予定分の予習はすでに終わっていて、焦る必要もない。腹を満たした後──そして、別の何かもすっかり満たされている──のごく自然ななごやかさで、ジェロニモは、自分の舌がゆるんでいるのに気づいていた。
抑えようとしても抑え切れない淡い笑みが、互いの口元へ浮かんでいる。ここでは抱き合うことも、今日の別れのために口づけることもできない。こんな風に終わる日に、握手は挨拶には相応しくない気がして、ジェロニモはアルベルトへ向かって手を差し出せずにいる。
結局は、次があるからこそ、特別なことは何もせずに別れるのがいちばんなのだろうと結論して、ジェロニモは笑みの浮かんだ唇を一度結んでから、選んだ言葉をやっと滑り落とした。
「・・・次の時は、あんたのCDを聞かせてくれ。」
アルベルトの瞳が、辺りの薄暗さにも関わらず、大きく動いたのがはっきりと見えた。急に、行き過ぎる車の音が消え、返事のために開いたアルベルトの唇の間から漏れた呼吸の音が、やけに大きくそこで響く。
声にはならず、うなずいただけのアルベルトへ、ジェロニモは珍しく深い笑みを向けて、あごを軽く振って見せるだけの別れの挨拶を残して、そのまま背を向けて歩き出した。
振り返らないために両肩に力を入れて、自分を見送るアルベルトの視線を感じながら、ジェロニモは自分の口元を掌で覆うと、そこから今にもあふれそうになる言葉の数々を、何とか喉の奥で押しとどめた。
躯を繋げて、皮膚をこすり合わせて伝わるあれこれ以上に、直に言葉で言いたいことと訊きたいことが、山ほどあるような気がした。指先で、頬が熱い。その手で触れたアルベルトの熱さを、反芻するのをいつまでも止められなかった。