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そして続く道 - 似ている

 今日の昼食はキリコの番だった。
 食器を台所へ運び、テーブルの上をきれいにして、それから椅子から降ろしたユーシャラの顔と手を拭い、後はシャッコに手渡して、今度は皿洗いだ。
 どちらかと言うとシャッコの身長に合わせてしつらえ直した台所は、あちこちキリコには高過ぎて、そのために折り畳みの脚立と踏み台が置いてある。
 シャッコがここで何かしている時、一緒にいたがるユーシャラが邪魔なら、この踏み台に坐っていろと、そんな風にも使うこともできた。
 これがキリコー専用ーのものとわかるのか、ユーシャラはここに坐るのを楽しみにもしているようで、時々、片隅に寄せてあるそれに、自分で腰を下ろしに行くこともあった。
 上がってそこに立ち上がるのは少々見た目に不安定だったから、ユーシャラがそこへ上がって立とうとするたびに、キリコかシャッコのどちらかが必ず素早く見咎めてそれを止める。ユーシャラは近頃では不満を示して唇を尖らせ、自分を抱き下ろそうとする大人たちの手に、踏み台にしがみついて逆らおうとする。
 そんな風な時は、踏み台ごとユーシャラを抱え上げ、台所の外まで運び、
 「そこで坐っていろ。」
と、できるだけ低い声で言うのが常だ。
 叱られればまだしゅんとしょぼくれる程度には聞き分けの良いユーシャラは、ちょこんと踏み台の座面に腰掛け、ぎりぎりで床に届かない小さな爪先をふらふらさせて、親指を口の中に入れ、大人たちが何か台所でやっている音を聞きながら、数分後には叱られたことも忘れて、踏み台のあちこちを叩いて遊び始める。
 今も、もうきゃっきゃと立てる声が、台所の雑音に混じって聞こえて、シャッコは肩をすくめ、キリコはそのシャッコへちらりを視線を送って、ふたりで見えない苦笑いを重ねた。
 何でもいい、大人たちの真似をしたがるだけだ。できなくても顔も手も突っ込みたい。何かしているふたりの傍で、作業に参加している気分を味わって、自分もここにいるのだと主張したい、ユーシャラの子どもらしさだった。
 近頃、手指の使い方がうまくなって、食事をさせるシャッコの手を煩わしがり、自分で食事をしたがるユーシャラは、冷ました食事の皿に手を突っ込み、テーブルの上も着ているシャツの前も顔も全部汚しながら、食べているのかただ顔の辺りへ食事を塗りたくっているのか、よくは分からない始末だ。
 食事のたびに着替えをさせるのが面倒になって、近頃ではテーブルに着く前にシャツを脱がせ、半裸で食事をさせている。自分で食べさせると、口に入る量が思ったよりもずっと少なくなるので、後で空腹を訴えて泣くこともあるけれど、そんな時はおとなしくまだシャッコの手で食事を与えられている。
 もう赤ん坊ではなく、かと言って子どもや幼児と言うにはもう少しあれこれの足りないユーシャラのそんな成長を眺めるふたりの目は、もうただの保護者ではなく完全に親のそれだった。
 食べること寝ることその合間に遊ぶこと、それがユーシャラのすべてだ。キリコとシャッコはそれに付き合い、何をすると他に目的もない日々を、ただ静かに穏やかに過ごしている。
 ふたりが台所から出て来ると、ユーシャラは踏み台の下へ頭を突っ込み、何とかそこへ入れないかと悪戦苦闘しているところだった。食卓の椅子ならともかく、そこでは隙間が小さ過ぎる。床に寝そべって小さな手足をばたばたさせて、子ども特有の引っかくような甲高い声を立てて、何とかならないかと小さな体がもがいていた。
 「無理かどうか、やってみなければ分からないとおれたちでも思うものだが──」
 無表情に床のユーシャラを眺めて、キリコがつぶやく。
 「子どものやることは度が過ぎてるな。」
 「それが子どもだ。」
 まるでキリコを諭すように、シャッコが言葉の終わりを引き取る。
 床にいつまでいようと構わなかったけれど、そこでばたばたされると蹴飛ばしかねない。キリコは腕を伸ばし、ユーシャラのふっくらした足首をいきなり掴むと、ユーシャラを踏み台の下から引きずり出してそのまま持ち上げた。
 「外で遊べ。そこにいると邪魔だ。」
 理解できるのはほぼクエント語だけだと言うことには頓着もせず、キリコはそのままアストラギウス語で言い、まだじたばた逆さに暴れるユーシャラを、構わず外へ連れ出そうとした。
 「や! キリコ、や!」
 面白いように体を揺すって、短い手をばたばた伸ばしてキリコへしがみつこうとするけれど、キリコは腕をいっぱいに伸ばしてユーシャラを遠ざけ、少し大きな、持ち難い荷物のように運んでゆく。
 ドアへ近づく間に、今度はそれが面白くなったのか、ユーシャラはきゃっきゃと笑い声を立てて、楽しそうにキリコへ向かって腕を差し出し続けた。
 「おまえは、何でも遊びにするな。」
 呆れたようにキリコが言うと、
 「それが子どもと言うものだと言ったろう。」
