さて、また世迷言である。考察や感想ですらないただのネタなので、読み飛ばしていただければ幸い。
ちょいとうがった目で「オーフェン」を注視してみると、ハーティアとサルアは、そのキャラクター性と作中での立ち位置に似た点がいくつかあることがわかる。
……実は極めて個人的な理由(というか好み)から、似ていることをあまり認めたくはなかったのだが、私ももう充分な歳である。冷静に考えることができるじゃろう、という試み。まあ、「オーフェン」を客観的に読めてるかどうか、最近あまり自信がないんだがな(爆)。
とまれ、どこが似ているかという話。一見、周囲の状況を達観しつつチャラい行動を取っているが、その実くさくさしているような青いところを持ち合わせており、腹の内では流されるだけでは終わりたくない、と考えているあたりが共通しているのではないかと思う。
また、キリランシェロに対して容易ならざる感情を抱いていることも付け加えてもいいかもしれない。かといって、それをわざわざ本人にぶつけたりするほど子どもでもないが、逆に言えば一歩か二歩引いた距離を保っているということだ(ハーティアはキリランシェロと付き合いが長いはずなのに、友人というにはどこか冷めた関係のような印象がある)。
や、サルアは「鋼の後継キリランシェロ」に何がしかのこだわりがあるのではないか?というのは、私の思い込みにすぎないんだけれど。客観的に見て、作者はそこまで考えていないと思う。まあ意図的な誤読というやつだ。
似ている、あるいは似てしまった理由は、おそらく結果的なものだろう。たまたま、主人公の冷静な観察者という立ち位置が与えられたキャラクターが二人出て、当時の「作家・秋田禎信」の引き出しにはああいうタイプの人物像が出やすかった。と、まあこんなところだろうな。
すんませんオチはこれだけです。