DNT、竜のシェーンコップと魔術師のヤンの似非ファンタジー。リンツとブルームハルト。

本の森の棲み人 13

 その日ヤンの目の前に現れたのは、見たことのない人間の男だった。白っぽい金色の髪、暗い青の瞳を見て、まさかと思いながら尋ねると、そうだとその男がええとうなずく。
 「リンツ?」
 小脇に木の皮を抱えて、ヤンに向かって愛想の良い表情を浮かべようとするのが、単なる口元のこわばりとして現れるのが少し気の毒な風に、すぐ後ろに立つ竜のブルームハルトも、人の姿のリンツを見慣れないのか、傾げた首を伸ばすように、リンツを覗き込んでいる。
 着ている服はシェーンコップが出したのか、ヤンの服装によく似ていて、君は黒はちょっと似合わないなあと、ヤンは余計なことを思う。
 「書物の保管場所へ、ブルームハルトがあなたと私を連れて行きます。」
 どこやら、崖の上の方を指差してリンツが言った。
 ブルームハルトは、リンツを蹴飛ばさないように気をつけながら前へ出て来て、まずリンツをそっと左腕に抱え上げ、それからさらにそっと右腕にヤンを抱える。
 え、と思う間もなくブルームハルトは空へ飛び上がった。
 落ちたら怪我をするかなと、ヤンは必死で冷静に考えながら、手掛かりのないブルームハルトの鱗の腕へしがみつき、リンツの方は、人間の小さな体で、竜の羽ばたきの元で空を飛ぶのが珍しいらしく、妙に楽しげに下を見下ろしている。
 わたしは竜にはなれないなあと、向かい風にぐしゃぐしゃになる髪を押さえて、なぜ今日はリンツは人間の姿なのだろうとヤンは考えていた。書物の保管場所は狭くて、竜2頭が一緒には入れないのだろうかと、空を飛ぶ恐怖から逃れるために現実逃避に考えた間に、目的の穴に着いてしまった。
 ブルームハルトは、羽ばたきを止めてそれをたたむ1秒か2秒の間に、器用に足から穴へ入り、抱え上げた時と同じほどそっと、ふたりをそこへ下ろす。
 入ってから右へ曲がるその穴の奥は暗く、ヤンは掌の上に小さな明かりを出して、それをかざしながら中へ進んだ。奥と言うほどの深さはないそこには、天井まで届くほどの高さに、本の形に綴じられたものや紙などが重ねてまるめた束が積み上げられていた。
 「まだ、整理してる最中ですが。」
 ブルームハルトが、右側の、左に比べるとずっと小さい書物の山を指差して言う。なるほど、そちらがすでに整理した方なのか。ヤンにはとてもそんな風には見えなかったけれど、ブルームハルトがそう言うならそうなのだろう。
 自分の隠れ家の本棚だって、まあ似たようなものだったかと苦笑して、触れていいものかどうか、ちょっと迷いながら書物の山へ近寄った。
 馴染み深い埃の匂い。そしてこの束ねられたものの中には獣や竜の皮も混じっているのか、何とも言えない匂いも混ざる。それでも中を見たい好奇心はそんなものなど何とも思わずに、ヤンはブルームハルトを振り返った。
 「何か、君らについて書いてあるものはあるかな。あるなら読みたいんだが。」
 「昔のことを記したものなら、いくつか──。」
 言いながら、ブルームハルトが選り分けた小山の方へ手を伸ばし、中ほどの1冊を抜き取ろうとした。ヤンが珍しい素早さで察知した通り、ブルームハルトの動きと一緒に、どさどさと山が崩れる。竜のブルームハルトの表情はヤンには読めず、けれど明らかにしまったと言う風に長い首を縮めたブルームハルトへ、ヤンは困ったなと言う風に笑って見せた。
 ブルームハルトは、書物の雪崩の中から取り上げた幾冊かをヤンのために穴の片隅へ置いてくれ、ヤンは、整理の作業を始めるブルームハルトの邪魔をしないように、そちらへ移動する。
 ヤンの出した明かりなどなくても、暗闇で物を見るのに不自由のないらしいブルームハルトは、穴の壁とよく似た色の体をそこに馴染ませて、鋭い鉤爪に引っ掛けるようにしながら、崩れた書物を再び小山のように積み上げ始めた。
 あれでは破れてしまうのではないだろうかと、ちょっと不安気にブルームハルトの手元を横目に見て、ヤンは書物の傍へ坐り込む。掌の明かりはそこへ浮かべて、早速1冊を手に取った。
 竜の書物はそのまま読むには大き過ぎて、ヤンはまずそれを人間の自分が扱える小ささに変え、本の形のそれをあぐらを組んだ膝の上に広げた。
 穴の曲がり角からずっとヤンとブルームハルトを見ていたリンツは、やっと落ち着いたヤンの近くへすたすたやって来ると、抱えて来た木の皮の束をばさりとそこへ投げ出して、四つん這いの姿勢になった。
 それから、じっとヤンを見て、じっと木の皮を見て、と言うことを繰り返し始める。ヤンはちょっとびっくりして、思わず体を後ろへ引いた。
 リンツはヤンの様子を一向に気にする風もなく、まったく同じ姿勢でじっと木の皮の表面を見つめている。