 混ぜっ返すように、またシャッコが後ろの方から声を投げて来る。
 キリコは瞳を裏返すようにすると、小さくかすかに誰にも聞こえないため息をこぼし、足を止めたその場にそっとユーシャラを下ろした。
 外へ行くぞと、ドアを指差すより一瞬早く、ユーシャラは驚くほど素早く立ち上がり、そのままキリコの脇をすり抜けて踏み台の方へ走り戻った。
 まだそこへ立ったままだったシャッコの後ろへ回り込むと、その長い足にしがみついて、もう絶対にそこから動かないと、そんな思いつめた表情をその陰から見せる。
 シャッコを盾にして、そうすればキリコは自分に手は出せないのだとでも言うように、ユーシャラはぎゅっと両手にシャッコの足を抱いて、血の繋がりなどないくせに、キリコと良く似た色の瞳に、これもまたキリコそっくりの頑固な表情を浮かべていた。
 シャッコは特にどちらの味方をするでもなく、ユーシャラを見下ろして、それからキリコを眺めて、どうするのかと尋ねる仕草で、肩をわずかに上げて見せた。
 「──好きにしろ。」
 自分の思うことは、周囲を辟易させながらも大抵我を通すキリコが、ユーシャラ相手には意外と勝率が低い。とは言え、一方的にユーシャラが勝つと言うわけでもなく、勝率は半々と言うところか。
 ユーシャラと同じような稚じみた表情を浮かべ、キリコは特に用もない午後を、ユーシャラの遊びに渋々付き合う羽目になる。
 台所で、引っ張り出した鍋の類いを床に並べ、端から叩いてお気に入りの音を探し、その合間に、時々踏み台の方へ走って言って座面に頬ずりし、戻って来て鍋をまた小1時間叩いた後で、自分の体がもしかして踏み台の下へもぐり込めるようになったのではないかと、それが間違いであることをまたしつこく確かめに行く。
 ユーシャラの小さな体が駆け回るのを、キリコは辛抱強く追い続け、一緒に台所の床に坐り込んで鍋を叩くのに付き合い、その音にさすがにうんざりして、ユーシャラの気をそらすために、踏み台の傍へ自分の工具を運んで来てやった。
 ユーシャラが、目を輝かせてキリコの工具へ駆け寄った後で、台所の鍋を全部片付けたのはシャッコだ。
 注意深く、適当に軽くて、少々どこかへぶつけても怪我をしたりしない、丸みの多い工具を選んで、床の上へざらりと置いてやると、ユーシャラはうれしそうにそれをひとつびとつ取り上げ、噛み、自分の頬を撫で、時々頭を軽く叩きもし、放り投げてはまた取り上げる、そんなことをひとり延々と繰り返し始めた。
 ぴたりと踏み台の傍へ、寄り添うように坐り込み、まるで踏み台が遊び友達ででもあるように、そちらへ振り向き時折はひと言ふた言話し掛ける。キリコは主には自分の工具の行方を見守るために、その傍へ一緒に坐り込んで、たまに思いついたようにユーシャラが、手にした工具を自分へ手渡して来るのを受け取ったりしていた。
 ユーシャラはそのうち、工具をひとつひとつ丁寧に積み重ね始め、何度か崩れるうちに、平たい方が安定がいいと学んだのか、次第にそれなりの高さを積み上げられるようになって行った。
 床に積み、踏み台の上にも積み、差し出すようにと自分の方へ引き寄せたキリコの掌の上にも、選んだ工具を積み重ねてゆく。
 ユーシャラに取られた手を動かさないようにしながら、キリコは、崩れるたびに次には前よりももっと高く積み上げられるようになってゆくユーシャラの、その小さな手の確かに動きの達者になって行く様を、内心感心しながら眺めていた。
 案外早いうちに、AT整備の手伝いくらいはできるようになるかもしれないと思ったのが、どうしようもなく身に染みついた己れの、AT乗りの悲しさのようなものだとは、キリコ自身が気づかないでいる。
 シャッコが以前言ったように、コックピットの広いベルゼルガをふたり乗りにでも改造して、ユーシャラも一緒に乗れるようにすれば面白いかもしれない。そう考えながら、キリコの口元は知らずに小さな笑みにゆるんでいた。
 ユーシャラの子守を、今日はキリコに任せて、シャッコはひとり台所で夕食の算段に取り掛かり始めていた。
 シャッコの気配を聞きつけて、工具を放り出したユーシャラがそれをじっと眺めるために、自分で踏み台の上に坐り込み、座面の余りを平手で叩いてキリコをじっと見つめる。そこへ一緒に腰掛けて、台所のシャッコを見ていろと言うことだろうけれど、もちろんそれは無理だ。
 キリコは散らばったままの工具を手早くまとめて脇へよけ、自分のために食卓の椅子を引き寄せて、ユーシャラの隣りへ坐った。
 ふたりで一緒に、前かがみに、台所の方へ体を傾けて、シャッコの立てる音を聞いている。
 鍋の底を水が叩く音に、ユーシャラがくすぐられでもしたように首を縮め、くすくすと声を立てて笑った。
 そうして並んだ大きさの違う背中の、丸まり具合と肩の線が、揃えたようによく似ている。

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