YJ編、独身なのに団地妻なヤン提督と昼下がりの情事シェーンコップの、おバカダダ漏れエロ。

ゆですぎそうめんえれじぃ 18 (YJ)

 ここまでが工事現場だと言う、ちょうど際の内側に見つけたのは、軽く盛られた土の上に置かれた石の、どう見ても何かを埋めた跡だった。
 気にせず、さっさとアスファルトで固めてしまってもよかった。けれど石の目印は、恐らく埋めた誰かが繰り返し訪れるためだろうし、この跡が失くなって、何もかもがどことも分からないアスファルトの下と言うのは気分が悪かろうと、現場監督のシェーンコップはそこを自分でそっと掘り返した。
 出て来たのは、掌に乗る程度の大きさの箱、蓋を開けると白いタオルが見え、サイズからすると、ハムスターか何か、そんな類いの生きものの墓と知れる。
 アスファルトに埋めてしまわなくてよかったと思いながら、現場の外側の、いちばん手近な土を掘り返し、その箱を埋め直す。そしてちゃんと、目印の石も一緒に移動させた。
 シェーンコップはそこにしゃがみ込んで手を合わせ、さてとと仕事に戻るために立ち上がると、足元に野良猫がいる。
 「荒らすなよ、掘り返したりするんじゃないぞ。」
 それなりに深くは埋めたから、大丈夫だろうとは思って、それでも猫に声を掛けた。猫はシェーンコップを小首を傾げて見上げた後、どこへともなく走り去って行った。
 そんなことがあったのもすっかり忘れた頃、作業が早めに終わった日だった。
 まだ夕方にもならない時間、それでも日も少し短くなって、さて帰るかと皆を先に解散させて、やっと自分の荷物をまとめたところで、突然後ろから声を掛けられた。
 ぼやっとした空気の、霞のような男だった。中肉中背、平凡を辞書で引いたらこの男がそこに張り付けられていそうな、そんな男だ。
 「何か?」
 工事の音がうるさいと言う苦情だろうかと身構えて、シェーンコップはわずかに頬の線を固くする。
 「一緒に来てくれるかな。」
 男は、後ろの団地を指差した。
 「うちの連中が、何かやらかしましたか。」
 「そういうのじゃないんだけど、ちょっと用があって。」
 黒い髪に黒い瞳、その艶だけは平凡の域をはるかに越えて見事で、シェーンコップは男の、案外老成した、深みのある声にも聞き惚れそうになる。
 はあ、と現場の住民に逆らうわけにも行かず、シェーンコップは団地へ向かって肩を回した男の後ろを、のそのそとついてゆく。
 男の棟は今の現場の真正面、そこの3階だった。
 男と同じくらい無個性の、金属製の灰色のドアが並ぶ通路を先に立って歩く男は、まるでこの団地の壁に溶け込みそうで、瞬きの間に男の姿はそこからかき消えてしまいそうな、そんな危うさのある背中を、シェーンコップは見失わないように追った。
 中程のドアを開き、男がシェーンコップを手招く。中に入るつもりはなかったのに、断れず、シェーンコップはそれに従った。
 ドアをくぐりながら、ふと見た表札にヤン・ウェンリーとあって、名字だけではなく名前を全部載せるなんて珍しいなと、そんなことを考える。
 「上がって。」
 男が、三和土から上がって言う。
 赤の他人の自宅へ、突然招き入れられる困惑と、招き入れるこの男のわけの分からなさと、シェーンコップはぶるっと身震いして、
 「早く。」
 男に急かされ、ここまで来て断るのも何だと思って、玄関のドアを閉め、今日の作業で汚れた重いブーツを、かかとを蹴るようにして脱ぎ、脱いだ後はくるりとそちらへ向いて、きちんと三和土の隅へ片寄せた。
 薄暗い狭い廊下を、肩を縮めるようにして、男の後に続く。
 「で、何でしょうか。」
