Speak その紙片に記された住所は、簡単に見つかった。 初めて来る辺りだったけれど、そもそもこの街の通りにはすべて名前がついているし、その半数が何番目通りと名づけられているから、見知らぬ場所でも迷う ことは滅多とない。 治安が良いとは言えない地域の、東寄りの真ん中に、その教会はあった。 大きくもなければ小さくもない。どっしりとした造りはさすがだと思ったけれど、あちこち古びていて、歴史的建築物と言うよりも、どこかくたびれた老人を 思わせる。 教会の後ろの部分には2階がついていて、地下があるのか、ちらりと見た横腹の後ろの方に、そこからぐるりと建物の背後に降りてゆくらしい、白い階段が見 えた。 屋根には、それだけは堂々と十字架が掲げられ、どこと言って特別に目立つとこもろない、よくある町の教会だった。 なぜDIOがここへ行けと言ったのかと、まだ訝しさを消せずに、承太郎は、正面の短い急な階段を上がり、重い木の扉を押す。両開きのそれは、承太郎が見 上げるほど高さがある。 中は、案外と広かった。木のベンチが並び、両側の壁にはステンドグラスの窓があり、差し込む日がそれに彩られて、鮮やかな光を中に振りまいている。真正 面には、磔にされたキリスト像だ。それが、奇妙に鮮やかな金色であることに、承太郎は思わず眉をひそめる。 明るいこの場に相応しい姿ではあったけれど、宗教というものは、派手さを一切排除すべきだろうと、承太郎個人の意見が、宗教そのものにも、そのキリスト の像にも、反射的に反発を抱かせる。 派手さを消してしまっては、信者を魅きつけておけない、新たな信者を取り込むことができない、そういうことかと、寄付だけですべてを賄わなければならな いはずの教会側の、苦肉の策というものには同情しながら、承太郎はそれでもその場に立ったまま、ふんと、一度肩をそびやかした。 それから、ようやくゆっくりと長い足を前へ出し、祭壇の方へ進んでゆく。集まった信者を見下ろすように、2段ばかり高い位置にあるそれも、また何となく 承太郎の気に障った。 行けと言われて来たものの、ここでわざわざ誰が待っているというわけでもなさそうだ。大声を出すのはさすがに憚られて、承太郎は、祭壇の両側にある出入 り口らしき方を、どちらへゆくかと見やる。 一方にはベルベットのようなカーテンが垂れ下がり、もう一方は木のドアだ。誰かがいるとすれば、その木のドアの向こうだろうと、承太郎は勝手にその方へ 行った。 ノブを回すとすぐに開いたドアの向こうには、正面を真っ直ぐに進む細い廊下と、右手へゆく廊下がある。とりあえず、正面に進んだ。突き当たりはまた、右 へ曲がる廊下が続いているようだ。いくつか並んだドアに、けれど人の気配らしいものはなく、突き当たって右手へ曲がるところで、承太郎はようやく声を上げ て呼び掛ける。 「誰か、いないのか。」 もう少し丁寧な言いようもあったけれど、自分はここへ呼ばれた身だと思い、そして教会なぞには縁のない承太郎は、正直一刻も早く用を済ましてここから出 て行きたかったから、ついいつもの粗野な口調で、さらに続く廊下の奥へ声を投げる。 廊下の中ほどのドアが突然開いて、ひょいを誰かが顔を出した。 「どなたですか。」 若い男の声だ。言葉に訛りがある。承太郎を認めて、ちょっと驚いたようにあごを引いて、けれどすぐにこういう場に相応しい笑みを浮かべて、開けたドアは 開いたままで、男は承太郎の方へやって来た。 「何か、ご用ですか。」 低い、静かな声だ。黒い神父服---と言うのかどうか、確かではない---を着て、背は低くはないけれど、細いあごや首筋の線が、男を華奢に見せてい た。 東洋人だ。言葉の訛りで、恐らく日本人だろうと知れたけれど、それを確かめる気はなく、だから何だと思っただけで、承太郎は顔を動かさずに男を見下ろし た。 「DIOに言われて、来た。」 