爺だからさ。
……あまりできのいい洒落ではないな。
それはさておき、先日の「オーフェン」チャットでちょっと面白い話になった。
「あそこそ」ではキャラクター各々が本編から一段階成長しており、なおかつそれぞれほかの人間と協力しあいながら前に進もうとしている(あくまで協力であって単独でないのは、本編で超人を否定したからだろうね)。つまり「自立」が根底のテーマとしてあるのではないかというのだ。
言われてなるほど!と腑に落ちる。私は、テーマとしては「同質と正逆」くらいしか気がつかなかったのだが、むしろこちらのほうが核にあるように思えてきた。
人間たちはかつて天人種族の庇護を受けていたキエサルヒマから出て、新しい土地を目指そうとしている。まさに自立だ。
「銃声」でオーフェンは「神はいない 人は自立しない だが絶望しない」と口にした。オーフェンによってキエサルヒマは絶望から解き放たれ、そして自立しようとしている。この変化さえも巨人種族の特質といえばいいのだろうか。
オーフェンは5年間追いかけ続けていたアザリーと別れの言葉を交わし、西部編ではオーフェンの「重石」だったクリーオウとマジクも自分たちの道を確かに歩みはじめている。
帰らぬ弟妹を待ち磨り減っていたレティシャ、出て行こうとするものを止めるばかりだった彼女は家族を得、そして旅立つクリーオウを送り出した。
補佐役とされていたハーティアも、強すぎる自己顕示欲を枠におさめるのではなく、むしろそこから脱出した行動を取っている。
本編中では、過去という楔を打ち込まれてやや倦怠感すら漂わせていたキャラクターたちが、殻を打ち破って前へ進んでいく様を見るのはいっそ爽快なほどだ。
と、ここまで来てあるキャラクターの名前が出ていないことに疑問を抱いておいでの方もおられるかもしれない。はっはっは、これからたっぷりと語るのでご安心を。
ちなみに私はオレイルは死んでいる、と考えており、以下そうした前提で語るのでご注意を。続きを読む