 足を踏み入れたのは畳敷きの居間で、丸い卓袱台が窓際にあり、奥の方では扇風機が回っていた。全開の窓から、工事現場がよく見える。
 「お礼だってもらったんで、渡したかったんだ。」
 「お礼?」
 一体何の? まさか工事を予定通り進めてくれてありがとうと言うわけでもあるまい。シェーンコップは形の良い、少し色の濃過ぎる眉を寄せた。
 「うん、君、お墓を掘り返してたろ。お墓の位置が移動しましたよって教えてあげたら、ありがとうございましたって、もらったんだ。」
 男の言い方は、色んなところが落ちて分かりにくい。シェーンコップは男が言わなかった部分を補完しながら、男が差し出した上品な包装紙の箱を、爆発物のように凝視する。
 「墓?」
 「金魚を埋めたんだって、隣りの人が。」
 「金魚・・・。」
 そうしてやっと、目印の石の下から見つけた、小さな箱のことを思い出す。あれはハムスターではなくて、金魚だったのか。
 シェーンコップはやっと合点が行ってうなずき、それでもまだ差し出された箱に手は出さない。
 「わたしは見てただけだからって言ったら、じゃあ金魚の墓を移動させてくれた人にもぜひって。」
 さらに近く、ほとんど胸にぶつけるように、箱をシェーンコップへ押し付けて来る。
 「はあ・・・。」
 シェーンコップはやっとその箱を手に取った。持つと、見た目に反してずしりと重い。
 ちょっと驚いたシェーンコップに、
 「そうめんだよ、隣りの人、美味しいのですよって言ってた。作ってみたけどほんとに美味しかったよ。」
 男はよくしゃべる。普段からおしゃべりと言う風ではなく、何か奇妙な親しさを剥き出しにして、それをシェーンコップに伝えたくて仕方がないと言う感じだった。
 初対面のこの男から、こんな親しさを向けられる覚えはなく、それとも以前どこかで会ったことがあったろうかと、シェーンコップは記憶の引き出しをごそごそと探ってみた。
 目が合って視線の外れたその瞬間には忘れてしまいそうな男だから、どこかで会ったとしても覚えている保証はない。それでもこの黒髪は印象に残ったろうと、もう少しの間、シェーンコップは男を思い出そうとしていた。
 「そうめん食べるかい? すぐ茹でるよ。」
 「はあ?」
 「ひとりで食べててもなかなかなくならないんだ。」
 男はシェーンコップの返事も聞かず、もう台所へ向かうのか、そこから離れようとしている。
 「あ、いや、お邪魔でしょうから──」
 「今日の仕事はもう終わってるんだろう。あ、それともまだ会社に戻らなきゃならないのかな。」
 「いや、それは別に──。」
 素直に答えてしまってから、しまったとシェーンコップは思った。
 男はもう勝手に決め込んで、台所でがちゃがちゃやり始めている。
 シェーンコップは自分の荷物をそこに置き、なぜかそうめんの箱は手にしたまま、男を追って台所へ行った。
 昼めしには遅い、夕飯にはかなり早い、こんな時間に何か食べると言ったら、そうめん程度でないと後に響く。状況の展開具合がよく分からないまま、すでに湯を沸かし始めている男へ、断るのもまた悪い気がして、シェーンコップは結局、ごちゃごちゃと物の置かれていっそう狭くなっている台所の片隅で体を縮めるようにして、男の手元を眺める羽目になった。
 「隣りの人が、ご親切にどうもって言っておいてくれって言ってたから。ちゃんと伝えたよ。」
 鍋から振り向いて、男が言う。
 「はあ・・・。」
 たかが金魚の墓ひとつ、義理堅い人間もいるものだと、シェーンコップは言わずに考える。抱えたそうめんの重い箱を見下ろして、それだけその金魚が大事だったと言うことか。石の目印ひとつ見ても、それは確かに窺えた。
