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オレイルは死んだ。なぜだ?

 爺だからさ。
 ……あまりできのいい洒落ではないな。

 それはさておき、先日の「オーフェン」チャットでちょっと面白い話になった。
 「あそこそ」ではキャラクター各々が本編から一段階成長しており、なおかつそれぞれほかの人間と協力しあいながら前に進もうとしている(あくまで協力であって単独でないのは、本編で超人を否定したからだろうね)。つまり「自立」が根底のテーマとしてあるのではないかというのだ。
 言われてなるほど!と腑に落ちる。私は、テーマとしては「同質と正逆」くらいしか気がつかなかったのだが、むしろこちらのほうが核にあるように思えてきた。
 人間たちはかつて天人種族の庇護を受けていたキエサルヒマから出て、新しい土地を目指そうとしている。まさに自立だ。
 「銃声」でオーフェンは「神はいない 人は自立しない だが絶望しない」と口にした。オーフェンによってキエサルヒマは絶望から解き放たれ、そして自立しようとしている。この変化さえも巨人種族の特質といえばいいのだろうか。
 オーフェンは5年間追いかけ続けていたアザリーと別れの言葉を交わし、西部編ではオーフェンの「重石」だったクリーオウとマジクも自分たちの道を確かに歩みはじめている。
 帰らぬ弟妹を待ち磨り減っていたレティシャ、出て行こうとするものを止めるばかりだった彼女は家族を得、そして旅立つクリーオウを送り出した。
 補佐役とされていたハーティアも、強すぎる自己顕示欲を枠におさめるのではなく、むしろそこから脱出した行動を取っている。
 本編中では、過去という楔を打ち込まれてやや倦怠感すら漂わせていたキャラクターたちが、殻を打ち破って前へ進んでいく様を見るのはいっそ爽快なほどだ。

 と、ここまで来てあるキャラクターの名前が出ていないことに疑問を抱いておいでの方もおられるかもしれない。はっはっは、これからたっぷりと語るのでご安心を。
 ちなみに私はオレイルは死んでいる、と考えており、以下そうした前提で語るのでご注意を。続き

 オレイルが死んだであろうということは9月13日付更新でのサルアの台詞からも推測できることだが、後日談におけるサルアの振る舞いからもそうしたことは見て取れる。
 十年経った視点で読み返すと、「おっさんくさい」が代名詞であるにもかかわらず、サルアはかなり不良少年くさい人物であることがわかる。
 反逆の動機が「退屈」であるのがなによりの証しだ。いや、もちろん閉鎖的な教義にこだわるあまり行き詰まっていた状況を打開しようとしたというのは本当だろう。けれども、そう考えるようになった発端は停滞を続ける教会、ひいては街そのものへの反発心があったに違いない。反逆を言い指して危険な遊びというラポワントの表現は、おそらく的を射ている。
 そしてそのラポワントとのやりとりを見ると、自分よりもあらゆる点で上を行く兄に対し、その言い分の正しさを認めながらも素直に従えない心情があらわになっている。これを不良少年と呼ばずしてなんと言おう。
 てか、往時はさほどおっさんくさい印象はなかったのに、今読むと「23かそこらでこの言動は……」と思えるのだから面白いものだ。
 だが「あそこそ」ではどうか。騎士軍の攻撃によって紛争地帯となったキムラックに戻り、自分からゲリラのリーダーに就くなど、本編当時からは「柄でもないこと」をやっている。「やりたいことをやる」と唾を吐いていたころからするとえらい違いだ。
 それにはおそらく、実力の確かな拠りどころでもあったガラスの剣が折れ、さらにキムラック大崩壊の一端を負っているという思いが関係していると思われる。もちろんキムラックが崩壊したのはサルアのせいではない。しかし、クオやラポワントといった有力な指導者を失った教会上層部が、外輪街の蜂起に際して王都に助けを求めるという安易な行動に走ったのは事実だ。もしかれらが死ななければ、という仮定は一度ならず考えたことだろう。
 そうしたとき、周囲に頼ることのできる(甘えられる、と言ってもいいかもしれない)相手がいればまた別なのだろうが、オーフェンの苦悩を受ける今のサルアを見ていると、誰によらずとも精神的に脱皮した印象を受ける。おそらくサルアは甘えられなかったのだ。腕が動かなくなり剣を置いたメッチェンは言わずもがなだし、そしてオレイルは死んでしまっていたがゆえに頼ることができなかったのではないだろうか。
 本編を読むと、サルアにとってオレイルは父親的存在だったのでは、と思わせる節がある。どうも両親は早くに亡くしていたようだし、「血涙」での「あなた(オレイル)がサルアを育てた」というメッチェンの台詞からの憶測に過ぎないが。それでも、クオがチャイルドマンに太刀打ちできなかったという、普通ならば口外できない事実を語ったり、戦士としての生命を奪ったチャイルドマンの短剣を渡していたところに、両者の絆は強いものだったと私には思えるのである。
 もっともオレイルの思いだけを言うなら、聖都をのぞむことも叶わない距離にある小屋から出てサルアとメッチェンと共に旅立った、その事実だけで充分に語りつくされているといえようか。

 しかし、「サルアも自立したよね」と一言ですませればいいものを、なぜこうして長々と無駄に語っているのだろうか、私は。つくづくばかだなあ。

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