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おおきく振りかぶって10巻

 RDの録画を失敗した。わははは。チクショー!

 10巻のキーワード。「対比」
 部員はたったの10人、しかも1年生ばかり、と数字のうえでは弱小チームのように見えるわれらが西浦高校硬式野球部だが、実際はそうでもない。
 投手、三橋廉。独学で身につけた4つの球種と、どんなときでも失わない制球力はピカイチ。
 捕手、阿部隆也。脅威の記憶力と分析力を併せ持った頭脳派捕手。上位打順に座れる打力もある。
 三塁手、田島悠一郎。四番はまかせろ。持ち前のセンスでどこに置いても様になる、まさにスーパースター。<贔屓目
 突出して目立つのはこの三人だが、「普通に」よくできる花井、バントに関しては百枝も絶対の信頼を置く栄口、ミスのない巣山、と能力面だけを見れば充分すごいチームだ。と、思う(なにしろ素人なので自信がない)。田島かっこいい。
 一方で、チームの総合力はかなり弱い。なにせ、誰か一人でも抜けたらとたんに公式戦をしのぎきれる力がなくなるのだ。作中でさんざん繰り返されているように、まともな投手は三橋しかいないし、攻撃の柱である田島が欠ければ点を取れない。だからこそ百枝は花井を育てようとしているのだし。そして阿部だ。三橋のすさまじいまでの制球力は、阿部の執拗な配球と組み合わさって絶好の力を生み出している。ロカの台詞にもあるが、阿部が崩されると西浦にとっては大きな痛手となるだろう。
 ここで思い出さなくてはならないのが、1巻で阿部と三橋が交わした「約束」である。阿部は「三年間絶対に怪我も病気もしない」と言った。物語で絶対という言葉が出てくるとは、いつか「絶対に」それが試されるときが出てくるということだ。そのとき、阿部の言葉にすがり、阿部が受けるのでなければ自分はダメだ、と思っている三橋ははたしてどうなるだろう。
 つまり西浦は能力の高い選手を擁してはいるものの、全体的に見ればもろいチームなのだと言える。

 そんな西浦と3回戦で対戦した崎玉高校は、まったくもって普通のチームだ。頭使って野球をしてなくて、主将は優しい先輩で、場外ホームランを叩き出せる佐倉大地という選手のいるチーム(かつて百枝は言った。不思議とどんなチームにもいい子が一人か二人は入る)。
 けれども、崎玉はただ弱いだけのチームではなかったろう。佐倉の絡まない得点が半分あった、つまり点を取る力と勢いは充分あったのだし、守備でも西浦をたびたびおさえている。だが崎玉は「桐青と百回やったら百回ボロ負けするチーム(市原)」で、西浦は「あと十回やったら十回ボロ負けするかもしれないけど、今は勝ってる(栄口)」チームだった。それが事実かどうかは大きな問題ではない。選手本人の意識がそうだった、というのが両者の最大の差だったように思われる。
 さてこの崎玉戦は物語にとってどんな意味があるのだろうか。もちろんひとつは、いまだ田島の下でくすぶる花井が吹っ切れる過程を描くことだ。できるかどうかはともかく、花井が田島を追おうという意思を持たねばチームの攻撃力が育たないのだ。ああもう田島かっこいい。
 試合中、うじうじと悩んでいた花井の背を押したのは三橋である。三橋本人はわかっていないだろうが。三橋の、自分の居場所を死守しようという思いから出た言葉が、花井の心を決めさせた。悩んでもいい。追いかけて、追い抜こうとする意思が重要なのだ。意思がなければ始まりさえしない。
 それにしても、必要以上にびくつく三橋と、やたらと気を遣ってかれに言葉をかける花井の姿は、チーム内での三橋の立ち位置をあらためて浮き彫りにするものであった。
 1巻、三橋は西浦で「ホントのエース」になる、と決めた。私は「ホントのエース」とは球速や制球力のような実力を差すのではなく、チームの軸となれる存在のことではないかと考えているのだが、周囲が「お前こそエース」と一も二もなく頷いていたとしても三橋本人にまったく自信がない今の状態からすると、まだまだ遠いということなんだろう。でも「投げられればそれでいい」と言っていた三橋が、「オレが打たれてチームが負けるのが嫌だ」に変化したのだから、桐青戦の勝利はつくづく大きなものだったのだとわかる。当初あの勝利は意外だったが、ちゃんと意味があったのだな。

 ところで、三橋は作中で甲子園に行くことがあるのだろうか。私としてはぜひともまさに甲子園の決勝戦、大観衆が注視しテレビカメラが向けられたマウンドに立つ三橋を見たいと思っているのだが。いや甲子園でなくてもいい。三橋には晴れの大舞台にこそ立ってほしい。
 たとえば田島のようなスーパースターなら、どんなところでも否応なしに人目を惹きつけるだろう。榛名ならば、プロという夢のために最大限の努力をはらって、その結果がたとえ悔いあるものだったとしても笑っていられるだろう。かれらなら、自分の力で立つ場所を大舞台にできる。
 だが三橋には、誰もが大舞台間違いないと認めるような場所にこそ立ってほしいのだ。ほかでもない、あの三橋だからこそ意味がある。
 三橋が、西浦が負けるときはいつ来るのか、どう負けるのかと楽しみにしている人間には、こんなことを言う資格もないかもしれないが。

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