初恋も二度目なら

 片瀬さんと会った翌日から、八左ヱ門が部屋から出てこないらしい。
 雷蔵からそれを聞かされたときは「なんでもっと早くに言ってくれなかった!」と怒鳴ってしまった。その勢いのまま飛び出してしまったので、後で会ったらちゃんと謝っておかねばなるまい。
 ――翌日からって、もう3日もたってるじゃないか!
 五年生にもなってそれはまずいだろう、と心中で悪態をつく。
 それまでにも兵助には何度か食堂で会ったが、八左ヱ門のことを聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りで、片瀬さんと話があるからまた後で。そのやり取りを何度か繰り返した後でのこの一報だ。これでは冷静さを失っても無理もないと思ってくれればいいが。
 廊下をかつてない速度で駆け抜けていくと、前方の柱に寄りかかるように三郎が立っているのが見えた。

助言


声をかけられて、俺は慌てて足を止める。三郎の表情がいつになく重い。
「八左ヱ門のところに行くつもりか」
「そうだけど……三郎も知ってたんならなんで教えてくれなかったんだよ」
思わずとげのある口調で三郎に問いかけた。
 考えてみれば、同じクラスの三郎が知らないはずがない。なのに、今日になるまで一度も2人と会えなかったことを考えると避けられていたとしか考えられない。
「すまん。このことをお前に伝えるべきかどうか分からなくてな……会えば問い詰められることは確実だったからしばらく避けていたんだ」
「どういうことだ」
三郎は一度深呼吸すると、「落ち着いて聞けよ」と前置きしてからこう告げた。
「兵助が八左ヱ門と別れたらしい」

「……は?」
自分でも驚くほど低い声で、その1音だけが喉から出た。
 だって、あり得ない。ついひと月前まではあれだけ仲のよかった2人が、そんな馬鹿な。
「というか、兵助が一方的にフッたらしい。それから八左ヱ門は部屋にこもりっきりで出てこないんだ」
先生には「体調が悪いらしい」とごまかしているが、それもいつまでもつか。三郎はそう言ってかぶりを振った。
 俺はそれを聞いてますます胸が悪くなった。思いっきり兵助が原因なのに、何が「知らない」なんだ。
「私たちもそれはさすがにおかしいと思って、ちょっと紗耶香さんの周辺を調べてみたんだ。
 そうしたら、ほかにも『恋人があの女に寝取られた』だの『片思いの相手が横からかっさらわれた』だの、くノ一教室辺りからぼろぼろ出てくるの何のって」
「それっておかしくないか……?」
確かに片瀬さんは美人で性格もいいから熱狂的なファンは多かった。だけど、いくら逆恨みにしたってそこまで多くの女生徒に嫌われるようなことはなかったはずだ。
「ああ、おかしい。ほかの男どもはともかく兵助の性格からして、いくら紗耶香さんがどこの城とも関係がないことは調査済みとはいえ、あからさまに不審な人物に心を許すとは思えない」
確かにそうだ。さっきまで兵助この野郎とか思っていたけど、本来ならそんなことはあり得ないはずなのだ。
 学園であり得ないことが起きている原因は、明らかに片瀬さんだ。でも、ただの女の子である彼女に学園全体を取り込むような高度な幻術が使えるわけがない。考えられるとすれば、この時代に来たことによって彼女の身に変化が起きたということだろうか。
 平成とこの時代とで、何が違う?
「それで、どうする?」
三郎の突然の問いに、思考に沈んでいた意識を急浮上させられた。「どうするって、何を?」ひょっとして片瀬さんを排除しようという算段なのだろうか。さすがにそれは賛成しかねる。なんてったって前世の初恋の人だし、ある意味彼女も被害者なのだ。
「何をって、八左ヱ門のことだ」
呆れたようにため息をついての言葉に、しかし俺はその意図をつかめずにいた。失恋に関しては本人が自分で立ち直らなければならない問題だ。俺にはそばにいて支えてやることくらいしかできない。
「私は、お前は今までよく頑張ったと思う。だが、こうなったらもう我慢しなくてもいいと思うんだ」
その言葉に俺は驚きに目を見開いた。三郎は何を言っているのだろうか。わけが分からない俺に対してじれったそうに眉をしかめると、三郎は落ち着かなそうに視線をさまよわせる。
「だから、その――お前は八左ヱ門を好いているのだろう?」
「ちょ、どこでそれを!?」
思わず問い詰めると三郎はやや引いた様子で答えた。「いや……見てれば分かる」
 視界がくらりと回った気がした。
 最悪だ。墓場まで持って行こうと思っていた秘密が友人にバレていただなんて。
「今まではことを荒立てたくなかったから、お前が黙っているつもりならと私たちも知らない振りをしていたんだが……それで今回のことだろう」
「『たち』ってことはまさかほかにも……」
「雷蔵と勘右衛門と、あとたぶん兵助もだな。私たちの中で知らないのは八左ヱ門くらいだと思うぞ」
「うわあ」
よりにもよって兵助もかよ! ここまでくると八左ヱ門だけが知らないっていうのも不自然にすら感じられる。
「気付かなかったのか? ……あいつ、お前が八左ヱ門と話すたびに殺気立った視線を向けてたんだが」
「そうなん?」
八左ヱ門と2人で話してるときに、たまに背筋がぞっとすることがあったけどそのせいか!
「お前も大概鈍いよな。
 ……で、最初のうちはお前に知らせて変に話をこじらせてもいやだから様子見していたんだが、3日たっても音沙汰ないからもうGOサイン出してもいいかと思って」
「いや、勝手にGOサイン出されても」
大体、そんなことをしたところで八左ヱ門の気持ちはどうなるというのだ。1人だけ置いてかれたままの彼女の気持ちを考えると、とてもではないがそんな気にはなれない。
「まあ、今すぐ告白しろと言っているわけじゃないんだし、そういう選択肢もあることだけ頭に入れておけ」
忍らしく弱みに付け込むのもアリだとは思うがな。三郎はそう言って、俺の横をすり抜けて自分の部屋に戻っていった。
「急にそんなことを言われても……」
一体俺にどうしろというんだ。本当に。