DMT編、独身なのに団地妻なヤン提督と昼下がりの情事シェーンコップの、おバカダダ漏れエロ。

ゆですぎそうめんえれじぃ 16

 広いベッドの真ん中に、きちんと枕を頭に乗せて、顔は壁に向け、何となく手足を縮めていた。いつもそうして眠るように、ベッドの端から手足がはみ出さないようにと、体がもう覚えてしまっているようだった。
 ぼんやり明るい部屋の中で、ゆっくりと頭を巡らせ、肩まで掛けられたタオルケットの下が裸なのに気づくと、ここがどこだか突然思い出してわずかの間うろたえた。
 シェーンコップの部屋だ。そして部屋の主は、床に坐ってベッドの端にもたれ掛かっててそこにいるのが見える。物の形の見える明るさは、シェーンコップが使っている、手元の辺りだけを照らす小さな照明からのようだった。
 その手には、いつものタブレット。
 ヤンは体を起こし、今が一体何時なのか分からずに、まさかおはようでもあるまいと口ごもる。何と声を掛けようかと迷う間に、シェーンコップの方が気づいてベッドの方へ振り向いた。
 「起きましたか。腹が空いてませんか。何か作りましょう。そうめんでよければすぐできますよ。」
 そうめんと言う時に、シェーンコップはいつも独特の、からかうような笑みを浮かべる。ヤンはばか正直に、それを見て頬を薄赤く染めた。
 「うん、そうめん──いやそうじゃなくて・・・いや、そうめんはいいんだ、でもそうじゃなくて──腹は減ってるんだ、いやだからそうじゃなくて──」
 一体何を混乱しているのか、ヤン自身も分からず、人の家で、人の部屋で、人のベッドで、それをひとり占領して寝入った恥知らず、と言う声がしてようやく、シェーンコップとの2度目がほんとうにあったことに驚いて、自分がそれにひどく照れているのだと言うことに気づいた。
 シェーンコップが、相変わらず爽やかな笑顔のまま、タブレットを片手にベッドに上がって来る。ヤンは慌ててタオルケットで全身を覆い、壁に向かって後ずさった。
 シェーンコップはすでに着替えている。自分の服はどこだと、ヤンはシェーンコップの肩越しに空の床を見て、それからやっと、向こう側の引き出された椅子に服のまとめて置かれているのを見つけた。
 「今、一体何時だい。」
 「7時を過ぎたところです。」
 タブレットをちらりと見て、シェーンコップが答える。
 「夜の?」
 ええ、とシェーンコップがうなずいた。
 それなら眠ったのは1、2時間と言うところか。十分長いけれど、ひと晩よりはましだ。
 「そうめんの前に風呂に入りますか? シャワーだけならすぐに──」
 顔を近づけて、あれこれ話し掛けて来るシェーンコップに耐え切れずに、ヤンはついに手を伸ばし、その口を塞いでしまった。
 「ごめん、ちょっとだけ、黙っててくれ。君の声は、その・・・」
 ヤンに、突然口元を覆われて、シェーンコップが灰褐色の瞳を丸く見開く。ユーモラスになるはずのそんな表情すら美しい男だった。
 また余計な発見をしたと、シェーンコップの眉の形の良さに惚れ惚れしながら、たった今その声を途切れさせて、耳朶に息と一緒に掛かるこの男の声の、深さが十分には少し足りず、そのせいで余計に耳の吸い寄せられるそのかすれのようなものが、自分を魅きつけるのだと不意に悟る。
 この声で、こんな近さで、息ばかりのしゃべり方で散々話し掛けられて、しかもシェーンコップは、こんな時には決して静かではない方だったから、確かに上の階の住民に、今度は下で何事だと思われたかもしれないと、そんなことも合わせて、ヤンは今心中嵐だった。
 ようやくシェーンコップの口元から手を離し、ヤンはタオルケットを握りしめてうつむいた。
 「もう、しゃべってもいいですか。」
 シェーンコップが、明らかに笑いをこらえている表情で訊いて来る。
 ベッドの上に坐り込んで、向かい合って、目を合わせて来ないヤンへじりじりと近づき、唇は避けられると悟ったのか、こつんと額を合わせて来た。
 ヤンは一瞬息を止め、上目にシェーンコップを盗み見る。目が合って、そらそうとして、囚えられたように外せない。観念して、ヤンはシェーンコップを見つめ返した。
 こうして黙ったままでいると、今度は何か言わなければと気持ちばかりが焦る。考えて迷って、結局いちばん場違いな言葉が口をついて出た。
 「どうして、わたしなんだろうな。」