 石が持ち去られたり、墓が荒らされたりしてないか、ここから帰り際に確かめておこうと、深くは考えずに思う。
 隣人と言うのは、右側か左側か、どちらの部屋の住人だろうかと、手持ち無沙汰に考えている間に、そうめんはさっさと茹で上がり、水道に水の下で冷やされ、器に氷と一緒に盛られて、その大きなガラス器を男が差し出して来るのを片手で受け取り、
 「向こうに持って行って。」
 元いた居間の方に男が首を振るのに、また、はあ、と言って、シェーンコップは大きな肩を回した。
 オレは一体何をやってるんだ。
 言われた通りに動きながら、戻った居間で、卓袱台の上にそうめんの器を置き、自分の荷物を部屋の隅へ寄せ、1枚だけ出ていた座布団は扇風機の風の当たりそうな方へきちんと敷き直し、シェーンコップは畳に直に正座して、男が来るのを待った。
 じき、男は両手にそれぞれつゆの入ったガラスの小さな器を持ち、一緒に2膳の箸もまとめて抱えて、中身をこぼさないようにそろそろとやって来る。
 シェーンコップは慌てて立ち上がって、男の片方の手から器と箸を取り上げた。
 卓袱台へ近づいてから、自分の方にだけある座布団を見て、男は逡巡の気配を見せてから、それを爪先で向こうに蹴る。シェーンコップと同じように、畳に直に坐って、なぜかシェーンコップへ向かって、にっこりと笑って見せた。
 つられて、と言うわけでもなかったけれど、同じ笑顔を浮かべた方がいい気がして、シェーンコップも思わず破顔した。
 何もない、そうめんとつゆだけの、昼めしでもない夕飯でもない、強いて言うなら少し時間の外れた、風変わりな3時のおやつか。
 当然、遠慮を示してすぐには箸を取らないシェーンコップを促しながら、男がまずそうめんに箸をつけた。
 つゆの色は、窓から入る光を浴びて、色が淡い。
 男は、そこから最初のひと口をすすり上げたのを見て、シェーンコップもやっと盛られたそうめんに箸を伸ばす。
 ぷつぷつ、口の中で勢い良く跳ねるそれは、確かに美味かった。あんな仰山な箱に入ったそれが、美味くないわけもないけれど、自分では絶対に買わない、贈答用ですらためらう類いだろうなと、シェーンコップはそう考える自分を、ちょっと品がないと内心でたしなめる。
 「ひとりだと、食べても食べても終わらないんだ。」
 男が、行儀悪く、台所の方角を箸の先で差しながら言う。
 シェーンコップは、黙ってつるつるそうめんをすする。
 そうめんは美味い。けれど、つゆがほんの少し残念だ。
 「つゆを、出汁取って作ったら、もっと美味くなりますよ。」
 遠慮はしながら、もうここまで来たら、美味いと言うのを隠さずにどんどん食べた方がいいと、箸の先は止めない。
 「だしから? 面倒だなあ、それ。」
 「沸かした湯に、かつおぶしを放り込むだけですよ。」
 「でも後のかつおぶしはどうするの。」
 「佃煮にでもしちまえばいいんです。」
 「──めんどくさい。」
 男が苦笑する。薄い肩を揺らすその笑い方に、シェーンコップはなぜか視線をとらえられて、そうめんをすくう箸の動きが一瞬止まった。
 「君、そうやってめんつゆを、だしを取って作るの。」
 「──ええ、まあ。」
 「かつおぶしの佃煮も?」
 シェーンコップはちょうどすすり上げたそうめんを途中で止めて、瞳を右に動かして男を見て、浅くうなずいた。
 ふうん、と男がそうめんへ箸を伸ばしながら相槌を打つ。
 そこで話は途切れ、時々窓から入る風に、ふたりは一緒に目を細めながら、黙々とそうめんを食べる。
 後残り3口と言う辺りで、シェーンコップがつゆの器に顔を伏せたまま、男に訊いた。
