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* 選択お題@TigerLily *

そして続く道 - 償う唇

 触れていたシャッコの手を、不意にキリコが止めた。何がどうと言うわけではなくて、ただ体の位置を変えたいためだった仕草に、シャッコは素直に従って、キリコがするすると下の方へずれて行くのを黙って見送る。
 両手でなければ扱いに困るシャッコのそれに、キリコの唇が近づき、唾液に濡れた舌が触れる。張り詰めた皮膚がいっそう引き締まり、血管の形がさらに露わになる。その向こう側にキリコの顔を見て、シャッコは喉の奥に渇きを覚えた。
 内腿は膝の裏側にキリコの掌が滑り、同じリズムで舌が動く。なめらかとは言い難い、けれど拙(つたな)いわけでもないそのキリコの触れ方に、シャッコは思わず喉を伸ばした。
 30年経っても腿に残る、いびつな星のような傷跡。同じものが肩の近くにもある。キリコの残したそれらが、キリコの不在の間、記憶を常に鮮やかにする役目を果たしていたと、まだ伝えたことはない。
 その跡に、キリコが触れている。ややえぐれたその形をキリコの指がなぞり、体温が上がるとうっすら赤みの増すそれが、今はキリコの舌と同じくらい赤い──熱い──ようにシャッコには思えた。
 何もかも取り去った素肌が触れ、重なり、こすれ合う。他人の体の重みは、こんなにも心地良いものだったかと思いながら、シャッコは自分の脚へ下腹をこすりつけて来るキリコへ、もっととでも言うようにその首筋を撫でて応えた。
 奇妙な必死さで、キリコがシャッコのそれを舐める。唇の中へ誘い込むのは限界があり、それでも、何とか飲み込んで、キリコの喉の奥が尖端に触れた。すぐに苦しくなるのか、絡み方は浅くなって、それでも唇の先はなかなか外れずに、ゆっくりと半開きの唇が去った後を、唾液が糸を引いてゆく。
 キリコが添えた手がなければ、腹を叩くほど反り返ったそれが、キリコの唾液に濡れてぬるぬると光って見える。我ながら凶悪な武器のように見えるそれが、キリコの顔半分を隠して、今は青みを帯びた片方の瞳がはっきりと潤んで見えた。
 首筋が激しく脈打っているのが分かる。心臓が跳ね、血管が弾み、腿の柔らかな皮膚にキリコが飽きず触れたままで、そこから伸びる太い血管を、ごうごうと音と立てて血が流れ上がって来る。
 どこか放心したように、キリコはまだシャッコを手放さずに、再び唇を寄せて来た。下から舐め上げて、先端付近に舌を絡ませるようにして、視線はそこへ吸い寄せられたままだ。何となく、ATの整備に夢中になっている時のキリコを思い出して、自分を見る目と性能の良いATを見る目と、さして違いはないのかもしれないと思ったりする。
 ATよりは抱きしめやすい、少なくとも体温のある自分の方がましだろうと、自虐ともつかないことを考えながら、シャッコはキリコの髪を撫でた。撫でるその手へ向かって、キリコの瞳が動く。動いて、シャッコを見て、耐え切れなくなったと言う風に、大きく開いた唇の中に一気にシャッコを飲み込んだ。
 思わず背を立て、同時に声がこぼれた。キリコの頭を腹の辺りへ抱え込むように、そうして片腕は後ろへ伸ばして体を支える。あたたかく濡れたキリコの口の中で、そうしなければ耐え切れなくなるのはシャッコの方になりそうだった。
 ふたりが散々動き回って、くしゃくしゃになったシーツにの上に這いつくばるように、キリコはシャッコの両脚の間に身を投げ出して、不思議な熱っぽさでシャッコのそれをまだ唇の間に浅く飲み込んでいる。明らかにいとおしんでいるその仕草に、シャッコは胸の痛くなるような思いで、腿と肩のキリコの跡が熱く疼くのを感じた。