何のためにとは聞いていないから、簡潔にぶっきらぼうにそれだけ言うと、男はすぐに合点が行ったという表情を浮かべ、承太郎の、浮浪者まがいの姿には一 向に構いもしない様子---気づいてすらないないようだった---で、そわそわと後ろを振り返る。 「お待ちしていました。プッチ神父があちらに。」 へりくだるという声音ではなく、ただ丁寧な態度で人に接するのに慣れているという、嫌味のない男の口調に、承太郎はふと懐かしさを憶えて、自分に対する 慇懃無礼なDIOの部下たちの態度に、正直辟易していたから、先へ立って歩き出す男の、案外と広い背中を、思わずなごんだ視線で眺めた。 開いたままだったドアを、通りすがりに閉めて、男はもうひとつ先のドアへ進み、軽く叩いた。中から声がした後で、ドアを開けて、どうぞと、承太郎を先に 入れた。 明るい大きな窓を背に、簡素な木の、大きな机と本棚の間に、すらりとした姿が、そこに立って承太郎を迎える。目を細めて見れば、輝きが妙に印象的な濃い 茶色の瞳が、瞬きもせずに承太郎を見つめている。 プッチと名乗りながら、神父は自信に満ちた足取りで承太郎へ近づいて、握手のために右手を差し出して来る。最低限の礼儀と敬意のため---隠しようもな い、承太郎の、日本人の部分だ---、その手を軽く短く握り、そうしてこっそりと、神父の膚の色に、承太郎は驚いていた。 半分か四分の一か、黒人の血が混じっているらしい彼の、ふっくらと厚い唇の色の鮮やかさが、敬虔な神父というイメージにそぐわず、人種に対して特に偏見 があるとも思わない自分の、突然湧いた違和感に、承太郎は胸の中で、自分と神父の両方に対して眉をひそめる。 黒人の神父など、珍しくもない。けれど一緒にいるのが東洋人というのは、あまりないことだ。ここに集まる信者たちも、もしかすると人種がばらばらなのか もしれない。 この男もあの祭壇で、様々な色合いと顔立ちの人間たちに向かって説教を垂れるのだろうかと、ドアの傍へ静かに立っている東洋人の男の方へ視線をちらりと 流して、承太郎は思った。 「何か、お茶でも。」 プッチが承太郎に、向かい合って置かれたソファの片方を勧めながら、若い男へ言った。 男がにこやかにそれを受けるのに、承太郎は素っ気なく首を振る。 「必要ない。長居するつもりはない。」 承太郎の率直な物言いに、プッチが、咎めるようではなく、苦笑を刷く。その笑みに、初めて話をした時のDIOに感じたのと同じ傲慢さを見て、承太郎は、 DIOが自分をここへ来させた理由を、何となく悟った。 「用があれば呼ぶから、君はもういい。」 そう言われて男は、ふたりに向かって浅く体を折り、静かにドアを開けて、廊下へ滑り出してゆく。男の所作を目で追っていた承太郎は、ドアを閉める寸前に 男が浮かべた親しげな笑みの意味を図りかねて、その笑みを受けるにはみすぼらしすぎる自分の姿に、どうしてかわずかに心の端が折れるのを感じた。 ヤク中に、教会という場所はあまりにも厳粛過ぎる。そしてあの若い男は、承太郎からは地球全体を隔てたよりも遠くへいるのだ。神を信じる者特有の、あれ はもう身に着いてしまった深い博愛主義の表れの笑みだろう。人のあたたかさを感じることなど、もう滅多とない承太郎は、彼が自分に向けたぬくもりを、だか ら大袈裟に感じ過ぎるのだと、自分を戒めながら、男が消えたドアから視線を剥がす。 承太郎は、ようやくプッチと向き合った。 足を組んで、その上に組んだ手を乗せて、ゆったりとソファの背に背中を伸ばしているプッチは、こうして眺めればひどく美しい男だった。DIOとはまた違 う種類の、輝きを隠せない類いの人間だ。首元から足首までをすっぽりと覆う神父服が、彼に限っては彼の美しさを隠すことも損なうこともできずに、むしろ覆 うその黒ささえ鮮やかさを増して、彼をいっそう特別な存在に仕立てている。 