あれから少しすると、何かを聞きつけたのか2人の先生方が駆けつけてきた。
呆然と座り込む俺を見て顔を見合わせたり、崖を覗き込んで表情を凍りつかせたり、せわしなく動き始める。俺はそれを何も言えずにただぼんやりと眺めていた。
後から聞いた話によると、実習の最中に俺たちが見当たらないことに気づいて探していたところに、俺の叫び声を聞いて駆けつけたら崖っぷちで俺が座り込んでいた、ということらしい。喉がやけにひりひりと痛んでいたのは覚えているが、叫んだのかどうかは分からなかった。
はすぐに先生によって引き上げられると、即座にぐったりとした体を預けたまま学園へと連れ帰られた。俺はもう1人の先生に肩を支えられながら帰ると、少し時間を置いてからどうしてあそこにいたのか、が崖から落ちてからどのくらいの時間がたっていたのかなどの質問攻めにあった。どう答えたのかは定かではないが、少なくとも他人から見て意味の通じるような話ができなかったのは確かだ。
この様子では日を改めてから事情を聞いたほうがいいと悟ったのか、ようやっと質問攻めから開放されたのは日がとっぷりと暮れたころだった。別れ際に先生からが医務室に運ばれたと聞かされた瞬間、俺は先生が背後から怒鳴るのも構わずにそこへ一直線に走り出した。
「!」
医務室はわずかに障子が開いていた。そこから覗くの包帯だらけの姿に悲痛な叫びを上げる。
「竹谷、ちょっとどいて!」
俺が医務室に入ろうとした瞬間、いつになく険しい表情の善法寺先輩が横から割って入った。その剣幕に圧されて1歩後ずさると、素早く善法寺先輩が障子を開けての元へ駆け寄る。
「先生、熱さましの薬持って来ました!」
「それはそこに置いてください。それから……」
医務室の中で新野先生の指示に従う先輩。いや、善法寺先輩だけじゃない。ほかの保健委員も六年生から一年生まで慌しくの周りを駆け巡って自分の役割を果たしていた。
「そこ! 今は面会謝絶です、障子閉めて!」
新野先生の鋭い言葉に俺は思わず障子を閉めた。障子1枚隔てたとたんに、けたたましく響いていた指示が内容すら分からないほど小さくなった。
今のは何だったんだ? 俺は目にした光景に理解が追いつかずに呆然と医務室の前に立ち尽くしていた。
「八左ヱ門」
気がつくと俺は自室に戻って友人たちと顔を合わせていた。いつの間に帰っていたのか、どうやって戻ってきたのか自分でも分からない。
気遣わしげに雷蔵が俺の名を呼んでいるのにああとかうんとか、そんな感じに返事をしたと思う。
どうやら俺が自室に戻っているのを知って訪ねてきたのだろう。もう就寝時間だろうに、先生に怒られる危険を冒してまで俺を心配してくれた友人たちに心底感謝をした。
「なあ、と何があったんだ?」
いくばくか当たり障りのない話をした後で、三郎が単刀直入に聞いてきた。俺はそれにぎくりと身体をこわばらせて俯く。
――あんな奴ら、この世から消えてなくなればいいんだ!!
血でも吐くかのようにの口から飛び出した言葉は、今も俺の心に深く突き刺さっていた。
もし、と話した内容をそのままみんなに話したらどうなるだろうか。少なくとも、友人たちとの間にある溝はさらに深くなることは間違いない。ただでさえは死の淵をさまよっているというのに、そんなことは俺には耐えられそうにはなかった。
がただ、のけ者にされただけであんなひどいことを言うだなんて思えない。俺の知らないところで追い詰められて、俺が対応を間違えたからはあんなことになってしまったんだ。
「……別に、何もないって。ただ、俺がちょっと目を離した隙に崖から落っこちちゃったんだ」
ただ黙っているのもいかにも『何かありました』という感じがするので、それだけを告げる。「崖下を見たらが大変なことになっちゃってたからさ、つい動転しちゃって」
「…………」
三郎たちは互いに無言で視線を交わした。おそらく俺の言葉をうそだと思っているんだろうってことくらい、俺にだって分かる。それでも俺はあのときのことを話すつもりはなかった。
しばしの沈黙が流れた後、俺がそれ以上のことを話すつもりがないことを悟ったのか、兵助が「そうか」とだけ言ってふいと戸口へ視線を向ける。背を向けられた俺には、その表情がどんなものなのかは判断がつかない。ほかの連中はどこか納得がいかないような顔をしていた。
明日、もう一度医務室に行ってみよう。新野先生はあれで腕利きの医者であるし、保健委員もこういうときだけは普段の不運ぶりがあり得ないような優秀さを見せる。きっとは助かる。俺はそう自分に言い聞かせた。
明日が起きたら、明日起きなかったらあさっても、それでも起きなかったらが起きるまで何日でも通いつめてやる。
そして起きたら、今度こそ間違えない。が不安がって何を言い出しても『俺の弟はお前だけだ』と、一番に伝えて抱きしめてやるんだ。