 ようやく伸ばした指先でキリコの唇をゆるめ、割った唇と自分の指の間にまた唾液が糸を引き、続きのようにキリコがシャッコの指を噛む。噛んで舐め、また目が熱に潤んで、皮膚のあらゆる部分が接触を求めて波打っていた。
 キリコを引きずり上げ、平たくうつ伏せにして、その背に胸をぴたりと重ねた。浅く始めて、入り込むのに時間は掛からず、柔らかくキリコにそうして飲み込まれて、シャッコは奥へ行き着いてから一度動きを止める。
 背後の線に、隙間なく自分の体を乗せ、シャッコはキリコの耳朶を噛んだ。
 大きく動く必要もなく、密着した皮膚と粘膜だけで十分だった。キリコの声が、耳からだけではなく、触れ合わせた皮膚からも伝わって来る。自分の呼吸の音も、そうして同じように伝わっているのだろう、頭蓋骨に直接響いて来るキリコの声に煽られながら、シャッコは吐く息の間を短くする。
 体の下から伸びて来たキリコの腕にシーツが引っ張られ、場違いな音をかすかに立てた。それもすぐにふたりの呼吸にかき消されて、呼吸の音は、キリコが首をねじって来て重なった唇の間で塞がれてしまった。
 シャッコの重みでキリコは息苦しく、キリコの狭さでシャッコは息苦しく、それでも、まともに気管を通る酸素の量など今はどうでもよいふたりは、明日には死に果てるのだとでも言うように、触れ合うことしか頭にない。
 こうして皮膚から吹き出る汗のせいかどうか、空気は確かに密度を増し、ふたりの周囲でだけ、濃密に世界がその大きさを縮めている。ぴたりと、ふたりが重なった輪郭分だけの、ふたりの世界。ふたり以外すべてが排除された、酸素の欠如にすら気づきそうにない、世界。
 シャッコの動きに合わせて、キリコの腰が揺れる。上と下と、重なった躯が密に絡み合い、容易にはほどけそうもなかった。このままほどけなければいいと、ふたり同時に、一緒に、けれど別々に感じている。言葉で伝える必要はなく、繋がった躯がすべてを、能弁に雄弁に、一語も漏らさず伝え合っていた。
 首をねじって、キリコがシャッコを見る。シャッコはそのキリコの瞳を見て、やはりATを見る時と同じ目だと思った。
 自分の方へ、わずかにより熱がこもっていると、そう信じたかった。キリコにとっては、すでに肉体の一部であるATは、シャッコにとっても自分の身の一部のようなものだ。AT越しの会話、視線の交わし合い、生身ではなくそうやって寄り添っていたふたりにとって、互いを見る目がATへの視線と似ているのも無理はないのかもしれなかった。
 それでも、ATよりはもう少しなめらかに動く、生身の体。抱けばあたたかく、少なくとも発火の心配はない、生身の血液の流れている体。
 キリコに撃たれて流した血の、鉄臭い匂い──やはり自分は、ATにより近いのかもしれないとシャッコは思った。血なまぐさい戦場、硝煙の匂い、それでも確かに、ふたりの分け合える記憶だった。それがなければ、30年を超える長い間、ひとりでキリコを待つことはできなかったかもしれない。今は一緒に過ごす穏やかな日々が、ふたりが積み重ねる新しい記憶だった。
 シャッコは音を立てずにキリコを抱きしめ、首筋に額をこすりつけた。髪からかすかに、一緒に使う石鹸の香りがした。
 キリコの中にシャッコの熱が満ち、注ぎ込まれる熱さにキリコの背骨が揺れ、引こうとするシャッコの躯に、キリコの内側はまだ名残り惜しげに絡みついたままだった。
 柔らかな素肌の感触を手放せずに、シャッコはキリコの上からまだ動かず、キリコは斜め後ろを見て、シャッコの唇へ自分の唇を近づける。不在の時間を埋め切ることは永遠にできないように、躯と同じほど唇が、深々とまた重なった。
 際限なく欲しがるキリコの瞳は、シャッコを見つめてまだ青く潤んだままだった。

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