類は友を呼ぶとはこのことだと、承太郎は肩口にわずかにあごの先を埋めるように、プッチを斜めに見た。 「DIOから、君のことは聞いているよ。」 穏やかに、プッチがそう切り出した。 プッチが、DIOを呼び捨てにしたのに、承太郎はふと安堵して、心を開くことはまだせずに、とりあえず足を組んでソファの背に体を投げ出した。両手は、 相変わらずズボンのポケットの中だ。 「おれは、教会に用はねえ。」 「知っているよ。」 笑顔を崩さずに、プッチが言う。聞き分けのない子どもに話しかけるような、そんな口調だ。馬鹿にされたように感じながらも、殴りつけてやりたいとまでは 思わないのは、やはりその神父姿のせいか。 「別に君に、神の教えを説こうなんて、そんなことは思っていない。DIOはただ、わたしが必要な時に君を導けるように、会っておいてくれと、そう言った だけだ。」 「導く?」 眉を動かして聞き返すと、にっとプッチが笑った。その美しさにも関わらず、どこか卑しさを感じさせる笑みだった。 「君には為すべきことがあり、そのために君は、君自身を犠牲にしても構わないと思っている。君は殉教者になろうとしているのだ。殉教者として、その死を 無駄にしないために、わたしは君を正しい道へ導けるだろう。それが、わたしが為すべきことだ。」 救世主の次は殉教者か。神父から視線をそらして、彼の真剣な物言いを、承太郎は鼻で笑う。承太郎の態度に、鼻白んだ様子もなく、プッチは平然と承太郎を 見ていた。 「おれは、死ぬ気はない。始まる前からそんなロクでもねえ話はごめんだ。」 憮然とそう返しながら、それでも志半ばで打ち倒される自分の姿が殉教者と称されることに、満更悪い気はしない。 薬のせいで開き切っている脳の襞が、何気ない言葉をすべて、心地良く甘く受け入れようとしている。誰も彼もが、承太郎を讃え始めている。承太郎の勇気 を、決意を、行動を、承太郎のすべてを、賞賛の眼差しで見守っている。 薬の酔いに、そんなものも混じり始めていた。 敬虔なクリスチャンだろうプッチ神父が、ほとんど浮浪者同然の承太郎を、その汚れ切った姿にも構わずに、彼が信じる神に近い、あるいはほぼ同等のものと して、すでに受け入れてしまっているのだと、承太郎には思えた。 これが本来の自分の姿だったのだと、承太郎はそう認識し始めている。 特別な自分。唯一の自分。決意を、行動に移す機会を与えられた、信じがたいほど幸運な存在。行動で、自分の存在を世界に知らしめることができる、神にも 等しい存在。 天国、とまた承太郎は思う。 薬のせいの、人工的な幻想ではない。確かな天国が、そこに在るのだ。承太郎はそこへ向かって、道を築こうとしている。誰の目にも見え、絶対に消えること も消されることもない、確かな道だ。 すでに、DIOが、承太郎の後ろを、わずかに離れて歩いている。そのふたりの間を、今度はプッチが歩き出す。 ひとりではない。歩く自分の背中を見つめてくる視線を、承太郎ははっきりと感じ始めていた。 少しずつ、力が増えてゆく。信頼と支え、そして、破壊の力。承太郎の手の中に、様々なものが集まり始めている。 いつの間にかポケットから両手を取り出して、膝の上で握りしめていた。しっかりとつかまえておかなければと、無意識のように、承太郎はかすかに自分の震 える拳を、瞳を動かして見つめた。 「DIOが、君を無駄死になんかさせないさ。」 突然声を低めて、驚くほどの親密さ---承太郎に対してのそれではなく---を込めて、プッチが言った。 あのDIOとこの神父が、その時初めて現実味を持って、承太郎の中で繋がる。この神父も、この世の在り方を憂えて、承太郎のような存在を待ち続けていた のだろうか。 決意はあっても勇気のない迷える子羊たちが、自ら行動を起こす救世主を、息を潜めて待ち続けていたのか。 