そして続く道 - 飢(かつ)え
シャッコの体の重みを、さらに引き寄せるように、キリコは両の足首をシャッコの腰の辺りで重ねて、その輪を両膝を寄せて縮めた。繋がったそれだけでは足りずに、ふくらはぎやかかとで、シャッコの腰から腿へ掛けて、さらに膝裏の線をたどる。汗で湿った膚同士が、滑り時折引っ掛かり、キリコは精一杯片足を伸ばし──もう片足は、シャッコの腰へ回したままだった──て、何とか爪先にシャッコの足裏を探った。
大きさの違う足。そして手。肩の広さも首の太さも違う。今は髪の長さも違い、元々似ているところを見つける方が大変なふたりではあったけれど、神の子と言う赤ん坊を加えて家族めいた暮らしを始めてから、髪や皮膚の匂いが似て来ている。ふたりの赤子も、同じ匂いを柔らかな皮膚からさせている。
赤ん坊に飲ませるミルクの匂い。一緒に使う石鹸の匂い。一緒にする食事の匂い。そうして、こうして交じり合わせるふたり分の汗の匂い。
シャッコの大きなベッドの上で、それでもふたりでは少々窮屈に、上と下と体の位置を何度も変えても、声だけは廊下を隔てた赤子の部屋には届かせないように、唇を塞ぎ合ったり、肩へ歯を立てたりしながら、ふたりは飽きることもなく抱き合い続けている。
長い長い間、一緒にはいられなかったその分を取り戻すように、それは躯の飢えではなく心の飢えだった。底なしのうろを埋めることを無駄とも思わず、ふたりは互いに伸ばした腕の中に互いを取り込み合い、唇と皮膚をこすり合わせて、その先でもう少し親密に躯を触れ合わせる。繋げた躯の間で生まれる熱が皮膚を溶かし、いつもふたりをひとつの何かにしてしまうような気がした。
キリコが、シャッコの肩口に額を当てて息を吐く。抱きすくめられれば、身長差でその辺りへ触れる自分の鼻先と額と、汗に濡れた髪がシャッコの膚に貼り付き、息でまた空気が湿り、キリコの皮膚がいっそう濡れる。
キリコはシャッコにしがみついて、さらに近く体を寄せた。
ほとんどシーツから浮きそうになった背中へ、素早くシャッコの腕が入り込み、軽く持ち上げる。そうして変わった体の角度で、内側のこすり上げられる位置が移動し、キリコは思わず声を立てる。
キリコの、不意に甘いその声へ、シャッコが思わず笑みを漏らした。
馴染み切った躯の、どこをどう押せばどうなると大体見当はついていて、けれど必ず求めた反応が得られるとは限らずに、得られても得られなくても、キリコにそそられ続けているシャッコだった。
声を出してもいい。耐えてもいい。直の声ではなく、キリコの躯の声を聞き取りながら、その声の元を追って、シャッコはもう少し繋がりを深めた。
足や腕が絡まる。重ねた体がふたりのどちらか見極めもつかず、辛うじて皮膚の色の違いで見分けられるけれど、それも薄闇の中では役には立たない。
躯の飢えが少々治まっても、心の飢えはやむことはなく、後100年、隙間もなくこうして抱き合い続けたところで満たされることは決してないように思えた。飢えのためにキリコに触れたいのか、キリコに触れたくて飢えているのか、どちらだろうかと真剣に考え始めたところで、またキリコの立てた声で思考は中断され、シャッコはキリコの反った喉へ軽く噛みついた。
喋り、物を食べるためだけにあると思っていた口が、それだけではないのだと知って、日によって湿り方も柔らかさも弾み具合も違うのだと、キリコの唇に触れて学ぶ。
自分の呼吸で濡れたキリコの唇へ、いっそう湿った息をかぶせて、シャッコは思わずキリコの名を呼んでいた。
こんな時ではなくても、キリコを呼ぶ時には声の響きが変わるのが自分で分かる。いとおしさと、切なさと、やるせなさと、後は名もないただ熱いだけの激情と、そんなものが様々の割合で入り混じった、キリコを呼ぶシャッコの声。そんな風に他人の耳には響いているのだとシャッコ自身に自覚はなく、そうして呼ばれるたびに、キリコが面映ゆく、それでもその響きを写して自分を呼び返すのだと、シャッコは知らない。
シャッコ、と呼ばれて、そこで押しとどめられずに、シャッコはキリコの中に果てた。
躯を外しても抱き合う腕は外さずに、シャッコは自分の体の重みを気にしながら、そのままキリコの上に体を伸ばしていた。
キリコの手に背中を撫でられ、次第に汗の引いて冷えて行く体が、それでも熱を残して芯はぬくまったままなのに、キリコには見えないように目を細める。
決して満たされ切ることのない飢えの感覚が、それでもそれがなければ淋しいのだろうと思えた。キリコがまた、シャッコと呼ぶ。シャッコはキリコと呼び返す。
呼び合う声に、飢えの縁を優しく慰撫されたように、シャッコは唇の端に知らず微笑みを浮かべている。