ありふれた悲劇

 それは、忍術学園に来てから三年目に入ったある日のことだった。その日は2、3人で組む実習があったんだ。
! 一緒に組もうぜ」
「八左ヱ門」
友人たちはみんなほかの相手と組んでいたのか、所在なさげに組む相手を探していたに背後から声をかける。
「えぇーなんだよ、私たちと組むんじゃなかったのか? そいつばっか気にかけてつまらないなぁ」
が振り返ってほっと笑みを浮かべかけたところで、後ろから三郎が聞こえよがしに嫌味を言ってきた。途端には綻んだ口元をきゅっと引き締めて「別にいいよ。2人で組んでる友達んとこ入れてもらうから」と呟き、そのままどこかへ行こうとする。
「お、おい……三郎! 変なこと言うのやめろよな」
の後を追いかけようとして、その前に三郎に釘を刺しておく。不機嫌そうにフンと鼻を鳴らしているのは分かっているのかいないのか。
 三郎というのは忍術学園に入ってからできた友達の1人だ。ほかにも雷蔵、兵助、勘右衛門という名の友人がいる。この三郎、いつもは雷蔵にべったりのくせに、なぜか俺がに構っているときに限ってやたらちょっかいをかけてくる。ほかの仲間たちも露骨にをのけ者にしようとする三郎の言動は諌めるものの、積極的にに助け舟を出そうとはしない。
 たぶん、が俺を奪っていくことを恐れているんじゃないかと俺は見ている。俺はただともやっと再会できたんだし一緒にいたいだけなのだけど。
 問題は、俺とが双子だと誰も気づかないことだった。昔から似ていないと言われ続けていたけれど、苗字が違うことがそれに拍車をかけていたらしい。
 はっきりは生き別れになった双子の弟だと打ち明ければ、こんなことはなかったのだと思う。だけど、にも引き取られてから忍術学園に来るまでの間にいろいろあったらしく、あまり多くを語りたがらなかった。家庭の事情を公にすればに思わぬ害が及ぶかもしれない――そう思った俺はあえて三郎たちにもそのことを話していないのだ。
 けれど、いつまでもこんな状態を続けているのはにとってもよくないはずだ。確かにみんなちょっと独占欲が強いけど悪い奴らじゃないし、話せば分かってくれるはずだ。俺は今日、この機会ににそのことについて話をしようと思っていた。そのためには2人で組むことが必要不可欠なのだ!
、待ってくれ!」
追いついたとき、はクラスの友達と話しているところだった。の友人は肩で息している俺を見て肩をすくめると、「ほら、行ってこいよ」との背中を押した。どうやら組んでもらえないか打診していたようだ。
 空気を読んでくれた弟の友人に俺は心の中で感謝した。
 友人に押し出される形で俺の前に立ったは憮然とした表情でそっぽを向いていた。
、行こう」
「……でも」
「三郎の言うことは気にしなくていいから」
そう言って有無を言わさず手を握ると、はしぶしぶといった様子で頷いた。

三年目の悲劇

 森の中は深く生い茂っていて、雲ひとつない快晴の昼間でも薄暗かった。実習を行なっているほかのみんなとは離れるように動いているからか、ここら辺は人の気配もない。
 俺はこの静けさが好きだった。も昔から人がたくさんいる場所が苦手だったから、きっとここなら落ち着いて話ができるだろう。そういえば忍術学園に来てから、2人でゆっくり話をする機会もなかったことに今さらながら気がついた。
 友人たちが実習に精を出している中、自分たちだけ授業をサボっているという事実に罪悪感が湧かないこともなかったが、自分の作戦に間違いがないことへの確信と喜びのほうが上回った。俺はこのとき、と話をすれば全てが解決すると信じて疑っていなかったのだ。