 ヤンの位置からは木の皮の表面がよく見えず、それでもやっとちらちらそれを横目に気にしているうちに、リンツがどうやらそこに念写をしているらしいこと、リンツのそれは竜が地面に伏せる時の姿勢であることに気づいて、ああ、自分の絵を描いているのかとヤンは思い至った。
 ほんとうに、見つめている場所に線が浮き出るのかと、ヤンはちょっと気になって本を置いた。
 「それ、見てもいいかな。」
 ヤンが遠慮しながら訊くと、リンツは驚いたように顔を上げ、それから浅くうなずいてから少し後ずさって、向かいにやって来たヤンへ場所を譲る。
 竜のシェーンコップの時と同じ、ヤンをそこに線だけで貼り付けたような詳細な絵が、すでに表れている。色も同じように念写で塗れるのだろうかと思いながら、ヤンはその絵にまじまじと見入った。
 「・・・すごいなあ。」
 シェーンコップの絵を見た時と同じ感嘆の声を上げ、そうするとリンツは、何だか照れたみたいにちょっと顔を赤くし、坐って組んだ膝の上で、人間の指を何やら絡み合わせてそれを見下ろしたままぼそりと言った。
 「この姿でヤン提督を見るのは、何だか慣れないのですが。」
 「シェーンコップもよく、ひと晩人の姿でいると、朝には体がむずむずするって言ってるよ。」
 隊長もですか、とリンツが何やらほっとした顔をする。
 「でもなぜ今日は人の姿に? 絵を描くためかい。」
 ヤンが不思議に思っていたことをそうやって訊くと、リンツはわずかの間質問の意味が分からないと言う色をその青い瞳に浮かべて、
 「絵を描くためと言うか・・・あなたを近くで見なくては、細かいところが分からないので・・・。」
 リンツは、そう言いながら、自分の言っていることがヤンにきちんと伝わっているのかどうか、自分がヤンの意図を正しくくみ取っているのかどうか、明らかに訝しがる表情のまま、それだけは人間らしい戸惑いの様子で視線をちょっと泳がせた。
 ヤンはやっと、リンツの人の姿の理由を理解し、そうだった、自分が竜のシェーンコップの絵を欲しがったのもまったく同じ理由だったではないかと思い出して、そしてまた、あの絵もせっかくリンツが描いてくれたと言うのに、焼かれて失くなってしまったのだと、胸の塞がるような気分に陥りそうになった。
 こんな時に傍にいて欲しいシェーンコップは、今日は何やら他の竜と話があるとかでどこかに行ってしまい、だからリンツとブルームハルトが、相変わらずのヤンの守りで一緒にいてくれると言うわけだ。
 ヤンは、リンツに悟られる前に気持ちを切り替えて、わざと微笑みを浮かべて見せた。
 「そうだね、君からでは、わたしは小さ過ぎるし遠過ぎる。わたしが竜の姿になれれば話は早いのかもしれないなあ。」
 軽く言いながら、腰を滑らせてリンツの絵から遠ざかり、ヤンは再び書物の傍へ戻る。リンツはまた絵へうつむき直して、続きを念写し始めた。
 「その・・・あなたの魔術で、竜の姿になれるのですか、ヤン提督。」
 取り上げた書物の束を開いて、中を確かめていたブルームハルトが突然声を投げて来る。ヤンはまた自分の膝から顔を上げ、ブルームハルトの方を見た。
 「さあどうかな。竜の姿になろうと思ったことがないから、分からないなあ。」
 「ここにいるなら、竜の姿の方が便利ではないですか。」
 「ははは、そうかもしれないが、わたしは不器用なたちだから、人間以外の姿になった方が君たちには迷惑なことになるかもしれないよ。」
 リンツがちょうどヤンを見つめるタイミングで、ブルームハルトもじっとヤンを眺めて来る。きっと、竜になったヤンの姿を想像したのだろう。リンツは何も言わず、ブルームハルトは、それは確かにヤンの言う通りかもしれないなと思い直した表情を束の間浮かべて、また書物の山へ向き直った。
 竜の姿になることなど考えたこともなかったヤンは、変身の術には、明らかに竜たちの方が長けているのだからと思っていたけれど、たった今ブルームハルトがそう言った、この竜の谷にこのままいるのならと言うことを、書物の文字を追いながら考えている。
 わたしが竜になるなんて、せいぜいもぐら──土竜──がいいところだ。
 ちらりとリンツを見る。白に近い金色の鱗がとても美しい竜だ。ブルームハルトは、リンツやシェーンコップに比べれば濡れた土色の鱗は地味だけれど、ぶ厚い胸回りがいかにも強そうで、3頭の中では人間の竜と聞いて思い浮かべるイメージにいちばん近いように思えた。
 自分が竜になったら、この谷の森の樹に手足と羽が生えたようになるのではないかと想像しながら、その羽もきっと、空を飛ぶには役に立たないに違いないと、特に失望もせずに考える。
