ありふれた悲劇

 その後姿を見たとき、最初は他人の空似かと思った。まさか彼がこんな場所にいるはずがない、と。
 3年間過ごしてきた家族とのかかわりを絶って、自立の術を求めて入った忍術学園。その入学式で、3年ぶりに八左ヱ門と再会するだなんて夢にも思っていなかった。
 この学園のどこかに八左ヱ門がいるかもしれない――にわかに芽生えた疑問は、忍術学園に向かう際に決めた、これからは誰にも頼らず1人で生きていくという覚悟が揺らがせるには十分だった。誓ってから1ヶ月もたたないというのになんとも情けない、と自嘲する。
 八左ヱ門。俺の双子の兄。7歳で遠縁の夫婦に引き取られてから一度も会っていない、片時も忘れたことのない人。
 実の両親が俺を――今から事情を鑑みればやむを得ないにせよ――見捨てたときも、八左ヱ門だけは俺の味方であり続けてくれた。たとえ結果が変わらなかったとしても、それだけが俺の救いだった。
 できることなら、会いたい。会って話がしたい。あのころみたいにもう一度、2人で森の中を歩いて、野山を駆けずり回って――一度、八左ヱ門が学園にいるかもしれないと考え始めれば、その願いはごまかせないほどに大きく膨らんでいった。
 入学受付が終わると俺はは組に振り分けられたけれど、その中には八左ヱ門の姿はなかった。ひょっとしたらい組かろ組にでもいるのかもしれない。そのうちほかのクラスの子とも会う機会があるだろうとは分かっていても焦ってしまう。こんなことなら最初に見かけたときに話しかけてればよかった。でも、あのときは本人だなんて夢にも思ってなかったしなぁ。
 オリエンテーリングや委員会見学などのイベントが終わって、授業が通常通りになるまでの1ヶ月間は俺にとってとても長く感じられた。何度かほかのクラスとも一緒になるイベントもあったけれど、八左ヱ門は見つからなかった。
 だけど、全く収穫がなかったわけではなかった。竹谷八左ヱ門という名の生徒がろ組にいるらしい。ろ組の生徒が話をしているのを偶然にも立ち聞きしたのだ。名前まで同じとなってくるといよいよ本格的に本人の可能性が高くなった。
 そんなこんなしている間に一度だけ、実家から手紙が来た。実家といっても3年しか一緒にいなかったのだからあまり実感は湧かないけど。
 俺は中身を見ることもなくその手紙を燃やした。きっとあの2人のことだから、俺を心配したりあちらの近況を伝えるという当たり障りのない内容だったのだろう。けれど、今の俺が中身を読んでしまえば「1人にしないで」と泣き叫んでしまいそうで怖かった。
 独りは、いやだった。誰か俺を必要としてくれる、俺を見捨てない人にそばにいてほしい。それが俺の偽らざる本音だ。


 八左ヱ門が学園にいることを確信した俺はいてもたってもいられず、行動に移ることにした。
 部屋から出てろ組の生徒を探す。同じクラスの子なら八左ヱ門がどこにいるか分かるだろうと考えたからだ。
 この時間だと一年生は中庭か校庭で遊んでいることが多いはず、と廊下を歩いていると、早速ろ組の生徒に出くわした。1人はもっさりした長い髪の毛に人のよさそうな顔の生徒で、もう片方は狐のお面を被っている。あいつは確か、名前は鉢屋……三郎だったっけか? いつも面で顔を隠していて成績優秀だとかで目立っていたから、たぶん間違ってないはずだけど。
「あの、ちょっといいかな」
俺が声をかけると、2人は少し驚いたようにこちらを見た。どうしたんだろうか?
「えっと、今、竹谷八左ヱ門って奴を探してるんだけど、どこにいるか知らない?」
「八左ヱ門? えっと、今は……」
人のよさそうな生徒は目を泳がせながら考え込んでしまった。いきなりほかの組の生徒に行き先を聞かれたから怪しんでいるのだろうか。「なんで?」とか聞かれたらどう答えればいいんだろう。いきなり正直に事情を説明しても信用してくれるかどうか……。
「八左ヱ門ならさっき校庭のほうに行くのを見たぞ」
「そうなの? ありがとう」
そうこう悩んでいる間にお面をつけた生徒が教えてくれた。俺は2人に礼を言って、そのまままっすぐ校庭へ向かった。もうすぐ八左ヱ門に会えると思うと浮き足立つような思いだ。