「……あのさ」
どこか座れる場所を探して歩きながら、俺は前方を歩くに声をかけた。おそらく声は聞こえたのだろう。はこちらをちらりと一瞥すると、何も言わず再び前を向いて歩き出す。
 理由も言わずにこんなところまで来ていることに疑問も抱いているだろうに、はペアを組んでからここまで一言も口をきかずにここまで来ていた。も何かしら俺に言いたいことはあるのだろうと思っていたけれど、俺の思い違いだったのだろうか。
 とにかく、に無視されたことは俺を無性に苛立たせた。どこかに休める場所でゆっくり話をしようと考えていたけど、こうなったらこの場で問いただすしかないと思った。
 俺が足を止めると、数歩遅れても歩くのをやめて振り向く。一体何をやっているんだと言わんばかりの表情は、俺が腕を強く引っ張ると痛みに歪められた。
「痛っ……」
「なんで無視すんだよ」
「…………」
なおも顔を背けて黙り込むに強く言うと、憮然とした表情でぽつりと呟いた。「本当は鉢屋とでも組んだほうがよかったんじゃないの」
「どうしてそうなるんだよ?」
「気を使って一緒にいてくれたってうれしくない」
「そんな……さっき三郎が言ってたこと、まだ気にしてるのか? 別に気にすることなんかな」
「でも、八左ヱ門は俺よりほかの連中といたほうが楽しそうだ」
はそこではじめて俺の目をまっすぐに見た。その表情は明らかに怒っているように見える。でも、俺にはどうしてがそんなに怒っているのか理解できない。
「八左ヱ門は俺よりあいつらのほうが大事なんだ」
「何を……」
言ってるんだ。そう言おうとして、言葉に詰まった。だって、がそんなことを考えていただなんて思いつきもしなかった。
 友達と兄弟はあくまで別だ。比べられるものでもないし、比べるのが間違ってる。がクラスの友達と仲良くやってたって、その友達のほうが俺より大事かなんて考えたこともない。
 そのことをどう伝えればいいんだろうか。そんな考えに囚われていた俺は、けれどが小さく何かを呟いたのを聞き逃さなかった。
「……嫌いだ」
「え?」
最初、何を言ったのかよく分からなくて聞き返してしまった。俺を睨みつけていたの目尻にじわり、と涙が浮かぶ。次に、ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた。
「あんな奴ら、大嫌いだ……」
あんな奴ら、とは三郎たちのことを指しているのだろう。眉間にしわを寄せて搾り出すような声で呟かれたその言葉に俺は慌てた。
「ちょっと落ち着けよ。お前が思ってるような奴らじゃ……」
「嫌だ!」
とにかく落ち着かせようと、思わず伸ばした手をぱしん、と強い調子で叩き落される。突然の拒絶にショックを受けていると、の口からさらに衝撃的な言葉が飛び出してきた。
「俺から八左ヱ門を奪っていって勝ち誇ってる奴らなんか大っ嫌い! あんな奴ら、この世から消えてなくなればいいんだ!!」
張り裂けんばかりの声でが叫んだ瞬間、俺はを殴り飛ばしていた。
 自分でもそのことに気づくまでの数秒間、今まで立っていた場所からわずかに俺と距離を置いた場所に座り込んでいたは、信じられないものを見るような目でじっと俺を見つめていた。信じられないのは俺のほうなのに。
 まるで裏切られたような気持ちだった。目の前にいるのは間違いなくだったはずなのに、そのがまるで別人のようにすら見える。
 目の奥がカッと熱くなって、視界がどんどんにじんでいく。瞬きをすると頬を暖かいものが流れて地面に染みを作った。
「お、」
自分でも何が言いたいのか分からないままに勝手に口から音が漏れる。そうでもしないと自分を保てなくなりそうだった。
「俺の友達にそんなひどいこと言うなんて大嫌いだ!」
それを聞いた瞬間、は大きく目を見開いた。違う、嫌いだなんて本当は露ほども思ってない。俺はただ、にも三郎たちと仲良くしてほしくて、があいつらにひどい言葉を吐くのを見たくなくて。
 どう言えばいいんだろう。言葉が見つからないことにやり場のない怒りを覚えた。
「八左ヱ門もおれのこと、いらない?」
「え、」
不意にがやけに幼い調子で尋ねてきた。とっさに答えが見つからずにを見つめると、暗闇の中に吸い込まれそうな目をして俺を見つめるの姿があった。
 どうしよう。今しゃべったらまた思ってもないことを言ってしまうかもしれない。そんな考えに取り付かれた俺は何も言えずにただを見つめた。
「やっぱり……」
が俺の沈黙をどう受け取ったのかはその呟きで明らかだった。はっと息を呑むと、はぼろぼろと涙をこぼしながら、よろよろと立ち上がると再び俺を見つめた。その様子は小さなころに喧嘩をしてたときのの面影を残していて、不意に罪悪感がこみ上げてくる。
 それから逃れるようにから視線を外すと、見えるのはつま先だけになった。聞こえてくるのは洟をすするような音としゃくりあげるような声だけだ。やがての足が踵を返してどこかへと歩き始める。
 どこへ行くつもりなのか。
 声をかけようと顔を上げた瞬間にの小さな背中が、いきなり小さな岩が崩れる音と一緒に視界から消え失せた。
 数秒後に、重いものが岩の上に叩きつけられるような鈍い音が耳に届く。
「――?」
声をかけてみても返事はない。
 そんな、まさか。
 が消えた方向へと足を踏み入れると、数歩も歩かないうちにいきなり地面がなくなっていた。バランスを崩した俺は慌てて近くの木にしがみつく。パラパラと砂が落ちていくのがどこか他人事のように見えた。
 心臓の音がうるさく感じる。なんとか体勢を整えると俺はその場に座り込んでしまった。どこか祈るような気持ちでそろそろと下を覗き込む。
?」
果たしてはそこにいた。
 手足はあらぬ方向に曲がり、瑠璃色の忍装束は何かでどす黒く染まっている。頭部の辺りの岩はまるで紅い花火が咲いたかのように血が飛び散っていた。
 一目見て、直感的に「死んでいる」と思った。
 そんな、馬鹿な。
 ひゅっと空気が喉を通り抜ける。空を仰いでみても、雲ひとつない青空のはずなのに俺の視界は真っ暗なままだ。
 叫びは、俺の耳には聞こえなかった。