速さを増して回り始めた自分の周囲を眺めながら、けれど承太郎自身は嵐の中心のように、そこに背を伸ばして立っているだけだ。準備は進んでいる。けれど まだ、機は熟していない。 自分が神である自覚を、1日1日深めながら、承太郎はいまだ幸運なことに、眠れる獅子のままでいる。 早く目覚めたいと、そう急く承太郎の気持ちをなだめているのは、他でもないあのDIOだったけれど、いよいよその時が近づいているのかと、承太郎はプッ チを見つめた。 教会を訪れる人間たちを、いつもそういう目で見るのか、プッチが歳の離れた弟を眺めるように承太郎を見やって、にっこりと薄い笑みを口元に刷き、承太郎 にその魅力的な笑顔を振り向けたまま、椅子からゆっくりと立ち上がる。 机のところへゆき、引き出しを開けて取って来たのは、小さな携帯電話だった。 「DIOはしばらく君に会えないかもしれないそうだ。いろいろと、準備があるのでね。」 それを承太郎に手渡しながら、プッチが意味ありげに言う。 「彼と連絡を取りたい時は、それを使えばいい。彼も、それで君と連絡を取れる。」 承太郎の大きな手では、操作に慣れるのに時間の掛かりそうな、小さな機械だった。艶のない黒さが、色合いが違うのに、DIOが手渡してくれた銃を思い出 させる。 携帯を眺めている承太郎を、プッチがそこに立ったまま見下ろしている。 「ここへは、君が好きな時に来るといい。必要なものがあれば、何でも言ってくれて構わない。空いている部屋はいくつもある。君ひとりくらいなら、いつで も歓迎するよ。」 慈愛に満ちたその言葉と笑顔を、承太郎はまぶしげに振り仰いだ。そうして、立ち上がると、プッチに向かって、礼と別れの挨拶代わりの握手のために、自分 から手を差し出した。 話が終わり、承太郎は、また呼ばれたさっきの男に手渡され、プッチの部屋を揃って出て、先に立つ男の後ろをついてゆく。 どこへ行くのかと思っていると、建物の裏に当たる辺りから、地下へ降りる階段へ案内された。 薄暗い地下は、空気が冷たく湿っぽく、小さな部屋に区切られて、どれもドアがきっちりと閉まっている。承太郎は、かろうじて身を屈めてなくても歩ける天 井に、頭を打ちつけないように注意しながら、男がいちばん奥の部屋へ入ってゆくのに、ただ黙って従った。 明かりをつけてもまだ薄暗い部屋には、窓はひとつもなく、案外と広さのあるそこには、比較的趣味の良い調度で整えられていた。 教会の地下とも思えない部屋の中に、承太郎は思わず眉をしかめる。 どこからか訪れた大事な客を、こんな地下に置くはずはないし、かと言って承太郎のような、ゆき場のない者を臨時に泊めておく場所にしては豪勢過ぎる。こ の男の部屋というわけでももなさそうだった。 部屋の真ん中で、承太郎は、男がベッドの傍の引き出しから何か取り出すのを、そんなことを考えながら眺めていた。 男は、白い封筒を手に、承太郎に振り返った。 「これをと、神父様が。」 受け取った薄っぺらな封筒は、特に封もされておらず、承太郎は無造作にそれを開けて、中身を確かめようとした。 指先に触れる、ふわふわと柔らかな感触は、わずかな空気にふくらんでいる証拠だ。そう思った通り、中には金と薬の入ったビニール袋が入っていた。金は、 いつもDIOが渡してくれるよりも、額が少し多い。 中を見た承太郎を、男が、やるせない表情で、上目に見ている。 教会で、これから人殺しをしようとしているヤク中に、神父が、金とヘロインを手渡している。誰だって、そんな馬鹿なことがと、そう思う光景だった。 「これからは、必要な時はここに来て下さい。僕が君のためにちゃんと預かっています。」 どこかつらそうに、男が、それでもしっかりとした声で言う。 「神父がヤクなんざ、なんの酔狂だ。」 DIOと繋がっているというのなら、こういうことも飲み込んでいるのだろう、あのプッチという神父は。