 触れ合った額から、シェーンコップの戸惑いが伝わって来る。問われた意味が分からないと、そうヤンには聞こえた。
 「君だったら、他にもっと、その何て言うか、もうちょっと楽しめる相手って言うか・・・。」
 忙しい仕事の休みの日に、わざわざ金魚を買いに行くと言うのは、シェーンコップにとって楽しいことだったのだろうかと、今になってヤンは考える。
 シェーンコップがいっそう強く額を押し付けて来て、そこで苦笑を漏らした。
 「私はこうしていて楽しいんですが、あなたはそうではないんですか。」
 額を触れ合わせていることを言っているわけではないと、不意に強く送って来た視線に言わせて、唇と頬は笑ったままだったけれど、瞳にひらめいた紫の影にはひやっとするほど本気の色がこめられていた。
 ヤンはごくっと小さく喉を鳴らし、
 「楽しくなかったら、君と、君の部屋でこんなことなんかしてない。」
 そうだ、そうでなければ、シェーンコップの過去の恋人のことなど、ちらりとも考えたりはしないだろう。
 ヤンはタオルケットの中で、シェーンコップに見えないようにシーツを撫でた。その相手も、ここで眠ったりしたのだろうかと考えた。
 手の届くところに本のない──本棚は部屋の向こう側の壁際だ──場所で、そして今は裸で、ヤンはひどく無防備だった。服や本と言う隔てなしにシェーンコップといて、皮膚の裏側まで晒すようなことをして、空腹の具合までシェーンコップに知られている。
 食事なんて、本を読む片手間、サンドイッチ程度で十分だと思っていたのに。本に夢中で丸1日何も食べなくても、別にいいやとそのまま読み続けてしまう、その程度のことだったのに。今では、何となく食事のことを気にして、そのたびまずそうめんを思い浮かべて、ひとり分は美味くないしなと、必ずそう思う。
 食べたいのがそうめんと言うわけではないのだ。それでも、毎日そうめんのことを考えている。ひとり分でないなら、そうめんを作るのは案外楽しいと、そう思っている。
 どうしてだろうと、問うまでもないことをヤンは考えた。
 シェーンコップが、ゆっくりと口を開いた。
 「こういうことは理屈じゃありませんが・・・私があなたとこうしていたいのは、多分、あなたが私のいた世界からいちばん遠いところにいるからでしょうね、多分。」
 額の位置はそのまま、伏せ目に、シェーンコップが低い声で言う。シェーンコップのその声が、直に頭蓋骨を震わせて来る。ヤンはゆっくりと瞬きをして、頬の熱さをどこかへ追いやろうとした。
 「いちばん、遠いって?」
 シェーンコップがやっと額を離し、ひとつ息を吐いて、ヤンの目の前でひどくチャーミングに小首を傾げて見せる。そんな風にすると、シェーンコップはひどく少年めいて、あどけなく見える。
 「私がいたところでは、誰の方が身長が何ミリ高い、誰の腕の方が何ミリ長い、誰の方が体重が重い、誰の方が何キロのバーベルを上げられる、誰が誰に勝った、その誰が誰に負けた、そういう基準で他人を見るんです。私もそうしていました。そういうものだと思ってましたから。勝ったやつがいちばん、誰もが勝とうと必死だった。勝とうとしないこと、負けてしまうことは、死ぬと同じくらいに最悪のことでした。」
 シェーンコップはそこで一度言葉を切り、傾けていた頭を真っ直ぐにすると、意味ありげにヤンを見つめた。そして、いつもよりも少し重苦しい感じに微笑んだ。
 「引退を決めた時に、逃げるのかと言われました。まあ、本気で引き止めたわけではなく、そういう時の常套句のようなものです。でもその通り、きっと私は逃げたんでしょう。仕事で忙しくてあれこれ考える暇はあまりありませんでしたが、それでも逃げた自分と向き合うのは気分のいいものではありませんでね。そういう私からは、あなたは勝つとか負けるとか、そもそもの最初から無関係で、気にしたこともないように見えたんですよ。あなたは私を見て、何秒で殴り倒せると、考えはしないでしょう?」
 シェーンコップがきちんと疑問系で訊いて来たのに、ヤンは思わず顔をしかめてしまった。
 「わたしなんか、君に指1本触れられるもんか。ああいうところにいると、そんな風に人を見るようになるのかな。」
 ええ、と横顔を見せてシェーンコップがうなずく。