 リンツは見つめていた1枚を向こうへやり、新しい皮をそこに置いた。またヤンをしばらく見つめてから、手元へ視線を落とす。
 ヤンは、横顔にリンツの視線を感じて面映い気持ちになりながら、リンツのためにあまり動かないように気をつけていた。
 「今日は、シェーンコップはどこに行ったんだい。」
 リンツとブルームハルトのどちらと言うわけではなく、ヤンは書物から目を離さずに何となく問い掛けた。
 「紙を分けてくれる奴のところへ行くって言ってました。」
 「紙?」
 「ええ、何か記したいことがあるからって。」
 へえ、とヤンは膝の上の書物の端を指で撫で、そうか、ここでは紙は貴重品なのだなと思う。
 「隊長が頼んで断る奴はいませんが、それほど親しいわけでもないので、挨拶代わりだと大きな鹿を持って──」
 ブルームハルトが、書物を扱う手を止めずに説明を続ける。
 シェーンコップの絵姿も、あれも紙に描かれていた。頼む先はまた同じ竜なのかどうか、店へ行って買うと言うわけには行かない竜の世界も大変だと、ヤンはいっそう丁寧に、自分の傍らに積まれた書物の小山をそっと撫でた。
 「同じ仲間ならいいですが、よその竜からもらっても、どうしていいか分からないことも──」
 「よその竜?」
 ブルームハルトがひとりで喋っている途中を、ヤンは遮った。
 「よその竜って、谷の向こうの?」
 突然リンツが、顔を上げて口を挟んだ。
 「谷の外で、羽のない竜の仔が木に登って降りられずに、親が困ってたのを助けた時は、礼だと言って何かの根を山ほどもらいましたが、食べられずに困って捨てる羽目になりましたよ。」
 「谷の外の竜とも、付き合いがあるのかい。」
 「ありますよ。格別親しいわけじゃなりませんが、合いの仔が生まれることもありますから。」
 「あいのこ?」
 「私の3代前がその合いの仔ですよ。」
 今度はブルームハルトが、明るい声で弾むように言葉を差し挟んで来る。
 「君が?」
 ヤンは驚いた。
 「ええ、私のこの鱗の色は、羽のない竜の方に多いんです。私は羽があるのでここにいますが、羽がないのは向こうで育てられます。」
 「おまえは卵だったしな。」
 「ええ、シェーンコップ隊長にもあっためてもらいましたし。」
 リンツがからかうように言うのへ、竜のブルームハルトは明らかに笑顔を言う表情を浮かべて、楽しそうに言い返す。
 またヤンには良く分からない、竜同士の会話だ。黒髪をもしゃもしゃかき回して、ヤンはふたりへ向かって説明を求めた。
 「卵を、シェーンコップがあっためたって言うのは──?」
 ふたり──ひとりと1頭──が、ひと呼吸分の間ヤンを見つめて、それから顔を見合わせる。ヤンが分からないと言うことが分からないと言う表情を浮かべて、この場では年嵩のリンツの方が口を開いた。
 「羽のない竜は仔がそのまま生まれますが、我々は卵で生まれて、大人の竜たちが適当に交代で抱えて温めるんです。ブルームハルトが生まれた時は、たまたま隊長にも温める役が回って来て──」
 「私の生みの親のねぐらが、隊長のねぐらのすぐ下だったので。」
 リンツが説明するのに、ブルームハルトが言い足す。
 なるほど、ブルームハルトは、卵の時からもうシェーンコップと親しかったと言うわけか。そうすると、ヤンの人生の倍程度の期間、シェーンコップとブルームハルトは互いを知っていると言うことになる。このリンツも、きっと似たり寄ったりだろう。
 遠い過去に遡れば、何かしら血縁の関係はあるのかもしれないこの3頭は、家族と言うようなくくりではなく一緒にいて、それを決して羨ましいと言うわけではなく、そんな関係もあるのだなとぼんやりとヤンは考えた。
 リンツは一旦ヤンを描くのを止め、ブルームハルトも作業の手を止めて、ふたりであれこれヤンの知らない昔の話を続けている。
 ヤンはそれを聞くともなしに聞きながら、何と言うタイミングか、よそ者だからと言ってむやみに角突き合うべきではない、無駄な衝突は避けて、仲良くできないなら距離を置いて無関心でいればいいと、記された文字が目に入って来た。
 こんなことはどこにいても同じなのかと、これを記した、今生きているのかどうかも分からない見知らぬ竜へ向かって、その通りだとヤンは胸の中でうなずいている。
 生まれたばかりのブルームハルトの羽が、他の竜の仔たちよりも小さく見えて皆で心配したのだと言う思い出話を、リンツが続けていた。ブルームハルトそう言われて、邪魔にならない程度にわざわざ羽を広げて見せる。そんなふたりを微笑ましげに見やって、シェーンコップはどうしているかなと、ヤンは無意識に書物を撫でていた。

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