 「今日は、仕事は休みですか。」
 問われて、男がちょっと首を傾げる。
 「今日って言うかね、ずっと休みなんだ、今。」
 「夏休みってヤツですか、優雅ですな。」
 炎天下、ずっと外で仕事のシェーンコップの声に、軽く皮肉がにじんだ。
 「夏休みって言うか、ちょっと長期の休みでね。職場で色々あってさ。」
 シェーンコップの含んだ毒には気づかないように、男の声のトーンが少し落ちる。
 男のその声音に、ああ、これは訊いてはいけないことだったらしいと、シェーンコップは頬の内側を噛みたい気分になった。
 男はシェーンコップの心中など思い至りもしないように、少し淋しげな横顔を見せたまま、
 「だから、ここから1日中外を眺めてて、君らが毎日工事してるのもよく見えるんだ。」
 男が窓へ向かってあごをしゃくる。同じ方を、シェーンコップも見た。ふたりとも、箸の動きは止まっていた。
 「金魚の墓を移動させたのも、見てたんですか。」
 うん、と男がうなずく。
 「埋め直した後で、君が金魚に向かって手を合わせてたのも見えたよ。」
 シェーンコップは、急いでそうめんを、残りの半分以上すくい上げると、つゆに付けたか付けないかで、大きな音を立ててすすり込んだ。
 首筋と耳の辺りが熱い。自分の振る舞いを、盗み見られていたのがひどく気恥ずかしかった。
 「君、工事中に、猫が近づいて来たら、ちゃんと抱えてよそにやってるだろう。猫、好きかい。」
 休職中だと言うこの男は、よほど暇に違いない。そんなところまで見られていたのかと、シェーンコップはちょっと呆然とした。
 「好きも嫌いも、現場で怪我をされたり死なれたりしたら気分が悪いってだけですよ。」
 早口に言うと、ふうん、と言う風に男が笑う。口先だけだと見破られている微笑み方だ。へえ、偽悪趣味かあと、男の口元と目が言っていた。
 そうして見つめられて、ぞくっとシェーンコップの背筋に寒気が走る。この男を怖いと思って、けれどその恐れは、なぜか決して不快ではなかった。
 男はゆっくりと、わずかに残ったそうめんへ箸を伸ばし、そこから半分だけすくい取った。
 「終わらせて。」
 すくい上げた分をすすり込んで、まだ口の中でもぐもぐしながら、シェーンコップに向かって言う。
 普段、現場で監督として指示を出すことに慣れ切っているシェーンコップは、男が短い音節で、自分に指図して来るのが、奇妙ではあってもそれも不快ではなく、言われた通りに素直に残ったそうめんをすべてすくい取り、その最後のひと口は、丁寧につゆにつけて静かにすすり込むと、とことん味わうためにゆっくりと噛んだ。
 跳ねながら、つるつる口の中に触れて来る。噛むとぷつりとあっけなく切れるくせに、歯応えは確かに伝えて来て、あるとも知れないそうめんの、わずかな塩味(しおみ)が舌を滑る。喉を通りながら、また跳ねて、飲み込まれるのに抗うように、それでも胃の方へ落ちてゆく。
 つゆの力強さが欠ける分、そうめんのふくよかな味が際立って、決して胃を圧迫はせずに、そうめんが全身を満たして行った。
 美味かったと口元にはっきりと漂わせて、シェーンコップはつゆの器に箸を渡して置くと、
 「ごちそうさまでした。」
 ひとりの時も、外で食事をする時も、必ずそうするいつもの仕草で手を合わせていた。
 ふふっと、隣りで男が笑う。照れて赤い頬をもう隠さずに、シェーンコップはぶ厚い肩をちょっとすくめて見せて、皿洗いくらいはしないとなと、氷水だけになったそうめんの器を見てぼんやり思った。

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