 「そういう値踏みのされ方をする、こちらもする、と言うのにうんざりしたのもあります。結局私は、格闘技は好きでしたが、あの世界があまり好きにはなれなかったようです。」
 そして自分はここに戻って来たのだと、シェーンコップは話を締めくくった。
 ヤンは手を伸ばして、シェーンコップの頬へ掌を当てた、それへ向かってシェーンコップが顔を傾けて来るのに、ヤンも合わせて顔を同じ角度に傾けた。
 本を相手に、勝つも負けるもない。本は、ヤンにとっては、大切に扱わなければならない友達だった。そこへ近づいて来たシェーンコップが、殴るためではない手で、ヤンに触れる。殴り合わずに他人に触れることが、それほど珍しい世界なのかと思ってから、瞬きをしたシェーンコップのまつ毛の、鬱陶しいほどの濃さを見て、ヤンはちょっと素っ頓狂に声を出した。
 「でも君、別にわたしじゃなくても・・・モテるだろう。君がただ突っ立ってたって、向こうから寄って来るのに、わざわざわたしなんか──」
 我ながら面倒くさい絡み方をしていると思いながら口走ったヤンに、シェーンコップがやれやれと言う風に軽く首を振る。
 「寄って来ると言う点は否定はしませんが──寄って来た相手と、続くかどうかは別の話ですよ。」
 この男が恋人に去られると言う状況がとっさに思いつけず、不審が顔に出たらしく、シェーンコップがまた丁寧に説明を始めた。ヤンはまるで、小学校の生徒みたいだった。
 「試合が決まると、大体3ヶ月前からトレーニングが始まります。大事な試合なら半年前の時もあります。その間は試合以外のことは考えられなくなります。食事もスケジュールも徹底的に管理されて、自分の時間なんか持てません。その間放っておかれた挙句、試合の2週間前はセックス厳禁でしてね・・・自分と試合とどっちが大事だって詰め寄られて、それで終わりですよ。」
 今はヤンがいるからこそ、以前の話として、そうしてどこか懐かしさも漂わせながら語れるのだろう。
 ヤンはまったく未知の世界のその凄まじさに半ば呆れて、シェーンコップの、自分に対するどこか飢えたような触れ方が腑に落ちもしていた。
 「正直なところ、セックスはそれなりに我慢もできるんですが、一緒に同じものが食べられないのがいちばん苦痛でした。食事制限は試合がない時も続くので、作ったものを何も出せないと、祖母に泣かれたこともありますよ。」
 様々に強いられた禁欲の結果が自分なのかと、ヤンは正直少しばかりシェーンコップに同情した。それでも、こういうことが理屈ではないのは、理屈の好きなヤンにも分かるし、あらゆる種類の勝ち負けにまるきり無関心のヤンが、シェーンコップには物珍しいのだろうことも理解はできた。
 それにしても、そうめんなのか、とヤンは思う。
 「食べるものだったらもっと、肉とかそういう──そうめんとかじゃなくて・・・」
 「炭水化物は厳禁でしてね、そうめんは、あなたと食べたのが10何年ぶりでしたよ。」
 四角い部屋で、また視界が青く染まってゆく。ここは、ヤンの新たな水槽のようだった。
 新しい住み処を与えられたあの2匹の金魚は、水に慣れた頃だろうか。身を寄せ合って泳ぐ金魚たちと、シーツの波に溺れていた自分たちが重なって、ヤンはいっそう頬を赤く染める。
 それをごまかすために、そっぽを向いて、できるだけ素っ気なく言った。
 「だったら、今度、一緒にラーメンでも食べに行こう。」
 「いいですよ、どこに行きますか。」
 即座に、大きな笑顔でシェーンコップが訊いて来る。そんなつもりではないのに、自分から誘った形になって、今度は近づいて来たシェーンコップの唇を、ヤンは避けなかった。
 唇が触れ合った途端、ヤンの腹がぐうっと鳴る。どこにいても空気に馴染まない本体と同じくらい、空気を読まないヤンの胃だった。
 シェーンコップは吹き出して、しばらく腹を抱えて笑った後で、つられて一緒に笑い出したヤンを置いてやっと立ち上がり、
 「そうめんを茹でましょう。その間に、シャワーでも浴びて来て下さい。」
 ヤンはもう、視線を外さずに、シェーンコップを見上げた。
 シェーンコップの手が伸びて来て、たかがこの部屋を離れる程度のことで、いかにも名残り惜しげにヤンの頬を撫でて来る。その手へ、ヤンはすりつけるように、迷わず頬を寄せて行った。

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