けれどそれを現実に突きつけられれば、教会という 場所で、何か清らかなものを無意識に期待していた承太郎は、裏切られた思いを隠せずに、小さな失望を隠さない八つ当たりの口調を、男に浴びせていた。 男は両肩を縮めるようにして、胸の前で、両手の中に、そこに下がっている十字架を握りしめる。 その十字架が、安っぽい木製であることと、首に回った鎖も簡素なものであることが、男を責める承太郎の気持ちを萎えさせた。 そこだけひと房長い前髪の陰で、東洋人にしては色の淡い茶色の瞳が、承太郎を臆することなく見つめていくる。そしてその瞳の中に、男なりの憤りのような ものを読み取って、承太郎はそれ以上は何も言わずに黙り込んだ。 「・・・薬欲しさに、物を盗んだり人を殺したりするのなら、それを止めるためにこういうものを与えるのも、神の御心なのだと、神父様が・・・」 いかにも、言われたそのままをただ繰り返しているという口調と、訛りのある発音のせいで、男の話し方はどこか稚なく聞こえる。それが、男を萎れた花のよ うに痛々しく見せて、承太郎は耐えられずに、まったく関係のないことを口にした。 「・・・てめーは日本人か。」 承太郎が日本語でそう言った途端、男が、素の顔を剥き出しにした。水を浴びた花のように、男の表情が生き生きと輝いた。 「そうです。君もですか。」 懐かしい日本語が、勢い込んで返って来る。 うなずいて、 「おれは半分だけだ。」 そう、男が不意に見せた無邪気さに照れながら、承太郎は付け加えた。 「日本人が、なんでこんなところにいる。」 日本人相手の教会ならともかく、日本人はおろか、路上に---珍しく---東洋人の見当たらない区域で、日系でもない、散々紆余曲折を経た挙句にここに 流れついたという歳でもなさそうな若さで、なぜわざわざ隠者のような生活をしているのかと、好奇心が湧いて、承太郎は訊いた。 男は困ったように眉の端を下げて、明らかに答えたくなさそうに、見れば案外と厚みのある肩を後ろに引く。 なるほど、あまり口にしたくない事情があるというわけだ。それは承太郎も同じだったから、それ以上は訊かずに、上着の胸ポケットに、その薄い封筒を入れ て、部屋を出て行く素振りを見せて、男に答える必要はないと目顔で言った。 もしかして引き止めるかと思ったけれど、男はドアへ体を回した承太郎を追うことはせずに、外へ送り出そうともしない。そこから承太郎を見送るつもりか、 そこへ立ったまま動かない。 久しぶりの日本語が心残りで、承太郎は、未練がましくドアから彼の方へ振り返った。 「てめーの名前は?」 きょとんと、質問の意味を受け取りかねて、男が目を見開く。どうしてか頬をうっすらと赤く染めて、慌てたように、必死で答えを探す素振りを見せた。 「あ・・・僕は、花京院と、言います。」 そう自分の名を告げる発音が、かすかにこちらの言葉に訛ってしまっている。繰り返し繰り返し日本語を解さない人間たちに尋ねられ、繰り返し繰り返し彼ら に伝わるように答えて来たからだ。 日本人というだけで、感じる親近感がある。それを抑えることができずに、承太郎は思わず、たった今名を知った男に向かって微笑んでいた。 「君は?」 承太郎の微笑みに、自分も微笑み返しながら、打ち解けた表情で、うれしそうに、今度は花京院が訊く。 「承太郎だ。」 久しぶりに、誇らしく自分の名を口にしていた。日本語の発音のまま、承太郎が、生まれた時にそう名づけられたそのままの名を、承太郎は花京院に告げてい た。 DIOが、自分をここへ来させた理由のひとつだろう彼を、承太郎は、まぶしく一瞥した後で、名残り惜しさを自分で断ち切るために、じゃあなと短く言い残 して、やっと部屋を後にする。封筒の中の薬が、1日分しかないことを、初めてありがたいと思った。思いながら、長い足で、跳ぶように階段を駆け上がって 行った。 |