初恋も二度目なら

「なあ、八左ヱ門」
かけられた声に振り向くと、三郎がいつになく真剣な表情でおれを見つめていた。一体どうしたというのか。
「これはあくまでもしもの話なんだけどな」
そう前置きした上で、一旦言葉を切る。からかい半分に何でもない話をもったいぶって話すことは三郎にはよくあることだが、今回のそれはそういったものとはどこか違っていた。思わず背筋を伸ばしてしまう。
「もしがお前のことを好きだとしたら、お前はどうする?」
その問いに、おれは答えられなかった。

吐露

 兵助の部屋に向かう途中、先ほどの三郎の言葉を思い出して足が重くなる。ただでさえ勇気のいることをしようというのに、どうしてあいつは最悪のタイミングであんな質問を投げかけたのだろうか。
「答えは今じゃなくていいし、私に答えなくてもいい。ただ、答えは考えておいてくれ」
答えに詰まったおれを見て、よく分からないことを言ってそのままどこかへ走り去ってしまった三郎。片瀬紗耶香がいなくなる少し前から何か考え込んでいる様子だったけど、それと関係があることなのだろうか。
「でもなあ……」
三郎の質問はおれにとっては想像もできないような内容だった。
 だってがおれを異性として好いているなんて、あり得ないと思う。異性として意識するには、おれたちはあまりにも長い間近くにいすぎた。それにもしそうだとしたら、兵助のことであんなに親身になって相談に乗ってくれるはずがない。おれが気付かないはずが、ない。
 でも、あの三郎があんな真面目くさった顔で答えを考えておけなんて言うからにはきっと何らかの意味があるのだろう。そうすると考えておかなければならないのだが、やっぱり想像もつかない。
 そんなことを考えているうちに兵助の部屋に着いてしまった。やばい、緊張してきた。
 部屋の前でひとつ深呼吸をしてから、声をかけようと口を開いた瞬間、
「……八左ヱ門?」
戸を開けた兵助が戸惑った表情でこちらを伺っていた。


「まあ、適当なところに座ってくれ」
話に聞いていたよりもだいぶ落ち着いた様子で座るように促され、やや肩透かしを食らったような気持ちで座布団の上に座る。
 片瀬紗耶香がを殺害しようとしてから数日。こうして兵助と言葉を交わすのは随分と久しぶりのように思える。別れを告げられてからは初めてなんじゃないだろうか。
 兵助が随分と落ち込んでいると勘右衛門から聞いたのは昨夜のことだった。天女の幻術にまんまとはまっておれを傷付けたとひどく落ち込んでいるという話を聞いて、おれは「あれは兵助の意思じゃなかったんだ」と安心してしまった。けれど、本人にとってはひどくショックな出来事であったに違いない。
 その日はすでに深夜になっていたので、翌日に様子を見に行こうと兵助の部屋にやって来たのだった。
「それで、大丈夫だったのか? 会議のほうは……」
「ああ、なんとかね」
兵助が心配そうに尋ねてくるので、おれは少し安心してしまった。
 あの事件が原因でおれが女であるとみんなにバレて、随分と議論が長引いてしまったのだ。真剣な気持ちを伝えた結果、おかげで条件付きではあるがなんとか今までどおりに学園に通えるようになった。
 そうか、と兵助が答える。ほっとした様子を見せてくれたのはうれしかったが、それきり難しい顔で黙り込んでしまった。
 以前だったらふとした会話の間に流れる沈黙も心地いいものだったに違いないのに、今はどうしてか重苦しく感じられる。
「兵助」
覚悟を決めて声をかけると、兵助が顔を上げた。
「おれたち、やり直せないかな……?」
震える声でなんとかそれだけを伝えると、おれは兵助の顔を見ていられなくて下を向いてしまった。そしてそのまま答えを待つ。勘右衛門はああ言ってくれたけど、もし兵助が本当にあの人のことを好きだったとしたら。いやな想像ばかりが頭をよぎる。
 しかし兵助からの返事はいつまでたってもない。さすがにどうしたのかと顔を上げると、驚きに目を見開いている兵助の顔がおれの目に映った。
「お前は、ひょっとしてのことが好きなんじゃないのか?」
兵助の信じられない言葉におれは目を見開いた。
「ちょっと待て兵助、いくらなんでもそれは……!」
「ないと言い切れるのか? 近くにいすぎて感覚が麻痺していないと、隣にいるのが自然すぎて気付いていないからじゃないと、お前は言い切れるのか?」
そんなはずはないと、兵助の目が雄弁に語っていた。
 けれどおれは今まで全くそんなことは考えたこともなかった。のことを異性として意識したことも、がおれのことをどう思っているのかを考えたことも。
 今、三郎がおれにあんな質問をした理由が分かった。質問の答えを欲しているのは三郎じゃなくて兵助だったんだ。
 でも。
「そんなこと関係ない、おれは兵助が好きなんだよ!」
思わず立ち上がって叫ぶと、間髪入れずに「うそだ」と言い返された。
「少なくとも、はお前に惚れていたじゃないか! 気付いていないのはお前だけだ!」
あまりの気迫に何も言い返せずにいると、落ち着きを取り戻した兵助が視線を逸らした。「……すまない、言い過ぎた」
互いに座り直すと、兵助は胸のうちをぽつりぽつりと語り始めた。
「最初にお前と出会ったときから、俺はずっとに嫉妬していた」
最初に告げられた言葉に困惑していると、兵助はふっと苦笑を浮かべた。だってそれは要するに、初めて会ったときからおれのことを好きでいてくれたということで。
「お前が俺を受け入れてくれたときはそんな嫉妬も忘れられた……けれど」
「兵助、おれは」
いい加減な気持ちで兵助に答えを返したわけじゃない、そう言おうとしたのを目で制される。
「確かにお前は俺を愛してくれたさ。そのことは俺にとって救いだった。
 けど、もしが今の立場を崩してでも八左ヱ門を欲したら、それでもお前は俺を選んでくれるのかって……不安になったんだ。
 その結果があの様さ」
自嘲気味に笑う兵助をおれは笑えなかった。かえって胸が苦しい。
 おれは今まで何を見てきたんだろう。が今の関係に苦しんでいることも、おれが兵助を唯一と言い切れないせいで苦しめていることも気付かずに、ただ兵助が好きだと言ったって今の兵助には何の説得力もないのだ。兵助をそうさせてしまったのはおれだったんだ。
「すまない。お前の言葉を信じてやれない俺に、思いに答える資格はないんだ……」
俯いたまま苦しそうに言葉を吐き出す兵助にそれ以上おれは何も言うことができず、無言で部屋を出ようと立ち上がる。このまま消えてしまいたい気持ちで戸を開けて、ふとおれは大事なことを伝えていないことに気が付いた。
 何もかも中途半端で、言葉1つでこんなにグラついてしまうおれだけど、それでもおれの中で確かなことが1つだけあった。
「兵助……1つだけ信じてほしいことがあるんだ」
「え?」
突然の言葉に顔を上げる兵助におれは向き直った。
「たとえこの先おれがどんな答えを出したとしても、おれの初恋は兵助だからなってこと!」
答えを聞くのが怖いのと、なんだか自分で言ってて無性に恥ずかしくなってそのまま逃げるように部屋から走り出してしまった。
 考えなければ。のことも、兵助のことも。そして答えが出たら、間違いなく兵助に伝えよう。
 そう心に誓った。