偶然による接触から数日後。
兵助をはじめとする友人連中のはからいにより、俺は八左ヱ門の部屋で片瀬さんと再会していた。
「……で、こっちが片瀬紗耶香さんだ。知ってるだろう?」
兵助が有無を言わさぬ口調で確認するのを見て、俺は1つ頷いてから「こんにちは」と言った。こんな状況でもなければ部屋全体にほのかに香る甘い匂いに胸を高鳴らせたり、片瀬さんの笑顔に思わず顔が緩んだりしてもおかしくはないのだけれど、あいにく今の俺はそれどころではなかった。
片瀬さんは何がうれしいのか、憮然とした態度の俺を見ても文句1つこぼさずにこにこと可愛らしい笑顔を振りまいている。
一方の八左ヱ門はというと、恋人が恋敵を平然と自分の部屋に連れ込んでいる状況に顔色をなくしている。片瀬さんも様子がおかしいことには気付いているのか気遣わしげに話題を振っているようだが、まさかそれが傷口に塩を塗りこんでいるということまでは分かっていないらしい。事情が分からないのだから仕方がないのだが。だが。
「おい、どうしたんだ。紗耶香さんにそんな態度じゃ失礼だろう」
兵助はというと全く八左ヱ門の様子に気が付いた様子もなく、言葉少なに会話を切り上げようとする彼女を厳しい口調で咎める。思わず俺はそちらのほうを横目でにらみつけてしまった。お前のせいだお前の!
自分がやっていることを客観的に見ればどうして八左ヱ門がああいう態度になっているのか分かるはずなのに、兵助はそれをしようとはしない。以前ならそんなことはなかったのに。
「兵助、ちょっと」
折を見て兵助を部屋の外へ連れ出す。三郎と雷蔵が一体どうしたのかと不思議そうな顔をしていたが、そんなのは今は無視だ無視。
「お前一体どういうつもりなんだ」
「何がだ?」
部屋を出るなり開口一番に強い口調で問い詰めると、兵助は首をかしげた。癖のある長い黒髪がその背中で揺れているのが見える。
「! ……いや待て、2人きりでというのも分からなくはないが、まだ話したこともないのにそれは早すぎるんじゃないか?」
「そっちじゃなくて! 俺が言いたいのは八左ヱ門のことだよ」
1人で勝手に早合点して首を横に振る兵助に思わず声を荒げた。しかし兵助はそんな俺の様子にますますわけが分からないと肩をすくめる。
「八左ヱ門? あいつがどうかしたのか」
「どうかしたのか、だって?」自分でも目が釣り上がるのが分かった。俺が言うのも何だがこいつは本っ当に女心ってもんを分かっちゃいない!
――兵助に『に紗耶香さんと面識があるのか聞いてみてくれ』って言われた
八左ヱ門がそう俺に告げた日から、兵助はすっかり片瀬さんのほうに付きっきりになって恋人であるはずの八左ヱ門を放っておくようになった。先輩方やほかの友人たちも必要以上に片瀬さんの世話に回っているにもかかわらず、だ。
恋人のこの浮気とも取られかねない行動に、八左ヱ門のほうはすっかり元気をなくしていた。なのにこの男ときたら!
これがいつもの痴話ゲンカであったなら俺も黙って見ているところなのだが、今回ばかりは兵助に対して完全に頭にきていた。
「お前、最近八左ヱ門をほっぽってあの人のところにばかり行ってるそうじゃないか」
誰かから聞いたような口ぶりだが、実際に何度か食堂――それ以外の場所でもだが――で現場を見ているのだ。俺の責めるような口調に、兵助は困惑した様子で「だって仕方ないだろう。紗耶香さんはまだこっちに来て日が浅いんだぞ」と言い訳めいた言葉を口にする。
「確かに、あの人はこっちに慣れていないし手助けをしようとするのも分かるんだけどさ……それにしたって、求婚間近の恋人を放置しっぱなしっていうのはどうかと思うぞ」
この俺の言葉に、兵助は心底不思議そうに目を瞬かせた。
「求、婚?」
「そうだよ! 俺たちもそろそろ結婚してもおかしくない年齢なんだし、将来を誓い合う予定とかもあるんだろ?」
ほかの女を心配し過ぎて結果フラれでもしたらシャレにならないだろ! そう息巻く俺に兵助はどこか冷めた表情で口を開く。
そこから発せられた言葉に、俺は耳を疑った。
「俺は別に八左ヱ門とはそういうことは考えてないぞ」
「は?」
ぽかんと口を開けたまま兵助を凝視する。
兵助は今、なんて言った?
「用はそれだけか?」
あまりの衝撃発言に俺が何も言えないのを肯定と捉えたのか、兵助は淡々と「だったら部屋に戻るぞ」とだけ告げて1人部屋に戻ってしまった。
部屋に戻ってからのことはあまり覚えていない。
後から聞いた話によると、部屋に戻った俺はひどく顔色が悪かったらしく、片瀬さんが「調子が悪いみたいだから」とお開きにしてくれたのだという。実際、あの状態では話をしたとしても、内容を覚えていないどころかまともに話ができたかどうかも怪しいところだ。
兵助はそのことに気を悪くしていたらしいが、勘右衛門がなんとかなだめてくれたらしい。そのことについて後で礼を言いに行ったら、勘右衛門は苦笑しながら「原因は兵助なんだろうなーと思ったから」と言っていた。本人曰く俺たちの前後の行動から推理したらしい。
……あいつは、勘右衛門は兵助が言っていた内容について知っているのだろうか。聞かなければとは思うが、確認するのが怖い。俺より早くに知っていたのならどうして何とかしてくれないんだとも思うし、知っていたからといってどうすればいいのかとも思う。
人の気持ちは簡単に移ろいやすいくせに、いざ変えようとしても驚くほど変えられないものなのだ。
数日後、八左ヱ門と兵助が別れたらしいということを三郎から聞いた。