「三郎、いいの? 嘘なんか教えて」
「いいんだよ」
人のよさそうな生徒――雷蔵が、隣に立つ友人をひじでつつきながらそう言うと、三郎ははっきりと言い切った。面の下に隠された表情は雷蔵も知る由がないが、その声はどこか硬さを帯びているように聞こえる。
「それより、早く八左ヱ門のところに行こう」
三郎が雷蔵の袖を引っ張ると、雷蔵はが去っていった校庭のほうを一度見てから、それとは逆の方向――教室に向かって2人で歩き出した。





「あれ? いないなー……」
校庭の隅から隅まで探してみたけれど、八左ヱ門らしき姿はどこにも見当たらなかった。ひょっとしたら見落としたとか? と考えてからそれはない、と思い直す。俺が八左ヱ門を見間違えるなんてそんなことあり得ない。
 けれど、あの2人は確かに八左ヱ門は校庭にいると言っていた。
 もしかして行き違いになったとか? そこに思い至った俺は教室のほうも見てみることにした。
 いざ探そうとなるとなかなか見つからないものだな……と重い足取りで教室に向かっていると、ろ組の教室から八左ヱ門の笑い声が聞こえてきた。なんだ、やっぱり行き違いになってたんだ!
 やっと会えると考えると、心が躍るような気持ちになった。会ったらまずなんて言おうか。久しぶり、だけじゃやっぱり味気ないだろうか。八左ヱ門のやつ、俺を見たらきっとすごく驚くだろうな。まさか偶然同じ学校に入るだなんて思ってもみなかったはずだもの。父さんと母さんはどうしてるだろうか、それも八左ヱ門に聞いてみたら分かるはずだ。
「八左ヱ門!」
あれこれつらつらと考えつつも、俺は教室の外から八左ヱ門を呼んだ。けれど返事はない。もしかして聞こえなかったのだろうか? 訝しく思いつつももう一度、今度はもっと声を張り上げようとしたときにふと八左ヱ門と一緒にいる生徒に見覚えがあることに気がついた。
 さっき八左ヱ門はどこかと尋ねた際に、「校庭にいる」と答えた2人だ。
 なんで? 真っ先に思ったのはそれだった。


 なんで、「八左ヱ門は校庭にいる」と教えてくれたはずの2人が教室で八左ヱ門と仲良く話なんかしてるんだろう?
 なんで、八左ヱ門は俺が呼んでもちらりとも見ないんだろう?
 なんで、みんな聞こえているはずなのに俺を見ないふりしているんだろう?


 一体どうして、と混乱しているとお面を被ったほうと目が合った。面をつけてるからはっきりとは言い切れないけどたぶん間違いない。こっちを見たときにぴたりと俺で視線を止めていた。
 俺にはその面がにたりと意地の悪い笑みを浮かべているように見えた。
「……っ八左ヱ門!」
騙された、と気づくと同時に俺は叫んでいた。さっきよりもももっと大きな声に八左ヱ門が驚いたように身を振るわせ、キョロキョロと辺りを見回してからようやく俺に気づいて、目を大きく見開いた。
「……?」
信じられないといった表情で俺の名前を呼ぶ。思ったとおりの反応を返す八左ヱ門に、しかし俺はさっきまでのうれしい気持ちはすっかり消え失せてしまっていた。
 そいつら、一体何? 今までずっと探していたのにどうして嘘ついて意地悪するの?
 胸の中に嫌な気持ちがじわじわと広がっていく。
 戸惑ったように口をぱくぱくさせながら友人らしき2人に何かを言うと、おそるおそるといった感じでこちらに1歩1歩歩いてくる八左ヱ門。俺はそれを無視して踵を返して部屋へと走った。
「……え、!?」
八左ヱ門が焦ったように背中に呼びかけるが俺は止まらなかった。今さら追ってこられたってうれしくない。
 どうして、なんで。そればかりが頭の中を駆け巡る。前は俺が呼ぶ前に気づいてくれていたのに。呼んでも気づかないで無視するなんてこと、なかったのに。
 やっぱり探すんじゃなかった、とすら思えた。俺のことを無視する八左ヱ門なんて嫌いだ。八左ヱ門と会えないようにわざと嘘をついて意地悪する奴も大嫌い。
 部屋まで戻るとすぐさま押入れの中に身を隠す。八左ヱ門は部屋まで追ってはこなかった。きっと俺を追うよりもあいつらと遊ぶほうを選んだんだ、と結論づけるともやもやとした重いものが胸のあたりにずっと居座っているような感覚がした。

君が遠くに見えた瞬間

 こんなはずじゃなかったのに。